新人潰しな愛しい人へ



 帰宅したトンパは、目に映った光景に思わず玄関の戸を閉めた。それから瞼を閉じ、今見たばかりの光景を脳裏に思い浮かべる。
 着物を着た女が、三つ指ついて出迎えていた。
(いやいやいや。有り得ない!)
 心の中で叫びながら、目頭を揉みほぐす。
(疲れてんだな、きっと)
 表札を確認して、己の家だと確信できてから、恐る恐る扉を開ける。

「お帰りなさい、トンパさん」

 トンパは再び、静かに扉を閉めた。

 女は自らをハナコと名乗った。己の記憶を探り、トンパは冷や汗をかく。
 知った名だった。二年前のハンター試験場で、試験が始まる前に睡眠薬入りのアンパンを食べさせた女だった。久しぶりに易々と潰せた新人だったので、記憶に残っている。
 狭い部屋の中、姿勢正しく椅子に座って静かに茶をすするハナコをうかがう。ちなみにその茶はハナコが勝手に淹れたものだ。どうぞと差し出されて飲んだ茶は、同じ茶葉を使っているはずなのに、トンパがいつも飲んでいる茶より格段に美味しかった。
 トンパの視線に気付いたハナコは、コップを机に置いてからにっこりと笑う。

「思い出してくれましたか?」
「あ、ああ」

 ひきつりながら答えれば、ハナコは良かった、と嬉しそうにもらした。
 仕返しにきたのか、と身構えたトンパの前で、ハナコは椅子から立ち上がり、床に座り直す。そして先程のように三つ指ついて頭を下げた。

「その節は大変お世話になりました。私、あの時のご恩を返しにきたのです」

 深く頭を下げる姿にトンパは口端を引きつらせる。言葉通り恩返しにきたのだと受け取ることはできなかった。この世界のどこに己を罠にはめた相手に恩返しする人間がいるというのだろう。お礼参りにきたと言われる方が納得できる。

「ああ。分かった」

 勢いよく頭をあげたハナコの顔には笑みがいっぱいに広がっていて、トンパは心持ち上体をのけぞらせて距離をとろうと努力する。

「では」
「じゃあな!」

 言葉を遮るように大声を出したトンパは、すばやい動きで荷物を掴み、ハナコに背を向ける。そのまま振り返ることなく己の家を出て、走った。
 トンパは逃げた。こうしてハンター試験で罠にはめた奴が報復しに来ることは今までも何度かあった。そのたびに逃げ出してきたように、今回も逃げた。ついでにそれまで住んでいた家の家賃も踏み倒した。

 やれやれと一息つきながらいつものように新しい家と仕事を見つけたトンパは、その日自宅の扉を開けて、いつかのように勢いよく閉じた。
(有り得ねえ)
 心中で呟きながら眩暈がした。いっそのこと倒れてしまいたかった。
 またあの女が三つ指ついて玄関で出迎えていたのだ。

 不法侵入したハナコに前回と同じく不本意ながら茶でもてなされたトンパは、これまた不本意ながら事情を聞く羽目に陥った。

「私、ハンター試験を甘くみていたのです」

 厳しい修行を課される実家でなかなか実力を認められず、反抗心から家出したハナコは、腕試しのつもりでハンター試験を受けたのだという。しかし、一次試験を受けることもなくトンパの策略で失格になり、家に帰った。
 二年前の試験で警戒心皆無だったハナコを思い出し、トンパは単に実力がなかったから実家でも認められなかったんだろうと心中で納得する。けれども二度もトンパの居場所を突き止めるくらいの力はあるのだから恐ろしい。

「毎年死人が何人も出る試験だなんて。それに、まさかコタロウさんほどに強い人までも死んでしまうなんて思ってもみませんでした」

 ハナコの話は続いた。
 去年のハンター試験で知り合いが死んだらしい。それで目が覚めたのだとハナコは言った。

「私、ずっとあなたのことを憎んでいました。親切そうな顔して近づいて、騙すなんて悪い人に違いないって。日夜呪いグッズを集めてあなたのことを呪っていました。申し訳ありません、謝ります」

 さらりと怖いことを口にしながら、トンパに頭を下げる。
 一呼吸おいてから顔を上げ、露わになったハナコの瞳は怪しい光を伴っていた。

「でも、あれは世間知らずの私のためにしてくれたことだったんですね」

 いきなり話の矛先が変わり、トンパは冷や汗を垂らす。

「いやあ、まあ結局君に何事もなくてよかったよ」

 いつもハンター試験序盤で装う人の良い口調で嘯いてみる。日夜呪いをかけられるよりは勝手に勘違いしてくれた方がいなしやすいと判断したためだ。
 だが、それは間違いだった。

「やっぱりトンパさんはすばらしい人です」

 ハナコは両手を組み、きらきら輝いた瞳でもってトンパを一心に見つめてきた。

「自ら悪者になって未熟な新人を救ってくださるなんて。私感激しました!」

 涙目になって感動を表すさまは、演技であって欲しかった。此方を油断させておいて、あの時の恨みつらみを晴らしてくれるっと言いながら襲いかかられる方がまだ現実味がある。
 がしっとトンパの手を両手で掴んだハナコは、のしかかる勢いでまくしたてた。

「だからお礼がしたいんです! これでも私、家事洗濯炊事何でもできますから!」

(これはきっと罠だ)
 現実逃避しながらトンパはそうであることを祈った。

 トンパの祈りを裏切り、ハナコはひたすらトンパに尽くし続けた。
 家事はもちろんのこと、お世話になっていますから、とはにかみつつ出所の分からない金を握らせてくる。
 暫くしてから近所の花屋で働いていることをトンパは知った。居酒屋で飲んでいたら、良い奥さんだな、とやけに引きつった笑みをした見知らぬ男に声をかけられたのだ。断固としてトンパが否定すれば、憎しみをこめて背を叩かれた。腹いせに男の飲み物に鼻くそを入れてやったが、あまり気は晴れなかった。ハナコは見かけだけは上等だから厄介だとトンパは思う。
 ハンター試験にもハナコはついてきた。毎回第一次試験で脱落するが、嬉々として新人潰しに協力してくる。二年目から顔見知りの受験者が協力してくれなくなった。三年目には「誰が彼女同伴している野郎に力貸すか」と唾と共に吐き捨てられた。

「疫病神だ」

 四年目、強い風当たりを耐えてハンター試験を終えたトンパは帰り道、一人呟いた。

「まあ、それは大変です。トンパさん」

 いつの間にか当たり前のようにハナコが隣にいる。
 あまりにも自然に行く先々に現れるため、もうトンパは突っ込まない。一度尋ねた時に頬を赤らめてくねくねしだしたのでそれ以上追及することを諦めた。世の中には深く知らない方が良いことも存在するのだ。

「それなら私の幸せを差し上げます! 遠慮しないで下さい。きっと疫病神も追い出してみせますから」

 疫病神であるハナコは清らかな笑みをみせてくる。追い出されてくれる気配は欠片もない。

「トンパさんは身を削って色んな人に幸福を与えているんだもの。せめて私くらいはトンパさんに幸福を捧げる側でいたいんです」

 真っ直ぐ突き刺さる視線を受け、トンパの毛むくじゃらな腕に鳥肌が立った。
 トンパは自分が良い人でないことを知っている。いきがいとも言える新人潰しは己の欲望のためだけに行っていることだ。それを他者の幸福のためにしているのだと、善人面した行為の意味を押し付けられては敵わない。

「もう止めてくれ」

 半泣きになりながらトンパは言葉を絞り出した。

「トンパさん?」

 ハナコの言葉を否定しても意味がないことをトンパは経験で知っている。
 いくら良い人説を否定しても、ハナコの脳内では謙遜に変換され、更なる賛美の言葉が襲ってくる。
 そして、ハナコの存在を嫌がり逃げても、どこまでも追ってくる。
 もうトンパにはハナコの存在を否定するしか方法が残っていなかった。

「お前、本当は俺のこと嫌いなんだろう?」

 ずっと腹に溜めていた思いを今、トンパは解き放った。

「トンパさん?」

 不思議そうに尋ねながらも、トンパの全身から迸る悪意に、ハナコは眉をひそめる。
 傷ついたハナコに、トンパは満足した。
(やっぱり俺は他人の顔が苦痛に歪む様を見るのが好きなんだ)
 己の習性を確認してから、トンパは続けた。

「最初っからお前を罠にはめたのを恨んで、良い人ぶって近付いて、俺が苦しむのを影でほくそ笑んでたんだろう? 俺には分かるぜ」

 ハナコがトンパに善人の仮面をつけさせたがるのと同様に、ハナコに悪人の仮面を押し付ける。

「そんな……」
「おおっと。言い訳は要らねえよ」

 ニヒルな笑みを浮かべながら片手を突き出し、ハナコの言葉を遮った。

「そりゃあ憎くて当然さ。俺はお前を騙したんだ」
「そんなことありません!」

 叫びながらハナコの目尻に涙がたまる。
(これだ!)
 トンパはやっと確証を得た。
 新人潰しと呼ばれるトンパには特技がある。それは対象者が最も傷付く行為を見付け出すこと。
 ハナコには、己の善意が他人を傷付けていることを知らしめてやれば良い。

「いいや。お前は俺を憎んでいる。じゃなきゃおかしいぜ」

 一拍溜めてからトンパは唾を吐き散らす勢いでまくしたてる。

「俺はなあ、お前が来てから災難続きだ。街中じゃあ男どもに嫉妬されて、ハンター試験じゃあ協力者に逃げられる。おかげで今年の試験も散々だったぜ」

 舌打ちするトンパを不思議そうにハナコは見つめた。そしてゆっくりと首を傾げる。

「それと私とどういう関係があるのでしょう? 私がトンパさんを不幸にする奴らを呪えば良いんでしょうか?」

 なんとなく口に出したことが良い案に思えたらしく、ハナコは瞳を輝かせて続ける。

「私、やりますよ! 大丈夫です。殺しはしません。トンパさんのやり方と同じように、己の過ちに気付いて正しい道を歩むきっかけをつくってあげるんです」
「いやいやいや待て! そういうことじゃねえ!」

 全力で突っ込んだトンパは肩で息をしながら、軌道修正をはかる。

「あのな、つまりだ。もういい」

 トンパは疲れてしまった。どんなに言葉を尽くしてもハナコに真意が伝わるとは思えなかった。
 そう、トンパは疲れていたのだ。

「もういいって、どういうことですか?」

 円らな瞳を見返して、トンパは最終通告をする。

「恩返しはもういいよ。あの時の恩は充分返してもらった」

(だから早く俺の前から消えてくれ)
 虚ろな瞳で祈るトンパの前で、ハナコは頬を赤くする。そして口を開いた。

「あの、それって一緒にいるのに恩返しっていう理由付けが必要じゃなくなったっていうことですよね。つまり……」

 トンパは忘れていたのだ。目の前の女がとてつもなく、害をなすほど、思い込みが激しく、物事を自分の都合良いように解釈する女だということを。

「プロポーズ、ですか?」
「何でだ!」


 十年後、業者に委託して作ってもらった下剤入り缶ジュースを前にトンパは悦に入っていた。
(これで今年も新人を潰してやるぜ)
 自室に運び込んだダンボール箱から一つずつ取り出し、外観に問題がないことを確認する。

「トンパさん」

 涼やかな声に呼ばれ、振り返れば着物姿のハナコが嬉しそうに近寄ってきた。缶ジュースを一つ手に取って眺める。

「今年はこれなんですね。中には何が入っているのかしら?」

 毎年恒例となったやり取りだけに、トンパは気もなく答える。

「秘密だ。試しても良いぜ?」

 いつもいつも最終的にハナコの希望通りに物事が進む中、溜まった鬱憤を晴らす良い機会だ。トンパは例外を除いて毎年ハナコに毒見役をさせている。

「ありがとう、トンパさん」

 もっとも、ハナコにとっては毒見役もトンパの役に立てるからという理由で嬉しいらしい。愛され過ぎてトンパはしばしば胸やけしそうになる。
 今も素晴らしい満面の笑みと純粋な瞳の輝きに、トンパは引きつり笑いをこぼしながら缶ジュースを手渡した。
 ハナコは素直に缶ジュースを受け取り、胸の前で抱きしめながらトンパを見つめてくる。

「あのね、トンパさん。今度の試験が終わったら、お話ししたいことがあるの」
「ああ。分かった分かった」
「楽しみにしててね」

 そのまま缶ジュースを大事そうに抱えてハナコは部屋から去っていく。
(どうせまたくだらないことだろ)
 ハナコのいう話に興味をそそられなかったトンパが再び確認作業に入ろうとしたところ、背中に衝撃が走った。思わず取り落とした缶ジュースが床を転がっていく。

「おい! 勝手に俺の部屋に入るなって言ってるだろ!」

 振り向けば、予想通りの物体が視界に飛び込んできた。
 ハナコそっくりの小さな女の子。五歳になったトンコはトンパの首に抱きついて、お気に入りの髭を引っこ抜こうとしてくる。

「おいっ、やめろ!」
「あのねえ、父ちゃん」

 のんきにトンコは話し始めた。

「もうすぐね。トンコに弟か妹ができるんだって」

 三本ほど顎髭を抜かれた痛みも気にならなかった。
 さきほどハナコがそわそわしながら触れた話と今聞いた話が合致し、そしてトンパは思い出す。ハナコが大事そうに抱えていた夫からの贈り物の中身を。
 トンコをひっつかせながら走った先、居間でハナコは缶ジュースを飲もうとしていた。

「馬鹿かお前!」

 間一髪、間に合った。
 取り上げた缶ジュースから一雫の中身がもれる。ハナコは不思議そうにトンパを見返す。

「どうしたの? トンパさん」

(妊娠中は子供第一で行動しろよ馬鹿女。って、そうか。こいつは底なしの馬鹿だった)
 前回の妊娠時も寸でのところでトンパが気付き、妻の愚行を止めた。今回も前回と同じような結末に至るのだろうとトンパは遠い目をしながら思う。新人に渡す物の安全性をハナコは確かめたがるのだ。決して死に至るものであってはいけない、と。しかもその理由は「何かの間違いでトンパさんが殺人者になったらいけないから」だ。故にハナコが毒見できないとなると、必然的にその役目はトンパにまわされる。
 愛が重すぎて、辛い。

「やっぱり俺が味見したいからお前は飲むな」

 それでもトンパは、惰性で培われた愛でもって一気に缶ジュースを飲み干した。

 即座にかけこんだトイレにて、自らの入れた下剤の強力さを身をもって体感したトンパは雄雄しく叫ぶ。

「今年の新人は絶対に全員潰してやるぜ!」

 下半身丸出しで、涙目になりながら。




 

 

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