知らない話 キャロル



「だから! 蜘蛛は闇競売を狙うって言ってるでしょう!?」
「此方は納得のいく説明をしろと要求したつもりだが? 前世? 漫画? そのキャラクター? 申し訳ないが、虚言癖でもあるのでは? それと、至近距離で騒がないで欲しい」

 淡々とした口調で前世の記憶を虚言と疑ってくる男に、キャロルはがしがしと怒りで沸騰しそうな頭を掻き毟る。
 同じ部屋にいる一人は困ったような顔で、しかし口を挟もうとはしない。もう一人は完全にこの事態を面白がっている。最も後者が介入してきたら確実に場を掻き回すと分かっているから、助けを期待はしないのだが。
 すうっと大きく息を吐き出す。冷静に事態を省みる。当初の予定ではこんな計画を練る段階でごねられると思わなかった。しかし、仕方ないのだ、きっと。そう自分に言い聞かせる。漫画の中でだってクラピカは終始冷静さを保とうとしていたけれど、復讐に囚われた心は暴走しがちだった。その激情はキャロルにも覚えがあるもの。だから、冷静に、大人の対応を心掛けなければならない。

「こっちも何度も説明してるんだけど、もう一度言うわ。蜘蛛はヨークシンシティのオークション品を狙っている。動くのは初日の闇競売。そこでまずは人質を取るの。奴らは生きてる仲間をすんなり見捨てはしないわ。すぐには殺さず生かすことで団長を引っ張り出すことができるかもしれない」
「蜘蛛が仲間思いというのも怪しいが、そもそもの前提に根拠がない。本当に蜘蛛がヨークシンに現れるのか?」
「だからそれは漫画で!」
「話にならない」

 沸騰しそうな程の熱が身体の芯を走り抜けた気がした。さっきの決意がぼろぼろと零れ落ち、怒りの渦巻きを制御できない。

「この分からず屋! 私は貴方とセンリツの能力だって知ってたじゃないっ! 前世で漫画を読んだからよ! センリツ、私は嘘を付いてないでしょう!?」

 勢いよく首を巡らせれば、黙って事態を見守っていたセンリツは静かに頷いた。

「クラピカ、本当よ。彼女は嘘を付いていない。本当のことしか言っていないわ」
「君が嘘を付いている可能性もある。初めから騙すつもりで私に近付いたのでは?」

 完全にクラピカは心を閉ざしている。漫画では良い仲間であったセンリツにまで噛み付く様に、失望からキャロルは額を掌で覆った。

 思えば最初から計画は狂っていた。
 ヨークシンシティでのオークションを間近に控えた八月の終わり頃、漫画のキャラクターはどうしているか、調べたキャロルは絶句した。ゴンとキルア、レオリオの戦力外達は筋書き通り。しかし、唯一使えると思っていたクラピカの仕事先であるマフィアはぼろぼろの状態だった。ヒソカの金を使い詳しく調べたところ、ボスの娘の能力が消えてしまったらしい。
 漫画の知識があるキャロルはその異常事態の原因に心当たりがあった。幻影旅団の団長の能力。幻影旅団には漫画の知識がないと言っていた同じ転生者のルークがいる。その言葉が嘘だったのかもしれない。他の情報源から幻影旅団に漏れたのかもしれない。全ては憶測に過ぎず、現実は無情にも幻影旅団が予知能力を奪ったことを示していた。
 そのことを、キャロルは正直にヒソカに話した。戦闘狂の男は強い相手と戦う為ならばとキャロルの復讐に協力を惜しまない。復讐相手に頼むのは危険だと理解していたけれど、形振り構ってなどいられなかった。それにヒソカは頭は良いのだ。趣味嗜好は狂人そのものである一方、思考回路はまとも、むしろ常人以上に優れているともいえる。
 幻影旅団の団長をヒソカにぶつけるつもりだと話せば、予想通り彼は嬉々として食い付いた。そして団長が予知能力を奪っている可能性を指摘すれば、予想以上に気持ち悪い笑みを浮かべて笑い出す。こうなると人の話を聞かないことは短い時間で理解していたので、キャロルは一日ほど間を空けた。興奮したヒソカほど手に負えないものはない。そして次の日、上機嫌なヒソカは既にクラピカへと連絡を取っていた。どんな交渉があったかは知らない。だが、キャロルの漫画の知識から使えると判断したのか共に勧誘したセンリツとヨークシンへと現れたクラピカは、愛想を何処かに置き忘れたのかのように終始警戒を解こうとはしなかった。ぴりぴりとした空気を纏い、ヒソカは無論のことキャロルにも噛み付いてくる。そしてその矛先は到頭センリツにも向いてしまった。

「なら、おりるかい?」

 固まっていた空気を動かしたのはこの場で一番タチの悪い男。挑発的な台詞にひやりとするも、キャロルは静観を決めた。信用はできないが、ヒソカは交渉ごとを得意としている。クラピカを上手く乗せられるかもしれない。それに、何よりキャロルは苛立っていた。己の前世を否定してくれた分からず屋の男など、ヒソカにおちょくられてしまえば良いのだ。

「そうさせてもらおう」
「君一人で幻影旅団を捕らえられると思うなら好きにすれば良い。だけど、そんなに上手くいくかな? 少なくとも僕らは情報を持っている。キャロルの情報はわりと当たるよ」
「前世の記憶? そんなものを貴様も信じているのか?」
「うん」

 ヒソカは満面の笑みで即答した。少しだけヒソカを見直したキャロルは、続いた台詞に絶叫する。

「だってこの子、僕の能力も知ってたんだよ。強化系の回復特化能力者だから、能力で情報を得る方法はないしね」
「ちょっと! 勝手に人の能力バラさないでよっ!」
「因みにお金もないから情報屋から買うっていう線も消える。ああ、使える友達はいたみたいだけど、能力が違うし、もういない」
「黙れ!」
「あはは。力尽くでどうぞ?」

 出来るものならね、と楽しげに細められた瞳が語っている。
 怒りで滲んだ涙に、視界が歪む。何故話してもいないのに、ヒソカがキャロルの友人だった少女のことを知っているのか。疑問を抱くより先に、死んだ少女を馬鹿にされたことが許せなかった。
 強い殺意をこめて睨み付けたというのに、いつもの如くヒソカは微塵も揺らがない。余裕の笑みで両手を広げてみせる。まるで今すぐかかってきて良いんだよ、と語りかけてくるようだった。

「殺してやる。絶対に殺してやる」

 呪詛のように呟いた言葉に嘘偽りはない。それだけは、クラピカにも届いたようだった。

「君は、本気でヒソカを殺そうと?」

 静やかな問いに、キャロルは視線をヒソカから離さず答える。

「そうよ。こいつは私の大事な人を殺した。だからどうしても殺したい。こいつがこの世に生きていることが許せない。その為なら貴方の復讐心も利用する。蜘蛛の団長にこいつを殺してもらうの。だから、それまでは貴方にだって団長だけは殺させない。生かして、ヒソカにぶつけてやる」

 そこで漸くクラピカの心情に思い至ったように、キャロルは振り返った。その顔に浮かぶのは歪な笑み。年頃の娘に似つかわない疲れたようなそれを目にしたクラピカが痛ましげに目を細めるが、キャロルは気付かない。

「勿論その後で貴方が団長を殺すのを邪魔する気はないから好きにして。ねえ、まだ私が嘘を付いてるって思う? 確かに私の情報が偽りである可能性はあるわ。全部が漫画の通りにいくわけないって分かってる。ハンター試験だって、違いはあった。でも、些細な違いで大筋は変わらなかった。だから、多分ヨークシンにも幻影旅団は現れる。これだけでも結構な情報だと思わない?」

 迷うように床へと視線を落としたクラピカの口から出たのは勢いの削がれた声だった。

「蜘蛛がヨークシンを狙っているという情報は既にハンターサイトで入手している。恐らく情報源は君と同じ類の人間だろう。それでも蜘蛛がヨークシンを狙うと?」

 激情がなりを潜めた様子に、一つ安堵の息を吐き出す。キャロルの前世を否定する響きがなかったことにも。
 傍らでにやにやと笑いながら黙って事態を見守るヒソカの意図に気付いて苛立ちはしたが、今はクラピカの説得だ。

「私の知ってる蜘蛛は、障害があればある程燃えるタイプ」

 その障害が乗り越えられないと知ればすぐに逃げる潔さと決断力も持っていそうだが、それは口に出さない。今のキャロルとクラピカは乗り越えられない障害とはなり得ない。強いて言えばヒソカが色々な意味で不安要素だが、彼は蜘蛛が来ると断言した。予知能力を持っているからこそ来るだろうと。
 信用できない相手を信じるしかないもどかしさを心の隅に押し込め、キャロルはクラピカを見詰める。

「絶対に来る。そして私達は蜘蛛を逆に罠に嵌めてやる。その為には貴方の力が必要なの、クラピカ。勿論センリツ、貴方の力もね」

 最後付け加えた台詞に、センリツは蚊帳の外であったことを気にしていないかのように鷹揚な笑みを浮かべた。

「クラピカ。彼女は嘘を付いていないわ。勿論私も。信じてくれるかしら?」

 茶目っ気を見せて問いかけたセンリツに、クラピカは戸惑ったように宙へと視線を彷徨わせた。そして、一拍後に呆れたように大きな溜め息を吐き出す。

「正直キャロルの言葉を何処まで信用して良いか分からないが、その目的についてはもう疑っていない。その為に私を利用したいのなら、遠慮なく私も利用させてもらおう。ヨークシンに蜘蛛が来なければ違約金を払ってもらうという話だから、それを使って当初の目的を達成すれば良い」

 違約金の話はキャロルにとって初耳だが、考えてみれば復讐という目的のあるクラピカはともかく、元々センリツのことは金で雇ったのだろうと想像できた。クラピカのもう一つの目的がオークションに出品させる緋の眼であることも。
 クラピカはすっきりとした顔つきでセンリツに向き直り、生真面目に腰を曲げる。

「センリツ。謝罪する。私に嘘を吐く必要が君にはないのに疑ってしまった。すまない」
「気にしてないわ」
「有難う」

 漫画のように和やかな空気を作り出す二人をよそに、キャロルはそっとヒソカの傍らへと移動した。

「さっき、わざと私を挑発したでしょう?」
「うん? 何のこと?」

 本人は可愛らしく小首を傾げたつもりなのかもしれないが、気色悪いとしか思えない。反射的に顔をしかめたキャロルの反応を気にせず、彼は嗤う。

「良かったね。上手く彼を説得できて」

 キャロルの復讐心を引き出してクラピカの同調を得ようと画策した張本人は、のんびりとそう嘯いた。


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