念能力



 あの日から、初めて盗みと他人の死を経験した日から、ヘンデスさんは時折俺を連れ出すようになった。目的は勿論泥棒。
 人が外出中の家の探し方、家への侵入の仕方、金目の物の探し方、必要な手法を着々と教わっている。今のところ誰にもかち合っていないから、あれ以来殺しはしていない。ただ、感情を凍らせて淡々と作業をこなすように、盗みという行為を日常の一コマとして受け入れられるようになってしまった。

 そして訓練の方も少し変わった。
 体力が付いてきたアリスに対しては、それまで俺がやっていたようにひたすら攻撃する訓練。アリスはヘンデスさんに対する日頃の鬱憤を晴らすように、非常に張り切って攻撃を加えている。そして一発も入れられなかったと泣きつくアリスを慰めるのも日課になった。
 そして俺は、日に日に増える重しを付けて日常生活を送るようになり、そして訓練の方は本格的なものに移った。
 加減はしているのだろうが、それでも容赦なく攻撃され、それを必死で防ぎ、わざと作られたであろう隙をみて攻撃する。怪我が今までと段違いに増えて、アリスの手当の腕がめきめきと上がったのは、良い事に入るのかもしれない。

 そんな生活も三ヶ月が経ち、アリスとの交換日記にすっかりスラングが馴染んでしまった頃、俺だけがヘンデスさんに呼ばれた。

「今日からは新しい訓練に入る」

 最近、ひどく冷めた目でヘンデスさんを見る自分がいる。悪い人、そんな嫌悪感がどうしてもわきあがって、素直に慕えない。
 だから、そう言われてもあまり動じなかった。盗みを強いられて、殺しを見せられて、それ以上の苦痛があるとは思えなかった。

「念を知ってるか?」

 首を振る。
 ヘンデスさんは頷き、おもむろに手を持ち上げた。その手に握られていたのは銃。流石に身体が硬直する。銃口は下を向いているけど、嫌な予感。
 耳障りな発砲音と共に床に銃弾がめり込む。
 アリスは走り込みの為、外にいる。もし家にいたら、真っ先に飛び込んでくるだろうな、と考えた。外に出ててくれて良かったな、って考えた。でもあんまり遠くに行かれても困るな、って考えた。
 現実逃避。自分の頭で処理出来ない事が起こると、アリスの事を考える癖がついている。

「よく見ていろ」

 突然の発砲に驚いて硬直している身体は諦めて、眼球だけの動きでヘンデスさんを追う。
 ヘンデスさんは数歩後退り、次の瞬間。

「これが俺の念能力だ」

 俺の目の前に現れた。ちょうど、銃弾がめり込んでいた位置。

「瞬間移動?」

 超能力としか思えなかった。唖然と見上げる俺に、ヘンデスさんは重々しく頷く。

「簡単に言えばそうだな。念を込めた銃弾が着弾した場所に移動出来る。色々と制約はあるんだが」

 思わず眉をしかめた。よく分からないけれど、そんな凄い力を持っていて、それを悪いことにしか生かせないなんて。もっと、世の中の為になる事をすれば良いのに。言っても意味ないだろうから、口には出さないけれど。

「念を覚えればお前も特別な力を使えるようになる」

 無意識に反抗したくなる。力を持っていても悪い事にしか使えないなら、そんな力欲しくない。そう思ってしまう。

「それ、覚えなきゃ駄目?」
「お前は強くなりたいんじゃなかったのか?」

 なりたいよ。なりたいんだけど、このままヘンデスさんに全てを任せて良いのだろうか、という迷いが生まれている。

「アリスを守りたいんじゃなかったか?」

 的を射た台詞に嫌になる。産まれた時から一緒に過ごしたせいか、ヘンデスさんは俺を動かす言葉を知り尽くしている。俺には自分の事をあまり見せないくせに。
 思い通りに話が進むのが嫌で、せめてもの反抗で黙っていれば、溜め息が耳におちた。

「あの少年は」

 誰の事だろう。興味を惹かれてしまい、顔を上げる。

「恐らく今念を取得している最中だ。次来る時は念を完全にものにしているだろう。お前は今のままで念を覚えたゾルディックからアリスを、自分を守れるのか?」

 ゾルディック。記憶を刺激される。動かない母さんが、母さんの心臓が、脳裏に浮かび、視界が怒りで真っ赤に染まる。何も出来なかった悔しさを唇を噛み締めて堪える。

「いつまで俺達は安全なの?」

 アリスが一人で外で走り込むのを、必死で反対した。ヘンデスさんの今は大丈夫、に渋々納得した。その真意を知り、沸き上がるのは不安。
 あの少年が更に強くなって現れるのは、一体何時だというのだろう。あの日から既に半年が経とうとしている。

「精々あと半年だろうな」

 それがリミット。それまでに、対抗出来る強さを身に付けなくてはならない。焦りが生まれる。絶対に無理だと弱気になる。
 けれど、やらなくては。無力感を噛み締めるのはまだ早い。そう思いたかった。

「やる」

 ヘンデスさんの思い通りになるのはすっごく嫌だけれど。不信感は拭い切れてやいないけれど。
 ヘンデスさんの言う通りにやれば強くなる。それだけは確か。

「よし、そこに立て」

 訓練の為だけに使われる部屋。何もない、至る所についた壁の傷だけが特徴的な部屋の中央に立ち尽くす。ヘンデスさんが後ろに立つ気配。

「死ぬなよ」

 不吉な言葉と共に、今までの訓練なんて比較にならない程の圧迫感が背中を覆った。
 触れられた感覚はない。それなのに衝撃が走ったことに驚いて、思わず座り込む。全身から力が抜けていく。呼吸の仕方が分からない。今までどうやって息を吸い、四肢を動かしていたのか、思い出せない。

「身体から流れ出ているものに集中しろ。それがオーラだ。身体に留めろ」

 簡単に言わないでよ。
 喘ぎながら、いつの間にか固く閉じていた瞼をゆっくり上げる。うっすら開けた視界に、もやが映った。身体中を覆い尽くすそれが、勢いよく身体を離れ、空に溶けていく。
 これがオーラ? 留めるってどうやって?
 朦朧とした思考で、死ぬな、と直感した。このもやもやが出尽くしたら、俺は死ぬ。
 嫌だ。死にたくない。助けて。誰か、助けてよ。必死にヘンデスさんを見上げて手を伸ばす。

「死にたくなければ、やれ」

 鋭い目付き。突き放されたと感じてしまう。
 きっと心の片隅で期待していた。本当に危なくなったらヘンデスさんが助けてくれる。あの少年から救ってくれたように。その期待を、呆気なく裏切られる。世の中こんなもんか、と諦めが支配する。

「力むな。自然体だ」

 それでも、かけられた声に安心した。まだ見放されていない、そんな事を思ってしまう。必死にその声に従おうと足掻いてしまう。
 そんな努力を嘲笑うかのように身体中に力が入らない。自然体がどんな体勢かも思いつかない。
 益々身体を縮こませて両膝を胸に抱き込む。横たわったままの体育座り。これが一番良い体勢である気がした。小さくなれば、もやの出も小さくなる気がした。

「死にたいのか!」

 強引に手足を引き摺られる。抵抗したくとも四肢に力が入らない。再び縮こまろうにも上手くいかない。結局落ち着いたのは仰向けの体勢だった。
 空気に触れる面が増え、恐怖が増す。少し視線を足の方にやれば、全身からもやが出ているのを直視してしまう。

「イメージしろ。血管のように全身をオーラが巡っている。それを留めるんだ」

 ゆっくりと目を瞑った。諦め半分の行為。けれど、視界を閉ざしたことで集中力を取り戻せた気がした。音も消える。自分一人が小さな閉ざされた世界にいる。めまぐるしい力の渦に、飲み込まれようとしている自分が脳裏に浮かぶ。
 深く、深く息を吐き出した。大丈夫。俺は出来る。言い聞かせて自己暗示。前世、社会人だった時、イメージトレーニングを習った。なりたい自分を想像する。そうなれると自分で思い込む。やれると思えなきゃ、絶対やれない。そんな教えが今更浮かんできて、しかも無意識に思い浮かんだ゛なりたい自分゛のイメージに、泣きたくなる。
 大きな背中。悠然と立つ後ろ姿。何があってもどっしりと構え、動じない大人の男。
 俺にとっての強さの象徴は、ヘンデスさんなんだな。盗みも殺しも平然とこなす、悪の権化。決して慕ってはいないと断言出来るのに。あんな大人になりたくないと強く思うのに。
 イメージする。安定感のある後ろ姿。四肢から力を抜く。今度は上手くいった。呼吸が楽になる。自然体の意味を、漸く身体で理解する。そしたら身体中から吹き出るもやを感覚で捉えることで出来た。これを、留める。鎧をイメージする。もやで出来た鎧。鎧で守られているから大丈夫。そう信じれば、不思議ともやの流れがゆっくりになった気がした。

 それからどれ程の時間が経っただろう。短かった気もするし、長かった気もする。ただ、全身疲れきっていた。

「よくやったな」

 声に反応して薄目を開けた。汗で濡れた前髪に視界を邪魔される。
 すっと前髪が横に流された。額に大きく暖かな掌が当てられているのを感じ、身体が強張る。それが伝わったのだろう。何事もなかったかのようにヘンデスさんの掌は離れていった。空気に触れた、何も覆われていない額を物足りないと感じた自分が嫌になる。

「人は誰しもオーラをまとっている。オーラの吹き出る孔、精孔が閉じている状態でな。今、お前はその精孔を開いた状態だ。身体の周りにオーラを留める、この状態を|纏《てん》という。これが出来ずにオーラを全て出し尽くせば死ぬこともある」

 ほら、言ってる事酷いじゃん。訳が分からず死ぬ可能性だってあった訳だし。
 そう自分に言い聞かせる。ヘンデスさんに心を許すなと警戒心を奮い立たせる。

「一日で纏が出来れば大したものだ。ルーク、お前には才能があるな」

 初めてだった。この逃亡生活が始まって、厳しい訓練を受けて、未だに俺はヘンデスさんに攻撃さえ儘ならない状態で、一度も褒められた事なんてなかったのに。
 初めて褒められて、嬉しいと心踊る自分がいる。せめてもの意地で視界を閉ざしたけれど、頬が勝手に緩んでしまうのを止められなかった。


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