武器と念談義



 ナイフ投げが訓練に追加され、生傷が絶えない生活を経て一ヶ月。なんと投げられたナイフを弾く事が出来るようになった。
 ヘンデスさん曰く、投げられたナイフはヘンデスさんのオーラで覆われていたらしい。そしてそのナイフを弾いた時、俺はオーラを手に集中させていた、らしい。身体中のオーラを集めたおかげで厚くなったオーラが、ヘンデスさんがナイフに籠めたオーラに勝った、と。決して意識してやったわけではない。だが、条件反射が身に付いてしまったのか、それからは楽にナイフを弾き返せるようになった。

 最近自分がどんどん強くなっていくのを如実に実感出来る。未だヘンデスさんには勝てないけれど、一つ一つ与えられた課題をこなす度に強くなっていくのが分かるのは正直面白い。前世ではあまり縁がなかったが、筋トレマニアや格闘技にのめり込む奴の気持ちが理解出来てしまう。やればやるだけ力が付くなんて知らなかった。
 そして、そんな自分が少し怖くなった。今や500kgの重しを付けた状態で走れてしまう。もし何かの拍子に転んでアリスを下敷きにしたら、怪我じゃ済まないかもしれない。
 また、刃物への恐怖が薄れている。この前アリスがナイフで林檎の皮を剥いているのを眺めていた時だ。包丁としてナイフを使っているな、とぼんやり考えて、いつもは、なんて考えてしまって。そこで初めて武器としてナイフを使う事を無意識に受け入れていた事に気付いて、愕然とした。前世では刃物なんて包丁かはさみ、時々カッターくらいしか使用しなかったのに。
 それに、攻撃を加える事にも躊躇しない自分がいる。壁にひびが入る程の威力を持った拳を遠慮なくヘンデスさんに向けている。ヘンデスさんは難なく防いでくれているけれど、もし相手が一般人だったら。もし今泥棒に入った家で誰かと出くわして、俺は絶対にその人へ攻撃しないと誓えるのだろうか。
 初めて盗みを経験したあの時今の力を持っていなくて良かったと心底思う。もし持っていたら、あの人は確実に俺が殺していた。最終的にヘンデスさんが殺したから俺に罪がないなんて口が裂けても言えない。だけど、自分の手で殺していないという事実が、俺を正気に引き留めているのは確かだ。

 そして今日、ヘンデスさんは新たな強さを俺に提示した。

「そろそろお前も自分の武器を持って良い頃だな」

 武器。その単語が即座に頭の中で変換される。きっとそれは凶器だ。誰かを傷付けるもの。

「ナイフはどうだ?」

 手渡されたそれを、手の内で弄ぶ。少し前から予兆はあった。ナイフや銃の手入れを教え込まれたから。きっと近い内にこんな日が来る、と。予想はしていたけれど、溜め息を吐きたくなる。
 ずっと考えていた。俺に相応しい凶器は何だろう。銃は、嫌だ。引き金一つで簡単に人の命を奪ってしまう。自分から離れた銃弾が、相手にめり込むのを見ていれば良い。必要なのは照準を合わせる目と腕、それから引き金を引いた時の反動に耐えること。性に合わないと考えてしまう。もっと自分がやったのだと、直接的に実感出来る凶器の方がより罪悪感を覚える事が出来るから。
 ナイフはと考えて、やっぱり否定した。俺が覚えておきたい記憶と結び付く、あれが良い気がした。俺の罪の象徴。初めて手にした凶器。

「鈍器、みたいなものが良い。もしくは棒とか」

 流石に麺棒というのは躊躇われて、曖昧に言葉を濁す。ただ、覚えておきたかった。あの時手に走った鈍い衝撃。後頭部を殴り付けたあの一撃が致命傷になっていてもおかしくなかった。

「分かった」

 あっさりと頷いたヘンデスさんがどんな感想を持ったかは分からなかったけれど、何も問われなかった事に安堵した。わざわざ記憶と結び付けた凶器にしないと罪悪感が薄れゆくかもしれないという危機感を抱いているなんて知られたくなかったから。

 次の日、ヘンデスさんから渡されたのは棒だった。長さ1m程で少し太めの黒い棒。太さは何とか握れるくらいから今後を考えると丁度良いのだが。

「これ、何kg?」

 重過ぎる。持ち上げられない。

「1トンだ」

 涼しい顔で告げられ、愕然とする。ついさっきまで付けられていた重しは全部で500kg。これで動けただけでも充分人外だと思うのに、ヘンデスさんの求める基準は人外を越えている。

「それ、武器として使えるの?」

 確かに振り上げて落とすだけで随分な威力を持つだろう。だが、持てればの話だ。
 不審気に問いかける俺をよそにヘンデスさんは軽々と棒を持ち上げた。そのままくるりと回し、脇に差し入れて構える。

「う、そだ」

 1トンだ。その重さを感じさせない流れるような動きだった。

「今、念使った?」

 信じられない事を全て解決してくれそうな念を持ち出してみる。が、ヘンデスさんは呆れたように息を吐いた。

「これくらい念を使わずに誰でも出来る」
「出来ないって」

 誰でもって無茶苦茶過ぎる。

「ゾルディック家の入り口は片方2トン計4トンの扉だ。これを開けられなければ使用人にはなれない」

 ゾルディック基準の誰でもだった。今更ながら、ゾルディックの危険性を実感する。使用人でそれだけなら、ゾルディック家の人達はどれだけ強いんだ。訓練を始めて、少しずつ強くなって、初めてその強さの程を実感する。背筋が凍りつく。

「これくらい、あの子なら軽々扱えるってこと?」
「一年前の状態でな」

 拳を握り締めた。あからさまな強さの違いを見せ付けられ、身震いする。念を覚えて、少し追い付いたと思った。それを勘違いだと思い知らされる。まだまだ遠い。その背が見えない程に。

「二週間で持てるようになる」

 決意を口にする事で、怖じ気付く自分を必死に鼓舞した。

「一週間だ。構え方までマスターしろ」

 より厳しいゴールに、けれど反論する気は起きない。それくらい出来なきゃ、アリスどころか自分さえ守れない。それが分かってしまった。

 結局1トンの棒を持ち上げて二本の腕で構えられるようになるのに十日を要した。駄目な子を見るような温い視線に胸が痛んだ。
 それからはまず日常生活を棒を背負いながら送ることになり、また暇な時も常にいじくっているよう指示された。手の内で一回転させたり掌に乗せてバランスを取ってみたり。横で見ていたアリスが自分もやりたいと言い出したが、持ち上げる事すら出来なかったので断念したのを優しく慰めた。良かった。強くなって欲しいけれど、1トンを軽く持ち上げる妹は見たくない。

 その後ヘンデスさんに教わり、少しずつ棒術には慣れてきたのだが、念修行の方は行き詰まりをみせている。纏は合格点を貰えた。その次の段階。身体の内でオーラを練り、一気に精孔を開いて外に出す練が上手く出来ない。オーラを練っている途中にどうしても精孔が開いて少しずつオーラが外に漏れてしまう。その状態で溜めたオーラを一気に外に出しても勢いが足りなくなる。練るのが遅くて溜めが長過ぎる、と言われた。ナイフを弾けるようになってからずっと訓練しているのだが、未だコツは掴めず早二ヶ月。
 もう一つ。身体中の精孔を閉じてオーラを消す絶。これも完璧にはいかず不完全な状態だ。ヘンデスさんが泥棒中完全に気配を消すのはこれを使っていたらしい。念能力を身に付けた犯罪者が世にどれだけいるのか、考えただけで恐ろしくなる。
 これに合わせてもう一つ、発という必殺技がある。纏、練、絶、発が念能力の基本。だが、発をつくるのは練が出来るようになってからと言われてしまった。何でも練が出来て初めて自分の特性が分かるらしい。全部で六つ。強化系、変化系、具現化系、放出系、操作系、特質系。
 ヘンデスさんは放出系。オーラを身体から放つ事が出来る。それに空間移動も放出系の力。

 念能力について詳しい話を聞いてからずっと考えていた事がある。アリスの将来にも関係する話だ。
 アリスを先に寝かしつけることが出来た夜、ヘンデスさんがいつも寝ている居間に向かった。
 小さなテーブルには半分残った酒の瓶と吸殻の詰まった灰皿。ヘンデスさんの手の内にある吸いかけの煙草からゆらりと煙が立ち上がる。

「ルークか。どうした?」
「ちょっと話したいんだけど、良い?」

 返事の代わりに向かいの席を煙草で示された。静かに従う。アリスを起こしてはいけないから。背中に括り付けた棒も慎重に床に置いた。落ち着いてからすぐに本題を切り出す。

「念能力で、世界を越えたり転生したりって出来ると思う?」

 ヘンデスさんに対しては誤魔化しなんてものは必要ない。前世の記憶がある事は既に告白しているのだ。
 このところずっと考えていた。俺やアリスが前世の、日本の記憶を持ちながらこの世界に生まれた。それは、念能力が関係しているのではないだろうか。もしそうならば、アリスは日本に帰って"普通"の生活を送る事が可能なのではないだろうか。念能力なんて存在しない世界で、この世界のことを忘れて平穏を満喫する。それが、一番母さんの願いに近い気がした。

「まず、念で異空間を作ることは可能だ」

 ヘンデスさんの回答は淀みない。もしかしたらヘンデスさんも以前から考えていたのかもしれない。

「そして異世界はまた別物だ。その存在が確認されているなんていう話は聞いたことがない」

 頷いて同意を示す。前世でもそんな話は聞いたことがない。フィクションの世界の話だった。

「だが、異世界はあるという前提で考えた方が良いんだろうな。お前達の前世の記憶は"創られた記憶"にしては世界についての知識が巧妙に成り立ち過ぎている」
「"創られた記憶"?」

 嫌な感じを覚えて聞き返した。俺の前世が、二十六年の記憶が創られたものだとでも言いたいのだろうか。

「念ってそんな事も出来るの?」

 恐怖だった。人の一生が、たとえ短くとも自分を成立させていたその根幹が、偽りである可能性。

「記憶を操作する念能力者もいる。アリスだけなら、それを疑っていた。だがルーク。お前のは異常だ。二十六年分の記憶、有りがちな人間関係、その割にしっかりとした一国の歴史、世界の歴史や多様な言語、国同士の関わり合い。そこまで創り込むなんて凄腕の能力者でも難しい。突拍子がなさ過ぎて逆に認めざるを得ない」

 偽りではないと断言してもらって嬉しいんだけれど、前世の記憶があると告白した後時々前世について聞かれた理由にも納得したけれど、有りがちな人間関係で悪かったな、と不貞腐りたくなった。前世ではこんなややこしい家庭に生まれなかったんで、と嫌味を言いたくなった。話に関係ないから言わないけれど。

「で、異世界があると仮定して。そことこの世界を行き来する事は可能?」

 一番聞きたいこと。ヘンデスさんは煙草を灰皿に押し付けそう焦るな、と意気込む俺に待ったをかけた。

「よく考えろ。お前の身体は以前の身体か?」
「いや、全然違うけど」

 髪の色は黒から茶へ。瞳の色は黒から蒼へ。顔立ちだって全然違う。前世の時より彫りが深く、また肌は白い。

「身体ごと此方に来たわけではない。つまりだ、お前らは記憶だけ取り出された状態でこっちに来て、胎児の中に入った。これが一番可能性のある案だ」

 記憶だけ取り出された状態。それは恐らく俺の考える魂と同じ。まあ向こうでは確実に死んでるのだし、その点は予想通り。
 ふうと息を吐く。今の話を聞いて思ったことが二つある。一つは胸の内に留めて、もう一つだけを口に出す。

「つまり前世の世界に帰るには、記憶を丸ごと取り出す、そしてその記憶を元の世界に転送する、この二つの作業が必要。でも前世の世界が何処にあるかも分からなくて、もし分かって成功しても向こうでまた赤ん坊から再スタートってなるわけだ」
「お前らを此方に呼んだ原因に当たるのが一番早いだろうな」

 ヘンデスさんの言うとおりだ。それにしても手掛かりが少な過ぎる。原因そのものの手掛かりなど検討もつかない。一体俺やアリスに前世の記憶があることで誰が得をするのだろう。

「何にせよ、まずは生き残ることだ」

 未来を、夢を描くにはまだ時期尚早という結論に、異論はないから反論しない。

「うん。有難う、ヘンデスさん。お休みなさい」
「明日の起床はいつも通りだ」

 多少の夜更かしは考慮してもらえないらしい。けれど、それ以上に有意義な話が出来たと思うから、何も言わず健やかに寝息を立てるアリスの元へ戻った。

 ヘンデスさんの前では口にできなかった。俺は、俺とアリスは、本当に母さんと父親の子供なんだろうか。魂が胎児の中に入る。その胎児は、本当に自我がない存在なのだろうか。
 胸の内を渦巻く不安を、無理矢理胸の端っこに押し込める。だって、真相なんてきっと誰にも分からない。それなら、都合が良い考え方を信じても良いではないか。
 俺とアリスは、母さんと父親の子供だ。だからこそ、ヘンデスさんが守ってくれる。その前提を揺らがす疑問なんて、必要ない。


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