1.本編前
「でさあ」
門の傍にある小屋の中。黙々と作業をこなすヘンデスの横で喋り続ける青年は、無視されているという状況を一向に気にとめずただ口を動かし続けた。
「俺思うんだよね。別に殺されても良いかなって」
この青年は暗殺一家の執事として育てられた。だから人の死や殺すという行為を忌諱していないことくらいはヘンデスも知っている。
けれど作業の手を止めて青年の話を聞いてやろうと向き合ったのは、使用人として捨て置いてはいけない類の話だったからだ。
「母親なんだろう?」
主人である暗殺一家に逆らわないよう、青年は母親を人質にとられている。つい先程まで青年は今日会ってきた母親の話をしていた。彼女を殺されても構わないということは、暗殺一家に不利益になることを画策しているととれる。ヘンデスがそれを知れば、報告の義務が生じる。
「母親っていっても育ててもらった記憶薄いしなあ」
薄情なことを口にしながら青年は手に持ったナイフをもてあそぶ。決してヘンデスとは目を合わせようとしない。後ろめたいことを隠しているのだと雄弁に告げてくる態度だった。
「確かに他の奴らは結構肉親の情ってやつを大事にしてるみたいだけど? それを優先しなきゃいけないって決まりはないじゃん?」
「お前は結構熱心に会いに行ってたじゃないか」
少年の頃からこの青年は機会があれば母親に会いに行っていた。その帰りにこの小屋で時間を過ごしていく。執事という仕事に束縛される中、どうやって自由な時間を得ているのか、ヘンデスは知らない。
「だって外に出れる絶好の機会じゃん。こうやってあんたとも話せるし」
決して視線を合わせようとはしないが、青年の声には照れが見え隠れしている。仕事に不真面目な態度や軽い口調はヘンデスの嫌うところだが、どこか憎めない面があるから突き放せない。
「そりゃどうも」
ややぶっきらぼうに返せば、青年はよっと勢いをつけて机にのせていた尻を離した。
「で、だ。最初の話に戻るんだけどさ。障害は三つあるんだ。一つは俺の母親。これはもう諦めることにした」
戻る、と言いながら唐突に出された障害という単語にヘンデスは首を傾げる。だが、青年の話が唐突なのはいつものことだったので、特に気にせず先を促した。
「二つ目。ゾルディックの目を欺くのは、まあ俺の能力使えばどうにかなるかなって」
背筋に緊張が走る。確実な単語が出てしまった。この青年はゾルディックを裏切るつもりなのだと。
「お前」
「三つ目」
ヘンデスの言葉を遮るように青年は続けた。
「俺が死ぬのは別に良いけど、あいつが一人になるのは絶対駄目だ。誰かに守って欲しい」
「おい」
「だからさ、本当に申し訳ないんだけど、ヘンデスさんに頼むことにするよ。他に頼める人いないし。本当ごめん」
「おい!」
拳を机に叩きつける音が響き、一瞬の静寂が走る。ついで青年はやっと重い口を開けた。
「子供が、できた」
すぐにでも泣いてしまいそうに歪んだ表情で告白された内容に、ヘンデスは動きを止める。
ゾルディックの執事は、恋愛そのものを禁止されている。しかし、隠れて付き合っている者もいるとは聞いていた。もちろん発覚後、死の制裁を受けたという話と共に。
「お前……」
それなりに話をする仲ではあるが、誰かと付き合っているという話さえ今まで聞いたことがなかった。青年は巧みに隠していたのだろう。
「産ませてやりたいんだ。あいつの能天気な笑顔を守りたいんだ。たとえその先に待っているのが地獄でも。あんたを地獄に巻き込んでも」
「俺が後は任せたと言うとでも? 俺にはそんな義理ねえぞ」
すごむように言い切ったにも関わらず、青年は柔らかい笑みをこぼした。それはヘンデスの知らない父親の顔だった。
「それがさ、残念なことに多分俺の能力使えば可能なんだよね。とりあえずヘンデスさんを巻き込むっていう前準備はもう終わっちゃったし」
一歩後ずさる。ヘンデスも念能力者の端くれだ。青年がどんな能力を使うかは分からないが、念能力の厄介さはよく知っている。
「俺さ、あんたのこと本当に好きだよ。ゾルディックにいる人間の中でも人間味あるし。俺らみたいに選択肢がない状態でやらされてるんじゃなくてさ、ちゃんと自分の人生生きて、その上で今此処にいるって分かるし」
「嫌味か」
思わず言葉が口から漏れでたのは、青年の言葉に苛立ったからだ。ヘンデスはいつだって選択肢を間違え、その結果此処にいる。そのことに後悔はしていないが、満足な人生とはいえない。
「いや」
しかし青年は穏やかに否定した。
「俺は本気でヘンデスさんが羨ましい」
それは、確かにゾルディックという箱庭に閉じこめられた人間の本音だった。ヘンデスは言葉を探し、立ち尽くす。
「あんただから、アンを託せる」
信頼のこもった真摯な言葉だった。嘘か本当か、その見分けくらいヘンデスにもついてしまう。
「俺はゾルディックから逃げられるほどの力量は持っていない」
だから、ヘンデスも正直に答えた。真面目に考え、その上で無理なのだと。
しかし青年は大丈夫、と口にした。
「そこはほら、一応ゾルディックの執事として訓練受けた俺の能力信用してよ」
「だが……」
尚も言い淀むヘンデスを真っ直ぐ見つめながら、青年はおもむろに懐から黒光りする銃を取り出した。
「本当ごめん。あんまり時間ないんだ。アンはもう敷地から出ている。能力使ったからそこは確実。んで、今からヘンデスさんにも能力使うから、あんたも普通に出て行ける。そしたら――ホテルで合流して」
隣町のホテルの名を口にした青年は、何の気負いもなく、流れるような動作で銃口を己のこめかみに押し当てた。
「約束だよ、ヘンデスさん。アンには夢を、子供達には生を。俺が与えるから、ヘンデスさんはそれを見守って。あんたに任せたら安心だから。俺、満足して死ねるよ」
勝手に約束を口にした青年は、ヘンデスが止める間もなく引き金を引いてみせた。
倒れた男の前で、ただ呆然とヘンデスは立ち尽くす。あまりにも短時間に起こった出来事を、脳は処理できなかった。
「おいおい」
勘弁しろよ、と口の中で言葉を転がしながら、頭を掻き毟る。死体を見つめ、入り口に目をやり、再び死体を確かめる。何度見ても動く気配はない。
「何なんだよ」
胸の内を渦巻く混乱と共に徐々に苛立ちがこみあげてくる。視界に収まる死体が満足そうに微笑んでいるものだから尚更。
「冗談じゃねえ」
悪態を吐きながら、けれどヘンデスは動き出した。
彼は知ってしまったのだ。青年に子供が出来たこと、その相手が逃げ出したこと。青年の死体が転がっている以上、ヘンデスが彼を止めようとして殺したと言い訳をすることも可能ではある。だが、それをゾルディック家が信じるか。むしろ青年の協力者として疑われ、捕らえられることも充分に有り得る未来だ。
どちらが信憑性が高いかと問われれば、普段のヘンデスならば前者と迷わず応えただろう。今すぐゾルディックの人間にこのことを報告し、青年に告げられた待ち合わせ場所のホテルの名を告げただろう。
しかし、ヘンデスは何故か協力者として疑われることを恐れた。その思考の誘導こそが青年の念能力とは気付かずに。
発砲音に気付いた人間が来る前にとヘンデスは手早く荷物をまとめ、足早に小屋を後にする。
「くそ」
青年のことは決して嫌いではなかった。感情を押し殺す訓練を受けた執事の中では異様とも思えるほどに感情豊かに話す青年と話すひと時は楽しかった。けれど、命を懸けて約束をする程ではなかった。
だから、この時のヘンデスにとってこの行動は、確かに青年の念能力によって誘導されたものだったといえた。
青年の言葉通り誰に咎められることもなく門を出て向かった、待ち合わせ場所のホテルにいた一人の女。そのお腹の中にいた子供達と過ごした時間は、その後のヘンデスに大きな影響を与えることになる。
2.第二の家族 その後
「子供達は?」
子供達の寝室を覗きに行ったアンの表情を見て察してはいたが、ヘンデスは敢えて問いかけた。アンは母親らしい柔らかな笑みで答えを返す。
「二人仲良く寝てるわ。仲が良すぎて妬けちゃうくらい」
悪戯っぽく付け足す様に溜息をもらす。
「それだけか」
兄妹が両方共に前世の記憶があると告白したのは今日のこと。ヘンデスにとっては他人だから念能力の仕業か、などと冷静に分析することができるが、実の子供達の告白を受けたにしてはアンの態度はあまりにも泰然とし過ぎているように映った。
アンは年若い少女のように唇を尖らせて不満をこぼす。
「だって、そうじゃない? 私には前世の記憶なんてないから、二人の悩みを本当の意味で理解することは出来ないわ」
その不満もどこかずれたもので、ヘンデスは驚くよりも呆れ果てた。
「すんなり信じるのか」
「あら? 私の生まれ育ちも相当"普通"とは外れているのだし、嘘だと決め付けるのは良くないわ。それに、親って子供の言うことを信じてあげるのも役割の一つなんでしょう?」
言葉を喋り出した頃の奇怪な言動は親として嗜めた。しかし、確固たる自我をもち始めた子供達に関してのアンの教育方針は、一体どこで何を学んだのか既に固まっているらしかった。
「そういうものか」
生憎とヘンデスも親というものをよく知らないので、前世の記憶があると言い出す子供達への対応が世間一般ではどのようなものなのか検討もつかない。ひとまず納得の様子をみせたヘンデスに対し、アンは一つ頷いてから続けた。
「まあ、まだ前世の記憶っていうのがよく分からないから私もこれ以上は何ともいえないけれど」
視線を子供達の寝室に向け、穏やかに微笑む。
「生きていてくれるだけで、良いの。それから泣いて、笑って、いつか人を愛して、愛されて。出来るならば悪事にも手を染めないで。ただ、それだけで良いの」
暗殺一家の元執事は慈しみをこめた口調で願いを口にした。
3.約束 その後
双子の誕生日の夜。その前から既にヘンデスは決めていた。未だオーラを感じる気配のない少女を自分達から遠ざけることを。そして予感があった。兄と妹、生き残る確率は妹の方が遥かに高いと。妹は暗殺一家に追われてさえいなければ一人でも生きていける。柔軟性があり、悪事に手を染めることもいとわない。だが、兄は違う。いつまでも前世の記憶とやらに囚われ、母親の造った美しい幻想に固執する。
だからこそ、妹と離す必要があった。美しい幻想を妹に求めることで心の均衡を保っている兄は、妹の為ならば何でもするだろう。ヘンデスはルークをそういう人物だと判断した。
二人の生を保証するために最善の方法を。ヘンデスはもう決めたのだ。
扉の開く音に反応して、ヘンデスは煙草の火を消す。
「寝たか?」
「うん」
出て来たのは少女。兄は今頃睡眠薬が効いて夢の中だろう。
「行くか」
売ることは既に話してあり、了承も得ていた。だからすんなり頷くかと思われた少女は、予想に反し俯いたまま立ち尽くす。
「お兄ちゃんのこと」
ぽつりと言葉が溢された。
「お兄ちゃんは、寂しがりやなの」
「そうだな」
「お兄ちゃんの傍にいてくれる?」
普段冷ややかな物言いしかしない少女は、珍しく懇願するような口調で問うてきた。ヘンデスはそれを受け、無表情で頷く。
「ああ」
そして内心に渦巻くもやもやの正体を確かめる為に口を開いた。
「お前達は、何でそう他人のことしか考えていないんだろうな」
双子の父親は、愛する女と子供達。母親は、子供達。兄は妹。妹は兄。残された家族の為に必死に足掻くこの一家を、ヘンデスは理解出来なかった。
「そんなの決まってるじゃない」
少女は胸を張り、自信に溢れた声で断言した。
「他人じゃなくて大事な家族だもん」
「そういうもんか」
実感がわかず適当な返事をしたヘンデスに、蔑みの視線が向けられる。
「どうせあんたには一生分かんない!」
「だろうなあ」
のんびりと肯定する。
他人事だと突き放している様子のヘンデスを、少女は睨み付けた。
「あんた、本当にバカ」
唐突な罵倒に、ヘンデスは鋭い視線を返す。
が、少女は怯まなかった。
「お兄ちゃんは、あんたのことも家族だって思ってたのに!」
「昔はな」
父親だと信じていた頃の話だろう、と流したのだが。
「ちがう! それからだってお兄ちゃんはあんたの味方してた!」
思い出す。父親ではないと告白してからも、確かに兄はヘンデスの味方であろうとしてきた。いつだって尊敬と親愛の情のこもった眼差しを送ってきた。
悪事に荷担させてからだろう。その瞳に曇りがかかってきたのは。けれど、ヘンデスは決して後悔しない。必要なことだったと割りきっているから。
今回も同様だ。
「流石のあいつも、もう現実を見るだろう」
妹が売られたと知れば、兄がヘンデスに信頼を置くことはなくなる。それはヘンデスにとって不利益にはならない。
「あんたって本当にさいあくね! 子供心をもてあそばないで!」
何を主張したいのかさっぱり分からない台詞に、首を傾げる。
「大けがしてから私のくんれん無くなった」
「傷だらけだと売り値が下がるだろう」
「今日、ケーキ買ってきてくれた」
「お前がねだったからだ」
分からないながらも、律儀に疑問に答えていく。
そもそもケーキはアリスから出した条件だった。売られていくのを了承する代わりに、最後美味しい物を食べさせろ、と。それで交渉が上手くいくならとヘンデスは了承しただけだ。
「そういうの、お兄ちゃんごかいする」
落ち着いた声音で説明され、ヘンデスは漸く腑におちた。けれども、だからといって今後の対応を変えるつもりはない。全てはもう決まったことなのだ。少女が売られることも。明日それを知ることになる少年がヘンデスを憎んでも、彼が生き残る為には必要なことだ。
二つの幼き命を守りたい。そう必死になる理由から目を反らすため、ヘンデスは話をはぐらかす。
「お前はルークが迎えに行くのを大人しく待っていれば良い」
少女は不満気に、けれどしっかりと頷いた。
それを確認し、歩き出しながら最終的な打ち合わせに入る。
「良いか、俺達は命を狙われている。だから、お前は姿も名前も変えろ。今日からお前の名前は」