第二の家族



 前世の記憶が甦り、妹も同じ境遇だと判明してから二年後。七歳の時、俺は両親に告白した。

「実はさ、俺もアリスも前世の記憶を持っているんだ」

 若干視線をさ迷わせながら。怪しいことこの上ないが、こういう時どういう態度を取れば正解なのか分からない。
 机の向かいに座る両親を上目遣いで見やれば、母さんは驚いたように目を見開き、父さんは難しい顔で腕を組んでいた。
 嘘だろう、と決め付けられてはいないが、困惑している雰囲気は伝わってくる。申し訳なさから益々縮こまり、今回こんな暴露をする原因となった物を睨み付ける。
 俺と両親の間、机に置かれたノート。

 きっかけは妹と前世を共有した事だった。色々と話を引き出した結果、妹も俺と同じ日本で前世を過ごしたことが判明した。
 その事実にすがりたかった。一人ではないという物証が欲しかった。前世の記憶が薄れていくのが恐ろしかった。そんな独りよがりな思いが、日本語での交換日記に繋がった。
 妹には恐らくそこまでの強い思いはないだろう。彼女の記憶は酷く曖昧で、日本語もあまり覚えていなかった。平仮名カタカナは読めるが初めは書けなかった上、漢字に至っては俺が一から教えている。
 それに、妹の精神年齢は歳相応だ。日本語での交換日記も、他の誰にも読めないという秘密めいた要素に惹かれただけだろう。
 そんな幼い妹に我が儘を押し付け、そのツケを払う時がきたのだ。アリスは決して悪くない。秘密だけど母さんにだけは教えてあげる、という小さな子供にとって実に当たり前の行動に出るのを予想出来なかった俺が悪い。
 ただ、心の準備をする時間くらいは欲しかった。
 いきなり両親に呼ばれ、目の前に日本語で書かれたノートを広げられた俺は固まった。そして言い訳しなくてはと焦るあまり、つい正直に告げてしまったのだ。俺とアリスにとっての事実を。

「ルーク?」

 父さんの呼び掛けに肩が震える。

「ごめんなさい」

 反射的に謝ったのは、恐怖からだ。今の俺を構成する大事な要素である前世を否定されることが怖かった。そして荒唐無稽な話を信じてもらえると僅かでも思い、その期待を裏切られるのがとてつもなく怖かった。

「冗談だよ、冗談。それは暗号。アリスと二人で作ったんだ。よく出来てるでしょう?」

 口端を持ち上げ笑みを作って、前から言い訳として用意していた台詞を口にする。最初からこれを言えていればこんなに苦しい思いしなくて済んだのに。内心の悔しさがばれないよう歯を食い縛る。
 子供らしい遊びだと大人に受け入れられる案として考えたのが暗号だった。幸いというべきか、母さんに教わったこの世界の文字は平仮名やカタカナによく似ていた。特にその音の数。だからこそ暗号で押し切れると思った。日本語と言語体系がよく似ていて、俺の知らない言語が存在する。それが指し示す事実は、今は見ない振り。

「ルーク」

 今度は母さんの声。

「あのね、アリスは"前の時"の文字だって言ってたの」

 今この場に妹がいないことの意味をやっと理解する。成る程、既に妹の事情聴取は終わっていた訳だ。
 小さく息を吐ききる。茶番だと理解した途端、さっきまで焦っていた自分がとてつもなく愚かに思えた。

「アリスは他に何か言ってた?」
「そうむくれるな」

 父さんに宥められても不機嫌は抑えられない。二十六年分の記憶はあるものの、感情の発露は子供そのものだ。そんな自分が嫌になることもあるが、七歳のルークも確かに俺なのだから、と既に開き直っている。

「あのね、アリスは"前の時"にこの文字を使っていて、それはルークも同じだって言ってたわ。"ニホン"という所で自分は生きていたって」
「それで母さんはアリスの言うことを信じるの?」

 卑怯な聞き方だと思った。たとえ否定されても、それはアリスが否定されただけで俺が否定されたことにはならない。そんな逃げ道を作った自分が嫌で、言い直す。

「ごめん、今の無し。さっき言ったように、俺とアリスは日本で暮らしたっていう前世の記憶がある。この交換日記に書かれているのは日本で使われていた言語。この話を、母さん達は信じてくれる?」

 半ば自棄になっていた。否定されたらどうしようという恐怖が消えたわけではない。けれどもアリスから話を聞いたという事実を隠しての事情聴取には、やはり納得がいかなかった。
 怒りを感じ取ってはいるだろうに、母さんは呑気に両手を組合わせ、そして苦笑した。

「信じるわ」
「え?」

 あまりにあっさりとした返答に、こっちが動揺した。

「さっき驚いたのはアリスと全く同じことを言ってたからよ。不安にさせたならごめんなさい。母さん謝るわ」

次いで父さんを見れば、落ち着いた素振りで一つ頷かれる。

「納得した」
「へ?」

 予想していなかった言葉の意味を、上手く理解出来なかった。

「納得したって、何を?」

 つまり、俺は前世の記憶があると匂わせるような言動を取っていたと、そういう事なのだろうか。

「ルークの言動はその歳にしては大人びている。それに二人とも奇怪なことをよく口にしていた」

 大人びているというのはまあ納得できるが。

「奇怪なこと?」

 自分なりに気を付けていたつもりだったのだが、それは自信過剰だったらしい。疑問はすぐに解決された。
 俺は覚えていないが、言葉を喋り始めた頃に妹と共に色々やらかしていたのだ。母さんと父さんは違うと両親を丸ごと否定してみせたり、存在も知らないはずの海に行きたいと言い出したり、米が食べたいと言ってみたり。
 暫く続いたが、両親が誤りを訂正し変な事を言うのは止めなさいと根気強く言い続けたら、二人とも言わなくなったという。
 思わず額を押さえて奇声を発したくなった。どれだけ迂闊なんだ、過去の自分。この件では絶対アリスを責められない。
 息を吐ききる。過去は過去だ、と失態を受け入れる。それがあったから今受け入れてもらえそうなんだと前向きに捉えてみる。

「変なこと言う子供でごめんなさい。信じてくれて有難う、父さん、母さん」
「どう致しまして。ルークが上手く世の中に適応できるよう、お母さんも協力するわ」
「長年の謎が解けてすっきりした」

 母さん、今の俺は社会不適合者ですか。そして父さんはあっさりし過ぎ。
 そんな突っ込みを入れようとしたけれど、弾けそうな涙腺に邪魔されて下手くそな笑みを浮かべる事しか出来なかった。
 母さんが労るように頭を撫でてくれるもんだから、尚更。

「それにしても"ニホン"って何処にあるのかしらね」

 空気を和ますためだろうか。母さんが口にした話題に、身体が固まる。敢えて考えないようにしていたのに。
 でも、良い機会かもしれない。今まで知る方法が無かったと自分に言い訳しながら目を背けていた現実に、向き合うべき時がきたのだ。
 震えそうになる唇を、何とか動かす。

「あのさ、日本を知らないならアメリカとかヨーロッパは? あと中国、チャイナとか。あ、日本じゃなくてもジャパンとか」
「さあ、聞いた事ないわ」
「ジャポンなら聞いた事あるが」

 二人の台詞に確信を持ってしまった。諦念を溜め息として吐き出す。

「なんか、世界自体が違うみたい」

 元々荒唐無稽な話に更なる胡散臭さが加わってしまった。
 確かに以前から色々とおかしい点は見え隠れしていた。あまり変わらない生活文化。使われている文字が日本語に酷似している。つまりこの世界は日本文化を根幹とした平行世界なんじゃないか、と。そんな馬鹿なことがあって堪るか、と頭の中で何度も否定した。けれどもジャポンという国があると聞けば、それで充分だった。

「ジャポンについて父さんは何か知っている?」
「忍者がいると聞いたことがある。あとは着物という民族衣装があると」

 ほら、やっぱり。俺の知る日本の面影がちらほらと。でも、ジャポンは日本ではないのだろう。だから、前世で俺の知る人は一人もいない。その証拠がもう一つ。

「最後の質問なんだけど。俺の誕生年月日は?」

 今更過ぎる質問に首を傾げた母さん。けれど律儀に答えてくれる。

「三月三日よ。1973年の」

 おかしいんだ。同じ世界に生まれ変わったのなら、命日の後じゃなきゃおかしいんだ。
 何故、前世の誕生年月日とぴったり一致するのか。平行世界に生まれ変わったから。そう考えなきゃおかしいんだ。

「教えてくれて有難う。母さん、父さん」

 席を立つ。一人になりたかった。この絶望はきっと、両親には伝わらないだろうから。泣きそうになるのを堪えて子供部屋に駆け込む。後ろで動く気配があったけれど、結局気を遣ってくれたのか両親が入ってくることはなかった。
 部屋の隅で体育座りをしながらいじけて十分くらいが経っただろうか。そろりと扉が開く気配に視線を上げる。

「アリス」

 もじもじと俯きながらアリスが近寄ってきた。横にぺたんと両足を崩して座り込んでくる。

「あのね、お兄ちゃん。わたし、母さんに言っちゃった。ひみつだってやくそくしたのに。おこった?」

 上目遣いで伺ってくるアリスに、自然と笑みがもれた。

「怒ってないよ。アリスは何も悪いことしてない」
「ほんとう?」
「本当」
「ぜったい?」
「絶対」

 断言すれば、安心したようにアリスは顔を弛ませる。そしてぴとっと寄り添ってきた。

「じゃあ、なんでお兄ちゃんそんなにかなしいの?」

 至近距離で覗きこまれ、言葉に詰まってしまった。深呼吸して、気持ちを落ち着かせようと努力する。アリスにこれを言って良いのか少し迷ったけれど口にしたのは、単に俺が弱いからだ。解消法が見出だせない苦しみを、吐き出したかった。

「"前の時"一緒に過ごした人と、もう会えないんだ。それが寂しい」

 友達がいた。同僚が、先輩がいた。嫌な思い出も多いけれど、一番長い時間を共にした家族がいた。確かにあった繋がりは、もう手の届かないところにある。

「わたしがいるよ」

 自信に満ちた台詞にアリスを見やる。真っ直ぐな眼差しが注がれていた。

「お兄ちゃんがかなしくないように、いてあげる」
「アリスは寂しくないの?」

 思わずと言った形で考えるより先に言葉が飛び出した。
 アリスは不思議そうに首を傾ける。

「なんで?」
「だって、"前の時"一緒だった人ともう会えないのはアリスも同じだよ?」

 唸り声を上げて考え込んだアリスは、やがて顔を上げた。嘘のみえない晴れやかな顔で笑いかけてくる。

「母さんと父さんがいてね。お兄ちゃんがいるの! だからわたしさびしくないよ」

 アリスから前世の家族の話を聞いたことはない。以前尋ねたところ、知らないと言われた。アリスの知らないは、まだ思い出していないということ。これから思い出せば、また違う考えが出てくるかもしれない。俺と同じように絶望するかもしれない。
 けれども、救われた。同じ境遇の者が今を受け入れ生きている。その事実に、確かに俺は救われた。

「そっか」
「うん」

 嬉しそうに頷く妹。俺の家族。

「じゃあ、俺もアリス達がいれば寂しくない」

 半分強がり半分願望の、どうしようもない台詞だった。けれど、アリスが笑って頷いてくれたから、言って良かったと思えてしまう。

「お兄ちゃんがさびしくないように、ずっといっしょにいてあげる」

 抱き付いてくるアリスに、感謝を。

「有難う」

 得意気に笑う妹は、多分感謝の意味を分かっていない。けれど、ただ嬉しかったのだ。独りぼっちじゃない、そう思えたことが。


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