派手な銃声音に、悲鳴の大合唱。
「先越されちゃったか」
とあるマフィアのアジトの裏口に放置された死体を無感動に眺めながら、一人呟く。
見上げれば、ビルの十階辺りの窓ガラスが割れたところだった。落ちてくる破片は満月の光を反射して幻想的な光景を作り出している。少し遅れて黒い影も落ちてきた。ゆっくりと落下したそれは、少し離れた地面に血溜まりを作る。
「帰ろうかな」
まだ騒音は収まりそうもない。完全に興を削がれた形だ。
そして背を向けた時だった。反射的に振り返り、背負った棒を抜き取り両手で構える。
裏口の向こうから少しずつ近付いてくる、強者の気配。
周囲の気配を関知するため、身に纏うオーラを3mの円になるよう広げて警戒を高める。
やがて足音が聞こえるようになった。一歩一歩近付いてくる相手は、恐らく此方に気付いているだろう。しかしその歩みは淀みない。
そして、半開きのまま放置されていた扉は、音を立てながら開かれた。
「あれ?」
そんな気の抜けた声を上げた相手を、思わず凝視した。
歳は俺と同じくらいだろう。黒髪に黒目の整った顔立ちの少年。黒ずくめの服には、分かりにくいながらも血痕がこびりつき、また血の臭いを撒き散らしている。両手で大事そうに抱えた箱は、恐らくマフィアから盗んだ物だろう。そう、この少年がマフィアを襲撃した犯人だとすぐに分かった。未だビルの中から悲鳴は途切れない。彼の仲間がいるはずだから気を付けなければ、そう思うも、視線は吸い付いたように彼から離れなかった。
少年は、その黒い瞳からぼろぼろと涙を吐き出していた。
「変なところ、見せちゃったね」
箱を落とさないようにしながらぐいっと袖で涙を拭う。そんな幼い仕草の後、彼は憂いを残しながらも完璧な笑みを浮かべた。
「君は何をしにきたの?」
両手が塞がっている彼に警戒の気配は無い。けれど、気を抜く訳にはいかなかった。まだ彼は俺の円の範囲にいない。だが、見える。彼が纏うオーラは力強く揺るぎない。その優美さは、ゾルディックの息子のそれに劣らない。恐らく念を使えるのだろう。そして俺より強い。決して油断してはいけない。
「あんた、何者?」
脇に力を込める。そうしなければ、今にも手先が震えだしそうだった。
彼は、笑みを崩さぬまま朗らかに答える。
「盗賊だよ」
天を仰いでこの世を呪いたくなった。
この世界は一体なんなのだろう。俺と同年代らしき暗殺者や盗賊が存在する。しかも揃いも揃って俺より強いときた。
これがこの世界の常識なのか。自分に問うて、すぐに否定する。だって、今まで俺が相対した大人は弱かった。念をろくに知らない。念使いも中にはいたが、俺を鍛えた男の方が遥かに強かった。
「で、邪魔はする気はないんだけど。この場合俺はあんたの敵になるのか?」
出来れば戦いたくない。俺はこんな所で死ぬ気はない。まだ、果たさなくてはならない約束が残っている。
少年はあっさりと首をふった。
「もう俺達の用事は終わったから」
その言葉を素直に受け入れたわけではないが、ゆっくりと棒を下ろす。無闇に相手の警戒を煽るのは愚策だ。そう判断する。いつでも戦闘態勢に入れるよう、円はそのまま。
「で、君はどうして此処にいるの?」
音を立てぬ足さばきですっと近寄ってきた少年は、俺の円に入らないぎりぎりの線でぴたっと止まる。此方の警戒には気付いているだろうに、それを欠片も感じさせない真っ直ぐな視線が突き刺さる。その黒い瞳は先程の影響か、潤んでいた。
答える気のない質問をそのままに、逆に疑問を口にする。
「何で泣いていたんだ?」
不思議だったのだ。俺の知る強者は、人間らしい感情を切り捨てていた。親代わりも、暗殺者の少年も。最期まで俺は、親代わりの涙を見ることはなかったし、彼は俺が泣くことを快く思っていなかった。感情を無くすことを、望んでいたように思う。
少年は頷き、すんなりと答えをくれた。
「仲間が死んだんだ」
口の中が乾いて上手く動かない。正体不明の衝撃が頭を揺さぶる。
「ねえ、君は何で此処にいるの?」
再び繰り返された質問に、不思議と勝手に口が動いた。
「探しているものが、見つからないんだ」
ずっとずっと探しているのに、手掛かりすら掴めない。三年近くが経ち、もはや自分は探しているのか、それとも見つからない苛立ちをぶつけているだけなのかも分からなくなってきている。
心情を引き出した少年は、一瞬真顔になり、その端正な口許を悪どく歪めた。すぐに朗らかな笑みに戻った上、暗闇に紛れていたので見間違いかもしれない。けれども、嫌な予感に警戒を引き上げる。
「それは、辛いね」
同情を色濃く滲ませた声音に、胡散臭さは増すばかり。
「良かったら、手伝おうか?」
何気ない動きで少年は一歩踏み出し、俺の円の中にするりと入り込む。その瞬間、身体が強張った。
圧倒的な力の差を感じてしまったのだ。棒を構えようとするも、上手く手に力が入らない。足が勝手に震え出す。完全に身体が鈍っていた。この三年間、自分よりも強い者が現れなかったことに胡座をかいていた。そんな情けない自分に舌打ちをもらす。
「詳しい話を聞くから、俺達のアジトに行こうよ」
口許は笑みながら、明らかに目が語っていた。ついてこなければ殺す、と。
ゆっくりと身体の力を抜く。抵抗を試みようとするちっぽけな自尊心を、生きる為だと宥めてやる。
「分かった」
けれど、せめてもの意地で少年を睨み付けた。
「良かった」
ふわりと表情を弛ませる様は、此方の怒気を全く考慮していないことがありありと分かる。むしろ面白がっているのでは、と勘繰りたくなる程だ。
「じゃあちょっと頼みがあるんだけど」
そう言いながら少年は俺を通り越し、暗闇に声をかける。
「パク」
反射的に振り向いた。少年に背を見せるなど愚かな行為だと分かっていたが、彼ほどの力の持ち主ならば正面からでも敵わないのだから今更だ。それよりも、彼以外の存在に気付けなかったことに衝撃を受けた。
暗闇から、一つの影が進み出る。白いワンピースが満月の光を受けてその姿を浮かび上がらせていた。
「団長」
よく通る声。出てきたのは背もそんなに変わらない女の子だった。やはり綺麗なオーラを纏っている。
知らず冷や汗が出てきた。この子もそうだし、まだ建物内で暴れている恐らく複数人もそれなりの実力の持ち主だろう。少女だけなら多分倒せるが、仲間がいることを考えれば絶対に敵に回したくない。というのに、退路を塞がれているから逃げられない。
「彼女はパクノダ。足を挫いてしまったから、君に運んでもらいたいんだ」
不可解な台詞に眉をしかめる。が、意味を問う前に批難の声を上げたのは少女だった。
「団長! 最初からそのつもりで!?」
女のわめき声ほど耳に煩いものはない。アリスは別だけれど。遠慮なく不快感を示す為に耳を塞げば、睨み付けられた。
「パク」
静かな低い声。それだけで少女は顔を歪めながらも大人しくなった。如実に感じられる力関係。
「分かったわ」
嫌々という感じに溜め息を吐きながら、少女は右足を若干引き摺りながら寄ってきた。両手は空。きっと此方に与えられた人質、と捉えて良いのだろう。随分と気前の良いことだ。
全てが黒髪の少年の思い通りに進むのは癪に障るが、他に選択肢はない。仕方なく少女に近寄り、遠慮なくワンピースの上から手を這わせる。
「ちょっと」
不快げな声に答える気はない。後ろの少年に咎める様子はないから、このくらいは許されているのだろう。
案の定、左の太股と背中に固い感触。一応振り返り、許可を求める。
「武器、没収しても良い?」
愉しげな笑みを浮かべながら観察していたらしい少年は頷き、少女へと促した。
「パク」
心底嫌そうに顔を歪ませながらも、彼女は自分から武器を取り出した。服の内から現れたのは二丁の拳銃。
「じゃあ少し預かる」
手渡された時、初めてその顔を正面から目にした。
透き通るような白い肌。切れ長の瞳に、高い鼻。可愛くはないが、妙に印象的な顔立ちだ。
「何?」
ついじろじろ眺めてしまったせいで更なる不快感を煽ってしまったようだ。別に構わないのだけれど。
少しだけ悩んで銃を胸の内側部分にあるポケットに入れ、棒を背負い直してから少女を右肩に担ぎ上げた。これなら左手を使えるから何かあった時に少女を殺せる。
そう考えながらも、多分少女が俺の手の内にある間は、少年は手出ししないだろうという確信はあった。根拠は、先程の少年の涙だ。仲間が死んで泣いた少年は、恐らく仲間の少女を悪戯に裏切ったりはしない。
そこまで考えて、苦笑いがもれる。少年の言葉を鵜呑みにしていた自分に、嘘かもしれない可能性に、今更気付いた。
けれども大人しくされるがまま抱き上げられた少女は、抵抗する様子もない。少年を信用しているのか。それとも見た感じは俺より弱そうだけれど、切り札でも持っているのだろうか。
「行こうか」
声に思考が引き戻される。少年に視線を向ければ、真っ直ぐでいて底知れない光を湛えた瞳とぶつかった。
途端に先程までの考えが霧散する。少年の意図は分からない。けれども、この場で一番の強者は彼だ。結局俺が出来ることなんて、少女に殺されないよう警戒する、その程度だ。不意をついて少女を使い逃走する、のは少々厳しい。
「早く行きなさいよ」
背中の方から聞こえた声に、覚悟を決めた。今は従う。けれど絶対に生き残ってやる、と。
それから風を切るように疾走する少年の少し後ろにぴったりついたのだが。
「なあ、あんたの空いてる片手でこいつを担げば良かったんじゃないのか?」
少年は大事そうに左腕で抱えた箱を見て、それからちらりと俺を振り返った。
「だって、君は両手が空いているだろう?」
理屈が通っているようで、答えになっていない。反論しようと口を開きかけたが、いつの間にか速度を落とし真横に並んだ少年が先に言葉を発する。
「そういえば、君の名前は? 俺はクロロ。そっちがパクノダ」
軽快な口調に、人当たりの良い笑顔。考える前に答えは出ていた。
「ヘンデス」
誰にも本名を明かす気はなかった。俺の名を知るのは、アリスだけで良いのだから。