執着



 悪役。その単語に連想するのは、死だ。勿論最後に更正する悪役もいるだろう。だが、こいつらはどうだろう。更正なんてしそうにない。無様に地にひれ伏し、捨て台詞と共に物語から退場する。それがお似合いではなかろうか。想像するだけでぞくぞくする。当然の報いだ。

「漫画の中で、蜘蛛は潰れるの?」

 期待と興奮から頬が緩む。声が弾む。そんな俺の様子に少女は首を傾げた。

「二人死ぬけど、蜘蛛は生きるわ。って何で落ち込んでるのよ。ヘンデスは蜘蛛なんでしょ?」

 当たり前じゃないか。初めて知った事実に動揺してしまったが、この盗賊団が悪役だろうと誰が死のうと俺には関係ないことなんだ。アリスを見付けたら用無しなんだから。

「無理矢理入れられただけで、別に愛着はないよ。因みに死ぬのは誰?」

 最後、囁くように口にする。上手く蜘蛛を抜け出せるよう、特に背中に入れられた刺青の呪いを解いてもらう為の交渉材料になれば良い、そんな意図から出た台詞だった。
 少女は訝しげに、けれど俺に合わせて消え入りそうな声で答えた。

「ウボォーギンとパクノダ」

 前者は分からないが、後者はすぐに顔が浮かんできた。うん、特に何の感情も湧かない。自分の胸の内を確認して、安心する。

「って、何で無理矢理蜘蛛に入れられてるのよ。そういう組織じゃないでしょ」

 普通の音量に戻した少女に、苦笑い。少女の知る蜘蛛がどんなものか、俺は知らない。知りたいとも思わない。

「さあ。クロロに聞いたら? それとも、やっぱり此処は漫画の世界なんかじゃなくて、蜘蛛はあんたの知ってる盗賊団じゃないかもしれない」

 軽口を返しながら、気付いてしまった。なんだかんだいって、俺は多分どうでも良いんだ。此処が前世で出版されていた漫画の中の世界だとしてもそうでなくても。だって、俺は漫画のストーリーに関わりなく生きている。たとえ一時、悪役になるのだろう盗賊団に身を置いていても、これからは違う。俺の未来は、漫画のストーリーと決して交差しない。だから、特に関心を持つ必要が見当たらなかった。
 けれど少女は違ったらしい。眉間に皺を寄せて反論してくる。

「何言ってんのよ。確かに私も半信半疑だったけど、今日確信したわ。此処は確かに『HUNTER×HUNTER』の世界よ。クロロやシャルナークがいる時点で確実」

 どこかむきになっているような、熱に浮かれたような語り口だった。嫌な感じを覚えて眉をひそめるが、彼女は気付かず朗々と続ける。

「そうよ。連れて来られた時は死ぬかと思ったけど、ちゃんと私の能力が通用するって分かったし、貴方にも会えたし良いこともあったわね。まずは此処を無事に乗り切らなきゃ」

 そして期待に満ちた視線を送られる。なにかが腑におちない。胸の内が落ち着かない。けれどその正体が掴めない。

「ねえ、ヘンデス。貴方は私を見逃してくれるわよね」
「うん、まあ」

 頬をかきながら肯定する。元からそのつもりだった。クロロの味方をするつもりはないし、この少女を捕らえるよう命令を受けてもいないから問題はない。だけど、何でなのだろう。さっきからすっきりしないのは。

「有難う! 私まだ死ねないの。キルアに会うまでは!」

 少女は自分を勇気付けるように宣言し、立ち上がった。

「キルア?」

 誰だと聞けば、少女は恥ずかしそうに微笑む。

「うん、キルア。私ね、何でこの世界に転生したのか分からなくてね」

 答えになっていないが、幸せそうな彼女の様子に口を挟むのは止めておいた。

「だから、自分で意味を与えてあげることにしたの」

 うっとりと瞳を和らげる。

「私、多分キルアに会う為にこの世界に生まれかわったんだわ」

 ぞわっと全身に鳥肌が立った。鼓動が速まり、呼吸が浅くなる。
 少女はきっと気付いていない。自分が歪だっていうことに。狂気にも似た執着だけを頼りに彼女は自分を支えている。
 おかしいと思わないのだろうか。何故そこまでに一人を思える。それにキルアとは恐らく漫画の登場人物だろう。それは実物大の人間とは決して結び付かない。この世界で生きるキルアという人間が存在したとしても、それは彼女の知るキルアと重ならない。そんな簡単なことも分からないのだろうか。彼女はこの世界で生きることを放棄して、前世の漫画という世界に逃げ込んでいるんじゃないか。
 一つ見付けた、違和感の正体。彼女はこの盗賊団を漫画の登場人物として捉えている。それが、気に食わない。俺の生きる世界を否定されているようで、この生を否定されているようで、気に食わない。
 深く息を吐き出す。底無し沼のように際限なく湧き出づる嫌悪感を噛み締める。
 もう一つ、気付いてしまった。この少女は、俺だ。狂おしい程に一人を求め、固執する。彼女は前世の漫画の中に求め、俺は妹に求めた。きっとその本質は何も違わない。俺も他人から見ればこんなに気持ち悪いのだろうか。考えるだけで吐き気がしそうだ。それでも俺はアリスを求めることを止められない。同じように、きっと彼女も変わらない。変えられない。
 はにかむ少女は、それだけ見れば恋する乙女そのものだ。諦め混じりに笑いかける。

「そっか。頑張って」
「うん」

 それ以上どんな言葉をかければ良いか分からなかった。どんな結末が待っていようと、彼女が選んだ道だ。俺に何かを言う権利なんてない。

「因みにこの能力はどうやって解くの? ずっとこのままは俺も困るんだけど」

 出口へと先導しながら、話を反らした。少女は大人しくついてくる。

「私からある程度離れたら勝手に解けるから心配要らないわ」
「そう。なら良かった。もう捕まらないように気を付けて」

 二度と会いたくないから、真心込めて忠告した。そんな本心に気付かず、少女は嬉しそうに頬を緩ませる。

「うん、大丈夫。キルアに会うまでは死ねないもの」

 また、重なる。その祈りは、願いは、誓いは、俺の中に息づいているものと同じ。何度も自分に言い聞かせて生きる糧とする様は、傍からみればこんなにも哀れなのか。
 同情するよ、幸運を祈るよ、マナミさん。だから二度とその面見せるな。心の中で吐き捨て、満面の笑みを。

「じゃあ気を付けて」

 出口で固まっていた少女をどかし、道を作る。近い未来に死を迎えるのだという彼女は、虚空に視線を向け脇で固まったまま。その横をすり抜ける少女は見向きもしない。その死を予言しておきながら、薄情なことだ。そのくせ振り返り、クロロをじっと見詰めてみせる。

「どうかした?」

 なかなか動こうとしない少女に焦れ、声をかければ少女はふわりと笑んだ。

「ううん。ただ、こうして安全なところから眺めたら、やっぱりクロロは綺麗な顔してるなあって思って」

 ぴくりとこめかみがひきつる。うんざりする程の危機感の無さだ。ついさっきまで怯えきっていたくせに。

「なんか不思議。私、本当に『HUNTER×HUNTER』の世界に生まれかわったんだ」

 けれど感情の波が全くない、あまりに平坦な声で少女がそう呟くものだから、なんと返して良いか分からなくなる。歓喜も落胆も何もない。今の少女はただそこにある現実を受け止めざるを得ない、ちっぽけな存在だった。
 視線を外す。とても見ていられない。こんな無表情を見せつけられるくらいなら、さっきまでの狂気に似た空元気の方がよっぽど良い。

「うん。だから、キルアだっけ。その人も実在するし、会えるよ」

 キルアの単語で空虚な瞳に光が戻る。それで良いんだ、きっと。

「キルアは最初の方から登場してたから、ヘンデスも知ってるはずよ」

 そっか。興味ないしどうでも良いよ。元気を取り戻せたなら、それで良い。

「銀髪の美少年。覚えてないの?」

 少しばかり怒りの混じった台詞に、なんとか記憶を掘り起こす。主人公はもっとガンガンとかそういう感じの名前だった気がするから違うか。あとは、礼儀正しい感じのと粗暴な感じのと、それから。あれ、なんか嫌な予感。

「あんさつ、しゃ、とか、出てきたっけ」

 動悸がする。息が切れる。嫌だ。すごく嫌な記憶と結び付きそうで、それを必死で否定する。
 気付いてくれ。俺はあからさまに変な態度だろう。何かあるんだと察してくれ。刺激しないでくれ。もしくは否定してくれ。

「そうそれ! なんだ、覚えているじゃない」

 嬉しそうに少女は笑う。

「天下一の暗殺一家、ゾルディック家の跡取りよ」

 嬉しそうに、我が事のように、自慢気にそれを告げた少女の口から血が飛び出た。

「えっ」

 何が起こったか分からず不思議そうに少女は視線を落とした。そして見付ける。自分の腹に刺さったオーラでできた如意棒を。ゆっくりと如意棒を辿り、俺の左手に行き着く。そして大きく見開いた目はやっと俺を捉えた。

「あ、ごめん」

 そこに至って漸く俺も自分の行為を理解する。即座に如意棒を消滅させれば、少女はゆっくりと前に倒れこんだ。

「な、んで」

 掠れた声で呟く少女に生気はない。恐らくすぐに死ぬだろう。やっちゃったな、と思いつつ、後悔はなかった。

「なんで、か」

 正直オーラが勝手に動いただけで、明確な理由を問われれば難しい。別にゾルディックに復讐したいなどとは思わないので、そこまでかの暗殺一家に恨みがある訳ではないのだろう。だって、親代わりは自分で死んだんだ。アリスを売ったのは彼だし、母はあんな結末が来ると分かっていながら駆け落ちしたんだ。あの少年は、俺が憎くて家族を壊した訳じゃない。
 ならば、胸を焦がすこの激情の正体は何なのだろう。ゾルディックと聞いた瞬間、脳裏に蘇った血に塗れた情景が曖昧なのは何故なのだろう。喉下までこみ上げる哀しみの気配は、どうすれば薄れてくれるのだろう。
 反射的に手に取った棒を撫で、気持ちを落ち着かせる。それから地に伏した少女を見下ろして考えをまとめた。

「強いて理由をあげるなら、無視されたから、かな」

 キルアは銀髪と言っていたから、黒髪だったあの殺し屋の少年ではないだろう。けれど、生きているんだ。彼らは漫画ではなくこの世界で生きていて、俺も生きている。そこに付随する怨み辛み悲哀喜び全てを、彼女は無視していた。ゾルディックに殺された人間が存在することを、無視していた。多分、それが許せなかった。


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