「もう死んでるわ」
淡々とした声を発した人物を見やる。能力者が死んで硬直が解けたのだろう、首を鳴らしながら少女は歩み寄り、戸惑いなく死体に触れた。そのまま瞳を閉じる。
「あーあ、殺しちゃった」
また新たな声。一気に空間に生気が満ちたようだった。その騒々しさに眉をひそめながら、情報屋の少年に言葉を返す。
「殺したら駄目だった?」
「駄目っていうかさ、わざわざ此処に連れて来た意味ないじゃん。な、クロロ」
よっぽど目が乾いていたのか、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながらクロロは口を開いた。
「ああ。面白い能力だったから欲しかった」
すぐに言葉が出ず、ああ、とか言いながら頬をかく。少々気まずい。
「もしかして、新たなメンバー候補だったりした?」
もしそうだとしたら、申し訳ないことをした。まあ、彼女が実際この盗賊団に入ったらすごく嫌だが。
クロロは呆れを多分に含んだ息を吐き出す。
「あれ、ルーク知らなかった?」
明るく聞いてくる情報屋の少年を睨み付ける。まだ何か俺の知らない事柄があったらしい。
「団長の能力。能力を盗めるんだよ」
「は?」
嘘だと言ってくれ、そんな懇願をこめて見詰めたクロロは、きょとんと此方を見返してくる。
「言ってなかったか?」
言われてない。というかそんなでたらめな能力存在して良いのだろうか。念能力って本当に何でも有りだ。
「聞いてないから、不可抗力っていうことで宜しく」
クロロは小さく笑いながら流してくれた。
「ああ。面白いことを聞けたから良いさ」
面白いこと、か。他人から見れば笑いの種くらいにはなるのだろうか。
「ってか初めに言ってよ、そういう面白いことは」
情報屋の少年は絶対に言いたくない相手である。今にも笑い出しそうだ。鬱陶しいと視線で訴えるもすげなく無視され、馴れ馴れしく肩を組んでくる。
「止めろ」
払いのけると共に、二重の意味をこめた制止を。笑うな、俺に触るな。
少年はへらへら笑いながら離れた。その手にアンテナを持って。念のため首の辺りを念入りに探るが何もない。やっとあの忌まわしい能力から開放されたことに安堵の息を吐くと同時だった。
「で、どうよ。パク」
情報屋の少年は黙ったままの少女に話を振る。少女は死体に手を触れたまま、ゆっくりと瞼を開けた。もしかして、死体からも記憶を読み取れたりするのだろうか。
「変だわ」
少々傷付く。やはり前世の記憶を持っていることは変なのだろう。分かってはいたが、こうも真顔で言われると心に突き刺さる。
「本当に前世の記憶なんてあるの? ルーク」
しかし思いがけない疑問に、思考が一瞬停止した。まさか根本を疑われるとは思っていなかった。だって彼女は記憶を読む能力者だ。なら、前世の記憶も読み取れるのではないのか。
「どういうこと?」
自然と声が尖る。視線が鋭さを増す。
「彼女に前世の記憶なんてないわ。あるのは、"前世の記憶を持っていて、漫画の世界に転生した"と信じている記憶、ね」
「意味が分からない」
「私もよ」
お互い睨み合う。一触即発ともいえそうな緊張の中、クロロが悠々と発言した。
「だが、そいつは俺達の名を知っていた。どこからもれた?」
「私は言ってないわ。マナミの能力は知っていたから、気を付けていたもの。盗みをやっているのは相手も同じだから知られてたけど、蜘蛛っていう単語も出してない」
気だるげな声が加わる。厄介な少女を連れてきたという当人は、最初の場所から動かず、長い髪の毛をいじっていた。知り合いが殺されたというのに、俺へ敵意を向けるでもない。その程度の付き合いだったのか、元からそういう性格なのかは知らないが。
「パク、どうだ?」
少女は深く息を吐き出し、うんざりした様子で答える。
「誰にも聞いていないわ。彼女は"前世の記憶"からそれを知っていたみたい」
「それじゃ本当に前世の記憶があるんじゃないの?」
情報屋の少年が気持ちを代弁してくれたので、俺はただ無言で少女を見詰めた。四人の注意を集めた少女は、きっぱりと結論を出す。
「いいえ。少なくとも私の能力では前世の記憶は拾えない」
静寂が落ちた空間で、必死に考えた。どういうことだ。まさかここにきて前世の記憶が否定されるとは思わなかった。けれど、クロロの指摘通り彼女は漫画の知識からこの盗賊団のことを言い当ててみせた。前世の記憶ではないならどうやって。
「確認する。マナミは自分に前世の記憶があると信じていた。そして前世で読んだ漫画の世界に生まれかわったと信じていた。実際に俺達がその漫画に登場し、そこから未来の蜘蛛の知識を得た。マナミの能力は自分の名前を教え、相手の名前を呼ぶことで相手の動きを制限する操作系の能力一つのみ。調査系や予知の類の能力は持っていない。ここまでで間違いはあるか?」
嫌になるほどタイミング良く、クロロが冷静に状況を纏めてくれたおかげで、頭の中の混乱は収まった。この統率力が憎たらしい。
情報屋の少年が手を上げて発言する。
「バックに何者かがいる可能性は?」
「ないわ。彼女一人で盗みをして生活していたみたい。家族も親しい人もいないわね」
思わぬところから不幸な生い立ちが垣間見えた。なんとなく察していたし、同情もしないけれど。
一呼吸置き、新たな発言者が出ないことを確認してからクロロは再び口を開く。
「マナミには前世の記憶があり、彼女の知っていた漫画の知識が通用する、という仮定で考えよう。ルーク、お前にも前世の記憶があると仮定して良いな?」
仮定という単語に引っ掛かりを覚え、頷くに留める。
「パクノダ、ルークの前世をみろ」
有無を言わさない命令に少女は即座に従った。目の前に来るなり右手を取られる。
払い除けたい。誰が好き好んで心の中を読まれたいというのだろう。こうして触れ合っているだけで内側を侵食されるような嫌悪感で胸が膨れていく。
「前世の記憶を思い出して」
静かな声に導かれるような感覚だった。一瞬にして脳裏に広がる過去の波に押し潰されないよう、手に力を入れて堪える。不快だ。平和な暮らし。血生臭いことに縁遠かった二十六年の生活。そして最期の苦しみ。思い出したくなんてない、前世の記憶。
終わりは唐突に訪れた。音もなく冷ややかな手が離れていく。
「前世の記憶、あったわ」
詰めていた息を吐き出す。緊張していたのだろう。いくら自分自身の記憶を信じていても、他人から否定されるかもしれない恐怖はどうしても拭えない。
「でも、不思議な感覚。"前世の記憶があると信じている"ともいえるかもしれない」
「この記憶が念能力で作られた可能性を言ってる?」
少女は静かに頷く。まあ、このくらいなら想定内だ。親代わりにも指摘された。
「まあ確かにそれならパクの能力の裏をかけるかもね。でも、誰が何の為に? その誰かは予知の能力で未来を知っていて、わざわざそれを漫画という形で記憶に埋め込んだってこと? なら何で漫画の知識をルークが持っていなかったんだろう」
暗にそれは有り得ないと言いたげな情報屋の少年に、心中で同意する。念能力者が作った記憶と仮定すれば、色々とおかしい点が出てくるんだ。そもそも世界が違うことからしておかしいじゃないか。親代わりも言っていたが、わざわざ異世界の記憶を作り出す労力を考えればその仮定に信憑性はほぼ無い。漫画の世界だということが判明した今、ゼロになったといっても良い。漫画を読んでいるか、いないか、そんな違いを作り出す必要性が見当たらないからだ。
「分からないな」
ぽつりとクロロが溢す。そうだ、何も分からない。分からないけれど、俺はここに存在する。
「まあ良い。前世の記憶があると仮定すれば、パクが死体からそれを拾えない理由も推測できる」
思わずクロロを凝視すれば、簡単なことだ、と続けた。
「パクは物が経験したことを読み取る。その身体は前世を経験していないだろう?」
「なるほど」
同意の声に、うまく続くことが出来ない。
確かに、この身体は以前のものと違う。ならば、前世の記憶はこの身体が死んだ時どこにいく。いや、元々死んだら記憶なんて必要ない。それは分かっている。けれど、記憶を読む能力者である少女はこの世界での記憶は読み取れるんだ。それすらしてもらえない記憶は、本当にこの身にあるといえるのか。
揺らぐ。思い出したくもない記憶なのに、その存在が曖昧になった途端惜しくなる。確固たる存在でいて欲しいと望んでしまう。
「他に何か、分かることはないか? ルーク」
クロロの声に我に返った。疑問を一旦追い出して、黒く暗いその瞳を見返す。
「俺も何も。原因について心当たりもなければ、同じような存在が他にいるのかすら分からない」
少しだけ嘘を吐いた。アリスについての情報はなるべくもらしたくないから。それに、多分他にもいるだろうという確信はあった。理由は、前世の最期。アリスは俺と同じ、電車の事故だった。今日会った子には聞いていないから分からないが、同じ場所で死んだ人が転生しているのではないだろうか。そんな仮説を立てている。
「漫画についてはどれくらい知っている?」
肩をすくめる。
「ほとんど何も。前世でも結構昔に一回読んだきりだからストーリーも曖昧。主人公がハンター試験を受けることくらいしか知らないよ」
「私とウボォーのことは?」
ひんやりとした声が割って入り、心臓が掴まれたように身を縮ませた。恐る恐る見やった先、死を予言された少女は無表情で真っ直ぐな視線を寄せてくる。
死体から記憶を読んだのか。
「何も。俺はそこまで漫画を読んでいない」
「ああそういえば俺たちが悪役だとか何とか言ってたっけ。何? それでウボォーとパクが死ぬって?」
情報屋の少年は、ひどく軽い口調でその台詞を口にした。頭のおかしな少女が発した戯言だと思っているのか。自分たちは死なないとでも思っているのだろうか。それとも、真実だと飲み込んだ上でどうでも良いと言い切るのか。
「なら大丈夫よ。二人死ぬだけで蜘蛛は生きるって言ってたし。ねえ、クロロ」
名前も分からない少女が口を挟む。やはり軽やかに、その死を、命を、軽んじているように。
「蜘蛛が生き残るんなら大丈夫。パクも安心して? それが起こるのは私が死んでから、だからまだまだ先の話」
同じ口調で、少女は何でもないことのように自分の死を口にした。
どういう意味か分からない。けれど、他の三人は全てを理解しているようで口を噤む。
「何でお前が死んだ後だと分かる?」
沈黙に耐え切れず発言した俺を、少女は呆れたように見下した。
「マナミは、私が蜘蛛だって知らなかったのよ。ここに連れてきて、シャルを見て、初めて気付いたの」
なるほど。漫画で登場する未来の蜘蛛に彼女は存在しない。よって、彼女が死んだあとに漫画のストーリーは始まる、と。
ふと、興味がわいた。彼ら彼女らに情なんて湧かない。その死を予言されたところで俺には何の関係もない。だからこそ、その興味を口にすることができた。
「怖くないの?」
少女はきょとんと俺を見詰め返した。
「死ぬって言われて、怖くないの?」
俺は、怖かった。命を狙われていると知ってからの二年間、怖くてたまらなかった。
少女は俺の疑問を漸く理解し、そして笑った。
「何で? 今までと何も変わらないじゃない」
同じくらいの年頃のはずだった。けれど、置かれていた環境が違うのだ、とこの時初めて理解した。そうだ、俺は知っている。クロロは死んだ団員のために涙を流していたのだ。死が悲しくない訳ではない。けれど、きっと恐れるものでもないのだ。彼らは常に死を感じている。死から縁遠い生活を、彼らは元から知らないのではないだろうか。俺が前世で、この世界で八年の間享受した平和な生活を。
「そっか」
同情の涙は出てきやしなかった。ただ、羨ましいとは思う。彼らのその潔さを。俺もきっと、アリスがいなければ彼らと同じようになっていたかもしれない。アリスがいるからこそ俺は死を恐れる。アリスは見付けるまでは、生に固執する。それが良いことか悪いことか分からないけれど、俺にとっては正しいことだった。