凶事



 前世の記憶があるという少女と出会ってから二週間後のことだった。俺とアリスの誕生日まで一ヶ月をきったこの日、情報屋の少年から呼び出しを受けたのはスラム街の一角。今にも崩れ落ちそうな建物は、初めて人を殺した場所を思い出す。けれどもそんな感慨を遥かに上回る期待と興奮を胸に、情報屋の少年の後を無言でついていく。案内されたのは、玄関の扉を開ければすぐに室内の全貌が分かってしまう程の小さな部屋だった。元々が狭い空間を埋め尽くすかのように置かれた雑多な物の奥に静かに座す老婆と視線が交わる。

「ほれ、出しな」

 挨拶も何もなく、嗄れた声で促された。
 情報屋の少年に聞いていた。この老婆は持ち物から、持ち主の居場所を探るのだという。だから、アリスの物を持って来い、と。
 アリスの私物は何も残っていない。親代わりがアリスを売る時に処分してしまった。それはこういう能力からアリスを守る意味も持っていたのだろう。今は逆効果だが。
 それでも僅かな望みにかけて持ってきたもの、古ぼけたノートを老婆に差し出す。

「共有物でも、良いんだよな?」

 確認の意味で問えば、彼女は無視してノートを手に念能力を発動させる。否定が返ってこないことに安心しながら、ただその様を見守った。
 アリスと交わした交換日記。誕生日の次の日、枕元に残されたそれだけが、俺が持つ確かな繋がりだ。
 老婆は暫くオーラをノートに纏わせたあと、その潰れかけた片目でじろりと睨んできた。そして深く嘆息するものだから、心臓が跳ねる。

「駄目だね」

 頭の血が沸騰したように、うまく物が考えられなかった。つまり、どういうことだ。アリスは見付からないのか。

「これの所有者は完全にあんたになっちまってる。他にないのかい?」

 呆然としながらも緩く首を横に振る。無いんだ。何も、繋がりといえるものはもう残っていない。

「あとは血液とか髪の毛一本でも残ってりゃ私にも何とかなるかもしれんがね」

 そんなもの、全部親代わりが処分したに決まっている。

「血の繋がった妹なんだ。俺の血とか髪から探ったりは」
「唯の兄弟だろう? 一卵性の双子ならともかくねえ」

 双子だ。双子だけど性別が違うから、一卵性のはずはない。
 ぐっと痛みを与えるように拳を握り締める。お代は返さないよ、なんていう老婆の声が素通りしていく。漸くアリスに会えると思っていたのに。


「さっきの婆さんの言う通り、念能力で探すのは難しそうだ」

 外に出てから、何気なく断定してくる情報屋の少年を睨み付けた。

「ちゃんと前金受け取ったんだからどうにかしろよ」

 棘のある声に、少年は軽く肩をすくめる。

「そんなこと言われてもさ、持ち物は無い。名前や容姿も変えてる。唯一証拠が残っていそうな人身売買が行われた建物もルーク自身が壊しちゃって手がかり無し。自業自得って言葉知ってる?」

 正論だった。だからこそ悔しさが増す。睨みつけることしか出来ない自分が歯がゆくて堪らない。

「ま、一応貰ったお金分の仕事はするよ。初めに妹が売られたっていう組織の方から地道に探っていくから時間かかるけど、文句は言わないこと」

 唇を噛み締めて反論を封印する。また、遠ざかる。掴めると思った瞬間、すり抜けていく。あと何回繰り返せば良いのだろう。アリスは、まだ俺を待っていてくれるのだろうか。約束を信じていてくれるのだろうか。

「何?」

 ふと視線を感じ、顔を上げれば端正な顔立ちが迫っていた。後ずさり、睨み付ける。少年は一人納得したように頷く。

「なるほど」
「だから、何?」

 暫し無言で睨み合う。要領を得ない応答に焦れ、帰ろうと背を向けた時だった。

「ルークは変化を好まないんだ」

 裏に何かを含んだ台詞だった。真の意図を探ろうと振り返っても、少年はただ微笑むばかり。

「馬鹿にしてる?」
「いいや、ただ」

 何が続くのか、じっと待っていれば、少年は一度目を伏せる。そして視線が戻ってきた時には、いつもの作り笑いが浮かんでいた。

「ルークは今から俺と一緒にアジトへ行くこと。フィンクスがルークを連れて来いって煩いんだ」

 晴れやかな口調は頑として否定を許さない。少年の能力がそれを可能にしている。半分の確率で逃げられるだろうが、今は何かで気をまぎらわしたかった。一人になっても、しなくてはいけないことを探すのが困難だったから。

 そして辿り着いた廃墟にて、足を踏み入れた瞬間拳が飛んできた。予想していたから、避けて横をすり抜ける。
 道中、情報屋の少年から聞いたのだ。なんでも勝手に俺がどれだけの期間で1000万ジェニー稼げるかの賭けをして、それで負けた少年が俺を逆恨みしていると。

「あはは! だせえ、フィンクス! 避けられてやんの」

 げらげら笑いながら野次を飛ばしてきたのは、ちょんまげで着流し姿の少年。野武士を連想させる彼の横では大男が興味深々といった風に目を輝かせていた。

「うるせえノブナガ! てめえルーク。お前も避けてんじゃねえよ! っつか早すぎんだよ!」

 彼は二年かかると予想していたらしい。そんなに時間をかけて堪るか。

「ごめん」

 欠片も心のこもっていない謝罪に、相手は一瞬止まりこめかみをひくつかせた。本当に切れ易い少年だ。尤も、出会い頭で既に切れていたのだが。

「よーし、分かった。てめえが売った喧嘩だ。快く買ってやる。とりあえずぶん殴る」

 どちらかと言えばそっちが売ってきたと思うんだけれど。まあ、良いか。久しぶりに思いっきり暴れたい気分なんだ。付き合ってもらおう。
 背の棒を抜き取り、左脇に通して両手で構える。

「あ? それでやる気か?」

 少年は如意棒のことを知っている。だからこその挑発だ。

「お前相手ならこれで充分だろう?」

 周囲から口笛や下品な野次が飛ぶ。ただ観戦しているだけで乱入してくる気配はないから気にしない。面白がられているのは気に食わないけれど。

「てめえ、絶対殴る」
「さっきから口ばっか動いているけどさ。俺に一発入れてからにしなよ、大口叩くのは」

 速かった。オーラが膨れ上がり、その足は地を蹴り付ける。一瞬の内に目の前まで距離を縮めた彼は勢いをつけた拳を叩き込んでくる。
 だけどさ、分かり易過ぎるって。
 膝を曲げ、中腰になれば頭上を拳が空振った。当たったら痛いんだろうな、そんな事を思いつつ片足を軸に地を這わせた左足で足下を蹴り付ける。足払いとまではいかなかったけれど、体勢を崩した彼の顎目掛けて両手で棒を突き上げる。
 それは、途中で勢いを失った。

「やるじゃねえか」

 ぐっと顎にオーラを集中させた少年はじりじりと棒を押し戻してきた。赤くなった顎がだんだんと下がり、彼の顔が此方を向く。愉悦に歪んだ目に、見下される。その瞳は言葉とは違うことを雄弁に語っていた。お前の実力はこの程度か、と。

「はっ」

 浅く息を吐きながら、口許が緩むのを感じる。胸の奥底から込み上げてくるこれは、程好い緊張と心地好い期待だ。久々に経験する、ただの力のぶつけ合い。親代わりとの訓練はいつもこうだった。強くなるという目的が、途中からどうでもよくなる。余分なものが全て削ぎ落とされ、相手を倒すことしか頭に残らない。
 形勢は不利だった。中腰の俺に比べ、既に体勢を整え仁王立ちの少年。下から突き上げるより、上から押し戻す方が優位。それでも、戦意はどんどん増していく。こいつを地に這わせたいという欲望を、抑える必要性が見当たらない。

「まだまだこれからだろう?」

 挑発に応えるように少年の手が棒に伸びるのを見て、棒の下方を少年に向かって軽く蹴り付けた。持っている位置を支点に棒の上方は少年の顎を外れ、伸ばされた手は空を切る。すぐに追い縋る手を避けるように、地を蹴りつけて距離を取る。
 再び棒を構えて、今度は俺から仕掛けた。時間を与えるつもりはない。少年の能力は以前の盗みで見ていた。腕を回す度にその拳が威力を増す強化系の能力。当たらなきゃ良いってもんじゃない。かするだけで大ダメージのそれを、発動させる前にけりをつける。
 一気に距離を詰める。跳躍しながら右足を振り上げて頭を狙えば、少年は自身の左手でそれを防いできた。程好い痛みを気にかける間もなく棒を振るおうとした時、右足に無視出来ない鈍い痛みが走る。視界の端に映った光景に頬がひきつる。
 少年は俺の右足を素手で掴み、にやりと口端を上げた。

「待っ」

 待てと言われて待つ奴がいるわけない。分かっていたけれど反射的に飛び出た言葉は、案の定無視された。
 勢いを付けて俺の右足を掴んだまま少年は一回転。平衡感覚が狂い、遠心力が頭部にかかる。身体が地と水平になる。やばいと警鐘を鳴らし始めた脳みそは、勝手に身体に指示を出した。
 身体に抱き寄せる形で持っていた棒を、両手でしっかりと掴み、オーラを左手に集中させる。狙いを付ける必要はない。身体の中心線に這わせ、足に向かって伸ばせばそこに少年はいる。一つ、息を吐く。空気の固まりを吸い上げる。

「よっと」

 軽い掛け声と共にそれに似つかわしくない凄まじい力で身体が投げ出される。軽い浮遊感に身を任せながら、棒の両端に向けてオーラを放出した。
 まず、足の方で棒に軽い痺れが走る。視線を天井から足の方に移せば、少年の胸部に如意棒が突き刺さっていた。少年は棒から生えるように伸びた如意棒に虚を突かれながらも、二本の足で踏ん張り衝撃を押し殺す。ここまでは狙い通り。もう一つの狙いは、と視線を頭部に移そうとした瞬間、激しい揺れが棒に伝わり、如意棒の伸びが止まる。漸く一端が壁にぶつかったのだろう。少年の胸部と壁を如意棒が繋ぐ。棒を掴む両手に力を込める。少年に投げ出され宙を舞っていた身体に引き摺られそうになるのを、何とか堪える。やっとのことで足が地についた頃には掌が摩擦熱で焼けるように傷んでいた。

「いつからだ?」

 静かに問う少年は胸部に当てられた如意棒を右手で掴む。そのまま力をこめられ、耐えられなくなった如意棒は消滅した。しかし両手に棒は残っている。

「いつからって、何が?」

 相手の質問の意図は分かっていた。いつから如意棒に持ち替えたのか。でもその質問は正しくない。唯の棒となったそれを見て目を見開く少年も、やっと理解したらしい。
 くるりと棒を回し、掌の傷がどの程度動きに響くかを確かめる。多少ぎこちないが、まだやれる。

「それ、唯の棒か?」

 まだ疑ってかかる少年に、笑みが浮かぶ。

「質問の答え。俺は最初っからこれしか使ってないし、これは能力を使っていない唯の棒だ」

 俺はただ棒をオーラで纏い、更にその両端から如意棒を伸ばしただけ。棒をオーラで纏い続けるのは結構疲れる上、元の棒の位置から左手を放せば如意棒は消滅するので使い勝手はすこぶる悪い。今回のように意表を突かなければ通用しないだろう。

「面白くなってきたじゃねえか」

 笑みを浮かべながら、右腕をぐるんと大きく回す少年。二回、三回、と続き、五回目でそれは止まった。右の拳に溜まるオーラは力強く躍動している。常であったらすぐに逃げ出す危機的状況。けれど、今は身の保身をうまく考えられなかった。
 どれだけみっともなく生にしがみつけば、希望を追い求めればアリスに会えるのか、分からない。答えが見つからない。ここでこんな事をしていてもアリスは見つからないことくらい分かっている。けれど、募り募った焦りと苛立ちをどこかにぶつけたい。目の前の少年は、そのはけ口として最適だった。
 棒を少し離れたところに避難させ、左手から如意棒を生み出す。俺と少年、地を蹴るのは同時だった。
 少年の腹目掛けて如意棒を伸ばすも、軽々避けられる。そのまま突撃してくる少年の拳に突進し、当たるすれすれの位置で上に跳躍。如意棒を地に伸ばし、バランスを取りながら少年の後方に着地する。瞬時に縮めて手元に収めた如意棒を元の長さに伸ばしつつ、振り返りざま背中を急襲しようと左腕を振り切れば、読まれていたらしい。後ろに飛ばれ、回避された。
 距離を取りつつ、睨み合う。二人の口許に同時に笑みが浮かぶ。これは遊びだ。遊びは、楽しまなきゃ損だ。そんな言葉が聞こえてくるようで、またその声に引き込まれるように少年しか視界に入らなくなった。
 言葉はもう必要ない。ただ拳と如意棒の応酬に、神経が研ぎ澄まされていく。風を切る音、相手の呼吸、じわりと垂れる汗の音さえ聞き取れそうなほどに集中しながら戦っていた俺にとって、その声は耳障りなものでしかなかった。

「あ? 唯の棒じゃねえか」

 少年の拳を一度受け止め、骨が折れているだろうと予測できるダメージを負った右腕を庇いながら左手で如意棒を操る。見据える先、ついさっき如意棒で殴り付けた頭から血を流しながら少年は俺の背後に一瞬視線を移す。訝しげにその瞳がすがめられるのを好機と見て走りながら如意棒を伸ばした時だった。

「やべっ」

 何かの壊れる音。背後にちらりと視線をやり、目に飛び込んできたそれを、脳はうまく処理出来なかった。
 足が止まる。少年に無防備な背中を見せる。ただ、それから目を離せない。
 それを手にした大男は俺に気付き、野性的な顔に人懐っこい笑みを浮かべた。

「わり、ルーク。壊れた」

 その手に折れた棒を持ちながら。

「いやあ、これに何か秘密があんのかなあと思ってな」

 唯の棒だって言ったじゃないか。

「随分と脆いな、これ」

 分かってるさ。お前ら相手にしたらすぐに壊れるってことくらい。だから安全な場所に避難させて。

「おい、ウボォー」

 大男の横に座っている人物が発した咎めるような声かけに、ちっとも心は慰められやしない。呆然と、壊れたんだ、なんていう当たり前の事実が頭に浮かんだだけだった。

「ん?」

 無邪気な笑みを見せる大男の手から棒が地に落ちる。かつん、と音を立てて二つに分かたれたそれをじっと見詰めることしか出来ない。
 だって、壊れたんだ。壊れたものは、もう元には戻らない。
 先程までの興奮が急激にさめていく。凍てつく心は、何も感じない。怒りや悲しみ、それらの感情を抱いて然るべきなのに、ただ胸の内は空虚なまま。

「ああ、そういうことか。新しいの盗ってきてやろうか?」

 一人納得したと云わんばかりに提案してくる大男に、苦笑が浮かぶ。

「いいよ、要らない」

 不思議と滑らかに言葉は出てきた。
 要らない。全部、要らない。どうでもよくなった。苛立ちも、焦燥も、愛着を持っていたはずの棒も、この盗賊団と関わり合いになることも。

「クロロに伝えて。俺、盗賊団抜けるから」
「ちょっ、ルーク?」

 情報屋の少年の声を無視して、棒を視界から外して、出口へと足を急がせる。
 その途中、邪魔をするように飛び出てきた子供を睨み付けた。

「何か用?」

 俺の背に刺青をいれた子供だった。呪いを発動させるのだろうか。妙に冷静な頭で状況を分析する自分がいる。

「言わなきゃウボォーギンは分かってくれないよ。馬鹿だから」

 予想と違う台詞は、ちっとも心に響いてこなかった。だって、前提が間違っている。

「分かって欲しいなんて、俺言ったっけ?」

 そんなこと望んでいないし、俺だってこいつらのことを分かりたいなんて思っていないんだ。仲間でもなんでもないんだから。


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