慰め



 逃げ出すように盗賊団の元を去ってすぐのことだった。彼女から会いたいと連絡が入ったのは。
 マリア。俺が唯一連絡先を教えた少女。一ヶ月に二度の頻度で呼び出しを受け、実際に会うのはその内三回に一回。会えば"普通"の、日常生活の愚痴を聞かされる。俺の日常からは程遠い彼女の悩みは、聞いていて癒される。こんな世界もあるのだと、彼女を通して感じられて安心できる。
 飛行船に乗り、二時間。待ち合わせの公園に着いた頃には既に日が暮れていた。

「こんばんは、マリア」

 いつものベンチに座り、街灯の明りで本を読んでいたマリアは弾かれるように顔をあげた。満面の笑みは俺を見上げるなり驚愕に変わる。

「ヘンデス、貴方怪我してるじゃない!」

 その視線が突き刺さる右腕を眺め、ああと納得する。ここに至る道中やけに視線を集めていたが、これが原因だったのか。下らない理由で戦った際、攻撃を受けた右腕は時間が経ち不様に膨れ上がっていた。内出血しているのか気色悪く変色している。誤魔化すように苦笑い。

「喧嘩して、やられちゃった。負けてはないよ」

 勝ってもいないけれど。途中で試合放棄しただけだ。

「そんな事言ってるんじゃないの! もう、だから男の子って嫌い! 勝ち負けなんて興味ないわ!」

 叫びながら携帯を取り出す少女の手を無事な左手で掴む。睨み付けてくる彼女と屈んで視線を合わせ、ゆっくり力をこめて告げる。

「医者に診てもらわなくても大丈夫だよ。このくらいならよくあることだから」

 実際に怪我には慣れている。そしてこの世界の法則なのか分からないが、怪我をする度に身体が頑丈になって治りが早くなっている気がする。添え木をして、オーラの流れを調節すれば二週間くらいで治るだろう。医者に行けない身で培った経験則だ。
 マリアは腑に落ちない様子ながらもなんとか俺の言い分をのみこんでくれたようだった。

「そう、ね。ヘンデスはハンターになるんだもの。危ないことも一杯経験しているわよね」

 否定も肯定も出来ず誤魔化すように笑いかければ、マリアはすぐにベンチの端に寄って己の左側に場所を開けた。

「とりあえず座りなさい。あと、見てて気味悪いわ。医者は呼んじゃいけないのよね?」

 言い方は難だがマリアが初めて見せる優しさは、正直気味悪い。けれど、きっとこれが"普通"の反応なのだろうと思えば少々気恥ずかしく、また心地好い。右腕を見ては痛ましそうに目を細める少女は、本心から俺の身を案じているようだった。

「ごめん。今隠すからちょっと向こう見てて」
「隠すんじゃなくて治療して」

 小言をもらしつつ素直に背を向けるマリアに感謝しながら荷物から包帯を取り出す。片手で苦労しながらも口を使ってなんとか怪我を覆ってマリアの名を呼んだ。

「終わった?」
「うん」

 見ないようにしながらもちらちらと包帯の巻かれた右腕を気にする様に笑みがもれた。それが気に障ったらしく、少女は怒ったように頬を膨らませながら吠えてくる。

「何よ。気になるのよ、悪い? 大体今までこんなことなかったじゃない。怪我したんなら怪我したって言いなさいよ。私に会わなくて良いから病院行きなさいよ」

 だんだんと声の調子が落ち込み、涙目になるマリアの顔を覗きこむ。

「会いたくなかった?」

 話をすり替える為に問えば、途端に大人しくなった。

「会いたかった、けど」
「なら問題ない」

 これ以上怪我の話を続けられたら堪らないと、断言する。そのまま強引に話を彼女の愚痴に持っていこうと口を開きかけた時、マリアが再び驚きの声を上げた。

「あっ。ねえヘンデス。いつも持ってる武器はどうしたの?」

 発言してから俺の顔を覗き込み瞬時に青くなるマリアの変化に、そんなに酷い表情になっているのだろうかと不安になる。けれどよく分からないまま、取り繕うように発した声は自分でもよく出来たと思うくらい自然なものだった。

「壊れたんだ」

 そう。武器が壊れた。それだけだ。

「そうなの」

 まるで自分の大切な物が壊されたかのように沈んだ声を出す少女は、続けて呟いた。

「それは、辛いわ。大切な物だったんでしょう?」

 どうなのだろう、と己の心に問いかける。
 愛着はあるはずだ。初めて手にした武器。それを元に能力を作り、今まで使い続けてきたのだから、大切にしていたのだろう。だが、何かが違う気がする。そういうことではなくて。

「分からない」

 思考が行き詰まり、正直な気持ちを口にする。自然項垂れた俺の頭にぽんと手が置かれた。そのまま力をかけられ、ぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き回される。前髪が瞼に当たる。払い除けようとして上げかけた右腕に痛みが走り、代わりに言葉で意思を表明した。

「痛いんだけど」

 さっと手が離れていく。左手で前髪を整えながら右に座る少女を見やれば、頬を赤らめながら怒られた。

「人がせっかく慰めてあげようと思ったのにっ!」

 慰めの行為だったのか、と納得する。そして理解した。彼女は慰めるとか、頭を撫でるとか、そういう行為に慣れていないのだと。不器用な優しさだなあ、微笑ましい気持ちになる。

「笑わないでよ」

 絞り出したような声は、羞恥で震えていた。上半身をマリアに向け、左手を伸ばす。その頭に手を乗せ、柔らかな金髪をすくように優しく撫でる。

「笑ってごめん。有難う」

 無言で撫でられ続ける少女を眺めながら、初めて出会った時もこうして彼女を慰めたことを思い出した。そして、よくアリスの頭を撫でたことも。
 胸を走る鈍い痛みに思わず手を止めた。
 俺は一体何をやっているんだろうと我に返ってしまったのだ。アリスは見つからなかった。けれど情報屋の少年は探すと言ってくれた。時間をかかるけれど、金の分の仕事はすると。
 全てがどうでもよく思えた。けれど、アリスが死んだ訳ではない。手掛かりを一つ失っただけ。希望はまだ残っているのに、逃げ出してしまった。何から逃げ出したのかはまだよく分からないが、その選択は正しくなかった。今更それを理解してしまった。
 盛大に溜め息を吐き出す。

「どうしたの? ヘンデス」

 訝しげなマリアに、苦笑を。

「大切なこと、忘れてたのを思い出した」

 勝手に自暴自棄になって、暴走してしまった。アリスの為ならなんでもすると決めたのに。その中にはじっと辛抱強く待つことも、きっと含まれている。

「なんかよく分からないけど。元気になったなら良かったわ」

 まだ頬を上気させながら嬉しそうに口許を綻ばせる少女に、此方も笑顔になる。

「うん。マリアに会えて良かったよ」

 心の底から発した感謝の言葉に、マリアは両手で顔を覆ってしまう。そしてくぐもった声を出した。

「やっぱり女誑しだわ、貴方」
「そりゃどうも」

 軽く受け流せば指の隙間からじとっと睨んでくる。こういう言葉の駆け引きも"普通"っぽくて嫌いじゃない。決して本気にはならないけれど。

 その後他愛ない話しをして、マリアと別れた。さてあいつらの所に戻るべきかと辺りを彷徨きながら思案していたところ、目に映った人影に思わず足を止める。息を押し殺し、気配を消す。その場に留まり動向を注視していたにも関わらず、その少女はすぐに俺の存在に気付いた。視線が合ったと思ったら一直線に此方に向かってくる。
 これはやはり俺を探していたのだろうか。けれど何故彼女なのだ。あの場にはいなかったはずなのに。

「ルーク」

 落ち着いた声に呼ばれ、溜め息を吐き出してから少女の元に向かった。

「何か用?」

 会う度に敵意を向けてくる、記憶読みの少女はそのほっそりとした腕にかけた大きな黒い袋を無造作に差し出してくる。受け取った時予想していなかった重さに、その慣れた重みに、眉をひそめる。

「忘れ物」

 そっと袋の中を覗き見れば案の定と言うべきか、慣れ親しんだ武器を見付ける。

「ご丁寧にどうも」

 どう反応して良いか分からなかった。こうして俺の手に舞い戻ったものは壊れたまま。あいにくと壊れた武器を大事に取っておいて愛でる趣味も余裕もない。正直に言って扱いに困る。
 困惑が伝わったのか、少女は言葉を重ねた。

「シャルから伝言。修復専門の能力者に連絡取ろうか、ですって。普通に直すのは無理だけれど、能力者なら直せるそうよ」

 これは恐らく気を遣われているのだろう。でも、気を遣われる理由はない。

「どうせ金取るんだろう?」

 良い金蔓程度にしか思われていないのを俺は知っている。

「ええ」

 やっぱり、落胆もなくただそう思う。だから、続いた言葉に虚を突かれた。

「大事な物なんでしょう? 親代わりの遺品、のようなものだもの」

 少女は無表情だった。けれどその声には僅か感情がこもっていた。哀れみが、含まれていた。

「な、に?」

 けれどもそれ以上に、彼女の言葉の内容に意識を持っていかれる。

「ごめんなさい。帰ったらアジトにそれがあって。邪魔だから拾ったら、色々見えちゃったわ」

 誠意のない謝罪はどうでもよい。見たって何を見たというのだろう。ぼんやりと押し付けられた袋を眺める。この棒は、一体何を見ていた?
 いっこうに反応をみせない俺の左手を少女は強引に取った。そのまま歩き出す。ひんやりとしたその掌は俺の記憶を読んでいるのだろうか。そんなことを考えながら、けれど振り払うことなく、大人しく後をついていった。


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捏造設定
怪我の治り云々の記述。病院行かなくても治る設定。

 

 

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