流星街



 落ち着いたのは寂れた喫茶店。夜更けも近いこの時間帯、客は俺と少女の他に居眠りしているおじさんが一人。店長は二人分の珈琲を出したあとテレビ鑑賞に移ったから、小声で交わされる会話を聞く者はいない。

「で、何で俺はこんな所に連れて来られたんだ?」

 壊れた武器を視界から外すように足元に置き、左手で珈琲を飲みながら問いかける。まだ用があるなら早く言えと遠回しに促したつもりだった。

「あら、デートに誘っただけよ」

 吹き出しそうになった珈琲を慌てて飲み込む。気管に入って思いきりむせた。

「冗談も通じないの?」

 冷ややかな視線を送ってくる少女を睨み付ける。

「笑えない冗談は止めろ」

 マリアとの他愛ないやりとりが懐かしい。少なくとも彼女との間にはこんな緊迫感は漂っていなかった。

「じゃあ逆に聞くけど」

 滑らかな動きで珈琲を口を含み、少女は俺を流し見る。

「そういう貴方は何で大人しくついてきたの?」

 質問を受けて自分の行動を省みる。確かに普段だったら確実に拒否していた。そこまでいかなくても裏を疑い、もっと警戒していたはずだ。

「なんで、かな」

 分からない。うまく頭が働かない。この一日で起こった出来事が多すぎて、感情の触れ幅が大きすぎて、麻痺してしまったようだった。それでも一つ、伝えるべきことを思い出す。

「そういえば、やめるって言ったの撤回する」

 あの場にはいなかったのに少女は全てを知っているかのように頷いただけ。恐らく誰かから聞いたのだろう。

「良かったわ」

 あげくにそんな感想まで飛び出してきた。露骨に顔をしかめた俺に、少女は溜め息を吐き出す。

「団長、貴方のことを気に入っているから」

 なるほど、基準はクロロなのか、と彼女のことを一つ知る。けれども腑に落ちない。

「なんでクロロは俺にこだわる訳?」

 不思議だった。クロロが俺に何を求めているのか。新団員に求める条件が合っていたのは分かる。それだけではないのだろうか。
 少女はすぐ横にある窓硝子から外を眺めつつ口を開いた。

「餓えていたから」

 よく意味が掴めない。

「外の人間で、同じくらいの年頃の子供が餓えている目をしていたから興味が湧いたんですって」
「へえ」

 思いの外つまらない真相に気のない声が出た。

「そんなの一杯いると思うよ?」

 夜、町を彷徨いてみれば良い。餓えている餓鬼はそこら中に溢れている。

「まあね。ただ、外はもっと明るい場所だと思っていたから」

 どこか妙な言い方だと考える。彼女の台詞を頭の中で反芻し、やっとその単語におかしいと思った。

「外?」

 少女は瞬きを繰り返し、次いで呆れたような声を出す。

「私達皆流星街出身よ。聞いてないの?」
「言われてない」

 少しだけ苛立つ自分がいる。別に彼らについて詳しくなりたいとは思わないが、教えてくれても良いじゃないか、そんな矛盾した思いから眉をしかめる。

「そもそも流星街って何?」
「そこから?」

 うんざりした様子の少女に仕方ないじゃないか、と胸中で言い訳した。俺は世情に疎いんだ。

「流星街はゴミの街よ」

 トーンを落とした声で淡々と語られる。

「あそこには何を捨てても許される。人が住めるような環境ではなかったけれど、そこで私達は育ったわ」

 矛盾した物言いだと感じたが、不思議と納得もした。死が身近なものである環境とは、そういう場所なのだと。そして思う。彼らは盗賊団だけれど、やっている事は昔から何も変わらないのだろう。ゴミの街で貨幣はどんな意味を持つのか。そこに欲しい物があれば、奪い取る。きっとそうして彼らは生きてきた。

「外に出れば、何かが変わると思っていた」

 独り言のようにぽつりと落とされた言葉に顔を上げる。少女は今だ顔を外に向けたまま憂いを含んだ目を伏せる。

「けど、同じね。貴方達も、私達も、同じ」

 なんとも言い難い複雑な感情がわきあがる。同じではないはずだ。少なくとも俺はこの世界で八年平和に暮らせた。この少女は死と隣り合わせであるような過酷な環境で今までずっと生きてきた。決して同じではない。それでも、同じと言われて嫌だと感じなかった自分に気付いて、落ち着かない気持ちになった。

「まあ、根本は全然違うけれど」

 今度はさらりと否定され、もうどう反応して良いか分からなくなる。同意するべきなのか反発するべきなのか、分からない。

「結局何が言いたいんだ?」

 これ以上彼女の話を聞いていたら頭がおかしくなりそうで、強引に割り込む。
 少女は硝子に映った俺を見詰めながら答えた。

「貴方には、家族がいるわ。だから、貴方は蜘蛛にいてはいけなくて、私は貴方を受け入れたくなかった」

 視線を伏せる。そういうことかと納得し、居たたまれなくなる。俺と彼らの一番大きな違いはそこにある。彼らには家族がいないのだろう。生まれた時から傍にいて守ってくれる存在がいなかった。

「俺には家族がいるから、嫌われてたの?」
「貴方は私の欲しいものを全部持っているから嫌い」

 視線を上げれば、いつの間にか彼女は正面に向き直っていた。視線が真っ直ぐ絡む。けれど、言葉とは裏腹にそこには嫌悪も憎悪も存在しなかった。

「家族も、守るべき存在も、力も、全て貴方は持っている」

 結局アリスを見付けられていないあたり皮肉でしかないよな、と苦笑をもらしかけ、途中で気付いてしまった。裏返せば、彼女は持っていないということ。違う。持っていないと思い込んでいるということ。

「お前も全部持ってるよ」

 不思議そうに首を傾げる少女は、どこにでもいそうな普通の女の子のようだった。

「あの盗賊団はお前の家族で守るべき存在だろう? でもって変な力も持ってる。俺は好きじゃないけど、使い勝手はかなり良い能力だ」

 純粋な戦闘には不向きだが、不審者を見付けたり尋問の必要がなかったりと役には立っているだろう。

「そう、かしら」

 少女は時間をかけてゆっくりと俺の言葉を咀嚼し、そして微笑みをこぼす。

「不思議。関係ない人の言葉だからこそ受け入れられることってあるのね」

 あまりにも穏やかに皮肉を混ぜてくるものだから、反応に困る。まあ近々関係ない人になるのだからそれでも構わないけれど。
 しかし少しだけ面白なくない気分になって頬杖をつき、そっぽを向いた。外を親子が手を繋ぎながら通り過ぎて行く。それは、すごく眩しく遠い世界の光景のようだった。

「遺品は違うと思うよ」

 ぽつりと言葉が溢れ出てきた。ここに連れて来られる前に告げられた台詞を、今漸く受け止めることができたのだ。
 視線を足元に移せば、袋から棒の端っこが少しだけ飛び出ている。それを眺めて、気持ちを整理する。それから、ほんの少し悩んで結局正直な心境を口にした。この少女に心を隠しても意味はないのだから。

「これは元から俺の物だから。遺品は正しくない」

 正しい意味の遺品を、俺は一つも持っていない。母さんの持ち物も、親代わりの持ち物も、何も。

「ただ、思い出は詰まっているかもしれない」

 初めて棒をもらってから、親代わりに厳しい指導を受けた。アリスが売られた後も共にあった。親代わりが死んだ時も。辛く、苦しかった事柄を、この棒は俺の傍らでずっと見てきた。
 その能力で同じ記憶を共有してしまった少女は、黙りこんだまま。何を考えているかも分からない。けれど、嫌な能力だな、とは思う。見たくもない記憶を見せられて御愁傷様、といったところだ。

「ま、もう良いよ。壊れた物は仕方ないし」

 思い出、なんてものにすがらなくても、アリスを見付けられればそれで良い。今は素直にそう思える。

「そう」

 素っ気ない相槌に、もう苛立ちはわいて来ない。彼女の態度の理由が判明したから、俺は嫌われたままで良い。

「なら良かった。ただ、ウボォーギンが気にしていたわ」
「ええと」

 誰だろう、と考えて曖昧に返事を濁せば、少女は呆れを含んだ視線を向けてくる。

「武器を壊した大きな男の子。まあ、武器を放り出した貴方にも非があると思うけど」

 あいつかと思い出し、付け加えられた小言に眉をひそめる。大事なものだと思っていなかったんだ。そんな思いを口にすることは流石に躊躇われた。失って漸く気付くだなんて、自分が情けない。
 幸いというべきか、少女はそれ以上は言及してこなかった。尤も、此方の心境を見通しているという可能性は高いのだが。

「気にするなって言っておいて」
「アーティーも言ってたでしょう? 自分で伝えて」

 アーティーは誰なんだろうな。多分最後、彼処を出る時に邪魔を子供だしたろう。そう予想して頷いておく。

「分かった。情報屋にも用があるし、近い内に顔出すよ」
「シャルナーク、ね。貴方、いい加減名前覚えたら?」

 肩をすくめて流した。そこまで親しくなるつもりはないという意思表示に、少女は真っ直ぐな視線を向けてくる。その口許に笑みが浮かぶ。

「貴方は、妹さんを見つけ出したらどうするのかしらね」

 それはまるで独り言のようだった。返事を必要としていないと判断する。だから、沈黙が正しいのだと自分に言い聞かせる。
 少女は笑みを崩さぬまま続けた。

「その時貴方はあっちに戻るのかしら」

 視線だけが外に向けられる。つられて見れば、家路を急ぐ男性が窓越しに視界に映った。
 アリスがいるべき"普通"の、日常の世界はすぐそこにある。

「どちらを選ぶのか、団長が楽しみにしてたわ」

 提示された選択は一つだけだった。もう一つは、名実ともに盗賊団の仲間になるということなのだろうか。そんなことを考えながら、音を立てて立ち上がる。伝票を掴み、最後少女を見下ろす。

「お前ら、趣味悪い」
「ごちそうさま」

 整った笑みで珈琲代を押し付けてきた少女は、何気ない仕草でわざと置き捨てた袋を指差す。

「忘れ物よ」
「要らない」

 必要ない。苛立ち混じりにそう返す。必要なのは、過去ではなく未来だから。
 肩をすくめる少女を横目に金を払って喫茶店を後にした。


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