自覚



 暴れろと命令を受けているので一応屋敷を探索しながら遭遇した人々を殺して歩いた。俺のいる区画は使用人の生活スペースらしい。寝間着姿の一般人がわらわらと部屋から飛び出てくる。
 警備を殺すときの方が気は楽だ。けれど、一般人を殺すときもさほど胸が痛まないことに気が付いた。平和な暮らしを脅かす存在を憎み、恨んでいたのが遠い昔のことのように思えてくる。感覚が麻痺してしまったのか、それとも感覚が今の生活に適応してしまったのか。どちらにしろ、今の俺が平和な暮らしを脅かす側にあることは間違いない。
 漸く静かになった区画を抜け、階段を上がる。誰もいない廊下をのんびりと歩いていたら、上の階からか細い悲鳴と豪快な破壊音が響いてきた。恐らくもうすぐ全てが終わるのだろう。嫌な予感が外れたことに、深い安堵を抱いた。
 マリアがいなくて良かった。
 マリアがいたら、そんな仮定を頭から綺麗に消し去る。今向き合わなくて良いことは考えない。それが逃げだと分かっていながら、一時の平穏を求める自分を許してやる。
 甘い考えに自嘲の笑みをもらしながら、廊下の一番奥にあった扉を押し開いた。自らのオーラを周囲に広げ円をしているから半径1m弱の気配は読み取れる。けれどその必要もなかった。部屋に足を踏み入れた瞬間、右奥にあった天蓋付の寝台から隠し切れない悲鳴が聞こえたのだ。必死に口元を手で押さえているのだろうが、荒い息遣いもはっきりと耳に届く。
 けれどそれよりも何よりも、ピンクを基調にした室内に散らばる可愛らしいぬいぐるみや小物類を目に留め、息を詰めた。明らかに歳若い女の子の部屋にいる人物、それを想像しただけで胸がざわめく。急速に乾いた口内で、舌をなんとか動かす。

「マリア?」

 そんな偶然あるはずないと思いたかった。けれども容易に否定もできなかった。最悪を脳裏に思い描き、如意棒を力の限り握り締める。

「誰? マリアの知り合い?」

 返ってきた声は聞き覚えのないものだった。漸く詰めていた息を吐き出すことができ、呼吸が楽になる。足を踏み出し、寝台に近付く。四方を囲む布を取り払えば、寝台の上に座りながら怯える少女と視線が合った。見知らぬ少女は小さな悲鳴を上げる。血まみれの見知らぬ男を前にした正常な反応だ。

「さあ?」

 恐らく同じ人物を指しているだろうことは容易に推測できた。なにせマリアもお嬢様で同年代なのだ。知っていてもおかしくない。しかし断言はしなかった。マリアに迷惑がかかるといけないから。

「やだ。来ないでっ。助けてママ」

 必死に後ずさり、救いの声をあげる少女を無感動に眺める。
 助けて、そう救いを求める言葉を切り捨てることに、戸惑いを感じなくなったのはいつのことだろう。昔は自分も救いを求める側だった。けれど、応える声がないことを、俺は身をもって知っている。応える義理も、理由も、ないはずだった。
 それでも、見知らぬ少女がマリアに、アリスに重なってしまった。
 小さく諦めのこもった息を吐き出す。あげた布を元に戻し、か弱い姿を視界から遮断する。

「朝までそこに隠れていたら君は助かる」

 理性は賢くない判断だとその行動を責め立てる。顔を見られたんだ。しかも、マリアの知り合いかもしれない。でも、マリアの知り合いだからこそ、見逃したかった。"普通"の暮らしを送るマリアのささやかな平穏を守りたかった。綺麗事だって分かっている。けれど今まで殺した見知らぬ人の平穏なんてどうでも良い。マリアの平穏は大切。それが俺にとっての正しい判断。

「もう嫌だ。助けて神様。ママ」

 うわ言のように呟き続ける少女にそこから動く気配はない。賊に一矢報いるような気力もなさそうだ。それで良い。弱い者はただ蹂躙をやり過ごすことでしか生き残れないのだから。
 静かに部屋を出る。後ろから追いかけてくる救いを求める呪詛のような呟きは、扉を閉めればすぐにかき消えた。
 そのまま少女のことを記憶から消し去り静寂に満ちた廊下を歩く。時折気まぐれに目についた扉を開いてみたが、誰にも会うことなく、階段を上り再び散策に繰り出す。大男と武士風の少年に会ったのはその途中だった。

「よう」

 血塗れの掌を軽く上げて挨拶してくる大男を一瞥し、問いかける。

「楽しめた?」

 侵入する前に察知できた強者と遊んできたのだろうと予想したのは正解だったようだ。歯をむき出しにした笑いが返ってくる。

「まあまあだったな。ちょうど良い準備運動にはなったぜ」

 深くは突っ込みたくない台詞だ。本番相手として狙われている気がしてならない。

「おっ」

 タイミング良く武士風の少年の携帯電話が着信を告げる。そのまま通話を始めたので、廊下の壁に軽く背を預けてじっと待つ。

「ああ、分かった」

 そんな言葉を最後に携帯をしまった武士風の少年は人の良さそうな笑みを浮かべながら俺と大男に向かって口を開いた。

「獲物はこの家の娘が持っているんだと。二階の一番奥の部屋で合流だ」

 深く、深く、息を吐き出す。不思議とあまり動揺はしなかった。それどころか、安堵を感じてさえいた。納得といっても良いかもしれない。
 結局、俺がどう動こうと、あの少女は死ぬ運命にあったのだ。そして、俺がどんなに足掻こうと、ちっぽけな平穏を守るなんていう偉業を成し遂げることは出来ないのだ。俺に出来ることは、ただ平穏をぶち壊すことだけ。その事実を、実感し、納得してしまった。
 再び足を踏み入れた部屋には既にクロロ達が揃っていた。

「ちょうど良いところに。今手に入れたところだよ」

 情報屋の少年の言葉通り、クロロは満足気に瞳を細めながらその掌に乗った小さな何かを眺めていた。それが今回の獲物なのだろう。そしてクロロの足元には倒れ付した少女が置物のようにこの光景を演出している。力づくで価値ある物を奪いにきた盗賊と、価値がないと判断された哀れな少女。この場では彼女の価値は掌に乗るようなちっぽけな物に遥か遠く及ばない。どんな人の命も、それには及ばない。もちろん俺の命でさえ。
 ぴくりと物言わぬ少女の身体が動いた。まだ死んでいなかったらしい。ゆっくりと頭が持ち上がり、死を間近にして澱んだ瞳が空を見詰める。焦点が合っていない。恐らくもう何も見えていないだろう。

「た、すけ」

 持ち上げようとしたのか僅か浮いた手はすぐに力なく床に落ちた。続いて頭も落ちる。それきり動きはなくなり、少女は死体になった。
 俺は、ただ一連の行動を眺めていた。動揺はしていない。だが、冷えきったと思っていた心が、更に凍てついてしまったように固まっていた。その冷静な心が訴えてくる。もうマリアに会う資格はない、と。その事実をありのまま受け止めた。

「行くぞ」

 望む物を手に入れたクロロはもう此処に用はないとばかりに部屋を後にする。それに続く奴らが哀れに放置された死体を振り返ることはない。当然のことだ。俺だって、殺した奴を省みることなんてなかった。けれど、今回は一度だけ振り返る。名前も知らない少女の姿を目にやきつけ、罪悪感も何もわいてこない己を確認し、それから目を背けた。
 少し遅れて廊下に出れば、壁に背を預けて腕組みをしながら情報屋の少年が待っていた。既にクロロ達は窓から脱出したらしい。傍に人気はなく、一つだけ開いていた近くの窓から夜風が流れ込んでいる。

「知り合い?」

 前置きなく尋ねてくる少年は一体どこまで知っているのだろう。マリアのことまで知られていてもおかしくはない。けれど、その情報に価値がなくなったことまではまだ知らないだろう。小さな優越感が、笑みをもたらす。

「いや。俺に知り合いなんていないよ」

 それだけ告げて、窓枠に手をかける。そのまま少年の反応も確かめずに外へと飛び出した。
 下には既にクロロ達の姿は無かった。続いて飛び下りてきた少年に帰ると告げて、目的地へとひた走る。仕事の後に彼らが小さな宴会を開くのはいつものこと。俺が参加しないのもいつものこと。

 辿り着いた公園には、予想と反し、けれど期待通りに少女がいた。

「ヘンデス!」

 俺の姿を認め、泣いていたらしい少女は大きく目を見開いた。そういえば、襲撃後すぐに来たから酷い格好のままだと今更気付く。けれど都合が良いから特に焦ることまなくベンチから立ち上がった少女に近付いた。

「こんばんは」
「こんばんはじゃなくて! なんでいるの、でもなくて! また怪我してる!」

 待ち合わせもしていないのに出会った二人。少女は泣いているし、俺は仕事帰り。まるで初対面の時の再現だ。そんなことを呑気に考えながら、少女の目元に指を滑らせる。

「また泣いてたの?」

 喉をひくつかせ、嗚咽をのみ込みながら少女は恐る恐る俺の頬へと掌を伸ばしてきた。避けることもなくその動作を見守っていれば、ひんやりとした感触が頬を撫でてくる。長い間此処で一人泣いていたのだろう。可哀想に、温もりのないそんな感想を抱く。

「ねえ。ヘンデス。貴方は一体何者なんでしょうね」

 お互い、相手の質問には答えない。けれど、確信があった。この少女は俺の正体に薄々感付いている。此方の事情を聞き出そうとはせず、無理に病院に連れて行ったりもしない。ひどく、薄く脆い関係を、そうと知りつつ二人で楽しんでいた。それも今日で終わりだけれど。

「怪しい人だよ」

 始めから提示していた情報を念押しのように強調し、朗らかに語りかける。

「俺に怪我はないから大丈夫。全部返り血だから。座ったら?」

 俺の頬を撫でていた掌がゆっくりと離れて行く。次の行き先は少女自身の服の裾。ぎゅっと力をこめて握りながら、少女は上目遣いで此方を見詰めてきた。大きな瞳から涙がぽろりと溢れ落ちて、綺麗だと感じる。けれど、その綺麗に価値はない。

「怪しいけど、危なくないよって言ってくれないの?」

 言ったら安心してくれるのだろう。この薄く脆い関係が続いていくのだろう。それを知りつつ否定する。

「もう言わないよ」

 謝りはしなかった。真実を告げることが悪いとは思わない。告げないことが良い場合もあるけれど、今は違う。
 少女は一つ息を吐き出し、両手を握り締める。そして決意のこもった真っ直ぐな視線を寄越してきた。

「良いの! ヘンデスが危ない人でも悪い人でも良いから」

 声は一旦勢いをなくすも、何かにとりつかれたような狂気染みた眼で此方を凝視する。

「私を連れて行って!」

 この場合何処にと尋ねるべきか、何故と尋ねるべきか。そんな選択肢が頭に浮かんできたが、すぐに我に返る。

「無理」

 縁を切ると決めたのだ。深く関わるつもりはない。
 しかし、少女は諦めなかった。涙ながらに言葉を続ける。

「お願いっ。私あんな奴のお嫁さんになりたくないの!」

 勢い良く胸元に飛び込んできた少女は、己の身にふりかかった不幸を切々と訴えてきた。
 地元の名家の一人娘であること。跡継ぎとして決められた男と結婚しなくてはならないこと。初めて会った時は、婚約者との顔合わせの後で己の不幸を嘆いていたこと。今日、来年の結婚式の日取りを告げられたこと。全てが自分の意思を無視して行われていること。

「お願い、ヘンデス」

 甘えた素振りをみせる少女の目を見詰め返しながら、ゆっくりと口許に笑みをつくった。それを認めた少女は確かに緊張を弛ませる。

「ヘン」
「嫌」

 熱のこもった呼び掛けを途中で切り捨てた。状況が許さない無理ではなく、己の意思をはっきりと示す否定の言葉に少女の表情が驚きで固まる。むしろ何故彼女はその提案を受け入れてもらえると信じていたのだろう。恋人でもないのに駆け落ちだなんて普通の神経では受け入れられない。それに俺がここで了承してその後彼女を売るなんていう選択肢もあるのに考え付かなかったのだろうか。あまりに愚かで幼稚な思いつきだ。
 それに、駆け落ちが幸福に繋がらないっていうことを俺は知っている。

「お家に戻りな。それが一番良いよ」

 両親は俺達を産むという選択肢を選ぶべきではなかった。産めない状況にあったのなら、すっぱり諦めるべきだった。そしたらアリスだって産まれてないけれど、それでもあんな死に方をすることもなかったのだから。

「なんでヘンデスまでそんなこと言うの? 私気にしないよ。ヘンデスがどんな人でも本当は優しいって私は知ってるもん!」

 上っ面の慈愛で包まれた薄っぺらい言葉を吐き出すその口を閉じてやりたい。凶暴な思いがその言葉を吐かせた。

「今日、人を殺してきたよ」

 効果は抜群だった。潤んだ瞳を大きく見開き、何かを訴えようと開いていた口を両の掌で押さえ付ける。よろめくように一歩後ずさり、ぽつりと呟く。

「うそ」

 良かったな、と感想を持った。この子が"普通"の子で良かった。もし人を殺していても構わないだなんて言い出したら、俺は彼女を殺していたかもしれない。俺の中の少女は、そういう俺みたいな屑じゃないから。

「本当。これは返り血。多分明日にでもニュースになるんじゃないかな」

 タイミング良く、警察の車が鳴らすサイレンが公園を駆け抜けて行った。その方向を見やり、少女は身を震わせる。誰かが通報していたのだろう。けれど遅過ぎだ。

「違う。違うわ。ヘンデスはそんな」

 うわ言のように呟いた後、何かを思い付いたように勢いよく顔を上げる。

「何か事情があるんでしょう? ね? そうよね、ヘンデス」

 淡い希望にすがる様を白けた目で眺めていたら、自然と微笑が浮かんできた。

「ないよ」

 あるよ。アリスを、妹を、見付けたいんだ。でも、告げない。この少女との繋がりはもう要らないから、希望は全て握り潰さなくてはいけない。

「俺、危ない人なんだ。だから、もうお別れ」
「待って!」

 それでも少女は諦めず、逃がさないと云わんばかりに腕にしがみついてくる。

「好き」

 そして、少女は人殺しに愛を告白した。

「貴方が好きなの、ヘンデス。だからお願い。行かないで」

 声は震えていた。同調するように腕も小刻みに震えている。俯いているからその表情は分からない。
 もしここで俺もだよ、と返して少女を抱き締めてさらっていったら俺と彼女は幸せになれるのだろうか。そんな仮定の未来を想像し、首を振る。無理だった。駆け落ちなんてうまくいくはずがない。平穏な人生を歩んだ彼女は人殺しの俺を受け入れられない。そして何より、そこにアリスはいない。
 優しく、けれど有無は言わさず巻き付いていた少女の腕をほどく。抵抗されたが、微々たるものだった。彼女は弱い。弱いから、愛されて大事にされないといけない。

「さよなら」
「いやっ」

 追い縋る少女を無視して、背を向け走り出す。か弱き少女に追い付けるわけがない。
 本当は殺した方が良いと理解していた。けれど無理だった。情が移ってしまった。あの子には幸せになって欲しいと願ってしまった。少女と別れてから、凍てついていたはずの心が徐々に痛みを訴えてくる。
 別れを告げなくなかった。薄く脆い関係を続けていたかった。"普通"を感じていたかった。そんな"普通"の考えをいまだに捨てられずにいた自分を認めざるを得ない。
 だから、少女ごと切り捨てるしかなかった。繋がりを持ったことを後悔し、反省し、二度と"普通"の人に情は抱くまいと決意することしかできなかった。俺は彼らの平穏を壊すことしかできないのだから。

 歳若い少女が好みそうな華やかな色の家具を集め、ソファには昔アリスが欲しがっていた動物のぬいぐるみを沢山置いてみた。そんなアリスの為に用意した家で、母さんのやり方を思いだしながらプリンを作り、食べてみた。
 十四回目の誕生日。まだ情報屋の少年から連絡は来ない。まだアリスは見つからない。
 食べきって空になった器を眺めながら、思い出すのはアリスの笑顔。それは幸せな記憶のはずだけれど、痛みしかもたらさない。

「ごめん。約束守るの無理そうだ」

 分かっていたはずだった。それでも、と心の中で続けながら机に開いた交換日記の最後のページを指でなぞる。

"迎えにきてくれたら、それからはずーっと一緒だからね"

 頭の中ではアリスの音声でその文章が再生される。その約束は、救いだった。夢だった。ずっとすがっていたかった。現実なんて直視したくなかった。

「無理、だよな」

 たとえ探し出せても、アリスと一緒に平和に過ごしていくことは不可能だ。それを、自覚してしまった。
 けれども、探さなくてはならない。見付け出して、迎えに行く約束だけは果たさないといけない。その思いだけが、今の俺を支えている。
 約束を果たしたら、自首しよう。アリスに別れを告げて、盗賊団を離れて、そしたら。

 情報屋の少年から連絡が入ったのは、誕生日から二週間あまり経った日のことだった。


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