獲物



 試験が始まったのは、会場に辿り着いてから二時間以上経ってからだった。あれから受験者は増え、黒い柵の中は隣の奴の息遣いが不快に思えるほどの人で溢れかえっている。

「受験者数は331名。これから第一次試験を開始する」

 黒い柵の外側に立ち、穏やかな声で宣言した男は、続いて片手を上げた。優雅な仕草で指をぱちりと鳴らす。
 瞬間、神経が尖る。向けられた害意に、反射的に身体が抵抗しようと動くのを、どうにか押さえつける。
 これは試験だ。殺し合いではない。
 まず足場が揺れた。試験官らしき男が上に動いていく。違う。俺達が、黒い柵の内側が、砂漠の中に沈んでいく。緩やかに、穏やかに、沈みきる。
 混乱の渦、奇声にも似た悲鳴が上がる中、その声は不思議と辺りに響き渡った。

「第一次試験はそこから出ることだ」

 素っ気なく言い放ち、男はぽっかりと上空に開いた穴から遠ざかる。すぐにその姿は見えなくなり、100mほどの深さがある砂でできた落とし穴には受験者だけが取り残された。

「どうする?」

 立っているだけなら問題ないのに、踏みしめようと足裏に力を込めれば同じだけ沈んでしまう不思議な砂の大地を確かめながら、傍らに立つ少年を見やる。
 シャルナークは面白そうに周囲を見渡したあと、事も無げに言った。

「もう少し様子を見るよ」

 その後は会話もなく、ただ二人して砂の壁に背を預け、足掻く受験者を眺めていた。
 手をかけて登ろうとしても、砂の壁はすぐに剥がれてしまう。出口に向けて罵声を浴びせても何も返ってこない。
 暫くすると、砂の壁の奥から梯子が見付かった。それに群がる男達。一番初めに手をかけた男が出口に辿り着く寸前、梯子が揺らぐ。試験官の男が梯子を外すのを視界に捉えた次の瞬間、梯子と共に登っていた受験者達が降ってくる。

「性格悪いな、あの試験官」

 隣で呟かれた言葉に同意しようか、真剣に迷った。俺の知る中で一番性格悪い人は我らが団長、そして二番目が今呟いた人物だ。

「次は縄か」

 出口から頑丈そうな縄が投げられる。先程、梯子を外されたばかりで受験者は疑心暗鬼に陥っていた。そんな中、一人の男が先陣きって縄に飛び付く。腕の力だけで縄を登っていく。

「今度はどうなると思う?」

 男を視界におさめ、思わず笑みを浮かべながら呟いた。あの男だったのだ。綺麗なオーラ。俺の暇潰しの相手。

「あいつは合格するよ」

 試験官同様性格の悪い相手が断言したのだ。その言葉を信用し、獲物が無事に登りきるのを見守る。一人が合格したのを確認した受験者達は一気に殺気立った。我先にと縄に群がり、出口を目指す。人の重さで一本の縄は右に左に揺れている。
 その様を眺めながら、そろそろか、と俺も準備に入った。両手を握り合わせ、横に差し出す。

「行くか?」
「うん」

 示し合わせたように頷き合う。シャルナークが目立ちたくないならば、もうすぐ起きるだろう騒乱に合わせて動くべきだ。
 周囲の注意が縄に集中している中、ひっそりと協力料の交渉が始まる。

「50万」
「10万」
「無理」

 安過ぎると拒否すれば、シャルナークは予想していたように笑った。

「30万」
「40万」
「オーケー。40万ジェニーで」

 金額がまとまったのと同時に悲鳴が聞こえる。縄が外されたのだ。
 シャルナークは素早く動いた。その右足が俺の握り合わせた拳に乗る。お互い接触した箇所にオーラを集中させる。シャルナークの重さで少し位置が下がった両の拳を、タイミングを計って持ち上げる。同時にシャルナークは俺の拳を蹴り付けて出口まで一気に飛び上がった。
 反動は全て砂が吸収したため、あまり衝撃はない。踏み台代わりに40万ジェニーは高過ぎたか、と思いながら上を仰ぐ。無事に縄を登りきり出口から落とし穴の底を見下ろす合格者達の集団に、シャルナークがひっそりと紛れこんでいるのを確認してからすぐに視線をそらした。
 さて、俺はどうしよう。

 三回目に縄が下ろされた時、動くことにした。今までの二回は十人程が合格してから縄が外されている。今回もそれに倣うだろうと皆が予想し、一斉に縄に群がる。少し離れたところで混沌を見守る。先頭の受験者が落とし穴から脱出したのを見届けてから、近くにいた男の頭を踏みつけて飛び上がった。
 縄の下方にいた受験者から順にその背中や頭を蹴りつけて上へ上へと登っていく。半ばまで登ったところで縄は外れ、縄にしがみつく受験者達の悲鳴が間近で響く。ペースを上げて、落ち行く受験者を踏みつけ落として飛び上がる。
 もう少しで穴から出れると思った時、穴の縁にしがみつく受験者が行く手に見えた。そいつの手を握り、必死に持ち上げようと足掻く男を認め、唇が歪む。
 飛び上がり、縁にしがみつく受験者の背中を最後、踏み台にしてやる。手が離され、今まで必死に引き上げようとしていた受験者の重みが無くなり、絶望に暗くした男の瞳を至近距離で見ることができた。
 一瞬交わった視線。憎悪に澄みきった真っ直ぐなそれに、満足しながら砂の大地に着地する。

「212番、合格。そろそろ終わりにしますか」

 戯れに飽きたのか気のない試験官の声を聞き流しながら、身体についた砂を叩き落とす。近付いてくる気配に笑みを浮かべ振り向けば、予想通りの人物が目の前に立ちはだかっていた。眼鏡越しに煌く黒の瞳はついさっき間近で見たもの。俺の獲物。
 いきなり胸ぐらを掴まれ、怒りを堪えた低い声が耳に届く。

「何故です」
「何のことだ?」

 余裕をもって聞き返す。静まりかえった空間で、男の歯軋りの音が聞こえた気がした。

「最後、何故あの人を蹴り落としたのか、と聞いているのです」

 言葉は丁寧ながら、口調は荒々しい。
 幼稚な怒気を煽るように肩をすくめてみせた。

「俺が合格するために」
「貴方の実力なら、あの人を落とさなくても合格できたでしょう」

 即座に返ってきた反論は、至極正しい。最後の踏み台は不要だった。けれど、同様にこの男の怒りも不要だということに何故気付かないのだろうか。

「良かったじゃないか。ライバルが一人減って」

 これはハンター試験だ。

「それともお前は自分の合格より見知らぬ奴の方が大事なのか?」

 胸ぐらを掴む手を強引に離す。
 男はすんなりと従い、一歩下がった。しかし睨み付ける視線の強さは増すばかり。

「そういう問題じゃありません」

 ひしりと向けられる敵意に、闘志に、純粋な喜びがわきあがる。この男と、戦いたい。

「助けを求められて、自分に助ける力があって、助けたかった。ただそれだけです」

 助けたかった。胸を打つ響きだ。とても美しく、そして滑稽な想いだ。

「じゃあ、助けられなかったのはお前の力不足だ。俺のせいにするな」

 無念さを身をもって知っているからこそ、言葉で男を打ちのめす。これで折れるような男に興味はない。
 しかし、男は折れなかった。

「ええ。私の力不足です。それでも貴方は間違っている」

 瞳は輝きは増すばかり。
 多分、俺はこういう奴を待っていたのだと思う。昔の俺と似ていて、けれど根本が違う。決して折れない志を抱き、悪に立ち向かおうと足掻く奴を。

「貴方のやり方を、私は絶対に認めない」

 隠しきれない笑いがもれる。訝しげな視線をよそに、右手を差し出した。

「ルークだ。ハンター試験、お前とやれるのを楽しみにしている」

 もう言葉は必要ない。あとは実力勝負だと言葉の裏に匂わせれば、男は渋々ながらも手を握ってきた。

「ウイングです」

 その名を、しっかりと耳にやきつけた。


「帰ろうかな」

 獲物を確認して悦に入っていられたのも束の間のことだった。第二次試験会場に向かう途中、既に帰りたくなっている。

「なんでさ」

 横に座るシャルナークが面白そうに聞いてくるのがまた気にくわない。
 がたっと車両が動き出す振動が伝わり、肩が震える。もう嫌だ。

「なんで列車なんだよ」

 いつの間に用意されたのか、砂の落とし穴のすぐ横に二両編成の列車が停まっていたのだ。ご丁寧に砂のヴェールで隠されていたらしいレールもその姿を現していた。呆然としている内にシャルナークに背を押され列車に乗ってしまったのだが、後悔で吐きそうだ。
 隣で遠慮のない笑い声が響く。

「本当にルーク、列車駄目なんだな」

 列車も電車も駄目だ。身体に伝わる独特の振動が、この箱形の空間が、前世の死を思い出させる。逃げ場のない苦しみを、思い出させる。

「やっぱり帰る。失格でいい」
「まあ待ちなって」

 浮かせかけた腰をがしっと掴まれ、無理矢理座席に座らせられる。本気で震えそうになる全身を、全力で押さえつけるために座席の上で縮こまる。
 シャルナークには、蜘蛛の盗賊団の奴には、みっともない姿を見せたくなかった。

「前世の記憶だっけ? 本当だったんだ」

 前世の記憶がある少女と出会った場にいたシャルナークの他三人には、電車や列車を断固として使わない理由は知られている。パクノダ経由でばらされたと言っても良い。

「疑うんなら勝手に疑え」

 けれどそれを信じる信じないは各自の自由だ。

「いや、疑ってはないよ。ただ、面倒だなって思っただけで」

 俺が座っているのは窓側。視界に映る通路を阻むようにシャルナークが身を乗り出す。爽やかに笑う。

「何する気だ」
「何って」

 出し抜けに伸ばされた腕が傍らの窓を強引に押し開けた。気持ちの良い風が吹き込み、少しだけ気分を持ち直す。
 ああ、なけなしの優しさをかけてくれたのか、と礼を言いかけた時だった。
 縮こまった身体を持ち上げられる。脚の間に挟んでいた如意棒を咄嗟に握り締める。

「そこまで嫌がってるのに無理をさせるのも悪いよなって思って」

 そんな言葉と共に、大きく開け放たれた窓から放り出された。
 浮遊感と共に頭が真っ白になる。

「じゃ、頑張れ」

 窓の向こうからかけられた、これっぽっちも感情のこめられていない声援に、正常な感情が戻ってくる。
 こみあがる怒りに任せて如意棒を地に伸ばし、砂の大地に突き立てた。目の前を通り過ぎようとする列車目掛けて如意棒を蹴りつける。
 なんとか二両目の列車の屋根に飛び乗ることができた。着地した姿勢、片膝をついたまま進行方向を見据える。吹き付ける風に、目をすがめる。

「うわあ」

 落ち着きを取り戻せば、次にやってきたのは驚嘆だった。
 眼前に広がるのは一面の砂。前、横、後ろ、何処を眺めても薄い茶色一色。時折風に紛れて砂粒が顔を、身体を打ち付ける。居心地の良い空間とは言えないはずなのに、それでも身体を突き抜けたのは爽快感だった。
 視界を遮るものが何もない。まるで世界の果てまで見透しているかのような錯覚に、頭がくらくらするような興奮で頬が熱を帯びる。ゆっくりと立ち上がれば、勢いを増した風に全身をなぶられ、痛いはずのそれが生きていることを実感させる。
 視界の隅、一両目の列車の上に現れた人影を認めても、不思議と怒りはわいてこなかった。

「気持ち良いだろ?」

 全てを理解しているかのような問いかけに、静かに頷く。

「うん」

 シャルナークは楽しげに笑った。邪気が読み取れないのは、俺の気分が良いからなのかもしれない。本当はいつものように裏のある笑みなのかもしれない。それでも良かった。今は何も考えたくない。

 きっと、俺はこれからも列車や電車には乗れないだろう。閉鎖的な空間にいれば、否応なく前世の死の記憶に苛まれる。
 けれど、もう怖くない。屋根の上なら平気だ。此処なら何が起きてもすぐに逃げられる。何より吹き付ける風を、目に飛び込む鮮やかな風景を、好ましいと感じることができたのだから。


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