不正解



 俺は木に登り、おおぶりの枝に腰をおろして夜を過ごしていた。
 フィンクスと一緒にいる内に野営に慣れ、苦もなくどこでも眠れるようになったことは僥幸といえるだろう。時折フィンクスが寝惚けて攻撃を仕掛けてくるので、睡眠中、不意の敵意にも反応できるようになった。
 だから、異変にもすぐに気が付いた。

 夕飯を終えた受験者達は、半数が寝床と毛布が用意された山小屋の中に入っていった。あとの半数は俺やシャルナークのように木の上で過ごしたり、山小屋から少し離れたところにテントを張ったりと、警戒しながらも眠りについた。
 そして月が真上に昇った頃、彼らは動き出した。
 気配に目覚めて辺りを見渡した時には、頼りない月と星の明かりの元、既に山小屋は獣達に囲まれていた。まだ100mほどの距離はあるが、獣の脚にかかればすぐだろう。
 ふあ、と欠伸をもらす。だらしなく幹に預けていた背を伸ばして視線を辺りにやれば、少し離れたところで同様に木の上に登っていたシャルナークと目が合った。意思疎通する必要性も感じられなかったので、ふいと視線を外す。
 その時、一際大きな奇声が闇を切り裂いた。空気が動く。既に奇襲に気付いて目を覚ましていただろう外にいた受験者達の警戒が一気に高まる。静かだった山小屋に明かりが灯り、騒がしくなる。
 奇声は呼応するようにその大きさを増していった。山小屋を取り囲む数多もの敵が一斉に宣戦布告するように喉を震わせる。
 耳を塞ぎながら口の中で呟いた。

「魔獣か」

 その鳴き声はただの獣のものではない。もっと人に近い、雄叫びといえるものだった。
 知性ある獣、魔獣は示し合わせたように一瞬静まる。しんと冷えた夜の空気に、緊張が走る。そして次の瞬間彼らは動き出した。
 円状に包囲していた魔獣達は、一斉に山小屋目掛けて突き進む。さして音は立てていないはずなのに、闘志剥き出しの獣の集団が移動する様は、獲物を脅えさせるに充分だった。
 山小屋から数人が飛び出てくる。迫り来る脅威に混乱し、やみくもに森の奥深くへと逃げ出す。しかし、すぐに魔獣と鉢合わせ、哀れな悲鳴を響かせたあと動かなくなった。
 魔獣は邪魔する者を排除しながら、一目散に山小屋へとなだれ込む。丸太でできたそれは大きく揺れたあと、崩れ落ちた。そのまま受験者達と魔獣の乱闘が始まる。

「うわあ。呆気ない」

 同じ木に飛び移って来たシャルナークが山小屋を見詰めながら呟いた。同じものを見ながら、問いかける。

「あれ、何?」

 何を聞かれるのか予想していたのだろう。答えはすぐに返ってきた。

「クワンジン。集団行動を好む夜行性の魔獣で、普段は大人しいんだけど好物の匂いに反応して凶暴化する。因みに好物はクワンの実で、果汁は青色だ」
「なるほど」

 小瓶に入っていた液体の色を思い出して納得する。あれがクワンの実の果汁だったのだろう。その証拠にクワンジン達は俺達には一切目もくれず、小瓶を持った288番に群がっている。

「じゃ、お休み」
「ああ、お休み」

 俺とシャルナークは挨拶を交わして、再び夢の世界へと誘われることにした。騒々しい悲鳴を子守歌にして。

 翌朝、朝日が昇る気配に目を覚ませば既にクワンジンはいなくなっていた。山小屋があった辺りに黒い毛を血で濡らし、死体となったクワンジンが十体ほど横たわっている。
 視線をめぐらせれば、生き残っている受験者もいるようだった。意外にしぶとい。そしてもちろん、その中にウイングもいた。
 視線に気付いたようでウイングが俺のいる木を見上げる。眼鏡に太陽光が反射して、その表情はうまく掴めない。それでも、笑いかけてやれば、怒りのこもった厳しい眼差しを向けてきた気がした。

 生き残った受験者七人が山小屋のあった場所に集まった。その中に小瓶を持っていた288番はいない。代わりにウイングがネックレスを首にかけている。

「成り行き上、私がこれを持っていましたが、他に希望者がいれば渡します」

 昨晩の惨事で皆が気付いている。クワンジンは小瓶目掛けて襲撃していた。その証拠に、山小屋の外にいた受験者の大半が無事だった。
 沈黙が答えとなる。生け贄を捧げて自らの命を守ろうとする行為は善ではないが、間違ってもいない。
 それでも、ルールが悪を糾弾する。

「皆でさ、ウイングを守ろうぜ」

 ウイングの他に山小屋にいながら唯一生き残った受験者である69番が声をあげた。賛同する者は誰もいない。

「おいっ。お前ら全部ウイングに押し付ける気かよ! いくら強くたって昨晩と同じくらいの数で来られたら分かんねえだろっ。大体もしウイングがやられたら誰かが小瓶を持たなきゃ全員失格になるんだぜ?」

 一つ目のルールがここにきて意味を持ってくる。失格を拒む為には小瓶を持つ人物が生きていなくてはならない。知らぬ顔をすることを許さない。

「でもさ、ウイングさんが死ぬとは限らないんじゃない?」

 女の身でただ一人残った受験者が代表するように声をあげた。

「べつに皆でウイングさん守る必要もないし。死んだらその時一番近くにいた人が小瓶を譲り受けるって決めておけば良いんじゃないかな?」
「てめっ」

 続く言葉に69番の男が殺気立つ。

「貴方もそう思わない? ルークさん」

 突然話をふられ、全員の視線が突き刺さった。
 面倒なことをしてくれた女を睨み付けてから嘆息する。

「どうでも良い」
「なんだと?」

 短気な69番は面倒臭いが、それほど嫌いではない。すぐに手が出るフィンクスに比べれば可愛いものだ。
 笑みを返しながら皆を見渡す。

「言っただろう? 合格には興味ないんだ。それにウイングが死のうとどうでも良い」

 此処で死ぬ程度の奴なら戦う価値もない男だというだけの話だ。

「続きは皆さんでご勝手にどうぞ。昨日宣言した通り、どんな状況になろうと俺がそれを持つことはない」

 反応をみることなく、くるりと背を向けて地面を蹴りつける。近くの木の枝に着地し、瞼を閉じながら続く口論に耳を傾けた。

「俺はお前の為に命かけたりなんかしねえぞ」
「おい! 我が身可愛さにウイングを見捨てるっていうのか?」

 小瓶を持つウイングを餌に自分だけは安全なところで過ごしたいと主張するのは、トンパと女、そして男の受験者が一人の全部で三人。シャルナークは傍観に徹しており、69番だけがウイングを守ろうとしている。
 69番とウイングの二人では正直クワンジンの集団を相手にするのは厳しいだろう。ウイングだけなら生き残るかもしれないが、69番は90%の確率で死ぬ。
 仲違いしたまま夜になり、山小屋のあった場所にウイングと69番は根城を構える。俺を含めた他の五人の受験者はそれぞれ二人を視認できる距離で息を潜めていた。
 そして、クワンジンがやってきた。
 真っ先にウイングの元へ走るかと思われた群れ。けれど、今回は少し違った。ウイングへの攻撃が一番激しいことは確かだが、散らばる受験者に向かっても一様に牙を向く。
 座っていた枝の上に立ち上がり、如意棒をくるりと回す。器用に枝を蹴りつけながら木を登ってきたクワンジンを叩き落とす。

「クワンの実っ」

 叫びながら背後から登ってきた別のクワンジンを如意棒で突き落としたあと、それが発した言葉の意味を考える。
 そして、気が付いた。俺達受験者達は、基本的に三食を共にしていた。そこで小瓶からクワンの実の匂いが移っていてもおかしくない、と。
 正解は、全員で固まりながらクワンジンを迎え打つことだった。
 夜は長かった。早々にトンパと女は逃げ出し、男が一人死んだ。クワンジンの群れは俺とウイング、そして69番を狙い打つ。ひたすら数の減らないクワンジンを木の上から落とし続ける。
 朝日と共に群れが退却を始める頃には、流石に肩で息をしていた。

「お疲れ」

 木から降りれば、涼しい顔をしたシャルナークが隣に並んでくる。木がなぎ倒され、拓けた土地で寝転がるウイングと69番が視界に入った。69番はウイングが守りきったらしい。

「どんな魔法を使ったんだ?」

 傷一つなく衣服の乱れもないシャルナークは、赤くぶつぶつとした実を手にしてにっこり笑う。

「クワンジンはさ、クワンの実の匂いで凶暴化して、ジンの実の匂いで沈静化するから、クワンジンっていうんだ」

 そして落ち着いた声音で今回の試験のもう一つの正解を口にした。


 第三次試験の合格者四人は、今度は飛行船に詰め込まれた。各自与えられた個室で休息を取っていれば、アナウンスが入り一人ずつ部屋に呼ばれる。
 俺は一番最後に呼ばれた。そして部屋に入れば、小さな空間に机が一つと椅子が二つ。必要最低限の物しかない簡素な部屋で、椅子の一つに白い髭を生やした老人が腰かけていた。

「おお、来たか」
「何者だ?」

 鷹揚な態度で出迎えた老人は、底知れぬオーラの持ち主だった。好好爺然とした面構えの中、此方を射抜く両の瞳の奥のあるものが読み取れない。
 オーラを研ぎ澄ませ、警戒しながら席につく。

「わしはネテロだ。ハンター協会会長なんてもんもやっておる」

 正体が判明したが、気は抜けなかった。今までの試験官とは格が違い過ぎる。戦略抜きの純粋な力比べなら団長よりも強いかもしれない。

「受験番号212番、ルーク。これは何だ?」

 自然と口数が少なくなる。一方のネテロは楽しそうに笑いを溢した。

「まあ、最終試験の前の面接みたいなもんじゃよ」

 次はもう最終試験らしい。随分と呆気ない、と肩透かしをくらった気になりながらも緊張を解いた。最低限の警戒は保ってはいるが、面接ならば気負う必要はないだろう。

「まずは受験の動機を教えてもらおうかの」
「暇潰し」
「ふむ。次は」

 適当な答えをネテロは軽く流した。

「他の受験者の印象を聞いておこうかの」

 白い髭をさすりながら何事もなかったかのように続けられた質問に、三つの顔を一つずつ思い浮かべる。

「211番は食えない奴。69番は短気。あと、ウイングは」

 口許に浮かぶ笑みを堪えられない。ネテロがぴくりと眉を動かしたのをみて、殺気がもれ出ているのだと気付く。わざわざ教えてくれたのだからと、闘志を身の内に閉じ込めてから続けた。

「面白い奴だ」

 質問はその二つで終わりだった。あっさりと退室を命じられて自室へ戻る。それからは如意棒をいじくりながら長すぎる退屈な時間を過ごした。
 そして飛行船に乗せられてから四日目の朝。目的地の屋上に飛行船の着陸場があったらしく、そのまま何処かも分からないまま建物の中に入り、だだっ広い一室に案内される。部屋の中央で皆の注目を集めたネテロは、厳かに口を開いた。

「最終試験の内容を発表する」

 程好い緊張に包まれた室内に、その声は低く響いた。

「今年の合格者は受験者たちに選んでもらうとするかの」


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