受験者四人は二組に分けられた。俺とウイング、そしてシャルナークと69番。この組分けはネテロが独断で行ったもので、異議は認められないらしい。
そしてそれぞれ別の部屋に案内された。先程の宣言がなされた部屋と同様の広さを持った大部屋には、向かって左側の壁に扉があり、中央奥にはスピーカーがついている。
俺とウイングがその部屋に入ってすぐに入り口の扉は閉められ、鍵のかかる音がした。そしてスピーカーからネテロの声が響きわたる。
「それではこれより最終試験を始める。ルールは簡単じゃ。12時間後にわしがお主らに合格者となるべき者は誰かを問う。自分か相手かどちらかを選べば良い。答えが一致すれば、その者が合格じゃ」
ぷつりと機械音がしてスピーカーの音は途切れた。訪れた静寂の中、耳はかろうじてその呟きを拾った。
「あの人は」
忌々しげな響きに片眉を跳ね上げる。
「知り合いか?」
問いかけたことで、己の呟きが声になっていたことに気付いたらしい。ウイングは驚いたように顔を上げたあと、唇を歪めながら渋々答えた。
「ええ。私の流派、心源流拳法の師範でもありますし、師匠の知り合いですから。お会いしたことはあります」
「へえ」
会話が途切れたのを機に、最終試験について考えを巡らせる。
受験者に選ばせるという分かり易い方法は、その実ひどく曖昧だ。どういう方法で結論を得るかは全て受験者に任されている。双方が納得した上で決めなければ、12時間後の選択の時に裏切られる可能性が高い。自分の合格が得られないならば、相手も道ずれにしてしまえと思考が働くことはごく自然だ。心理戦ともいえる。
「ま、いいか」
相手に聞こえるようもらした呟きにウイングが反応する。此方に注意が向くのを確認してから、ウイングに向き直る。
「俺は合格には興味ない。だから、お前にやる」
眉をひそめる様を認めてから如意棒を抜き取り、ウイングへとその先を向けた。
「俺に一発入れられたらな」
合格なんてどうでもいい。けれど、彼と戦いたかった。そこに強くなるヒントが隠されているのだと、直感が訴えてくる。
「一発入れるだけで良いんですか?」
挑発文句を吐きながら静かに動いたウイングの構えに隙はない。武術家として厳しい訓練を積んできたのだと分かる綺麗な構えだ。だが、今はそれだけ。
「俺の方がお前より強いから、ハンデは必要だろう?」
実戦の経験は、確実に俺の方が上だ。
ウイングははっきりと眉根を寄せて不快感を示した。そして挑発に乗ってくるかと思いきや、構えはそのままに押し殺した低い声を絞り出す。
「ええ、貴方は強い」
言葉以上に何かを含んだ響きだった。
「強いのに、力があるのに、何故貴方は全てを見殺しにしたのですか!」
怒りが迸り、オーラが揺れていた。ウイングは声で視線で、全身で俺への敵意を示してきた。
漸く気付く。これは第一次試験でした問答の続きなのだと。
「貴方が蹴り落とした第一次試験での受験者。第三次試験では山小屋にこもっていた受験者の大半を見殺しにした」
「第三次試験では俺以外の受験者も傍観に回っていただろう? 自己保身に走って何が悪い」
ウイングは揺らがなかった。変わらず俺を正面から見据え、睨み付けてくる。
「貴方は違う。貴方は保身を図る必要もないほどに強い」
「買いかぶりだ」
ハンター試験の受験者の中ではずば抜けて実力があるのは理解しているが、蜘蛛の盗賊団の中にいれば劣等感に苛まれるばかりだ。己が弱いことくらい、骨身にしみるほど知っている。
「あのさ、もういいだろう?」
呆れを隠さず如意棒を構え直した。
「口で争ったって何も解決しない。価値観が違うんだ」
頬を弛ませ、笑みを向ける。
「決着は、これでつけよう」
静かに瞼を閉じたウイングは、深呼吸を挟んでから強い闘志をたたえて見据えてきた。
「武の道を志す者として、貴方を認めるわけにはいきません」
一本筋の通った主張は、耳に心地よい。
俺も昔は信じていた。悪を憎み、疎んじていた。親代わりのやり方を、否定していた。
遠い過去を思い出し、こみあげるのは嘲笑。幼き日の自分への。
一瞬で距離を詰め、力の限り如意棒を振り回す。肘で防がれたが、みしりと骨のきしむ音がした。フィンクスより弱い。そんな評価を下す。
「綺麗ごとはさ、力を伴わなければ薄っぺらいんだ。知ってたか?」
親代わりを否定しながらも、その保護下になければ妹を守れなかった。俺の力は、正しさを守れなかった。
ウイングは痛みに表情を歪めながらも睨み付けてくる。
「知って、いますよ!」
片足を軸に放たれた上段蹴り。一歩下がり、如意棒を上から振下ろす。オーラを足に集中させた蹴りは、けれども如意棒の威力を下回った。体勢を崩しながら派手にぶっ飛び、ウイングの背は壁にぶち当たる。衝撃で眼鏡がずり落ちる。
「弱いな」
念能力の基礎は叩き込まれているのだろうと分かる動きだった。だが、まだ粗削り。オーラの配分も、攻撃の仕掛け方も、蜘蛛の盗賊団の奴らに比べれば拙稚に過ぎる。
己の力を示してくれた如意棒の表面を愛しむようになぞった時だった。
「まだまだです」
如意棒から視線を移した先、ウイングは戦闘を始める前と寸分違わぬ綺麗な構えをしていた。壁の損傷からしてそれなりに負っているだろうダメージは全く感じられない。
「暇潰しにはなりそうだな」
笑みと共に如意棒を構える。今度はウイングから攻撃を仕掛けてきた。
自分の間合いを維持しながら、如意棒をくるくる回す。ウイングの拳を、蹴りを、全て受け止め弾き返す。時折吹っ飛ぶウイングは、その度に何事もなかったように立ち上がる。
技は粗削りながらも、そのスタミナは大したものだった。
吹っ飛ぶ回数が二桁を越えたウイングに向けて、警戒しながらも軽口を放つ。
「随分頑張るな」
言葉通りの賞賛も混じった声に、ウイングはかすかに笑った。
「師匠の拳の方が重いですから」
やられ慣れているらしいウイングの放った台詞に虚構は感じられない。事実俺の攻撃は彼の師匠より軽いのだろう。俺より強い奴を頭に思い浮かべれば、自然と苦笑がもれる。
「世の中には案外化け物がうじゃうじゃいるからな」
蜘蛛の盗賊団一の化け物といっても良いウボォーギンの拳は、俺では到底敵わない。いくら彼の師匠が強いといってもウボォーギンよりは弱いだろうと予想する。
「同感、です」
立ち上がったウイングは眩暈がしたのか一瞬ふらつく。それでもすぐに体勢を立て直し、構えた。突き刺さる闘志の増した眼差しに、総毛立つ。
不屈の精神。これを、俺は知っている。そう思った瞬間、苛立ちにも似た激情がわきあがった。
衝動のまま床を蹴り、一気に距離を詰める。突き出した如意棒は、ウイングの腹に刺さった。勢いのまま壁にウイングをはりつける。腹に貫通はしなかったが、苦しそうな呻き声があがったことに満足して、如意棒をぐりぐりと腹筋に押し付けた。
「でもさ、そろそろ降参しないか。もう分かっただろう? 俺はお前の師匠より弱いかもしれないが、お前に一発入れられるほどには弱くない」
スピーカーの横にある時計に視線を走らせる。既に五時間が経過していた。試験時間は半分も過ぎていないが、諦めを知るのには充分な時間のはずだ。
けれどそれは俺だけの感覚だったらしい。ウイングは如意棒から逃れようと必死にもがきながら口を開く。
「まだまだ。あと七時間もあるじゃないですか。充分です」
何の勝機も掴めていないくせに己の力を、そして勝利を信じているのだと、その表情は雄弁に語ってくる。
「何でだろうな」
思わず口からこぼれたのは張りのない声だった。まるで泣く寸前のようだ、と他人事のように思う。
「何で、お前らはそんなに強いんだ」
腹に刺さった如意棒を必死に押し留めながらも、やはりウイングの表情に諦めは欠片もない。そこに不思議そうな色が加わったのをみて、如意棒を片手に持ちかえ左の拳で頬を殴り付ける。
それでもウイングは、殴られたこと自体がなかったかのように平然と俺を見返してきた。
「意味が分かりません。貴方の方が強いでしょう」
すんなりと実力を認めてくる。そこに卑屈さなどない。あるのは、ただただ強き高みに挑もうとする気概のみ。俺のやり方を否定しようとする志が、それを支えている。
「いや。お前の方が強い」
言いながら、今度は左手に如意棒を持ち替えて右の拳で殴り付ける。
堪らなく惨めな気分だった。ウイングより俺は強いはずだ。それは実際戦ってみて、よく分かった。それでも勝てる気がしなかった。
初めて蜘蛛の盗賊団として仕事をした時を思い出す。あの時フィンクスは、格上の念能力者に決して屈しなかった。決して折れない強さがあった。それは俺には無いもの。今必要なもの。求めて求めて、しかしフィンクスと一緒にいても得られなかったもの。それを、ウイングは持っている。
再び殴れば、眼鏡が吹っ飛んだ。音を立てて床に落ちる。
「何でお前は諦めない」
きっと俺は、フィンクス達蜘蛛の盗賊団の奴らより、ウイングの方が近い。だというのに何故こんなにも違うのか。
ウイングの素の瞳に俺が映る。その顔は歪んでいてひどく醜く、まるで負け犬のようだと思った。
「貴方は、何故ハンター試験を。いや、違いましたね。貴方はハンター試験に興味はない。ならば、貴方は何故強くなろうと思ったのですか?」
如意棒に力が加わる。いつのまにかウイングの右手が如意棒を掴んでいた。どこにそんな力が残っていたのかと不思議に思う程の強さに、如意棒を掴んでいた左手が震える。
「奪われたくないから」
それでも必死に虚勢を張って答えを絞り出す。
四番を、蜘蛛の盗賊団での居場所を、奪われたくない。
「貴方は何をそんなに怯えているのですか?」
静かな声だった。苛立つほどに余裕をもった、此方の間違いを教え諭すような声音だった。
無傷の俺に、ぼろぼろになったウイング。確かに優位にあるはずなのに、精神的に圧迫される。
「何をって」
弱ければ、蜘蛛の盗賊団にはいられない。常に入団希望者より強い存在であることを求められる。それでも良い。簡単に替えのきく存在だと、俺自身は必要とされていないと、判断されるよりはずっと良い。
俺は、アリスにそうされたように、簡単に切り捨てられることを恐れている。
「違う」
ぽつりと溢した独り言に、ウイングは目を瞬かせた。意味が分からなかったのだろう。当然だ。
「アリスは違う」
声に出して己の愚考を否定する。
アリスは俺を兄だと認めてくれた。いつまでも、たとえ俺がどんなことをしていても、兄だと言ってくれた。だから、切り捨てられてなんかいない。
そこまで考えて、安心できて、一つ思い出した。ずっと忘れていたこと。まだアリスが傍にいて、親代わりもいた時のこと。
「そうだった。俺、アリスを守るために強くなったんだ」
忘れていた想い。妹を守るためならば悪事に手を染めることもいとわなかった。何をしても強くなると親代わりに誓った。
「貴方の大事な人ですか?」
割りいる声に思考を邪魔される。
ふらつきながらも壁から背を離したウイングは、腹に突き刺さっていた如意棒を両手で掴んだ。咄嗟に引き寄せるも、びくともしない。
「貴方のような人にも、大事な人がいるんですね」
血が滲んだ唇から出る声は、落ち着いている。
「意外か?」
憎まれ口を叩く声に勢いはなかった。
「いいえ。守れなかったんですか? アリスさんを」
落ち着いた声音で古傷を抉ってくる。真っ直ぐな視線は、目を反らすことを許さない。
「ああ」
今ウイングが考えているだろうことは簡単に予想がついた。ウイングの中でルークという男は、大事な人を守れず、その挫折のせいで歪んでしまった可哀想な人にでもなっているのだろう。その証拠に、黒い瞳は闘志にもえながらも、同情の色が混じっている。
「お気の毒に」
少しだけ首をひねる。まるでアリスが死んでしまったかのような物言いだ。しかし訂正するのも間抜けな話なので、無言で如意棒を引っ張った。同じだけの力で引き返され、びくともしない。
「けれど、貴方が大事な人を守るために力を欲したというならば、やはり私は今の貴方は間違っていると思います」
「お前に何が分かる」
ウイングが如意棒を引く力はどんどん増していく。じりじりと掴む位置がずれていく。冷や汗がたらりと流れる。
「何も。けれど、言えることはあります。ルーク。貴方、私と一緒に来ませんか?」
思いもよらぬ言葉に虚を突かれた。その隙をウイングは見逃さない。
ぐいっと一気に如意棒が引っ張られる。視界の端に浮きかけたウイングの片足が映る。防御のために右手を離した瞬間、如意棒はウイングに引き寄せられて、掴んでいた左手が浮きかけた。
その一瞬、意識を部屋の四隅に設置されたカメラにもっていかれた。ここで左手を如意棒から離してしまえば、オーラでできた如意棒は消滅してしまう。監視された環境下で能力を晒してしまうことだけは避けたかった。具現化した武器だと知られたくない。
左手で如意棒を握りなおす。そうなると自然にウイングへと引き寄せられた如意棒と共に俺の重心も移動し、体勢が崩れる。
そこを狙ったウイングの蹴りは、綺麗にきまった。
「お前っ」
鳩尾に走る痛みに、膝から床に崩れ落ちる。ウイングが手を離したため、すんなりと如意棒が手元に戻ったことだけが救いだ。これで能力まで割れてしまったらと思うと、寒気がする。
「ほら。あと七時間も要らなかったでしょう?」
勝ち誇るように言葉を発したあと、ウイングも少し離れた場所に座り込んだ。肩で息をしながら近くに落ちていた眼鏡を拾い、元通りにかけ直す。片方のレンズがひび割れた眼鏡はひどく不恰好だったが、表情は晴れ晴れとしていた。
「なんで分かった」
ウイングの攻撃は、俺が如意棒を手放さないことを前提としたものだった。
「まずそれですか。少し休みませんか? 流石に疲れました」
実際、ウイングの身体はぼろぼろだった。服は破れて、さらされた肌には痣が目立つ。だらんと横に垂らした左腕は折れているかもしれない。
それでも、最後の馬鹿力を絞り出したのだ。
「答えろ」
力尽きたように寝転がったウイングは、ゆっくりと休息を取るように瞼を閉じて浅く息を吐く。そうして呼吸を整えてから口を開いた。
「私を素手で殴る時も貴方は決して武器を放り出さなかった。だから、何か理由でもあるのかと思いまして」
思わずウイングを凝視する。
「それだけか?」
「ええ。まあ賭けでしたね。普通に不測の事態に備えて武器を手放さなかっただけならば、私の負けでした」
天井を仰いで片手で瞼を覆う。こみあげる悔しさを堪える。
「まあ、でもまだ時間はありましたし。負けても良いから色んな手段を試してみようと思ったんですよ」
瞼を上げて首を傾げ、爽やかな笑みを見せてくる。
やってられない。そんな拗ねた気持ちで立ち上がり、声を上げた。
「試験官。何か食べたい。まさか12時間飲まず食わずでいろなんて言わないよな?」
何処かで様子を見ているだろうネテロに向かって要望を口にすれば、入り口とは別の扉から鍵の開閉音がした。
「そっちの部屋に必要な物は揃っておるぞ」
スピーカーはそれだけ伝えて、すぐに音声が途切れる。
早速行こうとウイングに背を向けた時だった。
「なんか流されている気もしますが。さっき言ったことも本音ですよ」
足が止まる。訳もなく落ち着かない気分になる。それを悟られたくないから、背を向けたまま答えた。
「忘れた」
違う。深く考えたくなかった。
「ではもう一度」
「やめろ」
覇気のない声は、ウイングを止める力を持たなかった。
「私と一緒に来ませんか? ルーク」