『幻影旅団に入らないか?』
力強い声が頭の中で甦った。ウイングと同じ、黒い瞳を持った少年。ウイングとは違い、いまだに得体の知れない少年。
「きっと師匠は貴方を受け入れます。貴方は強い。そしてまだまだ強くなれる。力の使い方さえ間違えなければ」
団長は、ありのままの俺を欲してくれた。悪事をなす俺を、肯定してくれた。
『分かった。一緒に探そう』
『仲間になれ』
『そしたら助けてやる』
妹を探し出すと約束した。その約束は、果たされた。
「一緒に行きましょう? 貴方の大事な人も、きっと貴方が正しい道を歩むことを望んでいます」
アリスは、正しい道を歩まなくても良いと言ってくれた。悪いことをしても良いと。自首することは許さないと。
色鮮やかな思い出を甦えらせてくれたウイングへと、背を向けたまま声をかける。
「なあ。もし昔の俺が昔のお前に会って、『拐われた大事な人を見付けに行くから助けてくれ』って言ったら。その時ただの他人でも、助けてくれたか?」
期待を胸に、問いかける。
親代わりが死んだ日、飛行船乗り場の従業員に助けてくれと懇願して、冗談だと思われたことを思い出した。期待を抱き、諦めを知った昔の自分は、独りでアリスを救うことを誓った。
一拍置いて、澄んだウイングの声が耳に届く。
「助けます」
余計な言葉はなかった。何の見返りも要求せず、ただ意思だけを表明したその言葉は、本当にそうするのだろうと信じてしまいそうになるほどに真摯だった。
「ありがとう」
自分でも驚くほどの穏やかな声が出る。奇妙なほどに心は凪いでいた。じわじわとこみあげる優しい気持ちに、胸が温まる。
ぽつり、と足元に何かが溢れ落ちた。ぽたぽたと続けて落ちるそれに、目を瞬かせる。唇に湿ったものが当たり、舌で舐めとってからやっと気付いた。
涙。
悲しいわけじゃない。純粋に嬉しくて、どうすれば良いか分からないほどに幸せだから出た涙だった。久しぶり過ぎて、止め方が分からない。
鼻をすすり、右腕で涙を拭う。
「ルーク?」
背後からの呼び掛けには驚きが滲んでいて、気付かれたのだと理解する。けれどどうしようもなかった。次々に溢れ、流れていく感情は際限を知らない。
近付く気配がして、肩に手を置かれた。
「もう、貴方は独りじゃありません」
狙ったかのようにかけられた優しい言葉に、心中で呟く。
違う。そうじゃない。だけど、その通りだ。
混乱しているようでいて、頭の中はすっきりとしていた。ウイングのおかげで、大事なことに気付けた。大事なことを思い出せた。
無理矢理顔をあげ、涙でぐちゃぐちゃになった視界にウイングを入れる。
「有難う、ウイング」
自然に浮かんだ笑みは、壊れた眼鏡越しでも分かったらしい。ウイングの気配が柔らかくなった。そっと肩を押され、扉へと足を向ける。
「どう致しまして、ルーク」
達成感に満ち溢れた声を聞いて、また笑みがもれた。
入り口からみて左側にあった扉を開ければ、小さな休憩室が設けられていた。用意されていた軽食を二人で食べながら、ウイングが一方的に話す彼の師匠の話を聞き流す。
少し理不尽なところもあるが、優しい師匠。少し自分の趣味に走ったりもするが、強い師匠。少し見た目に驚くかもしれないが、尊敬できる師匠。
文句を言いながらも、語り口はとても柔らかい愛情に満ちたものだった。
「貴方にも師匠のような人はいましたか?」
出し抜けに問われ、考えながらも小さく頷く。
「いた」
ここはウイングの望む答えをやろうと如意棒を撫でながら続けた。
「強い人だった。多分今の俺の方が強いけど、昔の俺はあの人に勝てる気がしなかった。あまり自分のことを話したがらなかったから、あの人が何を考えていたかは今でもよく分からない。だけど、あの人に守られていたのは確かだな」
如意棒を作ろうと考えついた時のことを思い出しながら言葉を紡いだ。あの時はまだ、アリスが売られていなかった。親代わりのなけなしの愛情を信じていた頃の、愚かな記憶。
「そうですか」
どこか嬉しそうに同意したウイングは、言葉を続ける。
「師匠のことも、きっと気に入ってもらえると思います」
ウイングの頭の中では、俺の弟子入りは決定事項らしい。否定はせず、ただ慣れた笑みを作りながら内心で呟いた。
早く俺達のホームに帰りたい。
「では、問う」
時間になった。先程戦闘をしていた広い部屋に戻り、スピーカーから流れる音声に耳を傾ける。
「どちらがハンターにふさわしいか」
横に並んだウイングと視線を合わせる。同時に頷き、スピーカーに向き直る。呼吸を合わせて息を吸い込み、口を開く。
左手に持った如意棒をしっかり握り直した。
「168番」
「212番」
答えは重ならなかった。
自分の番号を告げたウイングが驚くように此方を見やる。
「両者、不合格」
厳かにスピーカーが発した宣告に満足しながらウイングに向き直る。
「有難う、ウイング。お前のおかげで、もっと強くなれそうだ」
何故俺が如意棒を作ったのか、強さを求めた過去の己の心を思い出させてくれた。
団長の言葉の有難さも教えてくれた。蜘蛛の盗賊団に入った当初は反発しかしなかったけれど、今ならあの言葉を素直に受け入れられる。本人の前では絶対に喜びを表したりしないけれど、ウイングの言葉を団長の言葉に頭の中で置き換えてみたら、涙まで出てしまった。
そして、独りではないと言ってくれたこと。その通りだ。俺はもう独りじゃない。俺は、蜘蛛の盗賊団の四番なのだ。仲間がいるのだ。ずっとそこにあった事実を、今漸く認識し、受け入れることができた。
過去の自分、今の自分、それぞれを正しく認識して、初めて新たな道が開けた気がする。新しい強さを求められる気がする。
初対面の時の直感通り、強さのヒントをくれたウイングには、いくら感謝しても足りない。だからこそ、それを行動で示してやろう。
「だから、お礼に教えてやる」
唖然としているウイングに、とっておきの笑みを。
「悪い奴は改心しないんだよ。ついでにいえば、悪い奴は大抵嘘つきだから信用するな。これからは気を付けろ」
身をもって知っておけば、これからの人生で必ずや役に立つはずだ。久しぶりの善行に満足感を抱き、現実を受け入れられず唖然としているウイングが正気を取り戻す前にその場を後にした。
ハンター試験は最終試験で不合格。きっとシャルナークは合格しているだろうし、俺は暇潰しどころか収穫も得られたのだから、有意義な時間を過ごせたと言えるだろう。
流星街にあるホームまでの帰り道、昔のことを思い出していた。
初めて盗みに入った家で、俺は人を麺棒で殴り倒した。その時のことを忘れたくないから、棒を武器にした。その時の罪悪感を、ずっと忘れていた。
もう一つ、忘れていたことがある。何故如意棒を具現化しようと思ったのか。悪事を働きながらそれを後悔していた俺は、如意棒を操る架空の人物に夢を託したのだ。前世で読んだ古典の登場人物。猿の妖怪は、元は極悪人だった。けれど物語の中では善の為に働かされ、最後は改心した。その生き方に、己を重ねたかったのだ。
親代わりと離れてから俺の能力は全く進化していない。それは当たり前だった。
潜在能力の問題で、如意棒に関係のない物を新たに具現化することはできない。当の如意棒も、"大切な人を守るために戦う力"として、それでいて"罪悪感を忘れない"ために作った能力だった。初めのイメージが限定的かつ強烈過ぎたからこそ、そこからかけ離れた今の俺に如意棒を使いこなせるはずがなかったのだ。
一つ、新たなイメージを思い描く。昔の俺と、今の俺を繋ぐ新たな能力。これまでならば絶対に思い付かなかった上、実際に具現化しようと思わなかっただろう。けれど、今なら成功して、強くなった自分しか思い浮かばない。
きっと出来る。なにせ、俺はもう独りじゃないのだから。
アジトの扉を開けた瞬間、風が吹き抜けた。予想していたので如意棒を横に凪ぎ払う。帰宅早々殴りかかろうとしてきたフィンクスは、軽やかな動きで後ろに飛び、如意棒を避けた。
「お前ほんっと意外性のない奴だよな」
「何が?」
数ヵ月ゲームに夢中で此方から話しかけても無視してきた男は、そんな過去がなかったかのように話しかけてくる。しかも、どこか嘲るような声の響きだった。自然と声が低くなる。
「最終試験不合格。俺はお前がそういう男だって信じてたぜ」
俺が連絡していないということは、情報源は一つに限られる。シャルナークしかいない。
しかも、先程の台詞と上機嫌で告げてきた今の台詞を繋げれば、何があったのか容易に想像はつく。大方今いるメンバーで、俺がハンター試験をどこまで勝ちあがれるか賭けでもしていたのだろう。それを知ったシャルナークが逐一報告していた、と。
相変わらずの奴らに今更何かを言うつもりはない。何を言っても彼らの生き方は変わらないのだから意味がないことくらいは学習している。今はそれよりも何よりも、早く新しい能力を作りたかった。
「勝手に言ってろ。俺は忙しいんだ。邪魔するな」
イメージ通りの物をアジトの倉庫から探し出さなくてはならない。お宝とゴミがごちゃまぜになったそこには、大抵の物が揃っているのだ。
「はあ?」
不満をありありと乗せた声に、フィンクスへと向き直る。更に強くなれるであろう自分への期待に、笑みがもれる。今ならウイングと同じように、自分の可能性を信じられると思った。
「新しい能力を作る。完成したら実験台にしてやるよ」
途端にフィンクスの瞳が闘志にぎらついた。奴はいつでも刺激に飢えている。こういう戦闘狂なところは嫌いじゃない。
「へえ。楽しみじゃねえか」
言葉通りの獰猛な表情は、見ていて気持ちが良い。やはり俺の居場所は此処にあるのだと、素直に思えるから。
イメージの具現化の成功には三ヶ月を必要とした。未だ自分でも把握しきれていない能力ながら、遥かに威力が上昇して機能を増した如意棒を手に、手負いのフィンクスを見下ろす。
「面白いじゃねえか」
「だろ?」
満面の笑みで新たな力を見せ付ける。
「で、それは何だ?」
頭部をぐるりと締め付けているのは、金の輪っか。元の名前は忘れた。
「俺の誓約と制約を具現化したもの」
一応自分で名前は付けたものの、恥ずかしいから口には出さない。
「へえ」
興味深そうに呟いたフィンクスに見せ付けるように如意棒をくるりと回し、金の輪っかにこつんと軽くぶつける。
「お前には教えておくよ。この能力で作った制約は」
むやみに口にすべきではない能力の詳細を、今回に限っては告げなくてはならない。この能力を使えば、俺一人では絶対に勝てなくなるのだから。
制約を教えた瞬間、フィンクスの表情が固まった。一拍置いて、それは凶悪なものに変化する。
「てめえ。ありえねえだろ、それ」
蜘蛛の盗賊団としての資格を失うような制約。けれど、怯まずフィンクスに笑いかけた。
「別に構わないだろ? 何も一生そのままってわけじゃない。それに、お前がいるからこの制約にしたんだ」
フィンクスへの信頼を、はっきりと口にしたのは初めてだった。
フィンクスの表情が歪み、変な顔になる。怒りでも嬉しさでもない。奇妙なものを発見してしまい、対応に困ったような顔で、何かを考えこむように腕を組む。
珍しいことだ。いつも感情の赴くまま、己の中にある信念に添って即断即決のフィンクスらしくない。
けれど、やはり彼らしくすぐに答えは決まったらしい。
「ま、いっか。どうせ失敗したら死ぬのお前だけだし」
薄情な台詞を吐きながら、楽しそうに笑う。
「そういうこと。もう少し色々試したいから、相手してくれるか? 今から制約条件を一段階引き上げる。死ぬなよ」
「はっ。誰に言ってやがる」
拳をぼきぼきを鳴らしながら戦闘体勢に入ったフィンクスに向かい、如意棒を振り上げた。