緋の眼



「今回のお宝はクルタ族の緋の眼だ」

 集まった蜘蛛の手足をぐるりと見渡し、蜘蛛の頭は厳かに宣言する。

「クルタ族は感情が昂ると、眼が緋色に変化する。今回シャルナークがそのクルタ族の隠れ里を見付けた。標的の数は200強。緋の眼を、残らず奪う」

 感情を昂らせ、眼を抉り取る。以前はおぞましいと思ったであろうその行為を前に、嫌悪感は生じない。ただ静かな闘志とほのかな歓喜に胸踊らせていた。

「ああ? 200人の隠れ里相手に俺達全員呼んだのかよ、団長」

 そう、今回団長は蜘蛛の盗賊団全員を招集した。こんなことは滅多にない。前は運び屋の少女、コノミが死んだ二年前だ。その時のように強い敵が現れると期待していたのは、俺だけではなかった。
 ただの隠れ里。脅威の欠片も感じられないその響きに不満の声をあげたのはウボォーギンだった。俺やフィンクス、フェイタンなど戦闘に特化した手足は、ウボォーギンに同調したように団長の反応を少しの不満を抱きながらうかがう。
 団長は小さく笑みをこぼした。そんな極僅かな仕草で、再び俺達の期待は高まってしまう。

「安心しろ。中には念能力者もいる。希少性の高い緋の眼を持ちながら生き残っている部族だからな。期待しても良いだろう」

 静かな声に、否応なく興奮を掻き立てられる。ぎゅっと左手で如意棒を握り締めながら、団長の声に酔いしれる。

「パクノダ、コルトピ、シャルナーク、アーティーは山の麓で待機。逃げた奴がいたら仕留めろ。他は突入部隊」

 一息入れてから、凛とした声を響かせた。

「残らず殺して奪い尽くせ」

 その一言だけで、感情が爆発しそうになるほどの歓喜を覚えてしまった俺は、蜘蛛の盗賊団としてきっと正しい。


 茜色と群青色が鮮やかに混ざり合う、日の落ちかけた僅かな時間しか見ることのできない幻想的な色に染まった空の下、その集落は血に染まりつつあった。
 逃げまどう女子供、そして老人。呆気ないほど簡単に蹂躙し尽くしてしまうほど、彼らは無力だった。
 出会い頭、見せしめに一人の老人を殺した。悲鳴に誘われるように血気盛んな少年が飛び出してきて、殺した。彼の瞳は綺麗な緋の色に染まっていて、なるほど確かに美しいと感じる。けれどそれだけだった。
 何があったのかと次々に飛び出してきたのは女や老人。つまらないと思いながらも、緋色の瞳をした奴から先に壊していく。逃げなさい。隠れていなさい。空気を木霊した相反する二つの指示に、ぽつりぽつりと子供が家から出て来ては、蜘蛛の餌となる。
 外にある命の気配があらかたなくなり、皆でかくれんぼを始めようと動き出した時だった。
 皆が一斉にその場から飛び退いた。今まで立っていた場所には、大きな網が獲物を捕らえられず虚しく広がっている。
 麓から集落に至る道とは反対側、恐らく山の頂上へと繋がっているだろう道には、三人の男が立ち尽くしていた。走って来たのだろう。肩で息をしていて、額には汗が滲んでいる。そして、平和であっただろう集落の変わり果てた姿を前に、六つの緋の眼が現れた。
 驚くほど容易く、獲物は蜘蛛の紡ぐ糸の巣に飛び込んできた。

「お前ら……」

 哀しみと怒りが混ざり合った声は、耳に心地好い。訪れるであろう強者との闘いの気配に否応なく興奮を掻き立てられる。

「生きて帰れると思うなよ」

 真ん中のがたいの良い男は真っ直ぐ団長を見詰めながら言った。オーラを見れば、大体の強さは分かる。もちろんそれだけでは判断できないし、例外は多数あるものの、彼は団長が一番強いとすぐに理解したのだろう。そして、俺達も同時に理解した。この男が集落の権力者であり、一番強い男なのだと。
 斜め前にいたウボォーギンのオーラが膨れ上がる。興奮しているのだ。強い男と闘いたがっている。

「なあ、団長」

 案の定、ウボォーギンは団長に話をもちかけた。

「三人まとめて俺にやらせてくれねえか?」

 瞬時に三人の男達の眼が鋭さを増した。既に日は落ちて分かりにくいが、緋色の鮮やかさが増している気もする。侮られたと感じたのだろう。
 しかし、本当はむしろその逆だ。ウボォーギンは彼らの強さを認めているからこそ、こうして闘志をみなぎらせている。そして、俺もウボォーギンと同じ。
 息を吸い込み、その役を譲れと口を開きかけたその時、真ん中の男がすっと右手を上げた。

「なめるな、賊が」

 落ち着いた、静かな声だった。緋の眼から一筋溢れ落ちた涙の雫だけが、彼の感情を示していた。

「クルタの誇りにかけて、お前らを全員殺す」

 蜘蛛の盗賊団の反応が楽に予想できる。嘲り、笑う。やれるものなら、やってみろ。逆に奪い尽くしてやる。そんな言葉が頭に浮かんできた。
 しかし実際にそれらを耳にする前に、ぽんと何かが弾ける音がした。目にオーラを溜めて、何が起こったのか確認しようとするも、既に遅い。気付いた時には靄に包まれて視界が塞がれ、何も聞こえなくなっていた。

「おい。誰かいるか」

 その場に留まり警戒を高めながら、如意棒で靄を払ってみる。感覚はなく、一瞬散った靄はすぐに集まって元通り。靄は濃く、一寸先どころか自分の足元さえ見えなかった。すぐ横にいたはずのフィンクスに向かって如意棒を突き出すも、手ごたえはない。周囲に固まっていたはずの蜘蛛の仲間達の気配が綺麗さっぱり無くなっている。
 恐らくは移動系の念能力者の仕業だ。何処かに飛ばされたか、またはここ自体が異空間なのか。蜘蛛の手足は分断された。
 目に溜めていたオーラを、身体の表面に均等に行き渡るよう広げる。それを更に、靄に溶け込ませるように押し出す。攻撃に即座に反応できるよう半径5m程の円をめぐらせたところで、静寂が破られた。

「絶対に許さない」
「同じ目に遭わせてやる」
「後悔してももう遅い」
「この恨み、思い知らせてくれる」

 四方から届いたのは、強い怨嗟のこもった声だった。
 一つ、諦念を息として吐き出す。残念だったのだ。

「俺も強い奴と闘いたかった」

 半ば故意に心の内を言葉にする。途端に突き刺さる敵意に、再び大きく嘆息する。
 折角靄で敵の視界を奪い、不意打ちに適した状況下にあるというのに、無闇に声を出すなど馬鹿げている。俺が敵なら、気配を殺しながら攻撃することを第一に考えるだろう。つまり、俺が相手にするのはクルタ族の中でも弱い奴らなのだ。
 本当に運が悪い。折角新しい能力を作ったのに、いまだ披露する機会に恵まれていない。新しい能力を発動した時すぐには分からないよう、暑いにも関わらずニット帽を被っている自分が虚しいではないか。
 どうせ今回もウボォーギンが当たりを引き当てているのだろう。あいつはこういう時の運が抜群に良い。コノミの時も強者を相手にできて楽しそうだった。まあ敵がつまらなかったらこっちに喧嘩の誘いをかけてきて面倒臭いので、良いことでもあるのだが。
 円に反応があったので、如意棒を手前に構えて回転させる。軽快な音と共に、飛び道具を弾き飛ばす。続いて左足を下げ、上体を左に向けながら如意棒を振り上げた。次々と放たれる飛び道具を、その場に留まりながら如意棒で防いでいく。

「クルタってこんなに弱いのか?」

 安い挑発文句に、膨れ上がった三つのオーラの気配。声は四つだった。もっと人数は多いかもしれないが、一先ず一人は冷静さを保てている奴がいることに安心する。ならば他の三人は一気に消しても構わない、と。
 いまだ止む気配のない飛び道具での攻撃の合間を抜い、口を開いた。

「貫け」

 先程殺気を感じた方へ向けて一気に伸びた如意棒は、無事獲物を仕留めたようだった。短い悲鳴が靄を伝わる。動揺が走り、攻撃が止まる。今の瞬間攻撃されれば俺だってかすり傷くらいは負ったかもしれないというのに、甘い奴らだ。
 獲物が引っ掛かり一人分の重さで重量を増した如意棒を真上に振り上げれば、まるで雨のように血が降り注いできた。白いニット帽は買い替えなくてはならない。次は汚れが目立たないよう黒にしなくては。
 己の選択を反省しながら如意棒を縮めれば、死体が降りてきた。腹に突き刺ささった如意棒は貫通している。腹で良かった。もし目玉を傷つけていたら団長にねちねちと嫌味を言われたことだろう。
 通常の長さに戻った如意棒を前に突きだし、足で死体を蹴り外した。すぐに失敗したと思う。案の定、靄に紛れてその姿はすぐに視界から消えてしまった。しかし如意棒で地を小突けば、死体に当たる感触はある。あとでまとめて死体から緋の眼を回収すれば良い。

「次はどれにしようか」

 仲間を殺された衝撃と怒りはオーラの乱れとなり、居場所を伝えてくる。一人はいまだ落ち着きを保っているようだが、少なくとも二人の気配は明らかだ。その二方向に向けて如意棒を伸ばす素振りをしてみれば、低い声が辺りに響いた。

「気配がもれているぞ。落ち着け」

 年長者らしい嗄れた声に我を取り戻したのか、一つオーラの気配が消えた。

「でもっ」
「安い挑発にのるな。所詮は賊だ。死んだ者を想うならば、クルタの誇りを思い出せ」

 渋々といった風で若い声が同意する。やっと気配が薄くなる。
 心温まる茶番のようなやり取りを耳にしながら、俺は如意棒についた血を上着の袖で拭っていた。綺麗に汚れを拭き取ってから、小さく息を吐く。一気に白けた気分を盛り上げようと、如意棒を振るいながら目的目掛けて飛びかかる。
 わざわざ声をあげてくれた年長者の場所の特定は容易だった。靄をかき分けて殴るように振り回した如意棒は、刃物のような武器に防がれる。
 間近に見た年配の男は、細い目をすがめながら武器に力をこめてきた。やはりそれなりの力はある。が、俺より弱い。

「まだ若いな」

 余裕はないというのに、放たれた言葉は場違いなものだった。しかも、声には幾ばくかの同情が含まれているのを感じとってしまった。

「どうも」
「何故賊などに身をやつした」

 どうやら対話を試みようとしているらしい。そうと気付き、思わず笑みがもれる。賊と見下すくせに、対等な人間として俺を扱おうとしている。その温情は言葉の通り生温く、俺の欲している熱さとは致命的なまでに噛み合わない。

「成り行きで」

 告げた真実は気に召さなかったらしい。

「そんな理由で」

 声は冷静さを保ちながらも、表情は雄弁に不快だと語ってくる。
 堅苦しいやり取りに白けつつも更に如意棒を持つ手に力を込めようとした時だ。後ろから投撃される気配に、屈みながら如意棒を一振りする。弾かれたナイフを不明瞭な視界に捉えながら、一つ理解した。敵には俺の居場所がばれている。もしかしたら、クルタ族以外の人間に限定して靄を見せる幻覚のようなものなのかもしれない。
 すぐに上から振り下ろされた刃物から逃げるように後ろへと下がる。視界から消えた年配の敵は、すぐにその気配さえも靄にまぎれこませた。

「己の罪を自覚しようとせぬ罪人よ。死の果てに知るが良い。欲にまみれた己が身の浅ましさを」

 その声は確かに先程耳にした年配の男のものだったが、右から、左から、後ろから、様々な場所から何重にも響いて聞こえてきた。そう出来るなら初めからやれば良かったのに。つくづく頭の悪い奴らだ。

「さっさと来いよ。お前ら程度の奴に時間かけたら笑われる」

 軽口のつもりで口にしたが、言葉にしたら本当に笑われる未来が易々と想像できてしまった。自らの想像に嫌気がさし、とっとと終わらせようと如意棒を握り締める。

「お前の仲間も今頃は後悔している。己の身の丈に合わない者に手を出してしまったと」

 やけに余裕たっぷりの台詞にふと首を傾げた。先程武器を合わせた時に、相手とて強さの違いを実感したはずだ。それなのに、奴らは己の勝ちを信じきっている。その余裕はどこからうまれているのか。
 そしてもう一つ。攻撃は全て遠くから。決して近付こうとはしないのは、何故か。積極的に攻撃を仕掛けずとも勝てる算段があるのか。
 一つ、思い付く。もしこの靄に秘密があれば。視界を遮るだけでなく、クルタ族以外の者にだけ作用する何か有害なものが含まれているとすれば。時間稼ぎのような下らないやり取りにも納得がいく。
 ものは試しにと、膝をついてみた。力なく如意棒を地に横たわらせ、さも辛そうに片手で口許を覆ってみせる。

「やっと効いてきたか」

 あまりに予想通りな反応に、大きく全身を震わせてしまった。にやける頬が見えないよう、俯きながら口を開く。

「一体何を」

 笑いを必死に堪えるあまり、声が震える。

「既にお前の身には毒が回っている。もって一刻」

 哀れみを声にのせた死の宣告に、漸く笑いを堪えて作った悲壮な表情を浮かべた顔を上げた。

「助けてくれ」

 心にもないことを口に出す。

「今更悔いても遅い」
「そんなっ」

 がっくりと頭を垂らしてから思った。
 これからどうしよう。流星街で鍛えられたから実際には毒は効かない。思い付きでやってみたは良いものの、いつまで演技を続ければ良いのだろう。
 とりあえずは死んだと見せかけようと思い立ち、喉を軽くひっかきながら呻き声を出す。流星街で散々な目にあったので、毒に苦しむ人間の真似は難しくはなかった。
 合間に助けろや呪われろ、などの安っぽい台詞を吐きながら暫く苦悶の演技を続け、もう良いだろうと見切りをつけて地に身を伏せた。細かく身を震わせるのも忘れない。
 靄はいまだに晴れない。が、一人近付く気配があった。確実に誰かがその死を確かめにくるだろうとの予想通り。

「気を付けろ」

 年配の男の忠告に、別の男が次の獲物だと知る。まあ良い。順番は違えど、結局は全員殺すのだから。
 呼吸を押し殺しながら、じっと待つ。そして、確かに地を踏みしめる音を耳が捉えた瞬間、動いた。
 跳ね起きながら、左手に持った如意棒を振り回す。不明瞭な視界でも殺したと確信できる手応えだった。

「ライヒナ!」

 死んだ仲間の名を叫んだのだろう男目掛けて地を蹴り、如意棒を伸ばす。間一髪で防がれたものの、逃すつもりはなかった。一瞬の内に男の前へと跳躍する。まだ年若い青年だった。靄をかきわけ現れた賊の姿に、男は幼さの残る顔を恐怖に歪めた。

「あっ、や」

 言語に満たない音を発し、後ずさる。悲壮感漂う緋の眼に映った俺は、嬉々とした笑みを浮かべていた。

「待て」

 止めをさそうと右手で胸ぐらを掴みあげ、如意棒を振り上げたところで後ろから声がかかった。少し嗄れた、年配の男のもの。
 目の前にぶら下げた男の眼が喜びに細まった。顔一面に、希望が広がった。
 劇的な変化が面白くなく、後ろの気配を無視して男の急所を蹴りつける。悶絶する男に、漸く気がおさまった。

「待ってくれ。俺が代わりになる」

 年配の男の態度は急変していた。もうその声に哀れみはない。哀れみというものは、立場の強い者が弱い者に対して気紛れに与えるものだ。立場は既に逆転している。

「何故?」

 けれど、強者には権利があるだけだ。哀れみを授ける義務はない。
 仲間を人質に取られた年配の男は、身動ぎ一つせず懸命に言い募る。

「そいつはもうすぐ父親になるんだ。俺なら老い先短い身だ。どうにでもしてくれ。だが、頼む。そいつだけは」
「止めてくれっ。カンテア爺! 賊に命乞いなんてあんたがすることじゃない!」
「やむを得ん。きっとクラウタも許してくれる」

 俺の頭越しに交わされる会話は、耳を素通りしていく。
 もうすぐ父親になるからなんだというのだろう。父親などいなくとも、子供は育つ。弱い父親ならば、いない方がましではないか。それに、前提が既に間違っている。
 父親になるのだという男を見据え、微笑んだ。

「安心しろ。お前の妻も子供も、もういない」

 だから、安心して逝くと良い。

 男の顔に変化が表れるのを待つことなく如意棒を凪ぎ払う。後ろの男が反応するも、遅すぎた。目の前で頭が弾け、脳味噌が飛び散る。かろうじて眼球が無事であることを確認してから振り向き、迫り来る刃物を如意棒で弾き飛ばした。勢いがついたせいか、身体ごと吹き飛ばす。

「お前には慈悲の心が無いのかっ」

 威勢良く吠える男の姿は靄に隠されている。しかし、すぐそこに倒れていることは分かっていた。
 ゆっくりと足を踏み出し如意棒を振り上げる。

「妻子と共に殺してやるのが、この場合の慈悲じゃないのか?」

 残された者は辛いだろう。少なくとも俺は辛かった。アリスを探すという目的が無ければ、きっと孤独に耐えきれなかった。
 だからこそ、俺にできる精一杯の慈悲を。殺し尽くすことしか、もうできない。
 そして、如意棒を降り下ろした。


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