誓約と制約



 確かに殺したと思った。相手に抵抗できる程の力はなかった。それなのに、如意棒はただ地を打った。
 小さなクレーターができる。気配が消えている。

「新手か」

 呟きつつ、口許がにやけるのを抑えられない。
 今度の獲物は、強い。
 如意棒についた汚れを拭き取る。いつ攻撃がきても良いよう警戒を高めながら、如意棒を構えて目を閉じる。

「無駄だ。お前の能力では敵わない」

 女の声だった。不思議と四方八方から響いた張りのある声に、一つ悟る。
 きっと、蜘蛛の手足は女とその仲間によって一本もぎ取られた。だから助力にきたのだろう。

「誰が死んだ?」
「金髪の男」
「そうか」

 律儀に返してくれた答えに、一人の男の姿が脳裏に思い浮かんだ。
 蜘蛛の盗賊団で金髪の男といえば二人だ。その内の一人、シャルナークは麓で待機している。ということは、残るは一人。
 運び屋の少女、コノミの後釜で入ってきた男は、陽の下で輝く笑顔がよく似合う奴だった。何故盗賊団にいるのかが不思議になるほどの陽気さを持ち、そして闘いになれば血を浴びて豪快に笑う。そんな、強い男だった。たった二年の付き合いだが、その死を惜しんでしまう。
 如意棒を両手で持ち、地面に突き刺す。持ち手に額を当てて、僅かな時間黙祷を捧げる。その間ずっと女は沈黙を保ち、攻撃は仕掛けてこなかった。

「有難う」

 祈りを捧げる時間をくれた裏には、先程の老いた男を安全な場所に避難させようという思惑があったのかもしれない。それでも、結果に感謝は述べておく。
 もちろんというべきか、返事はなかった。もう言葉は必要ない。先程の男達のように無駄口を叩かない女に、好感を抱く。
 そして静かに戦闘は始まった。

 時折飛んでくるナイフを、如意棒で弾き返す。その方向目掛けて如意棒を伸ばすも、手応えはない。そんな、お互いが相手の手の内を推し測りながらの温い戦闘にも関わらず、肌をぴりぴりと刺激するほどの緊張が絶えず全身に警戒を促していた。
 一度隙をみせればその瞬間に命はない。
 そう思わせるほどのオーラの気配が、辺りに充満していた。
 そして、その時はやってきた。

 絶えず展開していた円の中に突如として現れた攻撃的な気配。咄嗟に地を蹴り、後ろに下がる。
 靄のせいで確認は出来ないが、じゅっと地面が焦がされる音と特徴的な臭いから確信した。
 何らかの有害な薬品が、いきなり空中に現れ、そして落下したそれが地を溶かした。
 空間移動を司る放出系の念能力者。

「厳しいな」

 乾いた唇を舌で湿らせる。冷静に戦略を組み立てながら、次々に降りかかる危険な水滴から逃れるように辺りを飛び回る。
 一時と間を置かず移動しながら、両手で握った如意棒を限界ぎりぎり、50m程伸ばした。
 嫌な音をさせながら数ヶ所焦げたが、如意棒の具現化自体は保たれているから、それほどの威力は持っていないのかもしれない。まあ肌に直接当たれば火傷で済むか分からないが。
 勢いを付けて、胸の高さに構えた如意棒を一気に振り回した。今いる場所を起点として、ぐるりと円を描くように身体を捻り、一回転させる。
 その間はもちろん身動きが取れない。右腕に二ヶ所、そして左の肩に激痛が走る。
 だが、収穫はあった。如意棒から逃げるように動いた気配目掛けて地を蹴り、如意棒を消して身軽になった身体で一瞬にして女の影を捉える。
 靄の奥に見えた静かな闘志を秘めた緋の眼に、動揺は欠片も見えない。肝の座った獲物の様子に、笑みがもれた。
 帽子の中で新たに具現化した金輪が頭を心地よい痛さで締め付けるのを感じながら、左手に再び如意棒を具現化する。狙いすましたかのように透き通った殺意を抱く雫が頭上から降り注いでくる。上に翳した如意棒を高速で回しながらそれを弾き飛ばした。
 女は逃げる素振りを見せなかった。きっと悟っているのだ。背中を見せたらやられる、と。背に隠していた湾曲刀を手に、此方へと突進してくる。頭上からの攻撃は止まないため、如意棒を操る左手は防御に割けない。代わりに全身を使い、迫り来る刃を避け続ける。
 刃は服を掠り、時折肌に傷を付けてきた。戦闘技術も中々のもので、隙はない。防御するだけで手一杯、であっただろう。昔の俺ならば。

「何か言い残すことは?」

 目と鼻のすぐ先を駆け抜けた湾曲刀を気配だけで追いながら、女と視線を合わせる。

「賊に告げる言葉など持っていない」

 多少息が切れていたが、しっかりと芯の通った声だった。攻撃が効いていないことに焦るでもない。死を恐れるでもない。ただ爛々と輝く緋の眼だけが、女の激情を示していた。

「そうか」

 少しだけ惜しく思う。この闘いを終わらせることが、惜しい。もっと闘っていたい。そんな感情と相反するように、そろそろ終わらせなくてはという気持ちもある。早くしなければ、仲間に笑われる。

「じゃあ、さようなら」

 突き出された湾曲刀を、左に避ける。突っ込んできた女は体勢を整えようと身体を捻り、そこで動きを止めた。

「な、に」

 女の視線が如意棒を操り続けていた左手に移る。次いでゆっくりと俺の顔を眺め、漸く最後に空の右手を認めた。緋の眼にオーラが溜まり、凝をする。
 大きく見開かれた緋の眼には、女の肩に突き刺さった如意棒を握る右手が見えていることだろう。

 オーラを消す絶の応用技、物質に宿るオーラを見えにくくする隠を如意棒に用いただけの話だ。俺は隠があまり得意とは言えないので、右手からのみの発動、そして金輪の制約を課して具現化と同時に、そして戦闘中も如意棒を隠の状態にすることに成功した。
 そして俺は、見えない如意棒をただ構えているだけで良かった。女は見えない如意棒目掛けて自ら飛び込んできたのだから。

 女の意識がそれた為、頭上から降り注いでいた危険な滴での攻撃が止んだ。肩を貫通していた見えない如意棒を消し、女の背後に回りながら左手に持った如意棒を振り上げる。
 流石に女の反応は素早かった。無事な左手に湾曲刀を持ち替え、振り向こうと身体を捻る。だが、俺にとってその動きは致命的なほどに遅かった。
 如意棒で首筋を軽く叩く。女は力なく地面に崩れ落ちた。それを追うように屈みこみ、念のために脈をはかる。生命の躍動を確認できてから、軽く息を吐いた。

「殺せ」

 気絶させたと思い込んでいた女が声を発したことに、少しだけ驚く。恐らく力加減が上手くいかなかったのだろう。殺すのは得意だが、いまだに生かすことは不得手だ。
 俯せに横たわった女の動きを制限するために、その背に腰を下ろす。呻き声一つもらさないのは好印象だ。

「無理」
「情けをかける気か」

 悔しさを滲ませた声に、自然と笑みがもれる。

「ううん」

 女は腑におちなかったようだ。不思議そうな気配を横目に、左手に握った如意棒を地に立てて天高く伸ばす。
 金輪のおかげで先程よりも遥かに長く伸びた如意棒は靄を突き破っていることだろう。

「確認だけど、此処は念で作った異空間じゃなくて山の何処かだろう?」

 女の返事は無かったが、そういうことにしておく。流石に蜘蛛の突撃部隊は9人もいるのだし、それだけの数こんなに広い空間を作り出せるとは思わない。それよりは元々侵入者を誘き寄せるために用意された空き地へと飛ばす方が、能力的には難易度が下がる。

「仲間を呼ぶ気か」
「うん」

 負けを認め、死を覚悟した女は静かに言葉を続けた。

「辱しめるくらいならば、今すぐ殺せ」

 妙な勘違いをされてしまった。そういう類の行為に興味がある者は蜘蛛にはいないが、考えてみれば若く顔立ちも美しい女だ。賊を警戒することは間違っていない。 
 そして、その勘違いは俺にとって非常に好都合だ。

「死にたいなら勝手に死ね」

 本気でそう願ったのだが、期待虚しく女が自らの舌を噛み切り自殺する、なんていうことにはならなかった。俺の言葉をどう受け取ったのかは分からないが大人しくなった女をそのままに、如意棒の先で軽く円を描くように回す。これで気付くはずだ。
 そして奴はすぐにやってきた。

「おっ。結構やられてんな」

 靄をかき分けて現れたフィンクスはどこか嬉しそうに声をかけてくる。服は破け、右腕から血を流しており明らかに人のことを馬鹿にできないはずの姿だが、瞳は生き生きと輝き、大股で近付いてきた。そして無造作に俺の目の前、横たわる女の顔の辺りに座り込み、指を突っ込んだ。
 尻の下にある女の身体が大きく痙攣する。堪えきれない悲鳴が鼓膜を刺激する。
 女の反応を意に介さず再び繰り返された行為のあと、フィンクスの手には二つの緋の眼が乗っていた。
 懐から取り出した保存用の小瓶の蓋を開けて差し出せば、丁寧な手つきで中に転がしてくる。

「本当、厄介だよな。お前の能力」

 フィンクスを呼んだ時点で金輪を発動したことはばれていたのだろう。からっと笑うフィンクスに、笑みを返す。

「まあな。おかげで三日は引きこもり決定だ」
「つまんねえ能力だぜ」

 フィンクスは俺を見ながら手だけを動かして、女の首を捻った。未だに温かさを保つ女の身体からゆっくりと身を離す。

「盗みも殺しもできねえなんてよ」

 曖昧な笑みを返す。

 俺の新たな能力。金輪を具現化している間は、盗みも殺しもできない。己で決めたそのルールを破れば、金の輪が頭を締め付け破裂させるだろう。それと引き換えに、莫大な力を得ることができる。
 自分でも馬鹿げていると思う。それでも、如意棒を作った時の罪悪感を捨てられなかった過去の自分にとっての誓約と、悪いことをして生きるしかない今の自分にとっての制約を形にした能力は、目に見える力をくれた。
 明確な時間制限も設けている。今回は三日間。その間は大人しくホームにでもこもっていれば良い。
 そして最後に一番大事なこと。たとえ俺が獲物を狩れなくとも。

「ま、お前がやってくれるんだから良いだろ」

 仲間がいる。だからこその能力であり、団長とフィンクスの二人には能力の詳細を教えてある。
 そして何より、蜘蛛の為に盗みをして殺しをして、それで死ねるのなら構わないと納得している自分がいた。

「けっ」

 立ち上がりながら唾を吐き捨てたフィンクスは俺の能力を嫌っている。蜘蛛の奴らは基本的に助け合いという言葉を知らないかのように、己のみの力で敵に立ち向かうことを良しとするからだ。
 しかし、金輪により増した力自体は認めている。

「三日間、宜しく」

 元の長さに戻した如意棒を握る左手とは反対側、右手の拳を空に突き出す。
 こもりっきりになる三日間はフィンクスに付き合ってもらうつもりだった。折角力を持っているのに何もしないなんて勿体ない。それに、フィンクスなら頑丈だから万が一にも殺してしまうことはないと信じられる。
 フィンクスは渋々という表情を作りながらも拳を軽く俺の拳にぶつけてきた。こいつは本当にやりたくないことは頑としてやらないため、内心は俺と戦うことになる三日間を楽しみにしているに違いない。

「とっとと終わらせるか」

 その後はフィンクスに全てを任せた。今の俺に出来ることは、靄をかきわけながら殺した男二人の死体を探し出すところまで。緋の眼は俺達にとってお宝だから、眼を抉り出すという行為は"盗み"に入ってしまう。俺自身が盗みだと認識してその行為をしてしまえば、終わりだ。
 フィンクスが新たに四つのお宝を手中に入れてから、連れだって歩き始める。
 さて、他の奴らの狩りはどうなっているのだろうか。

 暫く進めば靄は消え、森の中に入った。予想通り、クルタ族の奴らは予め罠を用意していたらしい。何らかの能力で靄に触れた侵入者を決めた場所に移動させる。その空間内は毒に満たされているが、脱出不可能な密室ではなかったわけだ。
 途中、俺が逃がしてしまったあの年老いた男も見かけた。大きな木に背を預けながら座り込んでいた男は、両の瞳があったはずの場所から鮮血を流し、既に絶命していた。恐らくフィンクスがやったのだろう。
 更に先へと進めば、視界に靄が映りこむ。そして靄の手前には八本の蜘蛛の手足が勢揃いしていた。それぞれ木に寄りかかったり枝の上で寝そべったりと好きに過ごしている。

「遅かったな」
「団長の方が早く終わったら置いていくとこだったよ」

 口々にかけられる容赦のない言葉から察するに、この靄の向こうにいるのは団長らしい。よほどの強敵、恐らく最初に出てきた集団の長らしき人物とでも戦っているのだろう。
 この場にいる誰一人とて団長が獲物を狩り尽くすことを疑っていない。それは俺にもいえることだった。まあ元々心配なんて殊勝な心構えは蜘蛛の盗賊団では不要である。それにならって傷の具合を確かめるためにフィンクスと軽くじゃれ合っていれば、すぐに狩りは終わった。

 操る能力者が死んだためか段々と靄が薄くなり、視界が晴れていく。そして現れたのは静かに佇む団長と、彼を囲むように地に触れ伏す数体の亡骸だった。
 時間がかかったにも関わらず、その顔には汗一つ浮かんでいない。悠然とした在り様に、自然と笑みが浮かぶ。
 これが、俺達の団長だ。
 己の力で何かを達成したわけではないのに、団長を見れば不思議と誇らしい気分になってしまう。

「さあ、狩りの続きだ」

 前髪が乱れ、いつもより少しだけ若くみえる団長は、血が付いた頬をゆるませて爽やかに笑った。


 それから全員で元の集落に戻り、残っていたお宝を残らず戴いた。膨らんだ荷物をフランクリンに持たせて麓まで降りると、此処まで逃げて来て捕まったのだろう幾つかの死体が目に映る。そしてコルトピが一歩前に出た。

「生き残りがいないか調べる?」

 コルトピのオーラ量は蜘蛛の盗賊団の中でも頭一つ分抜け出ている。そう、この山一つ分くらいは丸々円を広げてオーラを察知できるくらいに。
 コルトピの申し出に、団長は懐から緋の眼の入った小瓶を取り出して眺めた。そしてうっすらと笑みを浮かべる。

「いや。帰ろう」

 手に入れたお宝で満足したのだろう。団長の言葉に逆らう者は誰もいない。

「俺達のホームに」

 今夜の狩りはもう終わったのだ。


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