パクノダ



「アーティーが死んだって?」

 予想よりしっかりとした声が出た。そのことにまず安堵して、それからアジトを見渡した。
 六日ぶりに帰ってきたそこにいたのは、七人の団員。皆が未だ癒えない傷を負っており、特に団長は頭と右足に白い包帯を巻いていて一番負傷が激しい。
 団長を見据えながら、大きく息を吸い込む。そして一番聞きたかったことを口にした。

「ゾルディックに殺られたんだろう?」

 動揺が僅かな声の震えとなった。己を鼓舞するために、拳を固く握り締める。

「シャルから聞いた通りだ」

 低く落ち着いた声に、無性に反発したくなった。涼しい顔をした団長を睨み付ける。

「ああ。聞いた」

 三日前、シャルナークからの電話でアーティーが殺されたこと、ホームを襲撃したのがゾルディックの暗殺者だったと聞いた。アーティーの念能力で長を殺されたマフィアが仕返しにゾルディックを雇ったのだという。
 その後の団長の対応を聞いた時の怒りが再び胸にわきあがった。決して風化してくれない新鮮な感情が体内を渦巻いているのが分かる。

「何でゾルディックを殺らないんだ!?」

 団長はゾルディック家の暗殺者との戦いを途中で止めたのだと聞いた時、携帯電話を握り潰しそうになった。
 殺られたら殺り返す。普段は情など感じられない蜘蛛の盗賊団だが、少なくとも今まで仲間が殺された時はそれなりの報復を行ってきたのだ。何故今回に限ってそれをしないのか。諦めてしまうのか。

「団長はゾルディックに屈するのか?」
「聞き捨てならねえな、ルーク。それは団長が弱いって言いてえのか?」

 横やりを入れたノブナガは既に腰にさした日本刀へと手をかけている。ちらりと視線をやってそれを確認してから、背負った如意棒に左手をかけた。いつでも応戦できるよう警戒を高めながら団長に視線を戻す。

「そうだろう? 団長はゾルディックより弱かった。だから」

 瞬時に部屋中のオーラが膨れ上がった。揃っていた団員皆が殺気立ち、警告を発する。
 それ以上口に出せば即座に攻撃を加える。団長を貶める奴は許さない。
 言葉よりも雄弁なオーラが充満した空間は、立っているだけで圧迫感を覚える。それでも尚言い募ろうと、一度は閉じた口を開いた時だった。

「ルーク」

 冷ややかな声だった。

「貴方、本当は分かっているはずでしょう?」

 少女というには大人びた記憶読みの女は、触れてもいないのに心の内を見透かしているかのような視線を送ってくる。

「貴方は、ゾルディックをよく知っている」

 その言葉を聞いた瞬間、身体中の熱が一気に上がった気がした。
 隠していた本心を見抜かれた。
 本心がどんなものかも分からないまま、ただそれだけを理解する。パクノダは、俺自身も気付いていなかった感情を、今暴いたのだと。
 唇を噛み締め、荒い足取りで踵を返す。

「少し、頭冷やしてくる」

 猛烈に羞恥が込み上げてきた。これ以上醜態を晒すまいという意思表示は正しく伝わったらしい。呼び止める声もなく、あてもなく外を彷徨い歩いた。

 辿り着いたのは、ゴミの山の一角。足の取れた壊れた椅子に座りこみ、腕を組む。目前に広がるゴミは視界に入ってこなかった。代わりに団長の静かな眼差しがよみがえる。
 きっと、俺は団長ならばゾルディックの人間を殺せると思い込んでいた。
 暫く歩いて冷静さを取り戻した頭は、そう答えを出す。
 団長は絶対的な強者だ。どんな者も団長には敵わない。そんな幻想を、抱いてしまったのだ。俺では到底敵わないゾルディックと渡り合える、と。
 パクノダの言葉通り、本当は理解している。母親を殺したゾルディックの暗殺者は俺が出会った時まだ子供だった。それでも今の俺で敵うかどうか。アーティーを殺しにきた人間が同一人物かは分からないが、その強さは悔しいことに推察できる。恐らく、今の俺では歯が立たない。
 だから、団長に殺して欲しいと願ったのだ。

「馬鹿だ」

 呟きが溢れた。まるであの時の再現のようだと一人自嘲する。
 母親が殺された時、俺は親代わりに暗殺者の子供を殺して欲しいと願った。自分では出来ないくせに、他人にやれと願う。それは、酷く惨めな行為のはずだ。恥ずべき行為のはずだ。
 つい先程の己の言葉を思い起こし、頭を抱えたくなる。何故自分がゾルディックに復讐しに行くと言えなかったのか。たとえ止められたとしても、奮起するべきだった。俺はもうあの時のように無力な子供ではないのだから。
 ゾルディックに大切な者を奪われるのは、もうたくさんだ。

「ルーク」

 想いを強くした時だった。あまりにもタイミングの良い呼び掛けに、心をよんだのではないか、と馬鹿げた考えが浮かぶ。
 視線をあげれば記憶をよむ能力者、パクノダが此方に向かって歩いてきていた。悠々とした足取りで目の前まで来るのを静かに見守る。
 彼女もまた、奪われてしまうのだろうか。転生者の少女はゾルディックを知っていた。ゾルディックが、ウボォーギンとパクノダを殺すのだろうか。
 新たにうまれた思い付きに、全身が強張る。強く想う。
 これ以上奪われてなるものか。
 自然と険しくなった表情を見てパクノダは眉をひそめた。

「団長命令よ。『ゾルディックには手を出すな』」

 考えを先回りしたような忠告に、素直に頷けるわけがない。押し黙った俺に対し、パクノダは言葉を続けた。

「蜘蛛を生かす為には個人の感情は切り捨てる。団長の判断は正しいわ」
「分かってる」

 苛立ち混じりに言葉をぶつけた。
 頭では分かっている。蜘蛛はそういう組織だ。蜘蛛を生かす為なら、感情どころか命さえ軽々と切り捨ててみせる。団員として長い時を共に過ごし、理解しているはずだった。
 それでも切り捨てられない想いが胸に燻っているだけだ。

「ゾルディックは俺の母親を殺した」

 パクノダは知っているのだからと胸の内をさらけ出す。

「あの時は何も出来ない子供だった」

 扉一枚隔てた向こうで母親が殺された時、震えることしか出来なかった。

「でも、今は違う」

 強さを望んだ。大切な存在を守る為の力を欲した。親代わりは自殺し、妹は既に俺の手を離れたけれど、手に入れた力は確かにある。

「何もできない悔しさを味わうのは、もうたくさんだ」

 敵わなくても、立ち向かわなくてはいけない時がある。前回は立ち向かうだけの力さえなかった。けれど、今ならば、金輪の力を使い己の死と引き換えにすれば、殺すことは不可能ではない。決して勝てないけれど、道連れにはできるだろう。

「死者の為に命をかける行為は馬鹿げてる」

 パクノダの言う通りだ。既にアーティーは死んだ。けれど、違う。アーティーの為じゃない。アーティーが殺されただけならば、恐らく俺も団長の命令に渋々ながら従っていた。
 目の前に佇む女を下から見上げる。

「お前がゾルディックに殺されるかもしれない」

 パクノダは眉一つ動かさなかった。彼女も予想していたのかもしれない。パクノダは蜘蛛の盗賊団の中では弱い方だが、簡単に殺されるようなか弱い女ではない。それにウボォーギンを殺せるような奴は、自然と限られてくる。

「俺は、多分お前を殺されたくない」

 考えながら言葉を紡ぐ。ウボォーギンが殺される未来を予言されただけならば、きっとこんなに強い焦燥は抱かなかった。理由を探れば、自ずと言葉が溢れ落ちた。

「俺にとって、蜘蛛はパクノダだ」

 初めてパクノダは表情を変えた。不審そうな視線を送られ、苦笑をもらす。

「仕方ないだろう。お前が俺の名を呼んだんだ」

 偽名で通すはずだったのに、パクノダが俺の本当の名を暴いた。

「お前が蜘蛛の生き方を俺に示したんだ」

 アリスに置いていかれた時に傍にいて、居場所をくれたのはパクノダだった。
 蜘蛛の盗賊団に誘ったのは、団長。一番長い時を共に過ごしたのは、フィンクス。けれど、本当の意味で蜘蛛の盗賊団に勧誘し、俺の在り方を理解しているのはパクノダだ。

「馬鹿な男」

 侮蔑をこめた視線に、どう言えば理解してもらえるのだろうと考える。答えはすぐに出た。

「パクノダにとっての団長が、俺にとってのお前って言えば分かりやすいか?」

 俺より古い、幻影旅団結成時からいた団員にとって、団長は特別な存在だ。俺のような後から入ってきた奴には入り込めない絆がそこにはある。それは、団長が彼らに生き方を示したからだ。居場所を与えたからだ。同じものを、パクノダは俺に与えた。

「本当に、馬鹿な男」

 同じ言葉を繰り返した声は少しだけ柔らかさをまとい、その後に溜め息が続く。相手の反応はともかく、正確に意味が伝わったことに安堵を抱いた。

「ま、そういうことだから」
「待ちなさい」

 腰をあげ、冷たい視線をくれるパクノダに睨みをきかせる。真意を理解したのだから邪魔をするな、と全身で訴える。

「団長命令は絶対。忘れたの? アーティーは死んだけれど、アーティーの念能力は生きているわ」

 指摘されて初めて思い出した。そういえば、俺の背中に彫られた蜘蛛の刺青はアーティーの念能力だった。団長命令に逆らったら蜘蛛が実体化し、俺を食い殺す。

「ゾルディックが今後蜘蛛の敵になると決まったわけではない。確信に至ったら団長が改めて命令を下すわ。命をかけるのなら、その時に」

 きっと今団長の命令に逆らって動いても彼女はこれ以上止めはしないだろう。けれど、その時点で俺は蜘蛛から切り離される。アーティーの念能力により殺されるのは勿論のこと、蜘蛛の団員としての生き方に反してしまう。

「だから、馬鹿な真似は止めたら?」

 パクノダの冷たい視線とやや棒読みがちの説得に、段々頭が冷静さを取り戻していく。

「分かった」

 同時に新たな決意を抱く。

「ただ、未来の蜘蛛、漫画の知識は欲しい。今後はそっち方面で動くし、シャルナークにも協力を頼む」

 それくらいは良いだろうと暗に聞けば、パクノダは軽く頷き、踵をかえした。
 背筋の伸びた凛とした後ろ姿を見送りながら、一人呟く。

「今度こそ、守りきろう」

 俺の力で、最後まで。


| |  

 

 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-

inserted by FC2 system