入団希望者は凡そ三月に一回くらいの割合で訪れる。だから、慣れてしまった。それほど緊張もせず、呼ばれて向かったアジトの一つ。早めに到着して、他の団員もぽつぽつ集まり始め、二時間程経った頃、そいつは現れた。
壊れた扉が音を立てながら開いていく。その隙間から指を伸ばし、勢いよく最後まで押し開いた男を目にした瞬間、ある単語が頭に浮かぶ。
「変態?」
思わず口からもれた呟きを男は拾ったらしい。ところどころ膨らんだ奇妙な服を纏いながらも綺麗な筋肉を見せつける右腕を振り、人差し指を立ててみせる。
「違うよ。僕は道化師、さ」
その声は甲高く、不思議な抑揚は聞く者を不快にする威力を持っていた。周りと同じように眉をしかめる。
「あれ?」
此方の反応などお構いなしに部屋を見渡していた男は、俺に焦点を合わせて瞬きを繰り返す。ついで大きく両手を広げた。
「ルークじゃないか! 久しぶり」
やけににこやかに話しかけられ、眉間の皺を増やす。
「知り合い?」
怪訝そうに問いかけてきたマチに首を振る。どうでも良い顔はすぐに忘れるが、流石に知り合いにこんな男がいれば記憶に残っているはずだ。
「酷いなあ、忘れるなんて。僕はずっと君に会いたかったのに」
何故だかは分からないが、鳥肌が立った。半袖から伸びる両腕をこすりつける。
「って言ってるが?」
俺に対する不信感を露にしながら問いかけてくるフランクリンを睨み付けた。知り合いだとは絶対に認めたくない。
「知らない」
「酷いなあ」
断固として否定する俺に、道化師と名乗った男は言葉とは裏腹に楽しそうに呟く。そして両腕を身体に巻き付け、愉悦に唇を歪ませた。
「君と過ごした時間は楽しかったよ」
更に不信感を増した視線を団員皆から送られてしまった。慌てて首を横に振る。
一体俺が何をしたのだというのだ。予想になかった思わぬ精神攻撃に混乱が深まる。
「強さの秘密は念能力、だったんだね。お兄ちゃん」
男がぞっとするような視線と共に放った言葉に、漸く記憶がよみがえった。思い当たった男の正体を口に出す。
「あの時のうそつき?」
遠い昔、アリスが怪我を負い、泣いて帰ってきた日。アリスに嘘を告げた、いや、真実をあばいた少年の姿がうすぼんやりと脳裏に浮かぶ。確かに変な子供だった。相対した時に感じた奇怪さは、今向き合っている男に確かに通じるものがある。
だが、同時に断言できることがある。
「やっと思い出してくれたんだね、ルーク」
「変わり過ぎだろ」
十年以上の年月を経てはいるが、あまりに外見が違い過ぎた。特に白塗りに変なペイントの入った顔は原型を綺麗に隠している。
ただ、じっくりと観察する中で一つ思い出した。気味悪くつり上がった細い瞳と、奇妙に歪む唇は昔のままだ。
「君はあまり変わらないね。けど、随分と美味しそうに育った」
唇を湿らせるように伸びた舌は、不気味な程に赤い。
「誰か、代わらないか?」
本気で戦いたくなかった。この男の力量もさることながら、存在自体を受け付けたくないと強く思う。この異質さは、蜘蛛の異質さとはまた違う。
「知り合い同士やると良いね」
普段の態度とはうってかわって戦闘に乗り気ではないフェイタンに、溜息を吐き出す。俺が嫌な相手だ。他の団員も勿論嫌がるに決まっている。
「知り合いって程の仲じゃないんだけどな」
もらしたぼやきは皆に黙殺されてしまった。
まあ良いか、と気持ちを切り替える。たとえどんな相手であろうと、俺の居場所を奪おうとする奴を倒せば良いだけの話なのだから。
背負った棒を静かに構えれば、道化師はにんまりと笑った。
「入団希望者は、現団員を倒せば良い。僕の相手は君ってことで良いのかな?」
「不満か?」
「いいや」
握った拳を前に突きだし筋肉をほぐしながら、男は余裕をもった声で続けた。
「噂の幻影旅団に入れる上に君と戦えるなんて、今日は最高の一日になりそうだ」
己の勝利を確信した、揺るがない口調だった。
慢心だとは捉えず、大きく深呼吸を挟んで適度な緊張を保つ。
念を覚えてない状態でも異様に強かった。この男は、強者である。そんな認識を持ち、その上で彼の前に立ちはだかる。
譲れないから、絶対に四番を守りきってみせる。
「いくぞ」
言葉を発すると同時に駆け出す。左手に握った如意棒を斜め上から降り下ろせば、鋼鉄のような硬さの右腕で防がれた。次いで襲いかかる左足の蹴りを如意棒で防ぐ。
様子見のように始まった戦いは、暫く膠着した。お互いがお互いの攻撃を防ぎ合い、一つもまともに当たっていない。相手の攻撃も全て防げてはいるが、少しずつ押されている気がした。力、速さ、どちらも彼の方が勝っている。今ついていけているのは、同様に俺より力量が勝るフィンクスやウボォーギンとの肉弾戦に慣れているからに違いない。
「もう熟れ時、かな」
耳元に吹き込まれた言葉の意味は理解出来なかった。ただただ耳にかかった吐息が気持ち悪く、力任せに如意棒を振るう。なんなく如意棒を掴んだ男の手に力が入る。
咄嗟にその場から飛び退いた。しかし、既に遅い。手元に残った如意棒は半分の長さになっている。
力任せに如意棒を折った手を不思議そうに男は眺める。が、すぐに合点がいったようで笑みを浮かべながら此方に視線を移した。
「具現化系、か」
呆気なく如意棒の正体を知られてしまったことに、舌打ちをもらす。能力の弱点を簡単に見抜かれてしまった。如意棒は切り離されれば、俺の意思に関わらずすぐに消滅してしまう。
しかし、俺の方も一つ知れた。
「お前は強化系か」
「ヒソカって呼んで良いよ、お兄ちゃん」
茶化すような言葉が返ってきたが、間違いないと確信する。如意棒の強度はそれなりのものだ。強化系のウボォーギンやフィンクスは力任せに折ってくるが、団員の中でも念能力を使わずそんな真似ができる者は他にはいない。
ならば、いつもやっているように戦えば良い。
左手にオーラを集中させる。
「うん。良いねえ」
元の長さに戻った如意棒を手に、男目掛けて駆け出した。
男のすぐ手前で跳躍する。上から突き刺した如意棒は避けられて地にめり込んだ。着地を狙って繰り出された拳は右腕で防御する。それと同時に振り回した如意棒を、男は防御せずに後ろに避けようとした。
「伸びろ」
囁きと共に如意棒は獲物に向かって伸びていき、見事男の右脇腹をとらえた。
咄嗟にオーラを集めていたのか、脇腹の傷は浅い。しかも並の人間ならば壁まで吹っ飛ぶ程の力をこめたが、男は僅かに足の位置がずれた程度だ。
「ううん。これはちょっと期待外れ」
その声にこめられたものは、落胆だった。
ぞくりと背筋に悪寒が走り、反射的に距離をとる。
「それ、伸びたり縮んだりするのは面白いんだけど」
両手を組み合わせたり離したりと弄ぶ様は、余裕があるというより異質だった。戦っているはずなのに、相手にされている気がしない。
「君、全然使いこなせてないなあ」
あっさりとした口調で放たれた駄目だしに、舌打ちをもらす。これでも十年以上慣れ親しんだ如意棒だ。それなりに使いこなせているという自負が、男の言葉を拒絶する。
「そりゃどうも」
投げやりに吐き捨て、再び如意棒を伸ばした。今度は距離をとりながら、如意棒の長さを変えつつ攻撃を加える。全て余裕をもって防がれることに、苛立ちが募った時だった。
「なっ」
右腕が何かに引っ張られた。その何かの正体を探ろうと目にオーラを溜めて凝をする。漸くとらえたそれが、オーラでできた紐のようなものだと理解した瞬間、頬に衝撃を感じて身体が吹っ飛んだ。
壁にぶつかり、勢いが止まる。身を起こしながら注意深く観察すれば、男の右手から俺の右腕と殴られた左の頬に向かい、紐らしきものが伸びていた。
「具現化、いや。変化系か?」
険しい声となって疑念が溢れおちる。
強化系という線は捨てきれない。だがオーラでできたそれは、他の系統を使えることを意味している。具現化系でできた紐か、もしくはオーラを糸に変化させるマチのようにオーラを変化させたのか。より強化系に近い変化系かと問えば、男は気味の悪い笑みを深めた。
「さあ?」
さあ解いてみせろと謎を提示する様は、子供のように無邪気で此方を苛立たせる。
試しに右腕を振ってみれば、つられるようにオーラも揺れる。柔軟性をみせつけられただけだった。
それから先程起こったことを頭の中で思い起こす。突然男目掛けて引っ張られ、殴られた。この時に気持ち悪いものを左頬にくっつけられたのだろう。拭いたい衝動にかられるが、念能力の正体が分からない今は迂闊に動けない。
しかし早く何らかの対策を立てないと、また先程と同じように引っ張られてしまう。
「分からないかい? じゃあもう一回」
恩着せがましく宣言したあと、今度は頬に引力を感じた。
もうあれこれと考えてはいられない。頭の中を空っぽにして、引力に負けないよう足に力をこめる。如意棒を握り絞める両手にオーラを集中させる。勝手に動き出す身体に合わせて走り出し、負けじと如意棒を伸ばした。
より速く、ただそれだけを念じた結果、意思に応じて具現化した金輪が頭を絞め付けるのを感じた。
「やるねえ」
楽しげに呟きをこぼした男は攻撃を加えるのを諦めて屈み、如意棒は空をきる。身体を突き動かす衝動はいまだ身の内で燻り、止まることを知らない。負けてなるものか。その一心で左手に握った如意棒を男目掛けて降り下ろす。
これも避けられ、如意棒は地にめり込んだ。先程よりも激しく、辺りに木片を撒き散らしながら。
再び、右腕に引力を感じる。頬に、腕に、足に、木片がぶつかるのを感じながら男目掛けて引っ張られる。その力に抗わず、そっと両手にオーラを集中させた。
「二度も同じ手は食らわないよ」
伸ばした左手の如意棒は、男の右手になんなく掴まれ、木っ端微塵に粉砕される。ここまでは想定の範囲内。男が蹴り上げた左足が脇腹に突っ込む。これも想定の範囲内。脇腹にオーラを集中させて、両足を踏ん張り何とか耐える。
「っ」
息をのんだのは男だった。見えない如意棒を頭に食らい、吹っ飛びはしなかったが、5m程勢いのまま横にずれる。
耳に入ってきたのは自分の荒い息のみ。視界に入るのは攻撃をくらった頭部を押さえながら俯く男のみ。
見えない如意棒を両手で構え、短い呼吸を繰り返しながら息を整えていれば、やがて男はゆっくりと顔を上げた。
「くっ。くくっ」
ぞわりと悪寒が走り抜ける。低い笑い声と、凶悪を通り越して人外なのではと疑いたくなるほど歪んだ表情。
「あははははっ」
狂ったように笑い声を響かせる。
「良いねえ、君」
頭からたらりと流れた血を手で拭う。汚れた掌を、舌で舐めとる。一連の動作が、気持ち悪くて仕方ない。
「そりゃどうも」
なけなしの虚勢を張れば、男はぐるりと周りを見渡した。団長で視線を留め、にたりと笑ったあと、思案気に腕を組む。
「おかしいなあ。僕は此処で君を殺すはずなんだけど」
奇妙な発言に慣れてしまったせいか、落ち着いてその言葉を聞き流す。
「まだ楽しめそう」
俺は楽しむどころではないが、実際まだ余裕はある。金輪の能力はまだ三日分。三ヶ月までしか試してないが、そこまで発動すれば今とは段違いの強さを得られる。それこそ、如意棒の扱いがなっていないとは絶対に言わせないくらいには。
「あっ」
反応のない此方を全く気にせず、男はのんびりと芝居がかった仕草で手を打った。
「もしかして、君もイレギュラー?」
「は?」
問いを放つならば、理解できるように言って欲しい。変態の言葉を一発で理解できるほど俺は人生経験を積んでいない。
そんなことを考えていたものだから、続けて放たれた言葉に素を出してしまった。
「ルーク。君も、前世の記憶があったりするのかい?」
「っ」
すぐに言葉を返せなかった。驚きを示してしまった。
それだけで男には充分だったらしい。
「やっぱり。いやあ、まさかとは思ったけど、偶然ってすごいねえ」
凶悪なオーラを綺麗さっぱり消し去り、悠々と歩き出す。その方向が出口だと気付き、焦って声をあげた。
「待て! どこ行くんだ!」
「どこって帰るんだよ。別に蜘蛛に入らなくても目的は達成できるし。それに、イレギュラーは多い方が楽しめるだろう?」
理解が追い付かない。ただ、男を行かせてはならないことだけは確かだった。
「イレギュラーって、お前は何をどこまで知っている!?」
「ヒソカだよ、お兄ちゃん」
「ヒソカ!」
扉まであと少しのところで、ヒソカは漸く歩みを止めた。顔だけで振り向き、口角を上げる。
「君の妹のアリス、いや、リリイだっけ。彼女は元気?」
放たれた台詞は、予想とは全く違うものだった。反応が遅れながらも、この問いに答えれば、きっと俺の望む答えももらえると期待してしまった。
「元気だ」
嘘をついた。アリスが今何処で何をしているかなんて、全く知らない。けれど、元気で幸せであれば良いといつだって祈っている。妹だけは"普通"の人生を送っているのだと信じている。
それに、本当のところをヒソカが知るわけないのだから、真実でなくても構わない。
「くくっ」
どういう思考が働いたのかは理解したくないが、楽しそうに喉で笑ったヒソカは、片手を振り。
「また遊ぼうね、お兄ちゃん」
止める間もなく扉の向こうへとその身を滑らせた。
衝動のまま駆け出してアジトを出るも、既に視界には人影すら捉えられない。
「ルーク。あれって」
後ろからシャルナークの声がかかる。恐らく同じことを考えているのだろう。いつものフィンクスのように額に青筋を立てたくなりながら仕方なく言葉の続きを口に出してやった。
「ああ。多分、俺と同じ境遇の奴、しかも知識を持っている奴があいつの近くにいる。それで、あいつは登場人物だ」
薄ぼんやりとしか覚えてないが、あんな奴が漫画に出てきたような気もする。未来の蜘蛛の知識を得るためには、否応なくあいつと関わりを持たなくてはならないことを思えば、今から気が滅入った。
それでも、諦めるわけにはいかない。
「やっぱり、か。とりあえず、ヒソカの情報漁ってみるよ」
「頼む」
独りきりになるよりも、今の方がずっと良いのだから。