刺青



「まずっ」
「これ本当に人魚の肉かよ」

 眼前では宴会が繰り広げられていた。本日のお目当てだったのだろう、人魚の肉を中心に。

「ルークだっけか。お前も食うか?」

 やけにでかい男に爽やかな笑みで勧められたが、首を横に振って遠慮する。口から飛び出しそうな文句を、傍らに置いた棒を握り締めて何とか堪えた。
 今この瞬間もじりじりした痛みが背に走る。何を彫っているのか不安で振り返ろうとすれば、意外に強い力で上半身を固定される。つまりは今現在刺青を入れられている最中の俺の前だというのに、無邪気にはしゃぐのは無神経ではないのか。俺の置かれた状況を理解した上で誘っているのならば、唯の考え無しの馬鹿なのか。そもそも俺は警戒されていたんじゃなかったのか。
 不満渦巻く胸中を、男は全く察してくれなかった。目の前にどっしり腰を下ろし、歯を見せて笑う。

「俺はウボォーギンだ。宜しくな、ルーク」

 言うなり手を取られ、馬鹿力で強引に振られた。あまりの勢いに上半身がぶれて肩甲骨辺りに何かが刺さった感触。

「あー!」

 後ろから不平の声が上がるが、むしろ俺が叫びたい。

「邪魔するならどっか行って」

 幼さを残しながら殺気を漂わせた声にも、ウボォーギンと名乗った男は動じなかった。

「わりいな、アーティー」

 からからと笑いながら謝罪した男の右腕が音もなく動いた。耳が風の音を捉える。水平に上げた状態で静止した右手に握られているのは刺青をいれる時に使うのだろう、先に尖った刃物がついた短い棒のようなもの。
 アーティーか。俺が背を預けている子供が放ったのか。今更ながら後悔を一つ息にして表明する。ここにいたらいつ殺されるか分からない。殺し合いではなく単なる喧嘩で致命傷を負いそうだ。
 やはりというべきか、今のやり取りは喧嘩にも満たない単なるじゃれ合いだったようだ。ウボォーギンはそのがたいに似つかわしい大きな掌で捕獲した刃物を弄び、アーティーは黙々と作業に戻る。
 あっさりとした幕引きに、実際に被害を受けた俺にも謝れと言いそびれた。

「で、だ。お前、あとで俺と遊ばねえ?」

 流石に刺青を彫る作業の邪魔をする気はないのか、大男は少し距離を取って話しかけてくる。
 厄介そうな奴に興味を持たれたことに辟易した。こいつは恐らく戦いそのものを好んでいる。しかも見た限りかなり鍛えていて武器も持っていない。肉弾戦が主なのだろう。まともにやりあったら棒どころか如意棒もへし折られそうだ。オーラで具現化した如意棒は、俺のイメージに影響を受ける。故に、俺が折れるとイメージしてしまえば、即座に消滅する。昔親代わりとの訓練中、散々経験した。
 どうやって断ろうか頭を悩ませていたところに、新たな声がかかった。

「何話してるんだ?」

 軽やかな口調につられて視線を上げ、すぐに目の前の大男に戻す。関わりたくない。

「俺はシャルナーク。宜しく」

 上体を屈めて無理矢理視線を合わせてきた少年、シャルナークは先程同様朗らかな笑みを浮かべている。胡散臭いことこの上ない。
 非友好的な態度で無視したにも関わらず、彼は強引に大男の隣に座り込んできた。理解出来ない、色々と。

「あのさ、さっきと随分態度違わない?」

 鬱陶しさが全面に出た声になった。不思議そうに目を見合わせる二人を睨み付ける。

「俺は信用出来ないんだろう?」

 大男といい、この少年といい、何故構ってくるのか。放っておいてくれて俺は構わない。

「まあな」

 大男は頬を掻きながら正直に同意を示した。

「ま、でも俺は喧嘩できりゃそれで良いからな!」

 即座に視線を隣の少年に移す。大男は恐らく話が通じない類の人間だ。
 視線でその心情を察したのか、彼は苦笑をもらした。

「俺は元々反対してないよ。それに団長が君のこと気に入ってるから」

 少年はどこまでも胡散臭い奴だった。

「どこが?」

 クロロは一番信用ならない奴だと確信している。目付きの悪い小柄な少年に俺の殺害許可を与えたことはしっかり記憶に残っていた。

「いつか団長に聞いてみたら?」

 はぐらかされた、とすぐに悟る。きっとクロロに尋ねても答えはくれないだろう。クロロは、分かり辛い。他者に理解されることを拒んでいるかのようだ。その癖他者の全てを理解しているかのような態度だから気に食わない。

「でさ」

 少年は身を乗り出してきた。話が変わったことを空気で感じ、嫌々ながら視線を合わせる。

「一応団長にも言われたから調べてみようと思うんだけど」

 記憶を掘り起こし、自然と眉間に力が入った。悟られないよう俯いたが、効果があったかは分からない。
 クロロがアリスのことを調べろと命じた。つまり、この少年が盗賊団の情報源ということだ。それは俺のことを調べ、この状況を意図的に作り出した元凶が少年であることも意味している。正直に言えば、気に食わない。

「その前に一つ。俺のことはどこまで調べた?」

 しかし、俺の感情よりもアリスとの約束の方が優先されるのは当然のことだ。冷静に、そう言い聞かせて相手の情報収集能力を見極める。

「恐らく若い念使いで一人で行動してるってことかな。あとは一見神出鬼没にみえるけど、二年前からは規則性が発見できたからそれで今回も予想出来た」

 深く嘆息する。己の行動を反省するしかなかった。
 自分でも、ある程度の情報を与えていることは理解していた。まず第一に人身売買組織しか狙っていないこと。次に国をまたいで行動していること。始めの一年は唯一の手がかりだった住所のある国を中心に荒らしていた。が、そこでマフィアを敵に回してからは、二年間の逃亡生活中転々とした土地を遡るように動いている。俺にはよく分からないが、親代わりが選んだそれらの土地に何らかの規則性があったのだろう。危険性に気付いてはいたが、基本的に人身売買組織はその地域に根付いており、国どころか大陸を変えれば追っては来ないだろうと楽観視していた。
 それらの理由から後者は理解出来る。けれど、前者は理解出来なかった。

「若い念使いで一人で行動してるっていうのはどこから?」
「組織にしては情報が少なすぎる。これで単独か極めて少人数だと推測した。次に全滅した組織に念使いがいた事例が数件。このことから念使いって分かる。でも念使いもしくはそれなりの実力者で、ここ数年裏にもぐっている者、人身売買組織に恨みを持つ者は出てこなかった。だから、まだ表立って活躍したことのない若い人」

 俺達みたいなね、と人差し指を突き付けて自慢気に話を締める少年に、一つ突っ込む。

「で、何で複数犯説は消えたんだ?」

 極めて重要な論点だ。彼らが必要としていた人数は一人。よって複数犯だと候補から消えたはずなのだ。
 彼は振り返り、輪を作るメンバーの一人を指さした。

「マチがさ、一人だって。マチの勘はよく当たるんだ」

 名前に反応して此方に視線をやった少女は、すぐに興味を失ったらしく肉を頬張る作業に戻る。
 パクとかいう少女をかばっていたのがマチというらしい。勘が鋭く、そして俺の敵だ、と認識する。そのよく働くらしい勘のせいで俺は巻き込まれたのだ。

「それで、俺の能力は信用出来そう?」

 一人静かに敵愾心をもやしていたところ、出し抜けにぶつけられた疑問に虚を突かれた。恐らく間抜け面を晒していたことだろう。一瞬でも油断した自分を苦々しく思いながら歯を噛み締める。
 此方の思惑を全て見透かされるのは、酷く不快だ。まるで親代わりと話しているような気分になるから。今回もそう。彼を試していたことを見透かされ、尚且つ理解した上で丁寧に説明してやったのだと少年は余裕を見せつけてきた。やはり、気に食わない。けれど、確かに能力はあるのだ。それは認めなければ、俺がクロロに屈した意味がない。
 表情を引き締めて、俺は語った。アリスのことを。
 相手の表情の変化は実に分かり易いものだった。始めはにこやかに、そして徐々に呆れに変わり、最後は再び笑顔に。

「あははっ。馬鹿だ! 馬鹿がいる!」

 遠慮という言葉を知らないらしい。眦に涙まで溜めながら床を叩き笑い転げる少年を、俺は笑えなかった。

「なあ、つまりどういう事だ?」

 同じ説明を聞いていたにも関わらず不思議そうに頭を傾げる大男に、傍らの少年は分かりやすく話を要約してくれた。

「つまり、アリスっていうルーク少年の妹が売られてしまいました。ルーク少年は売られた店を知って探しに行きました。けれどアリスなんていう名前の子供は見付かりません。それもそのはず。元々逃亡生活を送っていたので、妹は名前も容姿も変えていたのです。ルーク少年がその事に気付いたのは、店を破壊してからでした。全ては遅く、手懸かりも自分の手で消してしまっていました」
「そりゃ馬鹿だな」

 しみじみ頷く大男を睨み付ける。自分の愚かさを理解している分、むしろ笑い飛ばして欲しい。

「で、どうなんだ?」
「何が?」
「探せるのか?」

 声に険が混じる。
 少年は本日一番の満面の笑みを見せた。

「1000万ジェニー」
「は?」
「前金で」

 輝く前歯が憎たらしい。右手で額を押さえ、その真意を確認する。

「情報料を取るって解釈して良い?」
「勿論」

 清々しい程の即答だった。当然のことを聞くなと云わんばかりの明朗な答えだった。
 落ち込む自分が苛立たしい。仲間といっても、無条件に協力し合う関係である必要はない。むしろこのくらいの距離があった方が都合は良い。いや、そうであるべきだ。金銭が発生した方が弱味を一方的に掴まれずに済む。仲良しこよしの関係なんか、こっちだって望んでいないのだから。
 頭を軽く振って、気分を切り替える。

「分かった」
「終わったよ」

 了承の言葉と重なるように後ろから掛かった終了の合図。どんな刺青が彫られてしまったか確認しようと首を捻ったが、やはり背中の図は上手く見られない。後で鏡に写して確認しようと思い直し、服を手に取った時だった。

「クロロ。条件は団長の命令厳守で良かった?」

 道具をしまいながら呑気な声で問いを投げる子供に、クロロは宴の輪からのんびりと答えを返す。

「ああ。充分だ」

 ぞくっと背筋に悪寒が走った。丁度刺青をいれられた辺りから、ひんやりとした悪意を感じ取ってしまう。
 思わず見やった先、刺青を入れた張本人である子供は、俺を見上げて口許を綻ばせた。

「気を付けてね。団長の命令に逆らったら、お兄さん死んじゃうから」
「クロロ! お前最初っからそのつもりで!」

 大声を張り上げたところに、横から何かが投げつけられて反射的に受け取った。
 情報屋の少年は笑顔を崩さないまま、俺に投げた携帯を指さす。

「旅団の活動がある時はそれに連絡するから。あと携帯代の20万ジェニーもちゃんと振り込んでおいてよ。振り込み先はシャルナークの所に登録してある。1000万ジェニーも用意でき次第振り込み宜しく」

 衝動のまま力を籠めた掌の中で、携帯は形を保っていた。どうやらある程度乱暴な扱いをしても壊れない仕様らしい。
 頭に血が昇って目眩がする。これ程の怒りは久しぶりだ。殺意とはまた違った、純粋に自分が虚仮にされたことへの怒り。親代わりといた頃よく味わった感情の波に流されるがまま、子供へと向き直った。

「お前の能力だよな?」

 子供は幼い仕草で首をことんと一回、下に落とす。

「詳しくは秘密。でも僕の決めたルールを破ったら、蜘蛛がお兄さんを食い殺す」

 淡々とした口調で紡ぐ子供は、前髪の奥からじっと此方の様子を伺っていた。少し離れた場所で固まる団員達からの視線も痛い程に感じる。
 薄く、長く、息を吐き出した。アリスの為だ。アリスの居場所を突き止める為に必要なことだ。短慮は身を滅ぼす。つらつらと自らを戒める文句を頭に浮かべ、携帯を握り締める。そしてゆっくりと息を吸い込んだ。

「クロロの命令を聞けば、問題ないっていうこと?」

 再び子供は頷く。

「分かった。じゃあ何かあったら携帯に連絡しろ。俺は帰る」

 早く一人になりたかった。この場にいたらどんな醜態を晒すか分からなかった。
 俯いたまま早足で扉まで急ぐ。

「待って」

 静かな制止の声に、怒りを押さえ込みながらゆっくりと振り向いた。無表情で向き直った先には白いワンピースを着た少女。彼女は右手を上げて掌を上に俺へと突き出している。

「私の銃、返して」

 別に謝罪を求めていたわけじゃない。けれども、此方の怒りを完全に無視されたことにまた苛立ちながら銃を取り出し、少女に投げ付けた。

 足早に辿り着いた寝床で、まず行ったのは背中の確認だった。服を脱ぎ、備え付けの所々欠けた鏡に背を向け、首だけで振り返る。
 蜘蛛だった。背中一面を覆うような蜘蛛の真ん中には4の数字が入れられている。
 ふと思い出す。あの子供は最後何と言ったか。

『ルールを破ったら、蜘蛛がお兄さんを食い殺す』

 会話の中で何回か耳にしたキーワードである蜘蛛にどんな意味があるのか分からない。けれどあの台詞に出てきた蜘蛛は、確実に俺の背にある刺青を指すのだろうと理解出来てしまった。
 身体の奥底からこみ上げる衝動のまま、鏡に拳を叩き込む。木っ端微塵に割れた硝子が飛び散り、視界から蜘蛛の刺青が消えたことに少しだけ胸のざわつきが収まった。けれどもこの身体が毒を含んでしまった事実に変わりはないことくらいは理解している。

「アリスに会いたい。会いたい。会う。絶対に見つけてみせる。約束は守らなきゃ」

 自らに確認するように一頻り思いついた言葉を口に出し、漸く落ち着きを取り戻すことができた。
 そう、決して今日この日起こったことは悪いことばかりではない。情報屋の少年という大きな手がかりを得ることが出来たのだから。


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捏造設定
刺青に念能力の呪い←原作ではシンボルの意味のみ

 

 

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