少女



「お? 来たのか新入り。早えな」

 三ヶ月鳴らなかった携帯にメールが届いたのが二週間前のこと。集合場所として指定された国まで飛行船で一週間はかかる国にいた俺は、指示された日の三日前にきちんと辿り着いた。そして到着早々放られたのはそんな気楽な声かけだった。

「命令には絶対服従って決めたのはそっちじゃなかった?」

 前回連れ込まれた場所より若干小さめの廃屋に揃っていたのは三人。その内の一人、言葉を交わしたことのある情報屋の少年に向けて苛立ち隠さず話しかければ、爽やかな笑みで流される。

「『暇な奴』って指定があれば、暇な時だけ参加で良いよ」
「じゃさよなら」

 あまりの軽い返答に、四日間行くべきか迷った自分が馬鹿馬鹿しくなった。
 メールを受け取ってからまず検討したのは、俺は暇であるのか、という事案について。つまり、やるべき事があるかないか。これはあると言えるだろう。情報屋の少年に支払う金を用意しなくてはならない。が、これが案外難しかった。盗むことには慣れている。けれど俺は盗品の流通ルートに関してあまりにも無知だ。親代わりには教わらなかった。生活に必要最低限の物しか盗まないといって拒否したのは俺だ。だから食料品や家に保管してある小金しか盗まなかった。今まではそれで充分だった。
 では、真面目に働いて稼ぐか。考えてすぐに否定する。まず、恐らく俺は戸籍を持っていない。そして未成年だ。まともに働ける訳がない。たとえ働けても稼ぎはごく僅かだ。1000万ジェニーという大金を稼ぐまでにどれだけの時間を要するか。現実的ではない。
 比較検討した結果、道徳観を考慮するのは今更だということで早さを重視し、盗みを繰り返すことにした。今までよりも裕福な家を狙い、金庫を寝床に持ち帰り、壊して中身を取り出す。場所を移しながら二ヶ月で五件程犯行を繰り返し、止めた。普通に考えれば分かることだが、金庫の中身は全てが現金ではなく宝石や俺にはその価値がよく分からない代物だったからだ。盗品の流通ルートに精通している人物に心当たりはあるものの、信用して良いのか未だ判断がつかない為、目ぼしい物だけ荷物に入れてある。
 その後の一ヶ月は、今まで通り小金を貯めているような家を狙って盗みを繰り返した。現金での稼ぎは50万ジェニー。普通に稼ぐよりは確実に早いが、目標までは程遠い。
 そんな生活をしている中、送られてきたメール。正直な気持ち、一生連絡が来なくても構わなかった。けれど来てしまったからには考えなくてはならない。そして暇ではないと結論を出した。小金を稼ぐのに忙しい上、移動にも金がかかる。
 それでも足を運んだのは、荷物を占拠する行き場のなくなった盗品の存在と背中に存在する枷を意識してのこと。暇の定義が彼らと違い、命令違反とみなされて殺されるのは勘弁だ。
 そんな経緯の末、嫌々着いてみればなんとも緩い枷だと判明すれば、帰りたくなるのも当然だろう。

「待てよ。折角時間があるんだからちょっくら遊ぼうぜ」

 後ろから近付く気配に、一歩横にずれる。予想はしていたが、相手は肩を掴もうとしたのだろう手の行き場を失い、此方を睨み付けてきた。こめかみをひくつかせている辺り、随分と切れ易い印象を受ける。

「悪いけど、遊んでる"暇"はないんだ。三日後また来るよ」

 ここまで来たからには、今更ばっくれても良いことは少ないだろう。幻影旅団の実力を知れる上、彼らの持つ独自の盗品の流通ルートを探るため参加は決めたが、親交を深める気は更々無い。後ろで上がる罵声は無視してそのまま廃屋を離れた。

 その日の寝床を見付けようと少し離れた地区を散策し、ちょうど良い公園を見付けたのは既に日も落ちた頃合。現在節約生活中故、宿を取る気はない。廃屋に潜り込めば雨風は防げるが、条件の合う地区に旅団の集合場所があるため、気分的に嫌だった。
 住宅街の近くで昼間は利用者が多いのか、きちんと清掃がされているらしい。本日のベッドと決めたベンチはさほど汚れもない。もう夜も更けていることもあり人気もなく、誰か来たら気配で気付くだろうと早速横になって瞼を閉じる。長い時間の移動で疲れていたのか、眠りの気配は実にあっさりと身体を飲み込んだ。
 一時間程経っただろうか。耳に心地好い虫の鳴き声に突然混じってきた人の気配に浅い睡眠から覚醒する。ゆっくりと警戒しながら身を起こせば、人工の明かりに照らされていたせいか、すぐに相手は此方に気付いてしまった。

「だっ誰?」

 高く頼りない声に、警戒を緩める。

「怪しい者だけど。君は? こんな夜中に一人は危ないよ」

 人の気配が薄いこの空間は、何かあった時に気付かれにくい。そんな心配から出た言葉に、少女は一瞬目を丸くし、そして小さく笑った。その瞬間、目尻から涙が溢れ落ちるのをじっと眺める。

「変なの。貴方が危ない人じゃないなら、私は大丈夫だわ」

 距離を置いたまま立ちつくす彼女を、ベンチに座ったまま見上げた。街灯の光に照らされた少女をゆっくりと眺め、美しい少女だと知る。金髪碧眼の愛らしい顔立ちが、ではない。此方を真っ直ぐ見詰める瞳が涙で潤んでいるのにも関わらず、その視線に意思の強さが込められていることが、好ましかった。

「怪しいけれど、危なくはないかな?」

 柔らかくみえるよう口許を綻ばせる。少しだけ彼女と言葉を交わしたかった。その涙の訳を、聞いてみたかった。
 同年代だろう少女は、それでも警戒を解かず、溢れる涙をそのままに少しだけ悩むように首を傾げた。が、すぐに思い直したように視線を上げ、此方を指さす。

「良いわ。それで、怪しいけど危なくない貴方はいつまで泣いている女の子を突っ立たせておくの?」

 急に強気な口調になった少女に苦笑をもらしながら、荷物を背負って立ち上がり空間を譲ってやる。毛布代わりに使っていた上着はベンチの上に敷き、三歩分距離を取る。

「どうぞ、お嬢さん」

 片手で促せば、満足したように頷き腰を下ろす少女。
 礼も言わないその傲慢さを不思議と微笑ましく見守れる自分がいる。少し考えて、すぐに納得した。弱い子が強気な態度を取っていると、その虚勢が可愛らしいものに思えてくるんだ。アリスのように。いや、アリスは強いしもっと可愛かったけれど。

「で、貴方はどうして此処に? 見慣れない顔だけれどこの辺に住んでいるの? 家出?」

 強引に袖で涙を拭いながら毅然と問いかける少女こそが家出なんだろうな、と予想しながら慣れた答えを返した。

「ヘンデス。ハンター目指して武者修行中なんだ。それで、お金が無くて野宿してる」

 親代わりに仕込まれた嘘だ。なんでもこの世界にはハンターという社会的地位の高い職があり、ハンター志望といえば大概の不審な行動は見逃してくれるとのこと。例えば俺のような餓鬼が凶器となりうるでかい棒を背負っていても、咎められることはない。
 案の定、少女もすんなりと信じてくれた。

「へえ。私と同い年くらいなのに凄いのね」

 大抵の人の反応と同様、その視線には羨望がたっぷりと含まれている。一体ハンターがどんなものなのか、一般常識に疎い俺は分からないが、凄い職業らしい。

「ねえ、私もハンターになれるかな?」

 無理矢理声を弾ませる少女に曖昧な笑みを返した。涙の気配が薄れたのは嬉しいが、如何せん俺も詳細は知らない。ただ一つ、分かること。
 左腕を後ろにやり、一瞬にして棒を振り下ろし、腕が水平になったところでぴたりと止める。ちょうど、少女の目の鼻と先に棒の先がきた。風圧で金の髪がふわりと持ち上がる。

「へ?」

 何が起こったのか理解出来なかったらしい。一拍置いて棒を避けるようにベンチの端まで後ずさった。

「ちょっと! 危ないじゃない!」
「無理じゃないかな。少なくとも現時点では」

 すぐに棒を背負い直し、答えを出す。分かってはいたけれど、反応が遅すぎだ。

「何が?」

 険も露な声で問い返す少女に、苦笑をもらしながら一歩下がって答えた。再び警戒されてしまったらしい。

「ハンターになるの。このくらい、すぐに対応出来なきゃ無理だよ」

 漸く話が通じたのか、少女は自分から取った距離を詰めて座り直した。そして俯き、ぽつりと漏らす。

「分かっているわよ、そんなの。言ってみただけじゃない。何よ。夢を見るのも駄目なの? 皆していたいけな少女を苛めてそんなに楽しいの?」

 鼻を小さく鳴らしたのは再び涙の波が押し寄せているからだろう。軽い一言が彼女の心を傷付けたのだと知る。
 小さく縮こまる姿に良心を刺激された訳ではない。けれど、無性に優しくしてやりたくなった。考えてしまったのだ。もし、アリスがこんな風に一人泣いていたら。辛い目に合っていたら。傍にいる人、誰でも良いからアリスに優しくして欲しい。

「慰めても良いかな?」

 けれど、これが唯の自己満足だっていうことをよく知っていたから、お伺いをたててみた。許可をもらわなくては不審さが倍増する。
 少女はきょとんと此方を大きな瞳で見返し、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。次いで、意地の悪い笑みを見せる。

「良いわよ」

 やれるもんならやってみなさいと言いた気な態度に、少しだけ気分が盛り下がった。恥じらってくれとまでは言わないが、アリスの素直さと可憐さを少しだけ見習って欲しい。
 許可が出たため空いた距離を詰め、目の前に跪く。そして少し上に位置する頭に手を伸ばした。
 自分から言い出しておいて難だが、慰めの手段なんて頭を撫でるくらいしか思い付かない。アリス相手なら抱き締めて髪に頬にキスしながら大丈夫と繰り返すのだが、流石に初対面の女の子にそこまですると、下手したら通報される。
 少女は目を瞑り、じっと大人しくされるがままだ。何となく、こういう行為に慣れている印象を受ける。他人からの愛情表現を、当然のこととして日常的に受けているような。

「ハンターになるのが絶対に無理とは言わない」

 撫でる手をそのままに、口を動かす。少女はゆっくりと目を開け、此方を碧い瞳でじっと見詰めてきた。

「だけど、すごく大変なんだ。それこそ一生かけたってなれないくらい」

 さっきからやる気が削がれたままなので、適当な言葉で宥めにかかる。

「君が本気でハンターになりたいのなら、助言できるかもしれない。だけど、そうじゃないなら俺は無理だと言うことしか出来ない」

 お互いの視線が交差する。見詰め合うこと数秒、先に反らしたのは少女だった。

「貴方って意地悪」

 そっぽを向きながら溢された呟きに、頭に置いていた手を戻した。もう大丈夫だろう、きっと。
 少女はじっと離れていく手を追いかけ、そして小さく鼻を鳴らした。これは恐らく嫌な類の反応だ。案の定少女は両手を腰に当て、上から見下してくる。

「貴方、随分女の子の扱いに慣れているのね。ハンターになる武者修行じゃなくて、旅の途中で女の子漁っているだけなんじゃないの?」

 随分な言いぐさだ。恐らくこれが地の性格なのだろう。友達いないに違いない。
 心の中でそんな悪態をつきながら、表面上は薄く笑みを作る。

「さあ」

 妹がいるから気難しい女の子の扱いは慣れていると答えれば話は簡単なのだけれど、告げる気はなかった。アリスの情報に関しては警戒してもし過ぎることはないのだから。
 少女は望む答えでなかったからか、此方を睨み付けてくる。さっきまで泣いていたのに、感情の波が激しいことだ。そういえば、と思い出す。

「何で泣いてたの?」

 これを聞こうと思って少女にベンチを譲ったのだった。別に聞けなくても構わないが、という軽い気持ちで問いかければ、少女は大袈裟に溜め息を吐き出す。

「普通は説教の前にそれを聞くでしょう?」
「気に障ったなら謝るよ」
「謝って」
「ごめんなさい」

 言われるがままに謝ったというのに、再びあからさまに溜め息を吐かれてしまった。どこまでも面倒臭い女の子だ。

「もうどうでも良くなっちゃった。それに、貴方みたいにしっかり夢を実現させようと頑張っている人には言えないわ」

 思わず吹き出しそうになるのを寸でのところで堪える。少女の中で一体俺はどんな人物になっているのだろう。
 少女は言葉の通り満足したのか立ち上がり、お尻の辺りを手ではたく。俺の上着はそこまで汚くないというのに、失礼な女の子だ。

「貴方、いつまで此処にいるの?」
「さあ。三日くらいかな」

 旅団の用事が終わったらすぐに離れるつもりで答えれば、少女は花が綻ぶように笑った。

「そう。またね、ヘンデス」

 出し抜けに偽名を呼ばれ、今更なことを思い出した。踵を返す少女の背中に声をかける。

「君の名前は?」

 計算したかのような滑らかな動きでくるりと回った彼女は、しかめっ面で舌を出した。幼いとも媚びを売っているとも取れるその様は、やはり甘えることに慣れている。

「さっきの訂正するわ。女の子の扱いに慣れているっていうの。それは可愛い女の子に会ったら一番初めに聞くべきことよ!」

 けれど、あまりに清々しく愛でてくれと全身で叫ぶ態度に、もう不快感は起きない。そういう子なのだと短期間に学んだ。

「覚えておくよ」

 自然にもれた苦笑に少女も嬉しそうに笑う。

「マリアよ。お休みなさい、ヘンデス」
「お休みなさい、マリア。良い夢を」

 少しだけ不安を抱いていたのだが、流石に初対面の男を家に呼ぶ気はないらしい。ハンター志望で野宿だと告げれば、時折家に泊めてくれようとする親切な人もいたけれど、それはあまりにも愚かな行為だ。年齢的に幼いとはいえ、武器を持っている初対面の人物の言葉を信用すべきではない。マリアがその程度の警戒心を持っていたことに安心する。

「マリア、か」

 面白い女の子だった。この三日の間だけなら、偽りの存在としてなら、また会いたいと思える程に。
 けれど、次の日も、その次の日も、彼女は公園に来なかった。


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