悪意



 三日ぶりに足を踏み入れた廃屋には、七人の少年少女が揃っていた。

「遅かったな」

 その中でも一際存在感を放つ少年、クロロに言葉を返す必要性は感じられない。恐らく三日前に遭遇した三人から俺の参加と近くに来ていたことは報告を受けているだろう。白々しいやり取りをするつもりはなかった。
 殺気に似た視線を一つ感じながら、彼らから少し離れた所に腰を下ろす。

「今日の獲物はカマントーネの涙だ」

 しんと静まりかえる空間で、一人早鐘のように鼓動が速まるのを感じる。
 まずい。何のことだかさっぱり分からない。世間の常識に疎すぎるのはこういう時に不利だ。涙というからにはきっと小さい物なのだろう。カマントーネは固有名詞の響きであるから関係ないはずだ。大丈夫だ。獲物の正体が分からなくても、小さい物に狙いを定めればきっと何とかなる。
 何気なく胸に掌を当てて鼓動を収めようとしたちょうどその時、一人が間抜けな声を上げた。

「何だ? その何とかの涙っていうのは」

 心臓の辺りを思わず掴んだ。鳴るな、鼓動。そう念じながら声の主を注視する。同類がいたことへの安堵よりも、無知をさらけ出した少年への反応の方が恐ろしかった。

「宝石よ、宝石。知らないの? フィンクス」

 やけに露出の多い格好をした大人びた少女がからかうように笑う。周りの数人が同調するように頷いたり囃し立てる。
 予想はしていたが、知っている振りをしようと当面の方針が決まった。

「うるせえよコノミ!」
「フィンクスの方がうるさいって」
「んだとっ」
「説明を続けて良いか?」

 落ち着いた声音で場の主導権をいとも簡単に取り戻したクロロが、朗々とした声で続ける。

「カマントーネの涙は透明な小粒の宝石だ。暗闇の中光にあてると十二色に輝くらしい。古ヌムルア王国が滅ぶ際最後の姫カマントーネが流した涙が水晶に落ち、それが十二色に発光したとされる逸話が残っている。後世その水晶で作られたのがカマントーネの涙という訳だ。現在の技術で分析した結果、石の成分は水晶のみ。何故十二色に輝くかは謎のままだ」

 訳知り顔で平静を保っていたが、最後ちらりと此方に視線をやるクロロが憎い。俺の無知はどうやら彼には見透かされていたようだ。

「一週間前からヘンランブルグ美術館で限定公開されている。警備も特別厳しいらしいな、シャルナーク?」

 クロロに話を振られたのは情報屋の少年だった。すくっと立ち上がり、周りに視線をやりながら声を響かせる。

「今回特別に雇われた警備は二十人。内三人が念使い」

 知らず身が震えた。念を使えるか使えないか、それは事の正否を大きく左右する。俺がこの二年間出会った念使いはいずれも大した能力者ではなかったが、複数揃われればどうなったか分からない。もし今回三人の念能力者とかち合ったら、その誰もが俺より強かったら。
 クロロという絶対的強者に出会ったことで、俺は臆病になっていた。親代わりや暗殺者の少年のように、決して敵わない強者がいるという当たり前の事実を、思い出してしまった。
 唇を噛み切ってしまい、血の錆び付いた味が口内に広がる。臭いに気付かれないよう唇を引き結び、どろりとした血を飲み込む。
 嫌だ。まだ死ねない。

「三組に分けるぞ。俺とマチとコノミはお宝探し。ルークとフィンクスは正面から入って陽動。シャルナークとフランクリンは此処で留守番だ」

 呼ばれた名に反応し、視線をあげる。フィンクスという名に、嫌な予感が働いた。先程出た名前。俺と同じ、無知の少年。そして入った時からひしひしと伝わる殺意の元。

「団長。悪いがこいつとは組めねえ」

 両目をつり上げ、こめかみをひきつかせる姿に既視感を覚えた。何処で見たのだろうと記憶を遡り、数拍遅れて答えに辿り着く。

「ああ。三日前の」

 切れ易い印象を抱いた少年だ。
 俺の声に七つの視線が集まる。何かやったのかと訝しげなクロロには肩をすくめてみせた。説明する程のことではない。

「まだ根に持ってんのかよ、フィン」
「ああ? 文句あるのか?」

 宥めようとした巨大な男に喧嘩を売る様は正にチンピラだ。

「三日前会った時にルークがフィンクスを無視したんだ」

 慣れているのか、情報屋の少年がクロロに説明するのを他の奴らは白けた表情で聞き流している。

「フィンクス、お前はルークと行動しろ」

 全てを聞き終えたクロロは呆れを隠さず、決定事項としてそれを口にした。渋々といいった様子で切れ易い少年は巨男の服を掴んでいた手を離す。

「ルークも良いな?」

 念押しするクロロに、黙って頷く。元々俺に拒否権なんて与えていないくせに、そんな不満は大人ぶって飲み込んでみせた。それに理解していたから。獲物の実物を知らない二人を組ませて陽動にしたっていうクロロの思惑を、下手につついて表に出したくない。絶対に笑われる。

「行くぞ」

 落ち着いた声音でかかった号令に、戦意満々で奇声を返す奴。沈黙を保ちながらも腹の底から沸き上がる歓喜をそのまま笑みにしてみせる奴。反応はそれぞれだが、一様に高まる興奮の中、俺だけが冷ややかな視線でそれを眺めていた。場違いだよな、と他人事のように感じながら。

 情報屋の少年が調べたのだろう内部の詳細な地図と共に、夜の襲撃時間に遅れなければ構わないと軽い調子で送り出された。その拘束の緩さが逆に怖い。
 離れている間に俺が裏切って美術館に幻影旅団のことを知らせれば、全てが終わることを彼らは理解しているのだろうか。アリスのことがあるから裏切らないと思っているのか、それとも裏切っても問題ないと思われているのか。
 そんな事を考えながら美術館の下見に行って、その後少し考えてから足を向けたのは最初の集合場所だった。扉を開ければ、三日前と同じように三人の視線が集まる。最も顔ぶれは一人変わっていたが。

「あれ? あんたルークだよね」

 新たな人物は床に手を付きながら此方に声をかけてきた。違和感を覚え、凝をすれば少女の手元、床にオーラでできた奇妙な模様が浮かんでいる。恐らく彼女の念能力なのだろう。距離を取りつつ適当に言葉を返す。

「背中の刺青見せようか?」

 これ以上ない本人の証もないだろう。四番は俺しかいないはず、と考えてからそういえば番号は何を示しているのだろうと疑問に思った。しかしそれを口にする前に少女は作業を中断し、此方に向き直る。

「疑ってる訳じゃないけどちょっと意外。あんた、私達のこと嫌ってるでしょう? 出来るなら同じ空気吸いたくないって思ってる」

 少女の決め付けに、自然と眉が寄る。不快だった。決め付けられたことではなく、此方の本心をわざわざ口に出されたことが。勿論敵意は伝わっているだろう、それは構わない。けれど言葉にされて、それを肯定することは勇気がいる。嫌いだと、相手に告げる行為はひどく幼いと反発する自分がいる。

「何してたの?」

 無理矢理に話を反らせば、少女は声をあげて笑った。そして悪戯っぽく微笑む。

「下準備。で、ルークは何しに来たの?」

 詳しい能力を明かす気はないらしい。ただ見当は付いていた。恐らく彼女は放出系、そして空間を繋げる能力者だろう。見た限りあまり強くはなさそうだ。記憶を読む少女と同じくらいのはず。そんな彼女がお宝探索班に組み込まれた理由は、能力が探索か移動に特化しているから。探索ならば今此処で下準備をする必要はない。彼女の役割が運び屋ならば、留守番役が必要なのも納得できる。
 もし彼女の能力が探索に特化していたのならアリスの居場所を調べられたのに、そんな自分勝手だと分かりきっている落胆を抱きながら、視線を移した。情報屋の少年が自分を指差しながら小首を傾げたので頷いてやる。

「盗品売りさばいてるのは、お前か?」

 この一言で全てを理解したらしい。少年は晴れやかな笑みと共に五本の指をぴんと立てた。

「五割」
「高過ぎる」

 盗品の売買の仲介だけで五割持っていかれるのは有り得ないだろう。相場は分からないが、精々二割程度であって欲しい。

「でもさ、ルークはツテないんだろ? で、目立ちたくもない。そのくせ金は欲しい」

 しかめっ面を作ってはいるが、その裏では良いカモが飛び込んできたと絶対にほくそ笑んでいるに違いない。そして俺は、分かっていてもカモにならざるを得ない。自力でアリスを探し出せず、宝石を金に変える能力もないのだから。
 深く息を吐き、肩にかけたバッグから戦利品の袋を取り出した。

「分かった。五割で良いから。ただ、いくらになったかは報告しろ」

 たとえ報告させても、きっと俺はその報告自体を信じられないだろう。それでも、彼に預けなければ袋の中身は無価値のままだ。
 少年は袋を大事そうに抱え、嬉しそうに微笑む。

「了解」

 その心底嬉しそうな姿に、ひどく腹が立った。

 情報屋の少年に与えられた苛立ちを抱えたまま、日が落ちた頃集合場所へと向かう。美術館の近くにある森林公園と名のつく林の一角。大木に背を預けた少年は此方に気付くと分かりやすく舌打ちをしてくれた。

「遅え」
「それは悪かった」

 告げられた時間よりは早いが、面倒臭いので謝っておく。そんな大人の対応をしてやったというのに、少年は再び舌打ちしながら鋭い目付きで睨み付けてきた。

「ムカつくんだよ、てめえ」

 その理不尽な悪意に、悟ってしまう。きっとどんな反応を返しても彼は俺を気に入らない。俺の存在そのものを認めていないのだから。
 少年と距離を保ちながら、腕を組む。殺気に反応して手が勝手に棒を振るうのを防ぐ為だ。まだこいつを害してはいけない。そんな理性の働きに基づく一種の防衛行為。そうしなければならない程に、動揺していた。
 俺は、悪意に弱い。家族といた時はぬくぬくと守られていた。親代わりは厳しい上に殺したい程の所業をしてくれたが、俺の存在自体は認めてくれていた。その後は独りきり。つまり、集団に属し、その中で排斥されることに慣れていない。だからこそ、簡単に煽られる。

「あっそう」

 賢い答えでないことを知っていた。予想通り、簡単な挑発に易々と少年はのってくる。

「それは喧嘩を売られてるって解釈して良いんだよな」

 拳を作り、ごきごきと関節を鳴らして威嚇する様を眺めている内に、却って興奮がさめてしまった。
 幼稚過ぎるだろう、こいつ。同じところまで堕ちたら絶対にクロロに馬鹿にされる。そんな冷静な思考がやっと働く。
 敵意の固まりを眺めながら、すっかり血が固まった唇のかさぶたを舐めた。ひりひりとした痛みを覚えつつ、どんどん思考は冴えていく。
 別に良いじゃないか。敵意を持たれようと、排斥されようと、俺の目的には関係ない。彼らと仲良くなる必要は何処にもない。今はただ、敵を倒すことだけに集中すれば良い。そして目の前にいる少年は、仲間ではないけれど今は敵でもない。

「そろそろ時間だ。行こうか」
「はあ?」

 あっさりと背を向けたことに不満の声が上がるも、ここで喧嘩を買われては困るのだ。少なくともクロロには使えると判断してもらわなければ、アリスへの距離が遠退いてしまう。

「やる気ないなら此処にいたら? 俺一人で陽動係やるし」

 思ってもいないことを口に出す。一人で念能力者のいる集団に突っ込むなんて、今はしたくない。少し前までは迷わず人身売買組織に乗り込めていたのに。やはりアリスの手掛かりが中々掴めず自棄になっていたのだろう。でも今は違う。金さえあればアリスを見付けられるんだ。手掛かりを得た途端、危険から遠ざかりたくなっている自分がいる。だから、この少年を盾にしよう。俺が生き残る為に。

「それとも、勝負する?」

 わざとらしくゆっくり振り返れば、怪訝な視線とぶつかる。人差し指を美術館に向けて、口角を持ち上げる。

「どっちが多く警備を仕留めるか、競う?」

 反吐が出そうな台詞だった。人の生死を弄ぶ、罪を罪とも思わない思考が前提になければ、こんな発想出て来ない。人身売買組織の人達を殺すことに戸惑いなんて生まれなかった。だって、彼らは悪だ。では、これから殺す人達はどうか。悪ではない。彼らはただ警備として雇われただけだ。そんな彼らの命を勝負の対象にするなんて、狂っている。それでも、ちくりと胸に走る痛みを、未だ残っていたらしい善意が主張する躊躇いを、綺麗さっぱり無視して少年に笑いかけた。アリスの為なら、どんな最低なことでもやってやる。

「良いぜ」

 そう言って喉で笑い出す少年。此方に向けられた悪意に変わりはない。けれど、晴れやかな笑みがそれに加わった。

「まあ絶対俺が勝つから勝負にはならないけどな。あっ、俺が勝ったらお前謝れよ」

 そうして意気軒昂と美術館へと歩み始める。
 狂っている。彼も、そしてきっと俺も。


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