初仕事



「伸びろ如意棒」

 オーラを見えなくする隠を使えば、如意棒は常人の目に映らない。念使いが凝をすれば見破られる可能性はあるが、入り口の警備は常人だと予想した。案の定、林の影から勢いを付けて伸ばした如意棒はあっさりと二人の警備を横から串刺しにする。

「てめえ、それずるだろ!」

 横から飛んで来る拳を屈んで避ける方が労力を使った。

「これで二人」

 わざと笑いかければ、あっさりと少年は怒りを露に入り口へと駆けて行く。なんとも扱いやすくて都合が良い。
 悠々と歩きながら少年の後を追い、事切れた警備の横に立つ。死体を眺めても、特に感慨は湧いてこない。静かに己の心の動きを探り、納得してしまった。
 そうか、相手に悪意を持っているかどうかなんて、既に関係なくなっているのだ。考えてみれば簡単なことだった。俺が今まで一方的な殺戮を行ってきた人身売買組織の人達は悪い人達だけれど、アリスを売った人ではなかった。つまり、俺の殺人に正当性なんて端から無いのだ。何の罪のない人を殺して、罪悪感に襲われたらどうしよう、なんて一瞬でも恐れた自分が馬鹿みたいだ。今更善人になんて戻れるはずがないのに。
 機械的な動きで警備の懐を探った。死体の耳に垂れるコードを辿れば簡単にそれは見付かる。使い方はよく分からなかったが、適当にいじれば赤いランプがついたのでとりあえず試してみた。

「あー、あー、聞こえますか?」

 こんな事普段はやらない。肉声から此方の情報を探る方法があると親代わりから注意された上、騒ぐ必要が無かった。けれど、今は良いだろう。どうせ皆殺されるのだし、陽動という役割をきっちりこなす為なのだから。

「今から盗みに入ります。一先ず入り口は突破しました。また誰かを仕留めたらそこから連絡を入れます。楽しみにしていて下さいね」

 人をくったような言い方ができたか少々不安になりながら機械を地面に投げ捨てる。遊びは苦手だ。

 中に入ればロビーに三人倒れていた。

「遅かったな。これで一人リードだ」

 誇らしげに胸を張る少年は、笑っていた。その拳からはぽたぽたと血が垂れ、瞳は興奮からか爛々と輝いている。この遊びを、彼は心の底から楽しんでいた。
 気持ち悪い、そんな生理的嫌悪感を抱く自分は、まだ大丈夫。こいつらよりはマシだ。下を作って安心してみる。
 そうして自然と嘲りの笑みが浮かんだ時、敵意を感じた。即座に手が反応し、最小限の動きで背の棒を抜き取る。視界の端に銃を構えた男を捉えると同時に、身体に指示を出す。両手で持ち真ん中を支点に棒を高速で回せば、かんかんという音と共に銃弾が四方へと弾け飛んだ。
 気配を探る。銃弾が放たれた、ロビーからすぐ右手の部屋には二人。階段の上には一人。恐らく上にいるのは念能力者だ。オーラの流れが格段に違う。そんなに強くはなさそうだけれど、出来れば俺は戦いたくない。万が一があったら困る。

「上は俺がもらって良い?」

 だから、少年に任せる為に敢えてそう口にした。この短期間で彼が負けず嫌いだということは分かっている。きっと上手いこと暴走してくれるだろうと確信していた。
 ちらりと視線をやった先、少年は顔の前にクロスした両手をゆっくりと外す。武器は持っていない。どうやら爆発的に高めたオーラを身体の前面に集めて銃弾を防いだらしい。彼は化け物か、もしくは変態なんじゃないだろうか。俺だって同じようにすれば銃弾で死ぬことはないと思う。が、当たれば痛い。それに銃弾に何か細工がしてあれば終わりだ。肉体に絶対的な自信を持っているのかもしれないが、武器を使うことの利点は大きいのに。

「おう。俺は向こうに行く」

 そんな事を考えていたところ、放たれた台詞は予想と違っていた。
 そこはより強い奴とやらせろ、とか獲物盗んでんじゃねえよ、とか言うべきだろうが。こいつの性格を見誤っていたのか。
 軽く混乱状態に陥った俺の耳に、少年の楽しげな声が届く。

「これの借りは返さなきゃな」

 なるほど、銃で攻撃された報復をしたかったのか。

「はは。これで五人だ」

 なるほど、人数が多い方を選んだのか。
 楽しげに呟き、右手に歩を進める少年を呆然と眺めながらも、不思議と思考は冷静に働き納得はした。が、同時に頭を抱えたくなる。何故俺は彼に勝負を挑んだのだろう。そこから間違っていたのか。いや、狙いは悪くなかったはずだ。少年の闘争心を煽り面倒そうな戦闘を彼に押し付ける。だとすれば煽り方が悪かったのか。単純そうな奴だと思っていたのに、その単純さを見極めるのに失敗した。
 未だすっきりとしない思考にうんざりしながらも、近付く敵の気配に棒を構え直す。反省会は生き残ってからだ。今は、敵に集中する。
 左手にある階段の上部に影が差す。かつん、と足音一つ。敵が視界に入ると確信した寸前だった。空気を揺るがし、楽器の音色が鼓膜を響かせる。
 最初の異変は手に現れた。ずしりと棒の重さが増し、引き摺られて上体が折れる。このままだと手が下敷きになるという恐怖から逃れるため手を放せば、ずしりと棒は床にめり込んだ。
 親代わりに棒を与えられた直後の懐かしい感覚に、頭が疑問符で埋め尽くされる。何故だ。急に棒が重くなったのか。それとも俺が非力になったのか。この異常事態の正体を確かめようと敵に視線を据えた時、かくんと耐えきれなくなったように膝が床についた。すぐに両手をついて上体を支えたが、肘の関節がきしむように痛む。重い。頭が、重い。首の筋が重みに耐えきれず、ついに上半身まで床に沈んだ。

「っぐ」

 喉をついた呻き声は、場違いなほど綺麗な音色にかき消される。上方から絶え間なく降ってくる調和の取れた忌々しい音の連なりは、少しずつ此方に近付き、身体はそれに従いどんどん重さを増していた。
 額をぐりぐりと床に押し付けざるを得ない状況の中、必死に思考を巡らせる。音、重力。二つの単語がすぐに浮かんだ。音を媒介に、相手にかかる重力を操作する。きっとこの音色をどうにかすれば、勝機は見えてくる。
 ずりっと膝が床を擦る。動かせたのはほんの少し。腕も同様。重力に逆い身体を浮かせることは難しいようだ。逆に言えば、水平方向への動きは可能ということ。試しに頭を何とか持ち上げてみる。顎を床に乗せることに成功したが、敵は目視できない。階段から降りて来い。攻撃範囲に入って来い。必死で念じる。じりじりと増す焦燥に、額から汗が吹き出す。
 朗々と鳴り響く音は段々近付き、やがてぴたりとその歩みを止めた。代わりに機械特有の雑音が鳴ったあと、生の音と共に機械からも同じ音が遅れて流れてくる。
 やられた。舌打ちをしたくても、舌さえ上手く動かない。代わりに歯ががちがちと耳障りな音を立てる。
 敵の能力は機械を通しても有効らしい。そして恐らく、現在この音色は美術館中で鳴り響いているはずだ。俺が相手ならばそうする。仲間には予め耳詮のような防御策を与えておいて、身動きの取れなくなった侵入者を捕えてもらう。広い空間の警護にこれほど打ってつけの能力はないのではないか。くそったれがっ、そんな罵倒が浮かんでくるくらいよくできた能力だ。しかも、だ。相手は自分の能力の弱点をよく理解している。楽器を鳴らしている間は自身の防御が疎かになる。だから俺の攻撃範囲を慎重に見極め、階段から降りて来ない。
 終わりだ。皆、終わりだ。俺も、俺を変な盗賊団に引き入れたクロロも、皆ここで死ぬ。そんな諦念と共に、浮かんできた微かな歓喜が唇を歪ませた。ざまあみろ、クロロ。この能力者の一番近くにいる俺がこいつを倒せないから、皆道連れになるんだ。俺が皆を殺すんだ。そんなことに暗い愉悦を感じてしまうくらいには、俺はクロロに対して鬱憤が溜まっていたらしい。怖いな。死の予感は人の負の感情を剥き出しにしてしまう。それでも、何の罪のない警備の人達が命を散らすより、ここで盗み殺し当たり前の盗賊団が壊滅する方が世の為になるのではないだろうか。
 抵抗する気力を失い全身の力を抜いた時、頭に浮かんだのは、アリスの泣き顔だった。

「くっそー!」

 思考を読まれたかのようなあまりにタイミングの良い咆哮に、身が震える。相も変わらず鳴り響く音色に邪魔されるが、それでもその声はしっかりと俺の耳に届いた。

「てめえらぶっ殺す!」

 右手の部屋で今頃俺と同じ様に床に伏せっているはずの少年は、元気一杯に殺意を表明していた。
 有り得ない。何でこの状況で舌が回るんだ。壁が崩れる音が聞こえるが、これは空耳ではないのか。

「次は俺が相手だ」

 先程よりも音量を増したその声は、すぐ近くから聞こえてきた。
 朗々と鳴り響く音色に、僅か動揺が走る。奏者の気持ちはすんなりと理解出来た。距離があったから俺よりも力の働きを受けていなかったとしても、他の警備が非能力者であったとしても、まず動けていること自体が有り得ない。
 しかし、惑いは一瞬だった。覚悟を決めたように、その音は力強さを増した。より大きく、より複雑な音の固まりが上から叩き付けられる。身動きなんか出来やしない。原理を無視した重力の作用で身体が床に沈んでいく。骨がきしむ。指先一つ動かしただけで骨が折れるだろう。そんな予感に瞬きすら躊躇われ、ぎゅっと瞼を閉じる。

「負けてっ、たまるかよ」

 苦痛を滲ませながらも未だ言葉を発する少年は大したものだ。
 真っ暗な視界の中、ある情景が鮮やかに浮かんでくる。膝をつき、片手を床につけ、それでも重力に抗い頭だけは垂れない少年。汗を流し、頬をひきつらせながら、それでも闘志を失わず敵を一心に睨みつける少年。死にたくないのではない。生を欲しているわけでもない。ただ身を突き動かす衝動のまま、強者に食らいつく姿を、何故か鮮明に描くことが出来た。
 脳が勝手に作った妄想に身震いする。それはきっと脅威だ。生半可な敗北は決して受け入れないだろう。ここでその心を木っ端微塵になるまで粉砕しなければ、きっと何度でも立ち上がる。ならば再起不能なまでに痛めつけ、不屈の精神を叩き折らねばならない。
 その時俺は、敵である能力者と思考を一致させていた。後頭部を向けているためその姿も見えない少年のオーラに圧倒され、揺るぎない戦意によって支えられた虚勢に怯えていた。そう、確かに今現在は少年より敵の能力者の方が圧倒的に優位であるにも関わらず、俺も敵の奏者も脅えを抱いてしまったのだ。
 戸惑いを吹っ切るかのように、音色の発信源は移動を始める。
 分かる。きっと俺があんたでもそうするよ。何らかの手段で仲間に連絡を取ることすら焦れたんだろう? 早くこいつをどうにかしないと、取り返しのつかないことになるのでは、そんな懸念が拭えないんだろう? 自分の優位を信じていたいんだろう? 唯一の武器で沈めたいんだろう? 分かる。すっごく分かるよ。
 でもさ、俺の存在、忘れていないか?

 演技をするまでもなかった。敵が階段を降りきり、同じ土俵に立つ。どんどんと距離が縮まる。それに応じて腹の中をかき回すような不快な音色によって手足が、頭が、身体中が下に下に引き摺られる。身動きなんか取れやしない。重い瞼をなんとかこじ開けて視線で敵を探るのがやっとの状態。床に潰れた蛙のように引っ付いた己の不様な姿が脳裏に浮かぶ。それで良い。このちっぽけな存在は既に戦意を無くし、断罪されるのを待つばかり。そう思ってくれたら好都合だ。
 呼吸すらままならず、生理的に浮かんだ涙に滲んだ視界、漸く彼を捉えた。
 白いローブに身を包み、頭部をターバンで覆ったその人は、横笛を奏でていた。悠然と佇む姿は音色同様、こんな場所でなければ感嘆してしまうような優美さを備えている。そしてその鋭い瞳は俺を素通りし、ただ一心に彼の敵である少年に据えられていた。
 気付かれぬよう浅く息を吐き出す。左手に意識を集中し、角度を目算する。左手自体は寸分たりとも動かせない。だから慎重に、狙いを定める。そして、左からやってきた彼が俺の三歩手前にさしかかった時。
 伸びろ、そう囁くように空気を震わせた。


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