客人



 少年は地べたに座り込んでいた。その眼差しは掌に乗せた、大粒のルビーが目立つペンダントに向けられている。左右から、時に持ち上げ光に照らしながら、丹念に調べる目付きは仕事の時と同様、真剣そのもの。
 その傍らに立ち、視線をずらしてはいるが、全神経を少年に注いでいる俺の緊張は伝わってしまっているだろう。それでも全く関心のない振りだなんて出来やしない。二週間前、膨らみ過ぎた期待を呆気なく裏切られた分、今回は期待と不安が交互に押し寄せてきて今にも吐きそうだった。
 936万ジェニー。これがこの八ヶ月で稼いだ額だ。前回で達成出来ると思っていたのだが、あと一歩及ばず。もうすぐ誕生日がやって来て俺とアリスは十四歳になってしまう。その前に何とか手掛かりを掴みたかった。
 少年は焦れったくなるほど時間をかけてペンダントを検分し、やがてゆっくりとそれを床に敷いた布に下ろす。五点並んだ他の宝石類の横に置き、それから俺を見上げた。

「うん。これ全部合わせたら確実に1000万ジェニーいくね」

 満面の笑みに裏があったって構わない。ただその言葉を聞けただけで充分だった。
 俯き、目を瞑り、拳を握りしめる。全身で、喜びを噛み締めた。頭がくらくらして倒れそうになるくらいの歓喜が身体中を駆け巡る。

「これで」

 やっとのことで出せた声はみっともなく震えていた。それ以上は言葉を発することさえ出来なかった。小さな笑い声が耳に届くが、それすらも気にならない。今はただ、この喜びに浸っていたかった。

「結果は今回もメールで知らせて、余った分は振り込むから口座教えて。あと人専門の探し屋に連絡取っとく。都合ついたら連絡する、って聞いてる?」

 頷くので精一杯。やっと、やっと、アリスに会える。それしか考えられなかった。

「じゃあそれまでルーク暇だろ?」
「暇じゃない」

 即答する。アリスと暮らす部屋を借りて、着替えとか生活用品を用意しなくては。そうだ、今すぐに行動しなきゃ。

「いやいや待ってって」

 浮き足立つ気持ちのまま足を踏み出した瞬間、肩を掴まれそうになり、寸でのところで回避する。鬱陶しいと視線で訴えるも、涼しい顔で片手を振られた。その手に持ったものを認識すると共に血の気が引く。少年はやけに可愛らしい携帯電話を手に、満面の笑みを浮かべた。
 以前、この情報屋の少年の能力は見たことがある。携帯のアンテナを他人に刺すことで対象を操る能力。
 瞬時に首の後ろに手をやろうとするも、相手の方が早かった。素早く片手で携帯を操作したかと思えば、俺の手が不自然に固まる。全く忌々しい能力だ。敵意露に睨み付けるも、少年は全く動じない。

「今からお客さんが来るんだけど、まだ団長が来ないんだ。本当は俺がパクを迎えに行く予定だったのに、お客さんもう着いちゃうらしいからお出迎えしなきゃいけないんだよ。ちょうど良いからルークがパクを迎えに行って来て。それが終わったらアンテナ抜くし、すぐ帰って良いから」

 清々しいほど勝手な理由だ。早くアリスの為に行動しなくてはいけないのに。心は逸るも、頭ではわかっていた。どう足掻いてもこのアンテナを抜かない限り少年に従わなければならないのだ。本当に、嫌な奴ら。目標金額を達成できた喜びを台無しにされたようで気に食わない。そんな苛立ちを舌打ち一つで散らせる。俺の精一杯の努力は、笑顔で手を振ってくる少年のせいで台無しにされた。

 結局不機嫌を治められないまま仕方なく重い足取りで少年に告げられた待ち合わせ場所の広場まで赴く。中央の噴水に座って苛立ち混じりに辺りを見渡した。
 パクという名前の人物が分からない。未だに盗賊団の奴らの名を覚える気はなかったし、その必要性も感じられなかったのだ。情報屋の少年に盗品を託す際、間が悪く仕事を手伝うことが二回あったが、仲間になったという実感は全くない。それにアリスが見付かったら俺は盗賊団を離れるつもりなのだから、これ以上親しくなる利点もない。これからはアリスと二人で生きていくんだ。
 唐突に掌を走った痛みに驚いて組んでいた足をほどいた。視線をやれば爪の引っ掻き傷が出来ている。無意識に拳を握りしめ過ぎたのだと気付き、眉間に皺が寄る。
 アリスとの生活。それを突き詰めて考えたくなかった。現実を見たくなかった。夢に浮かれていたかった。まだ良いだろう、そう自分に言い訳しながら再び足を組み直す。掌の傷も見ない振り。

 その後十分ほど経っただろうか。待ち人は一目見てすぐに分かった。一般人とはオーラが違う。その事実を苦々しく感じながら立ち上がり、近付く少女を待つ。
 少女は目の前で立ち止まり、俺を一瞥するなり涼し気な声を響かせた。

「行きましょう」

 待たせたことに対する詫びはないらしい。苛立ちを隠さず無言で立ち上がる。荒い足取りで先導する。文句を言われるかとも思ったが、無言で少女はぴったりと後ろをついてきた。俺がいたことに疑問を持っていないあたり、情報屋の少年から連絡がいっていたのだろう。
 それにしても、と横目で後ろの少女を見やり溜め息を吐き出した。名前を覚えた方が良いのかもしれない。パクが誰を指すのか分かっていたら、無理かもしれないが絶対この話を断っていた。
 この少女に対しては悪い印象しかない。顔を合わせたのは一度きりだが、その時言われた台詞を忘れることは出来なかった。この少女は俺の記憶を勝手に読み取りアリスのことを可哀想と言ったのだ。思い出すだけで腹が立つ。

「おめでとう」

 ささくれ立った心は、落ち着いた声音で唐突に発せられた言葉をうまく受け止めることが出来なかった。人通りの少ない路上、立ち止まり振り返る。言葉の真意を探ろうと正面から見詰めた少女は、何の感情も伺わせない無表情で俺と視線を合わせてきた。そして言い直す。

「お金、貯まったんでしょう? おめでとう」

 淡々とした口調は本気で言っているのか、それとも含みがあるのか、判別が難しい。少々戸惑いながらも、再び歩を踏み出し、それから小さく呟いた。

「どうも」

 どうにも胸の内はすっきりしない。情報屋の少年は口が軽いと頭に刻み付けながら、後ろから大人しくついてくる少女に言葉をかけてみる。

「それ、本音?」

 答えが得られるとも、本気で探りたいとも思っていなかった。ただ、初対面の時は確かに少女の内に存在していた俺への敵意の有無を知っておきたかった。
 自然と歩みを遅くしながら答えを待っていれば、予想外の台詞が返ってくる。

「ええ、本当に嬉しいわ。おかげでフィンクスに好きな物盗って来てもらえるもの」
「どういう意味?」

 首だけで振り向く。少女は本心からとしか思えない、ふんわりとした微笑を浮かべる。

「私、八ヶ月に賭けてたの」

 悪意の欠片もないはずの無邪気な笑みに、遅れてじわじわと悪意が滲み出てくるようだった。いや、違う。初めからあったそれを、言葉の意味を理解して漸く感じ取れたのだ。

「賭けてたのか」

 俺がどれだけの期間で1000万ジェニーを稼げるか。
 少女は笑みを深める。

「フィンクスは二年に賭けてたわ」

 脳裏によぎるのはこの八ヶ月のことだった。やっと掴んだ希望にすがるため、今までの方針を殴り捨て金持ちの家を狙い、持てる物を根こそぎ奪い取った。一度は家人に見付かり殺しもした。罪の無い人相手に罪を重ね続けた。
 罵倒されるのならばまだ良い。当然のことだと受け入れよう。けれど、勝手に遊びの対象にされたことは許せなかった。
 そして、この少女はそんな俺の心情を理解した上で発言したのだと、分かってしまった。
 少女の表情は変わらない。きっとここで俺が何を言っても、何も変わらない。
 唇を噛み締め、前に向き直る。早足で、段々と走りながら目的地に辿り着くまでお互いが沈黙を守り通した。

 少女を送り届けてもすぐに帰ることは出来ない。首に刺さった忌まわしいアンテナを抜いてもらわなくては。
 放棄された工場の中に気配は4つ。情報屋の少年の言葉から彼とクロロ、そして客人がいるはずだった。客人は二人か、と思いながら扉を開ける。逆光で中にいる連中の顔ぶれは見えない。が、特に警戒はしていなかった。それがいけなかったのか。
 唐突に響いたよく通る声に身体が硬直する。

「私はマナミ! ウボォーギン、フェイタン、フィンクス、フランクリン、ノブナガ、コルトピ、マチ、パクノダ、シズク、あとあとボルレノフ止まれ!」

 呪文だった。ところどころ聞き覚えのある単語も混じっているが、さっぱり意味が分からない。状況も掴めない。
 工場の左隅には座ったまま動かない少女。こちらは見たことがある気がするので盗賊団の団員だろう。そして中央奥にはクロロが座り、その横には情報屋の少年が立ち尽くしていた。三人共違和感がある。動きがない。そして視点が変だ。一点を見詰めたまま。その三人が注視している、呪文を発した当人であろう少女と視線が合った。
 彼女は絶句し、顔をひきつらせた後かくんと膝を折って地べたに座り込む。その瞳には涙の膜が張っていた。

「んなのよ」

 押し殺したような掠れた声のあと、客人は絶叫した。

「何で新手も私が知らないメンバーなのよ!」

 目を瞬かせる。意味が分からない。

「どういう事?」

 至極当然の疑問に、答える者は誰もいなかった。床に座り込んだままぶつぶつ呟き続ける客人は、正直気味が悪い。騙されただの殺されるだの同情を誘う内容が主だが、関わり合いになりたくなかった。
 後ろでこれまた硬直の憂き目にあっている少女の横をすり抜ける。

「ちょっと! 何処行く気!」

 涙混じりの声に迫力は欠片もない。必死さだけは伝わってくるが。

「帰るんだけど」

 何となく面倒臭そうな予感がするし、彼女が此処にいる三人を殺してくれたら好都合、でもないか。
 考え直してくるりと客人に向き直る。

「ごめん。悪いんだけど向こうに突っ立っている男の子だけは見逃してくれる? 俺、あいつに死なれたら困るんだ」

 アリスを見付けるまでは利用価値のある存在だ。

「シャルナークのこと?」

 しゃくりあげ、不思議そうに問われる。
 これで一つ確信を持った。彼女は盗賊団の団員の名を知っている。そして名前が能力のキー。恐らく俺は新入りだから名前を知られていなかったのだろう。良かった、巻き込まれなくて。

「そう。約束出来る?」

 一回で充分なのに、少女は混乱のためか何回も頷いた。その様子に首を傾げる。
 今この場を支配しているのはこの客人だ。クロロ他三人の動きを止めているのだから、殺すのも簡単。あまり戦闘が得意そうではないが、オーラの量もそれなりにある。鍛えてはいるだろうに。

「こっ、殺したりしないわよ。そんな事したら私報復されるし。何なの? あんたも蜘蛛じゃなかったの?」

 どうしてだろう。言葉を交わせば交わすたび、疑問は新たに積み重なっていく。恨みがあって盗賊団のことを調べていたのなら納得がいく。けれど、そうではないなら何故彼女は団員の名を知っているのか。元々の知り合いという訳でもなさそうだし。そしてもう一つ。

「蜘蛛?」

 蜘蛛は何を指すのか。俺はこの盗賊団のシンボルであり、また元締めの暗喩だと予想している。元締めがいなければ、この年代の少年少女が好き勝手やれないだろう。下手につついて厄介事に巻き込まれたくないから、触れないでおいたのだが。この少女は何をどこまで知っているのだろうか。

「そ、そうよ。蜘蛛。貴方も蜘蛛なの?」

 答えを曖昧にして情報を引き出すためだ。少女の前で座り込む。視線を合わせて口許に笑みを浮かべる。

「さあ。どう思う?」
「わ、分かんないわよ」
「おかしいな。君は蜘蛛のことを知っているんだろう?」

 至近距離で覗き込んだ瞳は視線をうろうろさせて動揺を如実に表している。

「知ってるっていうか」

 要領を得ない様子に焦れ、手に取った棒で彼女の頬を優しくさする。効果はてきめんに表れた。涙の筋を作りながら回らない舌で弁解を始める。

「わっわたしが、知ってるのは。未来の、蜘蛛だからっ」

 大きく吐き出した息に、少女は大袈裟に肩を震わせた。
 不可思議さを増した答えに、さてなんと返したら情報を引き出せるかと考え、振り返る。視界に入ったのは硬直した三人の姿。視線が自分から外れたことに、少女が安堵の息をもらしたのを感じ取る。その臆病さに、考えは数秒で纏まった。
 再び少女に視線を戻せば、びくりと身体全体を跳ねさせ、潤んだ瞳で見詰めてくる。

「な、なに?」

 まるで虐めているみたいだ、と思いながら表面上は笑みを。手に持つ棒は少女の首に。

「クロロだけで良いから喋れるように出来る? あ、別に硬直は解かないで良い」

 ぽかんと口を開けたまま動きを止めた少女の耳に直接息を吹き込む。

「出来る? 出来ない? 五秒で答えろ」

 意図的にオーラを練り上げ、放出する。今の俺が出せる最大級のオーラ量。出来るようになってから毎日ぶっ倒れるまで練を欠かさずしていたおかげで、それなりの圧迫感は出せているはずだ。

「出来ましゅ!」

 最後噛んでいたが、即座に飛んだ良い返事に満足して棒を離してやる。

「じゃあやって」
「はひ!」

 目の焦点が合っていない。こんな状態で大丈夫なのか、不安になりながらも少女の動きを見守った。
 一つ深呼吸を挟み、少女は震える舌を必死の形相で動かした。

「マナミはクロロに発言を許可する」

 硬直の限定解除も出来る、と頭に刻み付ける。厄介というか随分使い勝手の良い能力だ。名前が分かれば何でも有りなのかもしれない。どんな制約を付ければそれほど強力な能力になるのか興味が沸いてくる。が、今はそれより大事なことがある。

「クロロ。状況説明してくれる?」

 座ったままのクロロに視線を移す。

「ああ」

 落ち着きのある声は、僅かな口の動きで発せられた。動かせないのだろうが、瞬きもせず一点を見詰めたままの姿で喋っているのはすごい違和感がある。さぞや目が乾いて痛いことだろう。良い気味だ。

「出会い頭にいきなり動きを止められた。彼女の名前はマナミ。俺達についてかなり詳しい。メンバー九名の名前、メンバーが旅団のことを蜘蛛と呼ぶことも知っていた。これはよほど旅団に近しい者しか知らないはずだ。コノミが蜘蛛であることは知らなかったようだな」
「ちょっと待って。じゃあ蜘蛛ってこの盗賊団の愛称みたいなもの?」
「言ってなかったか?」

 表情こそ変わらないが、声には呆れたような響きがありありとのせられていた。
 言ってないし、まさかそんな単純なものだとは思っていなかった。しかし口に出して文句をぶつけることは出来ない。絶対に馬鹿にされる。というより既に馬鹿にされてる。代わりに溜め息を吐いて、何とか状況を掴もうと情報を頭の中で整理し、疑問を絞った。これ以上馬鹿にされて堪るか。

「コノミはそこの女の子だよな。何でマナミは此処にいる。あとクロロ達はマナミについて何を知っている」

 当人は終始震えて口を挟む気はないらしい。クロロの返答をじっと待つ。
 一拍おいて蝋人形のように生命の躍動を失った少年は口を開いた。

「マナミはコノミの友人だ。面白い能力を持っていて、前世の記憶を持っているというからパクに調べさせようと思って連れて来させた」

 流れるような説明の中、一つの単語に思考が全て持っていかれる。頭の中をぐるぐるその単語が巡る。気付かない内に溜まった唾を、ごくりと飲み込んだ。

「ぜん、せ?」
「何よ!」

 唐突に割りいった威勢の良い声に頭を巡らす。少女は目に涙をためながら、その視線に強い意思を込めて睨み付けてきた。先程までの怯え様が嘘のように怒りを露にして声を張り上げる。

「本当なんだから! 否定しないでよ。誰も信じてくれないけど、私はマナミよ! シュリなんかじゃないっ!」

 主張の内容は見当外れだが、その意図は胸が痛む程に伝わってきた。
 理解できる。できてしまう。前世の記憶を鮮明に取り戻した時の違和感は、決して短くはない時間、胸の内で燻っていた。それでも、俺にはアリスがいた。きっと、彼女にはいなかった。


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