少年の話1



 訃報を受け取り孤児院へと走った少女は、そこで一人の少年と出会った。
 肉が付いているのか疑わしくなるほど骨張った身体。血色が良いとは言えない真っ白な肌。窪んだ目は光を拒絶するかのように真っ黒。
 見るなり反射的に目を背けたくなるほどに貧相で、落ち込んでいるという形容では物足りないほどじめじめと暗い印象を与えるその少年は、けれどその外見よりも尚纏うオーラの方が酷かった。
 少女は特殊な家庭環境に育ったことから念を使えた。少しずつ精孔をこじあけ、やっと纏を覚えた程度だが、人のオーラを見ることが出来た。
 けれど、少女が今まで目にしたことがあるオーラは常人のものだけで、だから少年の禍々しいオーラを見た瞬間叫んでしまったのは当然のことといえるだろう。

「化け物!」

 当時十二歳。その前日に突然死した親友の少女の部屋で遭遇した少年に向かい、エレノアは自身が化け物のように豹変した表情になっているとは気付かず、ただただ衝動のままそう叫んだ。

 異様な少年との初対面から一週間が経った日のことだった。孤児だった親友の葬式が終わり、その悲しみが癒える日がいつか来るだなんてまだ信じられない時期、エレノアは父親から信じられない宣告を受けた。

「子供を引き取ろうと思うんだ」
「はあ?」

 意味分からない、と声だけでなく表情筋を駆使してエレノアは訴える。
 母親はまだエレノアが小さな頃に死んでいる。男手一つで育てられたことに不満はないと言えるほどには父親から愛はもらっているが、もう一人子供、しかも全くの他人を受け入れることができるほど愛に余裕のある生活ではない。
 何しろ父親は忙しい。普通の忙しさではなく、命をかけた仕事に身を投じる日々だ。
 父親の職業は賞金首ハンターというもので、だからいつ死んでもおかしくない生活で、そんな父親を受け入れることができるのはエレノアが実の娘だからだ。

「まあ聞いてくれ」

 落ち着いた声で促す父親の姿に、実際は嫌な予感しかしなかったが、渋々エレノアは従った。彼女は父親らしくない父親を、それなりに慕っていたので。

「この前ユーリちゃんが亡くなったね」

 ずんと胸に溜まっていた悲しみの塊を不意に刺激され、反射的に俯く。まだ正面から痛みに向き合うことが出来なかった。
 ユーリ。その名の少女とエレノアは大層仲が良かった。同じ学校に通う友人だった彼女の両親がいないことを偶然知り、母親がなく忙しい父親を待つ寂しさを抱えていたエレノアは、すぐにユーリと長い時間を共に過ごすようになった。学校と修行の時間を除いた全ての時間と言い換えても良い。

「ユーリと関係あるの? 犯人を捕まえたって話以外は聞きたくない」

 ユーリは病気一つしたことのない元気な少女だった。死の前日、早く帰らなきゃいけないと学校が終わって走る彼女の背を見送ったのが最後になった。そこに死の前兆など全く見受けられなかったのだ。

「エレノア。何度も繰り返すが犯人はいない」
「いる! ユーリは殺された!」

 それはあまりに不審な死だった。突然の衰弱死。病気でも怪我でもなく、朝になった時ベッドの上で眠るように息絶えているのが発見された。
 原因不明として処理された親友の死に、エレノアは納得などしていない。孤児院は厄介事に関わりたくないとばかりに詳細を調べようとするエレノアの訴えを切り捨てたが、父親はそうしないと信じていた。

「私言ったじゃない! 絶対念能力者の仕業だって! ユーリは普通の死に方じゃなかった。あんな殺し方できるのは念能力者だけよ。父さんの領域でしょう!? 人殺しを捕まえてよ!」

 普通の人間ならば、原因不明で処理してしまっても仕方ないと受け入れられる。けれど、父親は念能力者だ。不審過ぎる死の真相を、犯人を捕まえてくれるものだと信じていた。だからこそ、エレノアは自身の知る情報を全て明け渡したのだ。ユーリの死の唐突さと、彼女のいた孤児院で見た異様な少年のことを。

「絶対あの子よ。サンっていうの。病弱で学校には通ってないから目撃証言はあんまりなかったけど、同じ孤児院の子が言ってた。悪魔の子だって。両親を殺して、引き取った人も変な死に方したって噂が流れてるんだよ。皆気味悪がって近づかないのに、ユーリは優しいから仲良くしてあげてっ。あの日の前の日だってその子が風邪引いて寝込んでるのをユーリだけが看病してあげてたんだよ! なのに殺したんだっ!」

 まくし立てる内に込み上げてきたまま涙を流す。押し殺すことなど考えられなかった。
 エレノアにとってこれは正当な憤りであり、感情の発露は当然の行為だった。
 ふと脳裏に少年の姿が浮かぶ。負のオーラに覆われた、噂を聞いた今では死神としか思えない憎らしい姿が。

「死ねば良い。あんな化け物」

 だから、エレノアにとってその言葉は、至極あの少年にふさわしいと思えたのだ。
 だから、エレノアには分からなかった。何故父親が手を上げたのか。何故頬がじんじん痛むのか。
 一拍遅れて叩かれたことを理解した頭が、怒りを弾き出す。しかし、抗議が口をつくよりも、父親が声を発する方が早かった。

「エレノア。君は賞金首ハンターになりたいと言ったね」

 ぶたれた頬を押さえながらきっと睨み付けた先、父親はひどく真剣な表情で尋ねてくる。
 父親のような賞金首ハンターになりたい。それは小さな頃からのエレノアの夢で、父親はその夢を子供の戯言だと笑ったことは一度もない。年齢が上がるにつれ少しずつ修行をつけてくれ、修行に関しては親と子ではなく一人の人間として扱ってくれた。
 その経験がエレノアに訴えてくる。今目の前にいるのは父親ではなく、目指すべき一人の賞金首ハンターであり、師匠だと。
 自ずと態度が改まり、怒りが一時的に鎮まる。同じく表情を真剣なものにし、エレノアはゆっくりと決意をこめて頷いた。

「私は、賞金首ハンターになる」
「ならば、憎しみに支配されてはならない」

 諭すように師匠は続けた。

「僕は多くの賞金首ハンターを見てきた。賞金首ハンターになる者はね、大きく二つに分かれる。金が目的の者、復讐が目的の者。前者は良いんだ。生きる為に金はどうしたって必要だ。でも後者、復讐が目的のハンターは」

 何かを思い出すように強く目を瞑った師匠が、次の瞬間見せたのは苦い笑みだった。

「憎しみを糧に生きている。幸福が翳る程のそれを抱え続けて長生きした賞金首ハンターを、僕は知らない」
「私は別に、そういうのじゃない」

 同類にするなとエレノアはつい口を挟む。親友の仇を討つ為に生涯を費やすと覚悟したわけではない。犯人へと向けた憤りが小さいと認めたくはないが、まだ糧とするまでは育っていない。
 絶対に犯人を捕まえてやると親友の墓標に誓う、それだけが現在のエレノアにとって全てであり、その覚悟を軽々しく扱って欲しいわけではないが、逆に勝手に重く受け取られても困惑が先立ってしまう。
 師匠はそんなエレノアの気持ちを全て汲み取ったかのように頷いた。

「今は憎しみに支配されるという危険性を心に刻んでくれれば良い。良いかい? 憎しみを抱くことは自然な感情だ。人は愛を知り、そして憎しみを知る生き物だからね。どちらか一方でも否定してはどこかに歪みが生まれる。憎しみに支配されるということは愛を否定することだ。歪みを抱えて生きていく人を否定したくはないが、僕は君にそうなって欲しくない。分かるかい?」
「なんとなく」

 正直に告げれば、大きな掌が頭を撫でた。

「今話したことを忘れないでいてくれればそれで良いよ」

 次いでみせた穏やかな笑みは既に父親のものだった。安堵に頬をゆるませたエレノアに、父親は和やかな空気をぶち壊す一言を投下した。

「それで、最初の話に戻るんだけど。サン君をうちで引き取ろうと思うんだ」
「はあ!?」

 盛大な抗議を、父親は鷹揚に笑って流してしまった。
 宥められ、エレノアが落ち着いてからなされた説明はこういうことだった。
 サンという少年は生まれつきの念能力者である。身体が弱く、他からオーラ、生命の源を搾取することで生き延びてきた。その念能力が原因で家族や近しい人の死を招いたが、決して故意にしたことではない。近くに念の存在を知る者がいなかったせいで事実が発覚することはなく、本人も能力に気付いていなかった。あまりに不審な死が周囲で続いたため自分は呪われていると思い込んでおり、他者との接触を拒むようになっていたため、更に発覚が遅れてしまった。
 念能力を己の意思でコントロールすれば人並みの生活を送れるようになると考えた父親は、己がその方法を教える為に引き取ることにした。
 以上がつらつらと語られ、エレノアは当然反発した。

「つまりユーリを殺したのはそいつなんでしょ? 捕まえれば良いじゃない」

 その訴えに、父親は困ったように眉間の皺を揉む。

「エレノア。僕は君に知って欲しいんだ。悪いことをした人を捕まえるとはどういうことか。何をもって正義として何をもって悪とするか。賞金首ハンターを目指すという君は知らなければならない」
「人殺しは悪でしょう?」
「ああ、その通りだ。それでも僕にあの子を捕まえることはできない」

 苦しげにもらした父親の言葉の意味の一端を、エレノアが知るのは大分後のことになる。

 それから更に一週間が経った頃、自らの主張を押し通すように父親はサンという少年を連れ帰り、空き部屋となっていた一室が彼の部屋となった。
 エレノアがサンと再会したのは奇妙な同居生活が始まってから実に一ヶ月が経ってからのこと。何故ならばサンはその一月の間一度として己の部屋から出ることなく、父親曰く寝込んで暮らしていたからだった。サンの世話を一人でみていた父親は、彼の存在を完全に無視していつも通りの生活を続けるエレノアに対して文句を言うことはなかったのだが、このたびどうしても抜けられない仕事が入りエレノアに彼の世話を頼んできたのだ。
 もちろん一度は渋った。サンという少年が持つ念能力は得体が知れない。本人が故意に人を殺したのではないのなら、余計にその能力をコントロール出来ていない状態で接触することは危険である。そう訴えたエレノアに、父親は安心しなさいと宥めてきた。なんでも知り合いの念能力者から融通してもらった、念能力を発動させれば電流が走る手袋をサンに付けさせているのだという。
 暫しの口論の結果、仕方なく、不本意ではあったものの、尊敬する父親の仕事の邪魔をする気はないエレノアはサンの部屋に食事を届けるという役目を請け負った。だが、正直なところ彼と何かを話すことなどないと思っていた。まだ親友を殺されたことに対する恨みが残っていたから。
 けれど、扉を開けて、食事の乗った盆を片手に持ったまま、エレノアは固まった。
 少年は確かに存在した。ベッドの上、半身を起こして物憂げに窓の外を眺めていた少年はエレノアの存在に気付いていないかのように微動だにしない。シーツの横に投げ出され、半袖のシャツから伸びた腕は枯れ木のように細く、こけた頬をみせる横顔からは幽霊のように生気が全く感じられなかった。

「ちょっと。生きてる?」

 思わずといったように声を出せば、ぎこちなくその人物は首を動かした。真っ黒で虚ろな瞳がエレノアを映す。その瞬間、気の毒になるほど少年は大袈裟に身体を震わせてエレノアから少しでも距離をとるように足を抱き寄せた。その足さえ本当に歩けるのか心配になるほど痩せ細っている。しかも僅かな動作が辛かったのか、けほけほと堰を始めたかと思えば真っ赤な血を吐き出したのだから、もうエレノアは目の前のか弱い存在である少年を心配する他なかった。

「大丈夫? ってああもうそんなに怯えないでよ。私ご飯持ってきただけだからってご飯食べてる場合じゃないか」

 駆け寄ろうとすれば益々怯えてしまう少年に、どうして良いか困り果てる。一先ず父親に報告しようと携帯を探ろうとした手を止めるかのように少年が声をあげた。

「っい」
「何?」

 血を吐いたせいか、言葉はひどく聞き取りにくかった。盆を手近な机に置いた体勢で固まり、小さな声に耳を傾ける。

「近寄らないで下さい」

 はっきりとした拒絶だった。心配を無下にされたことに対してわいた怒りをどう発散してやろうかと思案しながら、やっと取り出した携帯のボタンを軽快に押していく。

「だから言ったじゃない。食事運びに来ただけだって。すぐ出て行くつもりだったわよ。でも血吐いてるし放っておけないじゃない」

 慣れた番号を入力すれば、すぐに仕事中のため出られない旨のメッセージが流れた。半ば予想していたので手身近にサンが血を吐いたことを報告してから電源を切る。次いで電話したのは馴染みの医者だった。
 コール音を耳にしている間、少年が何事か口にしたが、機械音に邪魔されて聞き取れなかった。やと繋がった電話で医者に病人が血を吐いたからすぐに来てくれと告げてから、少年に向き直る。

「今お医者さんが来てくれるって。で、何か言った?」
「今すぐ出て行って下さい」

 囁き声のような音量にも関わらず、強い口調でそう乞われた。
 意図が分からず、眉尻を跳ねあげる。相手が病人だからといって頑固なまでの拒絶を受けて黙っていられるほど、エレノアは優しくないのだ。

「さっきから近付くな近付くなってうるさいけど、あんた何様? 言っとくけどね、こっちだって近付きたくなんてないわよ。貴方がユーリを殺したっていうこと、父さんは許しても私は絶対に、一生許さない」

 意地でも目を反らす気などなかった。胸に掬う憎しみを、全て視線にのせた。

「化け物に同情なんかしてやるもんか」

 吐き捨てるように告げたエレノアは、じっとサンを見据え続ける。どんな小さな反応でも決して見逃さないように。
 サンは、エレノアの言葉を聞く間ずっと無表情だった。やがて、彼は笑う。心底嬉しそうに、幸せそうに笑った。

「僕も、同感だ」

 言葉の意味が、すぐには理解できなかった。そんなエレノアの様子に気付いたのか、少年は言葉を続ける。微笑みを口元に浮かべたまま。

「僕も、僕を一生許せない。こんな化け物は生きているべきじゃないって、分かってる」

 ごとんとエレノアの掌の内にあった携帯が床へと滑り落ちた。

「あ」

 重なった声に後押しされるようにエレノアは携帯を拾い、そしてそのままサンを振り返ることなく部屋を飛び出した。
 ばくばくと脈打つ心臓を押さえながら自室へと駆け込み、漸く己の見知った空間へと避難できたことに安堵して床にへたりこむ。

「何あれ」

 あまりにも異常だった。エレノアは父親こそ特殊な職業であり、同年代の子供達と比べれば擦れたところがあると自覚しているが、それでもあの少年のような存在と触れ合うのは初めてのことだった。

「自殺志願者? なら勝手に死んでよ」

 正直でいて無神経な言葉が口からもれる。それは確かな本音だったが、本人へぶつけることは出来なかった。
 弱りきった姿にあまりに酷だと思ったのか、考えてエレノアは首を振る。

「同情なんて、するもんか」

 少年に向かって言ったように、同情するはずがなかった。相手は確かにエレノアの親友を殺した悪人だ。故意ではないからといって、その行為が許されるわけではない。
 悪を犯した人は、悪人でなくてはならない。
 それは十二歳のエレノアにとって、崩れてはならない真理だった。


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