天空競技場



 天空競技場。世界中から腕に自信のある猛者が集まってくる格闘家の聖地だから一見の価値があると爽やかな笑みと共に送り出されたのは記憶に新しい。その前に天空競技場が何処にあるのか聞いただけでそんなことも知らないのかと呆れを含んだ溜め息を吐き出されたことは記憶から抹消したい。
 頭を軽く振ることで都合の悪い記憶だけを追い出し、眼下に広がる熱気に溢れた空間を眺める。
 圧倒的に男が多く、むさ苦しい。とりあえず目につく奴数十人くらい一掃しても良いだろうか。そんなことを考えながらゆっくりと指定された席へと向かう。
 あそこか、そう目星をつけたのと、目当ての席の隣に座る奴を認めて驚きに目を見張ったのが同時だった。

「熱血眼鏡!」

 名前が思い出せなかった。咄嗟に印象を口にすれば、目的の人物が自分のことだと分かったのか、もしくはただ声に反応したのか分からないが、とにかく此方へと振り向いた。

「貴方は……」
「げっ。変態ロリコン野郎じゃん」

 近くに座っていた何となく見覚えのある赤毛の餓鬼の頭をぶん殴ってから、眼鏡の奥の瞳を眇めた男に笑いかける。

「久しぶりだな。あの後無事にハンターにはなれたのか?」

 昔シャルナークに誘われて受けたハンター試験。最終試験で蹴落としてやった男は童顔なのか、あまり顔の印象が変わっていないのですぐに分かった。向こうも俺に気付いたのだろう。怒気が一瞬だけ膨れ上がる。しかし、周りに居座る餓鬼共二人を見渡してから色々な感情を含んでいそうな息を吐き出し、結局落ち着いた声音で返してきた。

「おかげさまで次の年に。貴方は今年の試験で合格したようで」

 何故知っているのだろうと首を傾げたところで再び溜め息が吐き出される。

「クルルから聞いたんですよ。棍棒使いのルーク。まさかとは思いましたが、本当に貴方とは。何故あれから十年近く経った今ハンターになったか、気にはなりますが、どうせ気紛れだとか言うのでしょう?」
「いや」

 こいつと会った時は純然たる暇潰しだった。その時の態度がお気に召さなかったのだろう、暗に責めてくる視線に、にやりと笑みを返す。

「理由はあった。まあハンターになりたいなんていう陳腐な理由じゃないが、な」

 どうも俺はこの真面目な顔を見るとからかってやりたくなるらしい。口許がにやにやと弧を描き、そこから飛び出る台詞は勝手に挑発的なものが選ばれる。相手の眉間に寄った皺に、静かに空気へと沁み出す怒気に、心地好さを感じた。
 けれど挑発に乗ってくれるのはそこまでらしい。瞬き一つの間に男は綺麗さっぱり感情の波をおさめてしまった。

「貴方も観戦に来たのでしょう? もうすぐ始まります。さっさと席に座りなさい」

 落ち着いた声音で諭すように告げる様は板についている。年を取って爺臭くなったのだなあと少々の憐れみを含んだ視線を向けてから、それならと足を踏み出す。
 無言のまま腰を下ろしたのは男の隣。明らかな抗議の視線が肌に突き刺さるが、この席でチケットを取ったのはヒソカだ。責められる謂れはない。

「知らなかったな。いつからハンターの仕事は餓鬼共のお守りになったんだ?」

 男の向こう側、赤毛と坊主と二人揃って訝しげな視線を送ってくる餓鬼共に向かい顎をしゃくれば、男は視線を遮るように腕を伸ばした。
 親が子を守るように。力ある者が力ない者を庇護するように。
 返吐が出る甘さだが、その態度は嫌いじゃない。その腕を無防備に差し出されるよりも、ずっと良い。

「この子達は私の弟子です。手を出す気ならば、私が相手になりましょう」

 漂うのは敵意よりも静かで、それでいて研ぎ澄まされた警戒。纏うのは以前よりも純度を増したオーラ。積み重ねた経験故か、守る者がいるからか、より手堅くより力強く成長した男の姿。

「良いなあ」

 やっぱりこいつは良い、と再確認した。
 蜘蛛の連中とは違う。俺達には守る者など必要ない。ウボォーギンなんかは足手まといを庇う方が実は強くなるが、基本的に皆個人でやる方を好む。ただ、奪い尽くす為に。弱い者は奪う対象にしかなり得ない。
 蜘蛛の盗賊団の奴らとやり合う時とは違う高揚を味わうことができる。その相手としてこの男は最高だといえる。

「なあ。今からちょっと、やらないか?」
「お断りします」

 間髪入れず言葉を返した男の注意は眼下へと移った。つられるように視線を流す。
 ちょうど本日の主役が舞台へと上がるところだった。歓声が沸き上がる中、小柄な少年と変態が中央へと歩を進める。
 向き直ったところで審判が試合開始を宣言した。

 ゴンは念能力を覚えたようで、試合は一見互角であるかのように進む。といってもヒソカは明らかに実力を隠していた。ゴンの能力に合わせて楽しんでいるのがよく分かる。

「ふあ」

 退屈に欠伸をもらせば、横から咎めるような視線をもらった。
 男と餓鬼共の会話から察するに、ゴンとキルアはこの男から念能力を教わったらしい。男からすれば大事な愛弟子の試合。変態に目を付けられたゴンのことがそれはそれは心配でならないだろう。しかし、同時にヒソカが今此処でゴンを殺すことはないだろうと様子を見ていれば分かるだろうに。固唾を呑んで戦いを見守る姿は緊迫感に溢れており、暇潰しのからかいには付き合ってくれないだろうと容易く予想がつく。
 たまらずもう一つ欠伸がもれた直後、ゴンが動いた。
 何かを狙う鋭い目付きで素早く床を蹴る。直接狙うと見せかけた後一度距離を取ったかと思えば、軽々と石板を剥がしてみせた。石板が床と垂直になったところで蹴りを一発。粉々になってヒソカへと降り注ぐ石つぶてに紛れ、ゴンがヒソカへの頬へと殴りかかる。
 劣勢だったゴンの攻撃が審判にも評価されたところで歓声が会場を包みこみ、そしてヒソカの表情が変化した。
 戦う相手として、やっと彼はゴンを認識したのだ。しかし、まだ対等だとは思っていない。遥か高みから、どこまでのぼってこれるのか試すような、期待するような、傲慢な微笑みをみせる。
 それからは一方的だった。純粋な身体能力の差を見せつけ、更にはこんな衆目のある場で発を見せびらかす。
 変化系の念で、伸縮自在なオーラ。そう聞くと若干俺の能力と被っている気がしてむかつくが、系統が違うので良しとしよう。
 改めて第三者と戦うヒソカの姿を見て、やり辛いと感じる。秀でた身体能力だけならば、恐らくウボォーギンの方が勝っている。しかし、その能力の汎用性の高さと能力を使いこなす頭の柔軟性は認めざるを得ない。
 タイマンは厳しい。なるべくならば、敵に回したくない相手だと再確認する。
 勝負は予想通り呆気なくついた。ヒソカが発を出した時点で、今のゴンに勝ち目はない。半年前は念の存在すら知らなかったことを考えれば、かなりの成長をみせてはいるが、まだ念は基礎の基礎の段階。実践の経験もそう多くはないだろう。念能力者特有の戦い方がまだ身についていない。
 悔しそうなゴンに、ヒソカはもっと成長してみせろと何やら面倒見の良い師のような台詞を笑顔で吐いてみせる。それから独り言のように続けた。

「ふふ。今日は特別なお客さんがいたからちょっと頑張っちゃった。ちゃんと僕の格好良いところ見せられたかな」

 意味あり気に呟いたヒソカは頭上をぐるりと見渡し、嫌なことに目が合った。にんまりと孤を描いた唇に、背筋がぞくりとする。
 勿体付けるように一つ舌なめずりしてみせて後、視線が僅か横にずれた。眼鏡の男、ではなくきっとその隣。

「クルル!」

 弾んだ声で呼ばれたのは、初対面の坊主ではなく、ハンター試験で見た赤毛の餓鬼だったようだ。ヒソカと知り合いだった様子はなかったし、肩を跳ねさせて驚きを示す様は此処で名を呼ばれる意味が分からないと物語っている。
 ヒソカは芝居がかった仕草で両手を広げ、その気味悪い声を響かせた。

「我が息子よ! 実は僕が君の父親だったんだよ!」

 しんと静まりかえった。いきなり何言っているんだろう、こいつ頭おかしいんじゃないだろうかと皆内心思っているに違いない。残念ながら元々こいつの頭がおかしいことを今までの付き合いで知っていた為、あまり驚きは感じなかった。

「嘘だ!」

 咄嗟に、といった様子で赤毛の餓鬼が怒鳴り返す。漸く空気が動き、観衆がざわめきだした。
 赤毛の餓鬼の言葉通り、嘘だろう。試合中、系統別性格判断なんてふざけたことを抜かしている時自認したように、ヒソカは嘘つきだ。初対面の時から身に沁みて分かっている。嘘をついて相手の心をかき乱し、隙をつくのがこいつの戦法だ。大方ハンター試験の最中に赤毛の餓鬼の父親がいないことを知って利用したに決まっている。
 何故か父親に間違えられ、俺も少し気になってシャルナークに調べてもらったが、昔少しだけ交友のあったマリアは白だった。実際に誰が父親なのかは興味がなかったし追加料金を提示されたのでそこで調査は打ち切ったが、クルルは父親のヒントさえ持っていないようだった。今もヒソカの言葉を否定する根拠がないのだと、怒鳴りつつ動揺が漏れだしている様子から判断できる。ヒソカにもそれは伝わったのだろう。

「酷いなあ。愛しの息子にそんなに否定されると、お父さん泣いちゃうよ」

 いっそ笑って欲しいのかと疑ってしまうような空々しい演技が続けられている。
 あのヒソカが父親。嘘だと分かっているが、想像しただけで恐ろしいし寒気がする。勝手に当事者にされた赤毛の餓鬼はそれ以上の苦痛を味わっているに違いない。
 結局ヒソカはからかいたかっただけのようで、最後まで自分がクルルの父親説を撤回することはなかったものの、あっさり会場を後にした。
 俺も帰るかと腰をあげ、いまだ席で項垂れ坊主頭や眼鏡の男に慰められている赤毛の餓鬼に一言声をかけてやる。

「なんていうか、まあその。ご愁傷様」
「ルーク!」

 追い討ちを咎めるような声と怒気を男が出したことに満足し、足取り軽くその場を去る。
 あのままあそこにいても眼鏡の男は餓鬼にかかりっきりで戦ってはくれなかっただろう。最後挑発に反応してくれたことで良しとした。
 そうして気分よく天空競技場を出たところで首を傾げる。

「結局あいつ、何がしたかったんだ?」

 ヒソカが俺を呼んだ意味。それは不明なままだ。
 しかし、どうせ考えるだけ無駄だろうと思考を止めたところで携帯が震える。着信元にはマチの名前。

「何?」
「あんたには関係ないと思うけど、次のヨークシン暇な奴改め全員集合になったから」

 素っ気なく用件を伝えられ、返事をする間もなく通話は切られた。
 関係ないとはつまり、どっちにしろ来るんだろと言われたわけだ。ほぼ十割に近い参加率を誇るべきか。それだけ暇をもて余していることを見透かされている事実を嘆くべきか。
 何にせよ、沸き立つ興奮を抑える理由は見つからない。

「全員か」

 滅多にない団員全員集合命令。それは、骨のある相手が多いことを意味している。

「楽しみだな」

 9月が来るのが待ち遠しくてたまらなくなった。


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