少女の話1



 エリにとってキャロルという少女は、とても可哀想な子で、家族のように思う大切な存在だった。

 エリの"父親"、ジョージ・クルフトが保護者としてキャロルの面倒を見る前、彼女は中々の苦難を経験している。
 生まれは極平凡。両親は穏やかで優しく、お金もそこそこある。何の問題もなかったはずの家庭で、けれどキャロルは彼らを家族として受け入れることが出来なかった。
 キャロルには、前世の記憶があった。
 言葉を話し始めた時期に鮮明な記憶として流れ込んだ別人の人生。前世での十五年という時の重みは、生まれて数年のキャロルという幼児を容易く押し潰してしまった。
 果たして幼子に自我があったのか、あるとすればそれは犠牲になったのか、エリはその点を追及しようとは思わない。彼女自身、前世の記憶を持っていたから。
 エリは、"父親"と"母親"の本当の子供ではない。"母親"にあたる女性の内に潜んでいた、人格の一つ。精神科医であるジョージの能力により、二人の間に生まれた子供へとその人格を移植された。長い時間をかけて"両親"とエリで話し合い、三人共に納得した結果なので、エリは新たな身体で生まれ直した時混乱はしなかった。
 しかし、キャロルとその両親の場合は違う。突然幼子の内にわいた別人格。キャロルは前世の人格を主人格として認め、両親は別人となった娘を自分達の子供として受け入れることが出来なかった。
 初めてジョージのところに連れてこられたキャロルは、当時八歳。十二歳にしては大人びていると周りから称されるエリの目から見てもその少女は全くもって子供らしさがなかった。周囲を拒絶する、ひどく荒んだ瞳。前世の記憶があるからではなく、前世の記憶を、現在の自分を拒絶されたことがその原因であろう。
 しかし、ジョージと接する内に少女は徐々に素の子供らしさを覗かせることになる。
 ジョージにも前世の記憶があるとエリが知ったのはその時だ。"母親"は知っていたのかもしれないが、同じ身体の内に存在しているからといって全ての情報を共有しているわけではない。エリは、精神科医としてのジョージしか知らない。
 ジョージが語ったところによれば、キャロルとジョージの前世の記憶はひどく似通っているのだという。同じ国で生き、同じ言語を話し、そして同じ時間同じ場所で死を迎えた。
 共通点を見つけたことで親近感がわいたのだろう。ジョージは正式にキャロルの保護者となることを望み、キャロルもそれを受け入れた。
 それからエリもキャロルを"妹"のように思って接している。初めは戸惑い故か話し掛けても無視されることが多かったが、長い時を共に過ごすことでキャロルもエリに心を開くようになった。
 よく怒り、よく笑う、そんな"普通"の子供らしさをキャロルが表に出せるようになってから更に数年、彼女が十二歳になった時、大きな節目となる事件が起きる。

 きっかけはジョージやキャロルの前世の記憶と重なる情報が書かれた本が出版されたこと。
 ジョージはすぐに作者へと連絡を取り、話を聞いた。残念ながら作者は前世の記憶とは全く関係なかったが、この本を契機にジョージは一つの考えを持ってしまった。

「仲間を集めようと思うんだ」

 夜、キャロルとエリの前でそう宣言したジョージに、キャロルは歓声をあげた。

「本当に? 私のお父ちゃんも見付かるかな?」

 とても無邪気に、キャロルは喜んだ。
 前世でジョージとキャロルは同じ事故で死んでおり、その時キャロルは自分の父親と共にいた。もしかしたら彼もこの世界にも生まれ変わっているかもしれない。そんな期待が、キャロルを喜色満面にさせている。
 しかし、エリは戸惑った。ジョージの提案に、ではない。ジョージの表情が、長年家族として過ごしたエリにしか気付かないほど僅かに緊張していたから。
 適当に理由を付けてキャロルを追い出し、エリはジョージに問い質す。

「それで、先生。貴方は本当は何がしたいの? 私には何が出来る?」
「先生ではなくお父さんと呼んで欲しいな」

 いつものように困った風に笑いながら訂正を求められ、いつものようにエリはそれを聞き流す。
 この点はエリはキャロルに共感できた。前世の記憶に引き摺られ、新しい関係を受け入れることが出来ない。エリにとってジョージは父でなく、一人の男だった。

「先生、答えて。さっきキャロルに元の世界に戻る方法も知りたいと貴方は言った。それは本当?」

 微かな苛立ちと共に強く尋ねる。
 前世の記憶にこだわる気持ちはエリにもよく理解できるが、エリにとって前世とはこの世界だ。そしてジョージとキャロル、二人にとっての前世はこの世界ではない。別の世界で、その世界から見ればこの世界は漫画の中の世界だとキャロルが教えてくれた。それが本当だとすれば、2つの世界はひどく遠い。容易く触れられそうでいて、手を伸ばせばぶ厚い壁にぶつかってしまう。一度でもすり抜ければ、その後は永遠に戻ってこないかもしれない。
 ジョージはゆるく首を振った。

「元の世界に戻ることが出来るとは思っていない」

 キャロルへの発言を嘘だと認めたジョージに、エリは心の底から安堵した。

「ただ、前から思っていたんだ。キャロルや私が今この世界にいるのは、私のせいかもしれない、と」

 そうして静かにジョージは話し始めた。彼がずっと胸の内に秘めていたことを。
 ジョージの能力は、人間一人分の記憶を他者に丸ごと移植することだ。エリにしか使ったことはないはずだが、キャロルの記憶の在り方はあまりにエリと似通っている。何らかの要因で前世の記憶の覚醒は遅れたが、ジョージ自身にも同じ念能力を使用したかもしれないということ。

「確証はないんだ。何せ元いた日本と此処は世界自体が違う。私一人の力では、あの事故で死んだ人達に念能力を使用することは出来ない。けれど、もし私の念能力が原因だとすれば、今後条件が整い念能力を発動する機会があれば、たとえ命と引き換えになろうと私は念能力を使用するだろう」

 静かな声で言い切ったジョージに、エリは気付かれぬよう小さく息を吐いた。それから口許に微笑を形作る。

「先生には生まれ変わらなければならない理由があるものね」

 じくじくと膿のように気持ちの悪い感情を生み出す胸を押さえながら、物分かりの良い台詞を口にした。

 エリは理解していた。ジョージにとって前世の記憶は研究対象の一種であり、彼にとって一番大切なものは愛しい人である゛母親゛と過ごしたこの世界での日々の記憶だ。前世の己を生まれ変わらせることで再び愛しい人に出会い、彼女を救うことができるならば、彼は言葉通り死さえ厭わないだろう。
 この世界での過去に固執するジョージと、前世の記憶に固執するキャロル。二人の目的は決して交わらない。
 エリの台詞を受けてジョージは頷いた。

「とにかく今は情報が欲しい。果たして同じような境遇の人間がどれだけいるのか。本当にこの生まれ変わりに私の念能力が使われているのか。もし使用されているとすれば、他にどんな条件が必要になるのか。全てはこれからだ」

 キャロルを騙したことへの後ろめたさを感じているのだろう、ジョージの口調は重い。それでも強い決意をこめた眼差しだった。
 だから、ジョージと過ごす今に固執するエリは、否を唱えずただ微笑んだ。

 仲間集めは順調に進んでいった。日本を舞台にした本の出版社に協力を依頼したことが幸いしたのだろう。ジョージの診療所に集った人は一か月で十人を越えた。
 サンプル数が増えたことで確証をもてたことが幾つかある。一つは、この世界を舞台にした漫画を読んでいるかどうかで前世の記憶の覚醒具合が異なること。二つ目は、やはり皆同じ事故で亡くなっていること。三つ目は、前世と同じ誕生年月日に生まれていること。
 そして、集った人達の中に二人、漫画の知識を持ち幼い頃から前世の記憶を保持していた子供達がいた。更に彼らは漫画の知識から念能力の訓練を独自に積んでおり、元の世界へ帰る為の能力を開発中だったのだ。
 集まった仲間達皆が元の世界へと帰りたがっているわけではない。前世の記憶がぼんやりとしている人にはこの世界で大事な繋がりを持つ人も多い。けれど、前世の記憶を強く持つ仲間は元の世界への執着を捨てなかった。


「やれるかもしれない」

 新しく仲間になった二人の念能力とジョージの念能力。上手く組み合わせれば、日本の事故で死んだ人達の記憶をこちらの世界に持ち込むことができるかもしれないと、ジョージは確信したらしかった。

「そう。良かったわね」

 言葉少なにエリは祝福する。
 声のトーンが低いことに気付いたのだろう、ジョージは眉間の皺を深める。

「浮かない顔だね。やはり、彼らを騙していることが気にかかるかい?」

 否定も肯定も出来なかった。
 無邪気に希望を語り合う、新たな仲間二人とキャロル。歳も近いせいか、最近彼らは仲が良い。その光景に嘘をついている後ろめたさを感じるのは事実だった。けれども、もう一つ。
 足音が近付いてくることに気付いたジョージは何か言おうとしていた口を閉じ、目配せしてくる。大人しく従ったエリの視線の先で、大きな音を立てて扉が開かれた。

「ジョージ先生!」

 部屋に飛び込み、満面の笑みを見せたのはキャロル。ジョージは、穏やかな笑みで彼女を迎える。

「あのね! さっきまた電話が来て、患者さん来週来るって。またお仲間かな?」

 今度はどんな人かな、と続く声は弾んでいて、エリは衝動的に耳を塞ぎたくなった。
 喜ぶべき場面だと理性は判断する。けれど、わきあがるのはどうしようもない疎外感だった。
 エリは日本を、前世のジョージを知らない。けれど、キャロルを始めとした仲間達は日本を知っている。仲間を募ってからそう感じる場面は次第に増えて、寂しさが生まれた。寂しさはやがて嫉妬に変わり、心に生える棘を鋭くする。

「教えてくれて有難う、キャロル。向こうで詳しいことを教えてくれるかな?」

 キャロルを促しながら、ジョージが目で合図をしてくる。先程の会話は秘密だよ、と告げる視線に、やっとエリは息が吸えた。
 新鮮な空気と共に胸を満たすのは、優越感。
 だって、仲間達は何も知らない。ジョージが生まれ変わりの犯人かもしれないことも、本当の目的が元の世界へ戻ることではないことも。たった一つの二人だけの秘密がもたらす愉悦はとても素晴らしく、エリは目の前の男の欺瞞を喜んで受け入れた。


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