少女の話 5.5




 キースは自らの外套にアリスを包んだ状態で油断なくヒソカを注視していた。
 彼が潜んでいたのは天井裏。元々アリスを回収する為に控えていた。そこにヒソカが現れてテラドを殺し、更にアリスに興味を持ってしまったことは不測の事態だった。
 関係者を殺し、最後の仕上げである火を放つ為の準備を終えたのだろうミアの到着が早かったのは幸いというしかない。多少あからさまだったが廊下へ何度も視線をやることでヒソカの注意を引きつけたミアがナイフを投げた時、キースはきちんと自分の役割を理解し、動いた。
 絶で気配を殺していたにも関わらず、天井から飛び降りたキースをヒソカの視線は追っていた。向かってくるナイフを見もせず少しだけ身体をずらしながら回避し、その唇が孤を描く。瞬間、背筋に悪寒が走る。視線が合ったその時、彼はどちらが強者かを正確に読み取った。
 身体は宙に浮いたまま。刹那、思考をめまぐるしく働かせる。キースの脳裏では数秒先の未来が鮮やかな光景となり映し出されていた。
 ヒソカが音もなく手を振り、アリスの細い首から鮮血が飛び散る。そのアリスを此方の着地地点に押しやることで動きを拒み、アリスを殺されたミアは叫びながらヒソカに襲いかかるだろう。そしてヒソカは呆気ないほど簡単にミアをねじ伏せ、最後の獲物と戦うのだ。
 三体の死体に囲まれ笑みを浮かべる死神のような姿まで想像できたところでキースは軽く床に着地した。幾度も死地から生還した時のように今回も内心の怯えを飼い馴らし、冷静に取れる策を実行に移す。ヒソカに向かって羽織っていた外套を投げつけたのは、相手も念能力者ならば警戒するだろうと予想したからだ。念の多様性は侮れない。戦いなれた者ほど、あらゆる可能性に気を配る。
 予想は当たった。アリスの背を蹴り付けベッドから距離をとったヒソカを追わず、キースは外套に包まれたアリスをその手に保護することができた。
 一つ、安堵の息を吐く。アリスを奪い返したことで、今回の計画は成功したようなものだったから。主目的はアリスを逃がすこと。ミアの願いはそれだけだった。
 だから、キースはそれを叶えるべく行動を起こす。ミアに最後の言葉を告げられないことが心残りではあるが、あっさりとそれを切って捨てた。危険性の高い計画故に別れは昨夜済ませてあるし、ヒソカに余計な疑いを抱かせる訳にはいかない。
 体内のオーラを練り上げ、キースは念能力を発動させた。音もなく、前触れもなく、キースは外套内のアリスを抱えたまま、己の持つ隠れ家へと転移した。


「えっ?」

 外套から顔を出したアリスは保けたように瞬きを繰り返し、その口から疑問符を吐き出す。混乱は手に取るように理解出来たが、今は構ってやる余裕はなかった。やることは山程ある。前準備は周到に行ったが、キースの関わりが露見しないようここからは慎重に動かないとならない。もうすぐ事態を把握した上の者から呼び出しがかかるだろう。ヒソカと鉢合わせしないよう、事を収拾しなければ。

「俺が来るまで絶対にこの部屋から出るな。それと医者は呼んであるが、余計なことは話すな。分かったな」

 口をぱくぱくと動かしたあと、威勢良く立ち上がろうとしたアリスはぐっと倒れこんだ。蹴られた背が痛むのだろう。肋骨が折れているのかもしれない。呼吸するのも苦しそうに喘ぎながら、それでも少女は口を開いた。

「ミアは?」

 ぐっと頬の内側を噛み、キースは平静な顔を保つ。内面に渦巻く激情を吐き出す場には相応しくないと思ったからだ。許されるならば、詰っただろう。お前を助ける為にミアは犠牲になったのだと。しかし、その可能性も充分頭にあったのに、ミアの願いを叶えると決めたのはキース自身だった。それを理解しているから、静かにアリスと向き合う。

「分からないが、恐らくもう生きていないだろう」

 息を呑む音が聞こえてくるようだった。真ん丸と目を丸くさせた少女がその可能性に気付いてないとは思えない。多少向こう見ずなところはあるが、そこまで愚かではなかった。だから、恐らく現実を直視したくないのだろうと簡単に予想はつく。

「やだ……。やだよ、そんなの。だってミアは私と一緒に」

 悲しみに同調することは今は許されないと判断したキースはあっさりと彼女に背を向けた。その態度がどれだけ非情に映るか理解していたけれど、背を向けた。

「何でミアも一緒に連れて逃げてくれなかったの!? あんたの大事な人だったんでしょう!?」

 後ろから追いすがる声は怒りに満ちている。暗殺者としては使い物にならないほどに感情を真っ直ぐにぶつけてくるところを、ミアは非常に気に入っていた。キースだって個人的には好ましいとさえ思っている。だが、今だけは勘弁して欲しかった。
 念の制約があるから二人は連れて行けなかった。どちらかを選ぶ場面があれば、自分を選んでくれるなとミアは懇願した。そうすれば、過去ミアを選び彼女の妹を見殺しにしたことを許してやると。
 覚悟は決めていた。それでも二人共守ってやると言えない自分が、結局一人しか守れなかった自分が、とても弱い自分が、許せなかった。

「大人しくしていろ」

 それだけ吐き捨て、キースはその場から逃げ出した。せめて一人だけは救える男になるために。


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