イルミ



「うわあ」

 大きな木の幹の影から覗き見た光景を前に、屈みこんでいたサンが思わずといった様子で声をあげた。気持ちは分かる。
 第四次試験の島を歩き、初めて見た受験者は、全身に釘を打ち込んだ新人だった。木々の合間からその不気味な姿が悠々と歩いているのを発見してしまったのだ。そしてある程度距離を置いて釘人間を尾行している受験者が一人。

「イルミだ」

 下から聞こえた名前に、眉をひそめる。敢えて放置していたサンの中の危険人物の内の一人はあの新人だったらしい。尾行している受験者である可能性もあって欲しいが、そちらは明らかに念能力者ではなく、それほど強そうにも見えない。釘人間からたちのぼる気味悪いオーラが、危険人物は彼であると知らしめてくる。

「どうする?」

 "イルミを止める"こともサンのやりたいことの中に入っていた。動くのかと問いかければ、即座に固い声が返ってくる。

「勿論、いきます」

 何が彼を駆り立てているのかさっぱり理解できない上興味もないが、サンは既に覚悟を決めているようだった。真剣な表情でゆっくりと手袋を外す。その目はイルミという釘人間の動きをしっかり追っていた。

 息をひそめながら、目的があるかのようなしっかりと足取りで進む釘人間、それを追う受験者の二人をこっそり見守りながら移動すること一時間。釘人間が川で喉を潤す為にか屈みこんだ時、尾行していた受験者が初めに動いた。背の筒から矢を一本取り出し、弓を構える。数え切れないほど繰り返してきたのだと素人目にも察せるほどその動作は滑らかで、獲物に集中する様は此方から見れば隙がありすぎだった。

「駄目だ、ポックル」

 相手に届かない、傍から見たらただの独り言に過ぎない警告を発したサンが、次に動いた。釘人間目掛けて矢が放たれると同時に草むらから飛び出し、追跡者を背に庇うように二人の間におどりでる。サンの厳しい視線は真っ直ぐ釘人間の背中を捉えていた。
 釘人間は、二人の受験者の動きを察しているだろうにも関わらず、微動だにしない。だというのに真っ直ぐ飛んでいった矢は、彼の背中に当たったあと呆気なく弾き返された。オーラだった。瞬時にオーラで背中を覆い、釘人間は矢を防いだのだ。

「ポックルさん! 逃げて下さい!」

 釘人間を警戒しつつ振り返ったサンが声を張り上げる。名を呼ばれたらしい弓を抱えた受験者は、不満げに眉をひそめた。

「邪魔する気か?」
「貴方ではイルミに敵わない」

 屈辱的な台詞に、けれどポックルよりも大きな反応を示したのは釘人間だった。

「うわあ!」

 サン越しにそれを見てしまったポックルが悲鳴をあげる。端からから見ていた俺も悲鳴まではいかないが、あまりの気持ち悪さに眉をしかめた。つられるようにして釘人間に向き直ったサンが、目に映った光景に一歩後ずさり、ついでにこけそうになる。

「助けてエレノア!」

 思わずといった様子でこの場にいない女に助けを求めたサンにも予想外だったのだろう。
 釘人間は全く体勢を変えていなかった。川のほとりに腰を下ろしたまま、ただ顔だけを此方に向けているのだ。何かを訴えかけるように全身の釘がかたかたと揺れ、首は180度回転している。
 だが、よく考えてみれば、蜘蛛の団員のボルレノフも有り得ない身体の柔らかさだった。"普通"ではない人間に囲まれているせいかすぐに冷静さを取り戻せたのだが、生憎とポックルとやらは耐性がなかったらしい。
 じりじりと後退り、ある程度の距離をとったところで身を翻す。そのまま背を向けて一目散に走り去った。
 潔いまでの脱出から僅かな沈黙の後、その不気味な音は辺りに響き渡る。ごとりごとりと草むらに何かが落ちる音。自然と俺とサンの視線を集めた先で、釘人間は無造作な動きで釘を抜き、地面に落とし始めた。見守るサンの緊張が此方に伝わってくる。何が起きても対応できるよう如意棒を構える。
 そして、彼は姿を現した。

「っ」

 音にならない悲鳴が喉で詰まる。如意棒を握る手が動揺を表すようにふるりと震える。見開いた目がいつかと同じ無機質な瞳を捉えた瞬間、激情が胸に渦巻いた。

「イルミ」

 警戒を露にした固い声でサンは彼を呼ぶ。
 釘を全て抜いた男は、どういうからくりか一気に伸びた髪をうっとおしげに払いのけ、大きな黒目をサンに向けた。

「俺の名前を知っているっていうことは、君達がヒソカの言うイレギュラー?」

 記憶の中の彼の声は、もう少し高かった。それでも、どんな感情もうかがえない平坦な声の調子は全く変わらない。

「ヒソカから聞いているなら話は早いです。僕は、貴方に誰も殺して欲しくない。貴方が誰かを殺そうとするなら、僕はなんとしてもそれを阻止します」

 彼は子供のようにこてんと首を傾げ、疑問をもったことをその仕草でもって示した。けれど、表情は何も変わらない。人形が人間の真似をしているように、動作と表情が噛み合わない。
 気味が悪い。吐き気がする。

「君は知ってるんだろ? 俺の職業」
「もちろん。貴方は暗殺者でしょう?」

 そしてサンの発した決定的な言葉に、ぞくりと全身の毛が粟立った。

「天下一の暗殺一家、ゾルディックの長男」

 サンは肩書きを読み上げるように、すらすらとそれを口にした。当然だ。彼は知っていたのだ。漫画の中での彼を。
 けれど俺にとっては違う。遠い過去、母親の心臓を抉り出した少年は生身の、現実の人間で。何故気付かなかったのか不思議なくらい過去と同じ気味悪いオーラを纏い、今目の前にいる。

「暗殺者に人を殺すなって? 面白いことを言うね」

 ちっとも面白くなさそうに呟く彼は、俺の存在に気付いている。たえず警戒しているのは分かる。けれど、"俺"に気付いてはいなかった。
 当たり前だ。あの少年は"俺"に何ら興味を抱いていなかった。一晩寝たら、いや、あの場を離れたらすぐに忘れ去ってしまうくらい、あの時の彼にとって"俺"は価値のない存在だった。今の"俺"も、きっと同じ価値のない存在。彼の瞳がそれを示してくる。どんな生き物も、単なる物としか映らない。何に対しても興味を抱かない。そう如実に語る、無機質な視線。

「貴方が何者でも、僕の前で人は殺させない」

 サンの瞳に映っている世界は、きっと生命の輝きに満ちているのだろう。色鮮やかに決意と敵意をもやす視線は真っ直ぐ暗殺者の青年に向けられている。

「ふうん」

 興味なさそうに呟き、彼は思案する時の仕草を真似る。右の拳を顎に当て、左手は右肘に添えるだけ。それは正に人間の動作を真似ているだけのように俺の目には映った。

「ヒソカにはイレギュラーに手を出すなって言われてるんだけど」

 光を宿さない瞳が一瞬此方に向けられた。胸を鷲掴みにされたように動悸が激しくなったのに、すぐに視線は反らされる。俺だけが彼の存在に動揺しているという事実が、たまらなく腹立たしい。

「邪魔するなら、殺して良いよね」

 確認するかのように呟いた後、辺りに濃厚な殺気が振り撒かれた。
 強烈なオーラでの威嚇に身体が勝手に反応するのを意地で抑え込み、その場に留まる。脂汗がじっとりと前髪を濡らし、一筋頬へと伝う。
 今の一瞬で、悔しいほどに理解してしまった。俺では彼に敵わない。団長で敵うかどうか。怖気づきそうになる己を、必死で鼓舞する。
 敵わなくても、弱くても、ここで死ぬのは絶対嫌だ。死ぬのは蜘蛛の為だと、決めている。

「ルークさん」

 出し抜けに呼ばれた名に、遅れてその存在を思い出した。
 そうだった。今彼と対峙しているのは俺だけでなく、もう一人。
 暗殺者の青年を一心に睨み付ける少年の横顔は、彼のオーラに怯みながらも決して退こうとはしない決意を宿している。

「対ヒソカと同じ戦法でいきましょう」

 冷静な声で指示を出し、ちらりと此方の様子を確認する。何かに驚いたように目を見開き、それからそっと微笑んだ。

「大丈夫です。僕一人なら無理かもしれませんが、ルークさんがいるなら絶対にできます」

 穏やかな声に、気遣われたのだとすぐに分かった。よっぽど今の俺は酷い顔をしていたらしい。あまりにも久しぶりに与えられた、柔らかな心配り。蜘蛛の盗賊団では決してもらえないそれに、舌打ちしたくなり、そんな自分にやっと冷静さが戻ってきた。
 こんな餓鬼に対して弱みをみせた自分が腹立たしい。そして何よりその生温い情を、俺には不要の優しさを、無条件で差し出すべきものだと信じているらしい少年に吐き気がする。
 少年も暗殺者もくたばってしまえと心の中で囁き、如意棒を固く握り締める。

「ああ。やるぞ」

 安心したように息を吐き、暗殺者へと向き直ったサンと呼吸を合わせる。そうして攻撃を仕掛けようとした時、先手を取られてしまった。地面に落ちていたはずの釘が、一斉に俺とサンへと飛びかかってくる。
 初っぱなから計画が崩されたことに舌打ちしながら地面を蹴りつけ、サンを後ろに庇った。そのまま前に構えた如意棒を高速で回し、飛んできた釘をうち落とす。
 面倒なことに、この少年に運動神経というものは備わっていないようなのだ。念能力だけはすさまじいが、身体能力はゼロに近いというのだから、俺が盾になるしかない。これでヒソカを止めようとしていたのだから、底なしの馬鹿だ。

「すみません」

 後ろで囁かれた言葉に思いっきり同意したくなりながら、大人の対応をしてやった。

「気にするな」

 答えてすぐに、暗殺者の青年に飛びかかる。降り下ろした如意棒は軽々と右腕で防がれたけれど、右足で胴を蹴りつけるのと同時に如意棒を縮める。
 念能力であることに気付いた彼は、一瞬目を細めて如意棒に気が逸れた。胴への蹴りはオーラで防御されたせいで全くダメージを与えられなかったが、気にせず暗殺者の青年の後ろに回りこむ。
 そして、川岸で両足を踏ん張りながら彼の背中目掛けて一気に如意棒を突き出した。

「サン!」
「任されました!」

 威勢の良い声をあげながら、サンは既にすぐそこまで迫っていた。自らの方に押し出された暗殺者の青年めがけて手を伸ばす。
 正直に言って、一か八かの賭けのようなものだ。相手の気を俺に引き付けて、その間にサンが相手の身体を触ればこちらの勝ち。相手が避ければ相手の勝ち。特にサンの能力を知っているヒソカ相手ではかなり分の悪い賭け。けれど彼はサンの能力を知らないはずだから、と望みをもって押し出した如意棒にかかる重みがふっと消える。
 暗殺者の青年はサンの手が触れる寸前、危機を察したのか素早く屈みこんだのだ。
 それを認め、作戦一は流石に失敗かと次に備え如意棒を縮ませ手元に戻した時には、全てが終わっていた。

「やった」

 喜びの声をあげたサンの手は確かに暗殺者の青年の足に触れている。何が起こったか分からず、瞬きを繰り返し。目に映った光景を頭の中で整理し、やっと答えを得た時には既に暗殺者の青年のオーラは見える限りでも半分以下に減っていた。

「やりましたよ! ルークさん!」

 晴れやかに言い切るサンは身体を地面につけたまま。手はしっかりと男の足を握っておりオーラの移動が行われているのは分かるが、彼自身は大変無防備な状態だ。
 当たり前だ。少年は、転んだのだから。
 暗殺者の青年目掛けて走り、小石にでも躓いたのか前振りもなく転び、何の因果か転んだ先に屈んだ暗殺者の青年がいた、というわけだ。
 暗殺者の青年が油断していたのもあるだろうが、有り得ない幸運だ。それでも実力を伴わない幸運は長続きしないもの。
 オーラを吸いとられていることに気付いたのか、暗殺者の青年は素早く動いた。強引に足を抜き取り、サンの顎先を蹴りあげてからその場を飛び退く。軽々とふっ飛ばされて意識を失ったのか動かないサンをそのままに、如意棒片手に再び襲いかかった。
 やはりオーラを吸いとられた影響があるのか、暗殺者の青年の動きは先程より明らかに精彩を欠いていた。飛んでくる釘を避け、時々当たる攻撃に気を良くしながら、横目でサンの様子を見やる。
 意識を取り戻したのかふらりと立ち上がるサンに、再度念能力を奪わせようと隙をうかがっていた時だった。
 暗殺者の青年の手がひらりと揺れ、掌の内に隠されていた釘が一直線に後ろにいたサン目掛けて飛んで行く。サンは暗殺者の青年の向こうにいて、助けに行こうと気は急くのに、懐に飛び込んできた青年の攻撃を防ぐので手一杯。

「くそ」

 間近に迫る黒い瞳を忌々しく思いながら悪態を吐く。
 正直やられたと思った。この場で一番防御力が低く、一番攻撃力の高いサンは真っ先に潰すべき獲物。だからこそこいつは俺をサンから離し、隙を見てサンを攻撃した。俺の方にも油断があった。オーラを半分以上吸いとられた状態でここまで粘るとは思っていなかった。
 サンが殺られたならこの場は一旦退こうと決意を固めて如意棒を握り直した時、新たな強者の気配に全身が緊張で強張る。覚えのあり過ぎるオーラの気持ち悪さにその正体を察してしまい、舌打ちをもらす。

「イルミ、殺しちゃ駄目じゃないか。このイレギュラーは僕の獲物だよ」

 サンは生きているらしい。それだけは有難いが、それ以上に面倒臭い。
 攻撃を止めて距離を取った暗殺者の青年を警戒しながら横目でサンの無事を確認する。再び気を失ったらしいサンの傍ら、暗殺者の武器である釘を地に放った人物はにやりと口許を歪ませた。

「ルーク、君もひどいな。イルミに殺される前に僕と遊んでよ」

 一人暢気に気絶しているサンが憎たらしくて堪らない。暗殺者の青年とヒソカ相手に俺一人は流石に厳し過ぎるだろう。


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