父親



 目の前には暗殺者の青年。その向こうには、にたにたと笑うヒソカ。ヒソカの横に倒れ伏す元凶ともいえるサン。
 心の底から思う。このままサンを放って逃げたい。幸いヒソカにサンを殺す気はないようだし、預けても良いんじゃないだろうか。

「向こうから手を出してきたんだよ」

 ここは面倒臭そうに弁明する暗殺者の青年の言葉にのっかっておくべきだ。

「言っておくが、そこで寝てるサンが言い出したんだ。俺自身は別にこいつと敵対する意思は……」

 不自然に言葉が途切れる。訝しげに此方を見詰めてくる黒い瞳に、際限なく吹き出す憎悪を内に押し留める。
 母親を殺した男。憎くないと言ったらそれは嘘になる。憎い。殺したい。自身が敵うか敵わないか、そんな現実的な思考と関係ないところで感情が爆発しそうになる。
 それでも、今の俺は蜘蛛の盗賊団の一員だ。背中に刻まれたその証を強く意識しながら言葉を吐き出す。

「今はない」

 蜘蛛の盗賊団の敵となるならば、全ての力をもって撃退してやろう。けれどまだその未来は確定していない。ここで無駄に命を散らしても、それは蜘蛛の盗賊団の為にはならない。

「まあヒソカの獲物みたいだし。俺は別にどうでも良いけど」

 気だるげに髪をかきあげる様が、記憶と重なる。"俺"の生死は、昔も今も、彼にとって興味の範疇外にある。
 悔しさを噛み締め、無理矢理視線を外した。彼の向こうにいるヒソカへと。

「サンには手を出すな。そいつは俺の獲物だ」

 念のための忠告。気味の悪い笑みが返ってくる。

「彼は僕の獲物だよ。まだまだ青いけれど、育てば極上の果実になる」

 逆に牽制され、目を細める。

「一応覚えておく」

 ここでやり合うのは得策ではない。そう理性が判断を下して踵を返そうとする寸前、感情が理性を上回ってしまった。

「なあ」

 視線を向けたのは、暗殺者の青年。生気のみえない瞳を見詰めながら、ゆっくりと口を開く。

「アン・ヘルゲン。もしくはヘンデス。どちらかの名に覚えは?」

 覚えていると言って欲しかった。けれども答えに予想はついていた。彼が覚えているはずがない。俺がクルタ族のことを、殺した人達のことを忘れてしまっていたように。それでも、確かめたかった。確かめた後のことなど全く考えていない、衝動的な問いかけ。
 暗殺者の青年はこてんと首を傾げ、それからぽんと手を叩いた。

「ああ。ショーンの関係者」

 予想だにしなかった名前に、此方が唖然としてしまった。それは一体誰だろうと疑問に思う一方で、答えを知っている気もする。ショーン。男の名前。

「そっか。君、あの時のショーンの息子か。なら行って良いよ。ショーンの子供は呪われているから、関わらないよう父さんにも言われてるんだ」

 本当の父親の名前を、俺は知らない。ゾルディックに関係することを、母親や親代わりは口にすることを避けていた。だから、彼の言うショーンが俺の父親でもおかしくはないのだが。

「呪われている?」

 初めて聞く事実に呆然と聞き返せば、男は滑らかに頷いた。

「執事のショーンの念能力は、"怠け者の自業自得"だっけ。確かそんな感じ」
「へえ。どんな能力なの?」

 面白がるようにヒソカが会話に加わってくる。

「執事の仕事を怠ける為に作った能力。サボりの発覚を遅らせて、その代償として発覚後の罰は酷くなる。面白い能力だったみたいだよ。試しにターゲットの暗殺をショーンの能力で遅らせてみたら、ターゲットに不運がおそって、結局暗殺した時にはこっちは何にもしてないのに勝手に地獄の苦しみを味わったらしい」

 暗殺者の青年の話が正しいかは分からない。けれども、一つ腑に落ちる点があった。
 何故母親と親代わりはゾルディックから逃げることができたのか。そのショーンという男の能力で母親と親代わりの脱走の発覚を遅らせたのだとしたら。もっといえば、母親の脱走の発覚を遅らせる為に発動した能力が、親代わりを強制的に巻き込んだ可能性だってある。だって、親代わりに俺達家族を助ける理由なんかなかった。

「へえ。確かに面白い能力だ。でも、何でルークが呪われているのさ?」
「ショーンの能力で母親と使用人の脱走の発覚、それに伴う死の制裁が遅れた。俺もショーンの能力で操作されていたらしいね。まあ、それで産まれるはずのない子供が産まれてしまった。ショーンの能力にはまだ謎が多いんだよ。"起こるはずの事柄"を遅らせることで周囲に不幸を撒き散らすことは分かっている。でも、子供の誕生は"起こるはずの事柄"には当たらない。予定を遅らせることで予定になかった事柄が起きてしまった」
「なるほど。下手にルーク達に関わると不幸の連鎖が起こる可能性がある、と」

 暗殺者の青年とヒソカの会話がどこか遠くに聞こえる。今は、わきあがる殺意を堪えることで精一杯。見たこともない父親への殺意を。
 その能力は、不幸を撒き散らすのだという。その不幸に、心当たりがないといえば嘘になる。
 母親の死の間際、アリスは家出した。家族を否定する言葉を残して。母親の死に顔は綺麗だったけれど、その事実が母親とアリスに深い傷を残したことは間違いない。そして、親代わりへの制裁が遅れたからアリスは売られてしまった。もっと早く彼が現れていたら、アリスと離ればなれになることはなかった。
 けれども、それでも一つだけ言えることがある。

「呪われてなんかいない」

 不幸の連鎖? そんなものあるはずがない。現にアリスは今幸せに過ごしているはずで、俺だって蜘蛛の盗賊団に居場所を見出だしている。

「お前の言う通りだとしても、そのショーンの念能力はもう俺達には関係ない。俺達は、俺達自身の意思で道を選んで、満足している」

 操られているはずがないと胸を張って言える。それに、アリスと離れてしまったことは辛くはあったが、不幸ではないのだ。アリスが自身の力で幸せになり、笑顔に包まれた暮らしを送っていると確信しているから。

「ふうん」

 暗殺者の青年は興味なさそうに呟き、そして一瞬にして姿を消した。何処かに行ったのだろう。そして残されたヒソカは、楽しげに笑い。

「ふふ。不幸を撒き散らす双子、か。本当に君達は飽きないね」

 誉め言葉なのか微妙な台詞を吐き出す。

「じゃあサンのことは頼んだよ。今度は僕と遊ぼうね、ルーク」

 そんな嬉しくない言葉を最後に、森の中へと進んでいった。
 誰もいなくなったと確信できて漸く全身の緊張がとけた。

「ったく」

 ぐしゃっと髪をかき混ぜる。しかし募り募った苛立ちはそんなことで解消されるはずがなく。

「おい」

 視線をあげた先、横たわったサンのすぐ傍にある木の上に向かって低い声を投げた。

「いるんだろ? 出て来いよ」

 島に降り立った時からずっとあとをつけている受験者がいることには気付いていた。サンが気付いていたかは分からない。話題に上らなかったから放っておいたが、ストレス解消くらいにはなってくれるだろう。そんな思惑から声をかけたのだが、沈黙が辺りを支配する。暗殺者の青年によってささくれ立った心は簡単に苛立ちを闘争心へと変化させた。

「そっちがその気なら」

 如意棒の切っ先を受験者に向ける。先程は暗殺者の青年相手に散々能力を使ってしまったのだから今更だと開き直る。

「伸びろ」

 囁きと共に一直線に伸びた如意棒は木々の間に突き刺さり、軽く横になぎはらえば受験者が潜んでいた木がゆっくりと倒れた。それと合わせて人影が飛び出てくる。
 地面に膝をついた黒装束の受験者は、此方を向いたつるぴかの頭をゆっくりとあげ、険しい視線で睨みつけてきた。

「お前とやり合う気はない。俺の獲物はそっちだ」
「関係ない」

 緊張しているのか余裕のない声でなされた説明を、一言で切り捨てる。
 俺を狙っている受験者はいないのだから、最初からサンが獲物であることくらい分かっていた。それに、元々サンのプレートが奪われても構わない。ただ、俺は喧嘩相手を欲しているだけなのだ。この苛立ちをぶつけられれば、それで良い。
 闘争心がオーラとなって身体中から吹き出す。黒装束の受験者は念使いではないのだろうが、何かがあると感じ取ったのだろう。額から汗が垂れて、地面に落ちた。その横を悠々と通り過ぎ、サンの傍らに跪く。無防備な状態で胸元におさまるプレートをもぎとり、男に見せつける。

「これが欲しいんだろう? やるよ。その代わり」

 血がわき立つような興奮が、口許を歪ませる。

「楽しませてくれるだろう?」
「是非とも遠慮したいね」

 口端をひきつらせながら、それでもオーラに負けじと軽口を叩いたその根性に感嘆する。念は使えないけれど、死地は何度も経てきているのだろう。

「安心しろ。これは使わない。素手で勝負だ」

 気を良くして如意棒を背負い直す。純粋な体術勝負を申し込めば、受験者は逃げ切れないと悟ったのか険しい視線をそのままにゆっくりと立ち上がった。
 その時だった。背後から立ち上った凶悪なオーラの気配に、思わず距離を取る。隙をつかれて黒装束の受験者が逃げ出したが、それを追う余裕もない。

「おいおい」

 船の甲板でも感じた、濃厚な死の気配。それを避けるように一歩二歩と足早に後退りながらも、視線は元凶に釘付けになっていた。
 未だ意識が戻らないのか、倒れたままのサン。サンがいる場所から円状に、どんどんどす暗いオーラが広がっていく。凝をしなくても、オーラがどこまで伸びているかは一目で分かった。一瞬にして、命の気配が消えるのだ。
 木は痩せ細り、自身の重さを支えきれなくなったように倒れる。地面に生えていた草花はみるみるうちに枯れ、茶に変色した残骸が散らばる。川で泳いでいた魚が腹をみせて川面に浮かぶ。脅威を感じ取ったのか鳥が一斉に飛び立って遠くへと逃げ出す。
 こんな小さな生命ではまだまだ足りないとでもいうように、生に貪欲なオーラの広がる勢いは止まることを知らない。

「アレなら大丈夫か」

 サンに死なれては困るから一応傍についていようと思っていたのだが、どうやらあの少年の念能力はよっぽど生に執着しているらしい。主の負ったダメージを取り戻そうとする様に、放っておいてもサンは死なないだろうと判断する。それよりこの場に留まれば俺の命が危うい。最後にちらりと気絶したままの少年が生きていることを確認し、一気に走り出した。


「弱いな」

 サンと別れてから六日。第四次試験の最終日、遭遇した六人目の受験者の骸を前に一人呟く。
 一度として如意棒は使わなかった。拳一つ、蹴り一つで受験者達は呆気なく死んでしまった。それぞれが持つプレートを回収し、集めたプレートの数は四枚。一枚も持っていない奴もいたし、二枚持っている奴もいた。自分のものに、奪った四枚、それからもう一つ。

「これ、どうするかな」

 強そうだった黒装束の受験者への餌にする為に取ってしまったサンのプレート。流れで持ってきてしまったそれの存在に気付いた時には、既にサンに近寄れるような状態ではなかった。島の何処にいても感じ取れた凶悪なオーラの気配は三日目の夜に消えたので、サンは目覚めてはいるのだろう。だが適当に歩いていても遭遇はしなかったので、返すタイミングを逃している。

「ま、いっか」

 どうにかなるだろうと楽観的に考え、集合場所である船の停泊場まで向かっている途中のことだった。

「ルークさん!」

 聞き覚えのある元気な声に、ゆっくりと振り返る。その先には予想通りの姿があり、満面の笑みで走り寄ってきた。島の一画を死で満たした凶悪なオーラはすっかりなりを潜めている。

「良かった、無事だったんですね! その、僕また暴走しちゃったみたいで。もしルークさんまで巻き込んでいたら……。本当にごめんなさい」

 しゅんと縮こまる姿は正に人畜無害といった印象を人に与えるだろう。その正体を知りながら尚侮ってしまいそうな弱々しい姿に騙されまいと肝に命じる。

「いや。それより悪かった。一人置き去りにして」

 起きた時はさぞ当惑しただろう。辺り一面無惨な状況。人どころか生き物の気配も皆無。元凶は自分だと分かりきっている状態で、サンの性格だと地の果てまで落ち込んだに違いない。というよりこの性格で何故そんな念能力をつくったのか甚だ疑問だ。

「いいえ。逃げてくれたなら良かったです。それにしてもあの後一体何があったんですか? 辺りを見て回ったんですけど、僕は誰も殺していません……よね?」

 不安そうな表情はひどく真剣で、笑いたくなる。あれだけ悲惨な光景を作り出した当人の発する言葉とはとても思えない。その矛盾が、面白い。

「ああ。あの後ヒソカが乱入して、それからお前の能力が発動したから皆逃げたんだ。それからずっと俺は一人で行動していた」

 ヒソカの名を出したついでにサンのプレートを差し出した。

「ほら。ヒソカが奪ったのを、取り返しておいた。ちょうどそのすぐ後にサンの能力が発動して、俺が持ったままになってて悪かったな」

 ヒソカなら何をしても不思議はないだろうと全ての罪をおしつけ、サンに渡す。幸い疑問を抱かなかったようで、嬉しそうにサンは受け取った。

「有難うございます! ルークさん! 僕、本当に役立たずで。何もできなかったのにプレートを取り返してくれて。きっと僕、いつか必ず恩返ししますから!」
「いいよ、そんなの」

 人当たりの良い笑顔を纏いながら心の内で呟く。未来の情報を教えてくれればそれで充分だ。


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