正義



 医務室で道具だけ借りて手当てをしたあと、ベッドで仮眠をとった。浅い眠りは、他者の気配で容易く目覚めを促す。

「ん?」

 まず視線をやったのは時計。医務室に来てから一時間が経っていた。残る試合は一試合だったので既に試験は終了しているのかもしれない。
 次に扉の奥に佇む不穏な人影に注意を向ける。扉越しに隠しきれない怒気が伝わってきた。ベッドから降り、いつでも如意棒を取り出せるよう身構える。

「ルークさん」

 ノックと共にかけられた声に、舌打ちしたくなるのを堪えた。
 サンの声だった。年齢の割りに高めの声は平坦で、試験の間中響かせていた明るさや此方への信頼は微塵も見出だせない。この一時間に何があったのか。不安と苛立ちにおそわれながら、努めて柔らかな声で答える。

「サンか。入って来いよ」

 促され扉を開けたサンは、表情を硬くして此方を強い視線で射抜いてきた。その背の向こう、廊下に佇む男がにこやかに手を振ってくるのを認め、頭に血がのぼる。

「ルークさん。貴方は、蜘蛛のメンバーなんかじゃありませんよね?」

 すがるような声だった。信じたくて、でも信じると断言できない自分を恥じるような、そして否定されることをひどく恐れている声だった。

「何言ってるんだ? サン。そんなわけないだろう?」

 その場しのぎの薄っぺらい嘘に、それでもサンは一気に緊張を解く。弛んだ頬に、安堵のためか目尻に滲んだ涙が一筋垂れる。

「良かった。そうで」
「ルークの背中をご覧よ、サン」

 折角纏まりそうだった話を、奇術師は愉しそうにぶち壊した。

「背中に刺青が入っていればクロ。シロなら見せてくれるよね、ルーク?」

 舌なめずりするヒソカ。何故背中に刺青があることを知っているのか、緊張を通り越した諦念がそんな疑問を抱かせる。
 負けた。ヒソカに先手を打たれた。本気でヒソカはサンに執着しているらしい。蜘蛛の糸から救出してやるくらいには。その執着がどの程度のものか、見抜けなかった俺の負け。

「ルーク、さん。背中を」
「その必要はない」

 泣きそうに顔を歪めるサンの言葉をばっさりと切り捨てる。

「うそ、ですよね。だって、ルークさんはちょっと乱暴だけど僕に協力してくれて。盗みなんてするはずがないですよ」

 自分に言い聞かせるようだった。まだ希望を捨てられない愚かな少年。その希望を裏切るのはもう少し先の予定だったが、ヒソカがいる時点で誤魔化すことは難しいだろう。そう判断し、渋々ヒソカの要望に応えてやる。

「ほら。これで満足か? ヒソカ」

 シャツを脱ぎ、背中を見せる。包帯を巻いてはいるが、蜘蛛の刺青は背中を覆うほど大きい。きちんと見えただろう。すぐにシャツを羽織り直してサンに向き直る。 
 サンは自分の目で見たものが信じられないかのように瞬きを繰り返し、それでもやっと現実を直視する気になったらしい。

「本当に、蜘蛛の一員なんですね」

 必死の覚悟で搾り出したような声に、あっさり首肯する。

「まあな。で、サン。俺は試験の間お前に協力したよな? 恩を返したいって言ってたよな? だったら教えてくれ。蜘蛛を、いや、ウボォーギンとパクノダを殺すのは誰だ?」
「ああ、そっか。貴方は覚えていないんですか。全部。フィンクスの格好をしているのも、蜘蛛の一員だからで」

 はっと何かに気付いたように瞠目したサンは、声を震わせながら続ける。

「嘘だったんですか? 全部。同じ境遇だと信じていたのにっ。どうやって僕らの過去を知ったんですか? まさか、転生した人から情報を得て殺したとか言いませんよね?」

 警戒を露にするサンは俺が嘘をついていると思い立ったらしい。まあ自分でも証明するのは難しいが、正直に主張しておく。

「嘘は言っていない。俺にはお前と同じように前世の記憶がある。だが生憎漫画の知識があまりなくてな。此処が漫画の世界だと知ったのは蜘蛛に入ってからだ」
「どうやって知ったんですか?」

 情報源がいることに気付いているのだろう。そしてその末路にも。

「お前の想像通り、だろうな」
「殺したのか!? 同じ境遇の人をっ!」

 ぼろぼろと涙を溢しながら怒りを爆発させるサン。何故他人のことにそこまで必死になれるのか、理解出来ない。

「ああ。殺さなきゃ良かったって後悔してるよ。もっと情報を聞き出してから殺すべきだった」

 しみじみと悔いていることを告げれば、サンは冷静さを取り戻す為か深く息を吐き出す。そうしてから否定の意を表す為に首を横に振った。

「有り得ない。貴方が同じ境遇なんて、日本人として過ごした記憶があるなんて、信じられない」
「信じたくない、の間違えだろう?」
「何故?」

 短い問いかけの意図が掴めず、首を傾げる。サンはもどかしそうに言い直した。

「何故、蜘蛛に? 何故、人を殺すことを簡単に口にするんですか? 習わなかったんですか? 命は尊いものだと。かけがいのない大切なものだと。貴方は日本人なのに、何故?」

 綺麗ごとを心の底から信じているらしいサンの真っ直ぐな言葉に、肩をすくめる。

「日本にも犯罪者はいたさ。どこも同じだ。腐った奴も真っ当な奴もいる。違うのは念能力があるかないか。殺せる手段が多いか少ないか。些細な違いだ」
「違う!」
「何が違う?」

 わなわなと全身を震わせながら、サンは声を絞り出す。

「念能力は、人殺しの為の手段なんかじゃない」
「他でもないお前がそれを言うか? オーラを、生命の源を奪い取る能力をもつお前が? そういえば、お前は人を殺したことがないのか? そこまで言うからには勿論ないんだよな?」

 言葉をなくしてしまったサンの様子に確信する。こいつだって人殺しだ。責められる謂れはない。

「なあ、サン。不本意だったんだろう? 分かるさ。俺だってできるなら殺したくなんてなかった。だが、殺してしまった。なら、そういう自分を受け入れて生きていくしかないだろう? 蜘蛛の盗賊団はこんな俺が漸く見つけた居場所なんだ。団員は糞ばっかりだけど、みすみす死なせたくはない。だからさ」
「貴方は馬鹿です」
「あ?」

 説得の途中で言葉を被せたサンは、嫌な目をしていた。普段のおどおどしたものではなく、強い決意を宿した目。

「貴方は馬鹿だと言ったんです。人殺しの自分を受け入れる? 貴方のしていることは逃避だ。自分の罪から目を背けて、楽な方向へと逃げているだけだ。蜘蛛が居場所? ええ、そうですよね。悪を良しとする場所に逃げて、自分は悪くないと思えて貴方は満足でしょう。団員をみすみす死なせたくない? 今まで殺した人の家族の前で同じことが言えますか? 何人もの命を奪った貴方が、仲間の命だけは救いたいといったところで、誰が耳を貸すと?」

 眉をひそめる。口を開きかけてから、思い直して閉ざす。
 反論はいくらでもできた。特に最後。別に蜘蛛の団員が死んでも仕方のないことだと分かっているし、団員も死を恐れているわけではない。だが、明日死ぬと言われてそれを回避する方法があれば知りたいと願うのは当然だろう。ゾルディックが関わっているのなら尚更。
 けれど何を言っても伝わるとは思わなかった。そして、別に理解して欲しいとも思わなかった。

「他にも選択肢があるはずです。貴方自身が改心し、団員達に盗みを止めさせれば良い。そうすれば貴方の大切な人達は誰も死なない。貴方一人では難しいというのなら、僕も協力します」

 まるで同じ言葉を話しているとは思えなかった。俺達が盗みを止める時、それは死ぬ時だ。

「ああ。もういい。お前の言い分はよく分かった」

 左の掌を突きだし、サンの目を見て微笑む。

「よく分かったよ。だから何も言わずについて来い」

 殺しては駄目だとベッドにあった枕を取り、サンに向かって投げる。予想通り目を見開きながらも身動きできずにいるサンの顔面に当たる直前、枕は軌道を変えて男の手に飛び込んだ。

「言ったよね? 僕。彼に手を出しちゃ駄目だって」
「言ったよな? こいつは俺の獲物だ」

 ヒソカを睨み付けると共に凝をすれば、思った通り枕からヒソカの右手にオーラでできた紐のようなものが伸びている。そしてもう一つ、それに気付いた途端、サンが動いた。

「お願いします」

 右手にはめていた手袋を外す。ヒソカは左手の人指し指をくいっと動かした。そこから伸びたオーラの紐が縮まり、忌々しいことに俺の右手が引き摺られる。
 素早く左手で抜き取った如意棒をヒソカめがけて伸ばすも、避けられた。縮ませて振りかぶればオーラを纏わせた枕でガードされる。狭い室内で不利な状況。一瞬ヒソカに拘束された不意をついて、背中に小さな掌を押しあてられる。

「くそっ」

 全力で抵抗するもヒソカが胴体に抱きつく形で拘束してくるため、後ろにいるサンにはダメージ一つ与えられない。抵抗している間にも背中からオーラが吸いとられていく。

「うん、計画通り。僕の言った通りだったでしょ? サン」
「今回は、ですけどね。色々と有難うございました」

 如意棒は消滅し、足に力が入らなくなった。それを察したのかヒソカが離れ、床に倒れこむ。そこで漸く背中から掌が離れていった。

「もう良いのかい?」
「ええ。これ以上は僕がきついです。ルークさんのオーラ量、かなりあるので。それよりも早く電話しなきゃ」
「ねえ、これってどれくらいで回復するの?」
「ああと、多分三日もすれば元通りです。一般の人だと一ヶ月以上かかっちゃうんですけどね」
「ふうん。ルークは僕が見てるから、行って来なよ」

 人が倒れている横で呑気に交わされる言葉を流し聞いていれば、足音が一つ遠くなり、俺はヒソカと残される。

「僕、ちゃんと嘘つきだよって初めに言ったのにな」

 俺に向かって言っているわけではなさそうなので、独り言なんだろう。

「それで、俺はどうすれば良い?」

 頭上に向けて問いかける。先程の会話は俺に聞かせる意図をもったものだ。恐らくサンは俺を捕らえる為に今動いている。ヒソカがサンを遠ざけたのは、俺を捕まえさせないためだろう。
 ヒソカはイレギュラーで楽しむ為に、俺を逃がす。それは確信であり、真実でもあったらしい。

「とりあえず、移動するよ。サンが此処を出たらメールで知らせるから、あとは自力で脱出してね」

 担がれ、悠々と歩くヒソカの足取りに迷いはない。途中携帯を取り上げられていじられたが黙っておいた。アジトに帰ったらシャルナークに頼んで携帯ごと替えてもらおう。

 ヒソカが手を回したのか、隠れていた部屋でハンター協会の人間から説明を受けてハンター証も無事入手できた。その三日後、体調が戻ってから普通に正面玄関から出たのが、サンの待ち伏せはなかった。サンが出てきたら何とかして捕えてやったのに、警戒されてしまったらしい。代わりに尾行していた奴に事情を聞けば、賞金首ハンターの情報網に蜘蛛の四番の居場所がリークされていたとのこと。
 当のサンといえば。

「ああ。逃げられたよ」

 試験終了直後事情を話しておいたシャルナークに電話をしてみれば、あっさりと答えが返ってきた。

「最終試験会場を出てからの足取りがぷっつり途切れてる。サンと関わりのあるエレノア一家も行方不明」
「行方不明って。探せないのか?」

 シャルナークの情報収集能力はかなりのものだ。それでも無理なのかと問えば、深い溜め息と共に話を変えられた。

「あとキャロルだっけ? 本名キャロル・イージス。親が育児放棄して、現在の保護者はジョージ・クルフト。さて、この名前に聞き覚えは?」

 ジョージ。その名前を耳にした途端、こめかみに嫌な痛みが走る。咄嗟に手を当てて痛みを堪えながら首を振った。

「いや、知らない」
「ルークさ、興味ない人の名前すぐ忘れる癖直そうよ。ジョージ・クルフトは精神科医。ルークの前世を舞台にした本の作者に連絡したら紹介された医者だよ。ルークは関係ないって言ってたけど、キャロルがハンター試験にいて前世の話もしてたんだろ? どう考えてもクロ」
「いや、そいつらは関係ない」

 考えるより前に口が動いていた。電話の向こうのシャルナークは黙りこみ、やがて厄介だな、と呟いた。聞き返す前に気を取り直したように話を進める。

「現在ジョージ・クルフト関連の情報及びサンとエレノア関連の情報がハンター協会に保護されている。結構警戒されているらしくてね。手を出すとこっちがヤバい。隙みて頑張るけどあんまり期待しないように」
「つまり?」

 結論を求めれば、シャルナークはおどけて答えた。

「ルークがハンター試験で得た情報は今のところ役立たず。まあクラピカだっけ。クルタ族の生き残りの方は引き続き調べてみるよ」
「役立たず」

 思わずもれた本音だった。シャルナークは八つ当たりしてはいけない人間だとそれなりに長い付き合いで理解していたはずなのに。
 短い沈黙のあと、シャルナークは不自然な程明るい声を響かせる。

「そっか。そういうこと言っちゃうんだ。役立たずの俺の情報なんかルークは要らないよね。折角変な被り物にかかった呪いの詳細調べてやったけど不要なら捨てちゃおう」

 それを最後に通話が切れる。すぐにかけ直すも一向に通じない。

「なんだよこれ」

 ハンター試験、結構頑張ったのにこの終わり方は酷すぎる。


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