弱者



 天空競技場という馬鹿でかい建物の近くにあるこじんまりとした喫茶店の扉を開ける。待ち合わせの相手は入り口から一番近い席でストローを口にくわえたまま、仏頂面で座れと言いたげに顎をしゃくった。小生意気な態度を気にせず向かいの席に腰を下ろす。

「コーヒーを」

 カウンターの奥から顔を出したよぼよぼのじいさんに注文を伝えてから、相手を正面から見詰めた。
 約半年ぶりだがあまり変化は見られない。まだ幼さを残した顔も、此方に向けられる無意味な敵意も、ハンター試験の時のまま。

「で、何の用だ? キャロル」

 第二次試験の時に絡んできた少女。俺と同じく前世の記憶を持っていて、前世の父をヒソカに殺され復讐を誓っているらしい。
 俺の知っている情報はその程度で、あまり接点はない。此方から積極的に接触しようという意思は失せていたため、先日急に連絡が来た時は誰だかすぐには思い出せなかったほどだ。
 それでも呼び出しに応じてやった理由は単純明快。もう一人、全く同じ時間にメールを送りつけてきた相手に天空競技場に来るよう言われたからだ。そちらの方には興味もあるし、ついでに寄ってみた。

「あんた、蜘蛛の敵を知りたいんでしょう? 教えてあげる」

 キャロルはストローから口を離し、素っ気なく言ってから再びストローをかじる。うろうろと視線が常に揺れている。本人なりに隠そうとはしているのだろうが、態度の節々から緊張が滲み出ていて、やり合う気も失せてしまった。
 タイミング良く運ばれてきたコーヒーに口をつけてから呆れを含んだ声で教えてやる。

「別に良いさ。知りたいことはもう分かった」

 えっと小さく驚きをもらした少女に気を良くしながらもう一口と喉を潤す。
 精神科医の娘の念能力で作られた水晶玉。それを持ち帰り、団長に渡した。俺の望みに応じて作らせたのだが、使用者は俺でなくても良かったらしい。その団長が言ったのだ。心配するなと。
 どんな質問を団長がしたのか、答えがどんなものだったのか、俺は聞いていない。けれど団長にもう前世関連のことは探るなと命令された。
 命令を破れば死ぬという念能力による縛りも確かにあるのだが、それ以上に思うこと。団長が心配するなと口にした瞬間、安堵に肩の荷が勝手に下りてしまったのだ。元々団長のことは信用していたが、自分が思うよりもずっと俺は団長を信頼していたらしい。その事実に、悔しさよりもむずがゆさを感じてしまう。本人には決して告げないけれど、団長の言葉ならどんな不確定事項であっても信じてしまうほど、俺は団長を受けていれている。
 だから、もう良いのだ。俺は今まで通り気の向くままに日々を過ごし、時折召集に応じて蜘蛛の盗賊団として働けば良い。
 がたりと音を鳴らしながら立ち上がった少女に視線だけ流す。その面に浮かんでいたのは怒りよりも焦り。

「何よそれ。本当に全部知っちゃったわけ?」
「想像にお任せする」

 必要なことは団長だけが知っていれば良い。
 揺らぎない信頼がもたらす余裕を味わいながら、コーヒーをもう一口。ハンター試験でヒソカに翻弄された経験から自分に腹芸が向かないことは学んだ。小娘相手にしくじるとは思いたくないが、余計なことは口にしないに限る。
 あとは唇を噛み締める少女から必要なことを聞き出せば終わり。

「そっちは? 何を知ってる?」
「何のことよ」

 乱暴に座り直した少女はすっかり機嫌を損ねてしまったらしい。分かりやすく頬を膨らませてそっぽを向く。

「俺の連絡先。裏ルートでも入手は不可能なはずなんだがな」

 今使っているのはシャルナークから受け取った携帯だ。いつも良いように扱われてばかりなのであいつ自身には嫌悪しかわかないが、あいつの能力が本物であることは認めざるを得ない。念能力を使われなければ情報がもれることはないと本人が言っていたからにはそれを信じてやろうと思えるくらいに。

「ああ、それ」

 どうでも良さそうに呟いたあと、キャロルは何かに気付いたように目を瞬いた。そして、にいと目を細めて笑う。

「知りたい?」
「その笑い方俺のよく知ってる変態にそっくりで気色悪いから止めろ」

 途端にキャロルは眉をしかめた。

「最悪。あんな奴と一緒にしないでよ」
「似ていたのは事実だ。お前あいつと一緒に行動してるんだろ? 癖が移ったんじゃないか?」
「それ以上言ったらぶっ殺す」

 拙いけれど本物の殺意を放ってきたキャロルに、気付かれないよう息を吐き出す。情報源を知りたい此方の弱味を把握したキャロルの気をそらす為の挑発はうまくいったらしい。
 そしてもう一つ。ヒソカの存在。
 キャロルと同時期に連絡してきたのはヒソカだった。ハンター試験の最後、一時ヒソカの手に渡った携帯は処分して連絡先も変えてあったというのに、だ。この符号から導き出されるのはヒソカとキャロルが共にいて情報を共有しているということ。少し釜をかけてみたつもりだったが、やはりキャロルはヒソカといるのだと確信がもてた。
 隙をみせたキャロルに畳みかける。

「エリ・クルフトだっけ。面白い念能力もってたよな」

 連絡先の入手方法は精神科医の娘、エリ・クルフトの念能力だろうと予想はしていた。
 もう一つ、精神科医のジョージ・クルフトがハンター協会と繋がっていたことから、ハンター協会が絡んでいる可能性もあったのだが、ジョージの死後ハンター協会の保護は外れている。漫画の知識を横流しする代わりに、情報操作関連で何らかの便宜を受けていたのだろうが、今もその繋がりが残っている可能性は薄いとみて良いだろう。
 エリ・クルフトの名前を出した途端、キャロルは言葉に詰まった。そして、僅かなその反応だけで充分だった。入手方法はエリ・クルフトの念能力。彼女が嘘をついていなければその能力には縛りが多かったし、本人はもう死んでいるのだ。これ以上念能力を使われることは決してない。携帯を新しくすれば問題ないだろう。
 脳裏に浮かんだ、爽やかな笑顔で金を要求してくるシャルナークに溜め息を吐き出し、静かに席を立つ。

「ちょっと。何処行く気?」
「帰る。もう用は終わったからな」

 ああでも一つだけ残っていたかと思い直して机に右手をついた。突然話を打ちきられたことに対する動揺を隠せていない瞳を見詰めたまま顔を近付ける。最後少しだけ首を傾ければ、吐息が耳に当たったのだろう、キャロルは小さく身をすくめた。
 何の対抗手段も持っていない、殺気を伴わない接近のせいか一瞬後に殺されるとは微塵も思っていない、つまらない弱い者。
 簡単に殺せるな、そう思い後ろ手で如意棒に触れたときだった。ポケットに入れた携帯電話が軽い振動を伝えてくる。如意棒にかけていた左手からすっと力を抜き、傾けていた上体を起き上がらせてから携帯を取り出して耳に当てた。

「やあ、ルークかい?」
「人違いだ」

 ぷつりと通話を終了させてからそういえば、と時計を見る。ヒソカが一方的に取り付けてきた約束の時間はもうすぐそこまで迫ってきていた。
 仕方ないと喫茶店の扉を開けて外に出る。そこでもう一度、携帯が着信を告げた。先程と同じ番号であることを確認してから渋々電話に出る。ここで切ってもまた何度もかけ直してきそうだし、電源ごと切ったら切ったらでこの後何かされそうだ。

「もしもし」
「酷いじゃないか、いきなり切るなんて」

 とても楽しげに詰られてしまった。ヒソカは冷たくされればされるだけ喜ぶタイプの人間らしい。興味がないのでそれ以上は追求しないが。

「今そっちに向かっている。で、用件は何だ?」
「キャロルと会ったんだろう? 彼女殺さないでねって伝えるの忘れてた」

 キャロル。名前を頭の中で反芻し、さっきまで会っていた少女だと一拍置いて認識した。
 別に記憶力に問題があるわけではないはずなのだが、弱い存在に関してはもう興味がないと判断すれば頭から知識がすっぽり抜けてしまう。これは蜘蛛の盗賊団に入る前からのこと。前世ではそんなことはなかった。この世界に生まれてから、あまりに長い時間家族という閉鎖空間に閉じ籠っていた弊害なのだろうと推測している。
 それで良い。狭くて良い。俺にとって唯一無二の小さくて大切な世界を、守れればそれで良い。
 家族を失った今、その世界は蜘蛛の盗賊団になった。だから、蜘蛛の盗賊団と関わりのないことを殊更記憶する必要はない。それだけのこと。

「ああ、キャロルな」

 自然とその名を呟いた声の響きはひどく空虚なものとなった。どうでも良いと心底思っているのが伝わったのだろう。

「その様子なら大丈夫みたいだね」
「ああ。俺は手を出していない」
「良かった。彼女が死んじゃったら僕、ちょっと困っちゃうんだ」

 きっと"ちょっと"だけしか困らないのだろう。そう此方に思わせるようなひどく軽薄な調子で告げてきたヒソカは、同じ調子で続ける。

「時間通りに着くんだろう? 楽しみにしていてくれよ。今日は君の為にやるんだ」

 嘘つけ。心の中でそう呟いた。
 メール経由で送られてきた天空競技場の観戦チケットにはヒソカVSゴンと書かれていた。ゴンはハンター試験で会った少年のことだろう。ヒソカは彼をいたく気に入っており、今日も存分に戦いを楽しむに決まっている。

「俺も楽しみにしているよ」

 しかし、嘘つきの嘘を指摘するほど付き合いが良いわけでもない。代わりに口をついたのは少しの本音を含んだ社交辞令だった。
 そのまま電源ごと切って天空競技場へと向かう。頭に浮かぶのはゴンのこと。
 団長に漫画のことを探るのは禁止された。それに異を唱える気はないが、漫画の主人公であるゴンの力は純粋に気になる。彼が蜘蛛の盗賊団の敵になるか否かを越えて。
 貪欲に、強さの高みを目指したい。それはウボォーギンやフィンクスのような戦闘狂でなくても持っている、原始的な欲求だと思う。一度でも力を得てしまえば、力がもたらす愉悦を知ってしまえば、もう戻れない。そして力を得る為には敵が必要だ。相手を倒し、這いつくばらせたい、いわば征服欲のような純粋な渇望は、己の力を爆発的に高めるのだと、俺は既に知っている。
 だから、ヒソカがゴンに興味を覚えているという点には同意できるのだ。ハンター試験で出会った奴らの中で一番将来性が期待できる。あの少年が念を覚えたらどうなるのか。未知への期待が、自然と足取りを弾ませた。


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