第一次試験



「イレギュラーが沢山いるとやっぱり面白いね」

 そんな捨て台詞と共にヒソカは俺を置いてさっさと走り出した。
 どうやら第一次試験はマラソンらしい。のっそりと動き出した集団の間をぬい、ヒソカを追いかける。流石に周りとペースを合わせているのか、追い付くのは容易かった。

「その沢山いるイレギュラーの情報を寄越せ」

 横に張り付き呟けば、ヒソカは不敵な笑みで答える。

「簡単に教えると思う?」

 微塵も思わない上、力づくでどうにかなる相手ではないことは既に知っている。仕方がない、と溜め息を吐きつつ探り方を変えてみた。

「最後に入ってきた集団。あれが漫画の中心人物で良いんだよな?」

 俺の知る確かな登場人物は、蜘蛛の盗賊団とキルアとヒソカ。漫画の中心人物と接触を持つことは、今後のことを考えれば悪いことではない。誰が蜘蛛の敵に回るのか、予想し易くなる。
 そして最後に入ってきた集団は、なんとなく漫画にいたような気がするのだ。正確には覚えていないが、主人公が新人だったことは確かだ。そんな曖昧な記憶から導き出した予想は、楽しげなヒソカの笑い声で裏付けられた。

「ふふっ。はははっ!」

 何を考えているのかちっとも理解したくないが、突然狂い出したヒソカに否定する様子はない。既に己の世界に浸りきった狂人から少しずつ距離を取り、そのまま走る速さをゆっくりにしていく。やっとその姿が受験者の背中に隠れたところで一息つけた。
 いまだにヒソカのことはよく分からない。強い奴が好きなヒソカのことだ。恐らく主人公らしき人物とこれからあいまみえることを想像して興奮してしまったのだろうが、突然の豹変は蜘蛛の盗賊団で変人に慣れた俺でも引いてしまう。
 心の安寧のため、ヒソカのことはそのまま思考の外に放り出し、目的の集団を探すことにした。

 彼らは随分と後ろの方をのろのろと走っていた。黒いサングラスをかけた男が必死の形相で足を動かし、黒髪の子供が心配そうに足を止めている。
 随分と生温い関係だ。そんな感想を抱きつつ、更に後方へと視線をやった時、更に異様な光景が目に入ってきた。

「頑張って! サン! きっとあとちょっとだから!」
「エレノアっ。先に、行って、良いよ」

 何故か唇の周りと服の前が血塗れになった少年がよたよたと歩き、後ろ向きに歩く女がその手を引くようにして必死に励ましている。

「そんなっ。貴方がいなきゃハンターになる意味なんてないわっ!」
「エレノア!」

 感慨極まった少年が何故か口から血を吹き出した。ごぼっと勢いよく出たそれがエレノアと呼ばれた女の服を血で染める。

「いやあ! サン! 死んじゃ駄目!」
「大丈夫。ぼくはっ。ハンターになるまでは、ぜったいに。死んだりしなっ」

 何の喜劇だ、これは。唖然としながら見詰めた先で、二人は感慨極まったようにお互いの瞳から涙をほろりと流す。本気でやっているのなら正気を疑う。ヒソカとは違う意味でこいつら変人だ。
 そしてこれは僥幸といえることなのだが、二人の寸劇を胡乱な目付きで眺めているのは俺だけではなかった。項垂れていたサングラスの男と見守っていた子供の乾いた視線が二人に突き刺さっている。
 そう安心した時だ。

「だよな」

 微かな声を発したのはサングラスをかけた黒髪の男だった。息を切らせながらも膝についていた手を離し、真っ直ぐ前に向き直る。

「こんな所で諦めてたまるかよっ!」

 少年と女のやり取りのどこに触発されたのか、瞳に輝きを取り戻した男は先程までの消沈ぶりが嘘のように走り出した。

「僕だって!」
「サン!」

 つられたように猛然と生気を取り戻し、咳こみながら少年も走り出した。サングラスの男と二人組が順に俺を追い越していく。サングラスの男が置いて行った荷物を手にした子供がやけに満足気な表情であとに続いた。

「一体なんなんだ」

 予想のしようがない展開に、声をかけることを忘れてしまった。ただ一つだけ収穫はある。表面上の付き合いだけだとしても、あの集団とは気が合いそうにないな、ということだけは理解できた。

 脱力している内に行ってしまった目的の集団を積極的に探す気にはなれず、大人しく走っていれば、長い階段のあと外に出た。
 試験官の話によればヌメーレ湿原というらしい。動物が詐欺を仕掛けてくると聞き、少しばかり期待してしまう。もしすごい奴がいたら一匹持って返ってお土産にしよう。単純なフィンクスをからかう良い機会だ。
 しかし、まだ湿原に出てもいない内からその期待は裏切られた。

「待て!」

 説明を終えた試験官に声をかけたのは瀕死の男。死にかけの猿を手に変な形の髭を生やした試験官は偽者だと主張する。
 主張する男こそが偽者なのだとすぐに気付いた。念も使えないのに何を言っているのだろうと首を捻る。というより、もしかしてこの寸劇が詐欺にあたるのだろうか。そんな嫌な予感を抱きつつ事態の推移を見守っていれば、茶番に飽きたらしいヒソカが動いた。
 音もなくトランプが宙を切る。自称試験官の詐欺師は呆気なくこと切れ、試験官の男は容易くトランプを指で受け止めた。

「くくっ」

 怪しい笑みで試験官を見詰めながらネタばらしをするヒソカの胸中を、はからずも悟ってしまう。
 つまらない。こんな温い試験は退屈で仕方ない。
 とても嫌だが、その苦痛は理解できてしまう。しかしその後の反応が俺とヒソカでは異なる。俺がただ苦痛の時間を耐え忍ぶのに対し、ヒソカは自ら刺激を求めて周囲をひっかき回すのだ。少なくとも去年の試験はそうだった。

「くふふっ」

 変な笑い声と共に殺気を撒き散らし始めたヒソカからそっと距離を取る。巻き込まれるのは御免だ。そして先頭の試験官が走り出し、マラソンが再開された時だ。そのやり取りが耳に入ったのは偶然だった。

「先に行って良いよ、エレノア」
「サンを置いて行くなんて出来ないわ」
「僕なら大丈夫。エレノアは知ってるでしょ? すぐに追い付くから」
「サン……。絶対よ。絶対に私のこと、ちゃんと追いかけてきてね」
「分かってるよ。僕はハンターになるんだから。エレノアのことだって捕まえてみせる」
「サンったら!」

 何も聞かなかったことにしてそっと視線を外す。本当に、彼らは一体何をしにハンター試験会場に来たのだろう。

 無心になって走り続けて辿り着いた第二次試験の会場らしき小屋の前。近くの木にもたれかかっていれば、音もなくヒソカが近寄ってきた。気味の悪い笑みを浮かべながら話しかけてくる。

「ルーク、聞いてよ」

 先程まで殺気立っていたのが嘘のようにご機嫌だ。
 マラソンの途中で嫌なオーラの流れが湿原中に伝播し、動物達が騒がしくなったことを思い出す。大方ヒソカが何かやらかしたのだろうと放っておいたのだが、やはりその予想は的中したのだろう。

「お前、何やったんだ?」

 とりあえず聞いてみれば、意味ありげな流し目をくれてきた。気味が悪すぎて鳥肌が立つから止めて欲しい。

「僕は試験官ごっこをやっただけさ」

 楽しげに答えたあと、やっと視線を外してくれる。大いに安堵しながらその行き先を追えば、座り込んだ黒髪の男、金髪の少年、三人の子供達が固まっていた。やはり彼らが漫画の中心人物で合っているのだろう。ヒソカの視線にこもる熱を感じとってしまい、心の底から彼らに同情する。

「でも、アレは僕じゃないよ」
「アレ?」
「気付かなかったのかい?」

 挑発的に吐き捨てられるが、アレで理解できる程の付き合いはしていない上、これからもする予定はない。

「僕見ちゃったんだ」
「へえ」

 説明する気が全くないその様子に、此方も真面目に相手をする気が削がれていく。そうして適当に相槌を打てば、ヒソカは楽しげに笑った。

「彼、面白い能力持ってるね。湿原を更地に変えちゃった。君の能力も面白いし、イレギュラーは面白い能力持ちが多いのかな。ああでも彼女はつまらなかった」

 ある意味楽しめるけど、と付け足す様はまるで独り言のよう。けれど悟ってしまい、一瞬にして全身に緊張が走った。今、ヒソカはヒントを口にした。

「彼?」

 イレギュラーだというその男は一体誰なのか。この場にいる人物であることは間違いない。

「気付かなかったよ。イレギュラーは三人いたんだね」

 焦燥だけが募っていく。試験が始まる前、ヒソカはイレギュラーは俺を含めて二人だと言った。全く手懸かりを掴めていない俺を嘲笑うように、この短時間でヒソカはもう一人イレギュラーを見つけ出したというのだ。
 今更ながら悔やまれる。何故湿原の異変を感じた時すぐに駆け付けなかったのか。おおよその位置は察知していたのだ。ヒソカの仕業だと決めつけず、すぐに駆けていればイレギュラーの正体を掴めたかもしれないのに。

「ハンター試験、楽しいね。ルーク」

 俺が悔しさを噛み締める様は、彼にとっては良い暇潰しになったのだろう。嘲笑うように吐き捨て、用は終わったとばかりに背を向けたヒソカを睨み付けるも、現実は何一つ変わらない。きっと今はヒソカから更なる情報を引き出すことは無理だろう。諦めを悟り、新たに得た情報を頭の中で整理する。
 イレギュラー、つまり前世の記憶を持った転生者は俺の他に二人いる。その二人とは男と女。男は湿原を更地にする程の念能力者。女の詳細は分からないが、ヒソカの口ぶりからすると念は使えるのだろう。
 トンパから買った新人の情報を頭の中から引っ張り出す。新人の中で念を使える人間は四人いた。金髪の少女、何とかペア、そして全身釘人間。
 脳裏に思い浮かべた新人四人の姿に思わず眉をしかめる。金髪の少女はまだ良い。けれどあとの三人はあまり近寄りたくない。何とかペアはしょっちゅう寸劇を楽しんでいるし、釘人間はかたかたしていて言葉を喋れるかすら分からない。蜘蛛の盗賊団の団員であるボルレノフも無口だが、あいつとは違った異様さがある。
 今はただ祈るしかない。きっと新人以外で、念能力者であることを隠しているイレギュラーがいることを。


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