「何? あんた」
大部屋の一角に座り込んでいた何とかペアはすぐに見つかった。真っ直ぐそちらに向かえば、先に此方に気付いた女が立ち上がり、少年を隠すように前に出る。
「お前に用はない。用があるのは後ろの奴だ」
ヒソカはイレギュラーは男と女だと断言した。女はキャロル。ならば、もう一人は男だ。そしてそのキャロルがイレギュラーだと断言したのはバカップルの男の方。
「サンは疲れてるの。用事なら私が聞くわ」
女の言葉通り、サンという少年は項垂れたまま動かない。寝ているのかもしれない。
「お前じゃ話にならない。そいつを起こせ」
「サンは疲れてるって言ってるでしょう!」
苛立ちをぶつけるように女は壁を叩きつける。オーラのこもったそれは見事壁にひびを入れ、そして壁に背を預けていた少年がはっと身を起こした。
これは、起こしてくれて有難うと言うべきなのか。呆れながら眺めていれば、少年は状況を掴めていないのかきょろきょろと視線を飛ばす。そしてやっと俺を視界に入れたと思えば、勢い良く飛び上がった。
「なっ。なんでっ?」
「起こしちゃってごめんなさい、サン。すぐに追い払うから寝てて良いわよ」
「えっ? 何がどうなってるの? 確か第二次試験が終わって。飛行船に乗って」
指折り数えながら状況を追っていく様は、どこか幼い。女が過保護になっているのも納得はできる。
俺の用事には関係ないからどうでも良いけれど。
「お前に用がある」
「貴方が僕に?」
放っておけばいつまでも続きそうな二人の会話に割って入れば、少年は怯えたように自分を指差した。頷けば、伺うように女を見上げる。
「大丈夫よ、サン。私に任せて」
女は力強い微笑で答えた。笑みはそのままに、俺に視線を移して続ける。
「さっきみたいに変な人に絡まれたら大変だもの」
俺に注意を寄せていた女は気付いていないようだった。けれど俺は確かに見留めた。女の傍らに立つ少年が怯えるように息を呑んだのを。
「さっき?」
試しに問い返してみれば、少年の顔色がどんどん悪くなっていく。分かり易い反応に、自然と笑みが浮かぶ。
「そうよ。まさか貴方まで前世の記憶があるとか言い出したりしないわよね?」
疑り深く尋ねてくる女に、笑みが深まった。訝しげな様子に、にやけ過ぎたかと気を引き締めるも、質問を止める気はない。
「それ俺も聞かれたよ。キャロルっていう金髪の女?」
「ええ。なんだ。貴方は違うのね。疑ってごめんなさい。けど、なら何の用なの?」
朗らかな笑みの横で、真っ青になった少年を見詰める。
確実に、こいつがイレギュラーだ。そして、こいつはイレギュラーであること、前世の記憶があることを、パートナーの女に隠している。考えてみれば、試験が始まる前に俺を見て何かを言いた気にしていた。あれは被り物を見て蜘蛛の団員と間違えたのかもしれない。だとすれば、こいつは蜘蛛の未来を知っている。
キャロルには逃げられた。しかし今度は確実に手繰り寄せた糸を手放すまいと、頭を働かせる。
「ヒソカって分かる?」
目的の為ならば、ずる賢くなってやる。
「ええと。あの殺したがり?」
やはりヒソカは目立つらしい。悪い意味で。女は思い出して鳥肌が立ったのか両腕をさする。
「ああ。あいつがそっちのに興味示していたみたいだから忠告にきた。何かあったら相談にのるよ」
爽やかな笑みを作れば、女は警戒を解いたのか自然な笑みを見せてくる。少年は少し訝しげに、しかし秘密をばらさずに済んだ為か安堵したように息を吐いた。
「あの様子だと試験が終わった後もちょっかいかけてくるかもしれない。一応連絡先も教えておく。俺のは……あれ。どこにいったかな」
慌ただしく服を探る振りをする。ここで教えて終わりにしない為に。まあ、自分の連絡先など教える人がいないから名刺も作っていないし覚えてもいないので、丸っきり嘘という訳ではない。
「あっ、あの!」
勢い良くかかった声に、心の中で喝采をあげる。
「これ、僕の連絡先です。試験終わったらで良いので連絡もらえませんか?」
すっと差し出された名刺には賞金首ハンター見習いサンと書かれていた。
「悪いな。ちょっと見つからなくて。終わったらすぐに連絡する。あと、賞金首の情報があったら教えるよ」
「有難うございます。ええと」
どこかすがるような視線が愉快だった。今目の前にいるのが賞金首だと知らずに笑みを見せる少年の愚かさが、たまらなく面白い。少しだけトンパの気持ちを理解した気がする。
それは、人を騙す快感だ。
蜘蛛の盗賊団では主に戦闘面を任せられているから、こんなに楽しいとは知らなかった。これからは団長に言って少し任せてもらおうかなとも思ってしまう。
「ルークだ。宜しく」
その知識を奪い取るまでの短い間、宜しく。
「宜しくお願いします。僕はサンです。こっちはエレノア」
そうして黒い手袋に包まれた手を差し出してくる。握ったそれはひどく細く、少し力を入れただけでぐにゃりと曲がってしまいそうなほど柔かった。
サンとかいうイレギュラーの連絡先を手に入れたから、もうハンター試験を受ける理由はなくなってしまった。それでも留まったのは、キャロルの言葉が気になったから。
彼女はもう一人イレギュラーがいると言っていた。"ゴンにくっついているクルル"とかいう子供。恐らく漫画の中心人物らしき三人の子供の中の一人を指しているのだろう。その内キルアはイレギュラーではない。残るは黒髪と赤毛の子供。どちらかが"ゴン"で、どちらかが"クルル"だ。
そしてもう一つ。ヒソカはイレギュラーのうんだイレギュラーがいると断言した。その意味を突き止めてから帰っても遅くはない。
そんな計算の上で臨んだ第三次試験。塔の頂上で飛行船から下ろされ、72時間以内に一階まで降りれば合格だという。
頭の片隅で、如意棒を伸ばせば降りることは可能だと判断する。普通の状態だと地面までは伸ばせないだろうが、金輪の能力を使えば問題はない。だからといって、わざわざ切り札を含めた自分の能力を衆目に晒すことになるので実行する気にはなれない。
さて、どうするか。考えながら周りの様子を伺っていれば、何やら受験者同士で揉めていた。騒動の中心に先程連絡先を快く渡してくれたイレギュラーがいるのを発見し、興味がそそられる。
「邪魔するんじゃねえよ!」
「でも、塔の外側を降りるのは危険です。ほらっ、あそこに飛んでる鳥に狙われちゃいますよ!」
「サン! そんな男放っておいて良いじゃない!」
塔の外側を降りようとしている男と、それを止める少年、少年を止める女。
かすかに頭をよぎった記憶を、首を払って振り払う。以前受けたハンター試験で、必死に受験者を助けようとしていた男がいた。けれど、彼とこの少年は違う。眼鏡の男の甘さは、強さに繋がっていた。助けを求める者に向けた甘さだったけれど、それでも俺に何度でも立ち向かってきて最後は一発入れてみせた。まあ結局はその甘さのせいで最終試験では俺に蹴落とされたわけだが、あの一件で学ぶ賢さはもっているだろう。対してこの少年はどうか。助けを求めてもいない、鬱陶しいとさえ思っている受験者を助けようとする。その甘さはひどく危うい。いつか、きっと近い将来その甘さに足元をすくわれる。
若いが故に己の信念を貫こうと必死に男の腰にすがりつく少年の元に、ゆっくりと近付く。
その甘さはへどがでるほど疎ましいが、好印象を植え付ける良い機会であることには違いない。キャロルとかいう少女の時は追い詰めて失敗したから、今度は慎重に。
「どうかしたか?」
「ルークさん!」
此方に向けられた顔には安堵の笑みが浮かんでいた。確かな信頼を態度いっぱいに示しながら少年は訴えてくる。
「この人、一流のロッククライマーらしいんですけど、塔の外側を降りるっていうんです。危険ですよね?」
同意がくると信じて疑わない力強い声。少しだけ裏切りたくなる欲求にかられたが、大人しく要望に応えてやる。
「ああ。両腕と両脚が塞がるんだろう? それじゃあ突発的な事態に対応できない。外側に罠が仕掛けられている可能性も考慮した方が良いし、恐らくどこかに下に行ける道が隠されている。前に受けた試験でも一番分かり易い方法はダミーだったしな」
ずっと昔に受けたハンター試験の第一次試験を思い起こしながら尤もらしいことを並べ立ててみたが、ならばどこに道があるかは見当もついていなかったりする。そこをつかれたらどうするかと構えていれば、男は第三者の登場に興奮が醒めたのか腰にしがみつく少年への我武者羅な抵抗を止めた。そしてゆっくりと少年を引き剥がす。
「まあ、あんたの言う通りだな」
存外素直な反応に、此方が逆に驚いた。
すぐに離れた男を見送れば、何か言いた気な視線を感じる。
「なんだ?」
女の方を気にしながら近寄ってきた少年は囁くような声色で話しかけてきた。
「あの、有難うございました。その、見殺しにするのは気が咎めたので」
見殺しと断言されたことに眉根を寄せる。
男への言葉通り罠がある可能性は少なくなかった。けれど、少年は可能性の話をしていない。さらりと口にした少年の中で、あの男は"死んでいる"はずだったのだ。
俺は漫画で誰が死んだかなど覚えていないが、この少年は細部まで覚えている。"この世界の未来"を知っている。言葉を交わせば交わす度、確信が深まっていく。
「大したことじゃないから、気にするな」
「本当に有難うございます。やっぱりルークさんは"僕と同じ"なんですよね?」
不安げに上目遣いで見つめられた先にあるのはやはりピラミッド型の被り物。手でさすりながらかまをかけてみる。
「分かり易いだろ?」
もし蜘蛛の盗賊団の誰か、というかそんな物好きフィンクスしかいないが、フィンクスがこれを被っているならば、これほど分かり易い目印はないだろう。
「ええ。すぐ分かりました」
はにかむように頷く少年はか細い声で続けた。
「フィンクス、好きなんですか?」
思いがけない質問にむせそうになるのを必死で堪えて何とか笑みを作る。
「それより、お前はどうやって降りる?」
はぐらかすようにどうとでも取れる質問を此方から放ってやれば、少年はすぐに表情を険しいものに変えた。
「僕は、二人用の道を探してエレノアと降ります。五人用の道なら何が起こるか分かっているので普通に合格できると思いますけど。第二次試験の例がありますから、違っている可能性も高いし。それに、あんまり漫画のストーリーを変えたくないんです。まあ、あの赤毛の子がいる時点で変わっている気もするんですけどね」
降りる為には幾つかのルートがあり、主人公達が選ぶのは五人用の道、そして赤毛の子供がイレギュラー。どうやら第二次試験は漫画とは違ったらしいが、第三次試験は今のところ目立った差異はないのだろう。
たった一つの質問でここまで情報をもらしてくれるその隙の多さには驚くが、有難いことには変わりない。まあ、結局どうやって降りるのか、具体的な方法についての答えは得られなかったが良いだろう。
「そうか。お互い下で会えると良いな」
爽やかさを意識した笑みに、少年は満面の笑顔で頷いた。
「はい! また後で!」
そして女と共に離れた少年の動きを横目で観察する。すぐにあまりにも分かり易く不審な行動をしてくれたので、降りる方法は容易く理解できた。
試しに少年達にならって如意棒でつつき床を探れば、隠し扉が見付かる。如意棒で少しだけ押してみると、板状の狭い空間だけ下にへこみ、降りられるようになっている。
慎重に周りを調べれば、同じような仕掛けが四つ、近くに見付かった。最初に見付けたものと合わせれば五つになる。もしこれが五人用の道で、漫画の中心人物達が辿る道だとしたら。
「行ってみるか」
違っていても構わない。俺が選ぶ道によって漫画の筋道が多少変わっても構わない。だって俺は蜘蛛の未来を変えたいのだから。
降りた先は小部屋だった。出入り口が一つもなく密閉された誰もいない空間を、壁にそって歩く。部屋に唯一置かれていた台の上には五つのタイマーが置かれ、その上には"多数決の道"の文字。
「当たりかな」
見事五人用の道を引き当てたらしい。さて、俺がこの道を選んだことで残る四人は誰になるのか。
壁を如意棒でつつき、強度を確かめながら待っていれば、がこんという音と共に三つの固まりが降ってきた。軽やかに着地した三人の子供達はお互いに顔を見合わせて苦笑し、そして一拍遅れてからやっと俺に気付く。
「あ」
「さっきの怪しい奴じゃん」
「さっきの変態!」
漫画の中心人物らしき黒髪の子供と銀髪のゾルディックを引き当てたことは素直に自分の運に感謝したい。だが最後、此方に指を突き付けて叫んだ赤毛の餓鬼がイレギュラーだとしても、情報を引き出すべきだとしても、今この場で殺してやりたくなる衝動を堪えるのは随分気力が必要だった。