「変態じゃない」
憮然としながらなんとか殺意を押し殺して絞り出した言葉に返ってきたのは、あっけらかんとした声だった。
「だよな。悪い悪い。多分あの頭いかれた女の狂言だろうなあって分かってんだけどさ。ロリコン変態野郎の印象強くて」
「頭いかれた女?」
意外にも冷静に少女の本質を突いている台詞だった。ついロリコン変態野郎という不名誉な呼び名を流してしまう。
「そ。あいつ俺に漫画がどうの前世がどうの訳わかんないことしつこく聞いてきてさ。いかれてんだろ?」
ここが、と言って赤毛の餓鬼が指さしたのは頭。
本気でキャロルの言葉を理解していないその様子に、こいつは違うと判断する。昔のアリスのように詳しく思い出していないイレギュラーの可能性はあるが、知識がないのだから用はない。
「ああ。ちょっと狂ってるんだ。その関係で早いところ保護しなきゃならなかったんだよ。お前らが邪魔しなきゃうまくいっていた」
良い機会なので全ての元凶は少女に押し付け俺の行為を正当化しておく。
赤毛の餓鬼は人を変態呼ばわりしておきながらあまり興味はなかったようでへえと呟くだけだった。その代わりというべきか、銀髪の餓鬼がいまだ警戒心丸出しの視線を向けながら口を開いた。
「でもさ、レオリオ殴り飛ばしたのはあんただろ?」
無駄に挑発的に言い捨てられ、肩をすくめる。
「事情も知らずにキャロルを庇ったあっちにも非があると思うが?」
「それはそうだけどさ。あんた、何者?」
ここにきて、やっとその違和感に気付く。こいつは、念を知らない。ゾルディックのくせに、弱っちい。小さな仔犬が精一杯の虚勢を張っているようで、まるで相手をする気になれない。
あの黒髪の子供はこんなもんじゃなかった。念を覚えていない状態でも得体の知れない恐ろしさがあった。
同じゾルディックでもこいつは落ちこぼれなのだろうか。それでグレて家出でもしてハンター試験を受けに来たのだろうか。少しだけその姿が母親に重なり、目元を和らげる。
「ルークだ。多分お前と同じような職業の人間」
「やっぱり?」
おどけたように肩をすくめながらもゾルディックの子供は警戒をゆるめない。まあそんな反応だろうと納得していれば、横から勢いの良い声が上がった。
「ルークっていうんだ。俺はゴン! 宜しく!」
迷いなく差し伸べられた手に害意はないようにみえる。善意が返ってくると疑わないような純真な眼差しに、思わず目を細めた。
こいつだ。
確信してしまった。漫画の中心人物となっているのは、この子供だ。目が、目の奥の光が、普通とは違う。善意とか悪意とか関係なく、否応なく目が惹き付けられる。
「ああ、宜しく」
こいつが蜘蛛の敵になるかもしれない。今は念も知らない唯の餓鬼かもしれないが、決して侮ってはいけない。けれど情報を得る為には無闇に警戒されてもいけない。
さりげなさを意識して握手を交わせば、ゴンは破顔した。
「そっちがキルアで、後ろにいるのがクルルだよ」
邪気のない声で二人の名を紹介した後、ゴンは遠慮もなくまじまじと此方を見詰めてくる。居心地の悪さに口を開きかけた時、勢い良く後ろを振り返った。視線の先にいた赤毛の餓鬼が目を瞬かせる。
「やっぱり! ルークってクルルに似てるんだ!」
どこかで見たことあると思ったんだ、と独りごちるゴンはすっきりとした表情で頷いているが、全く納得できやしない。
つられて視線をやった先にいるのは目付きの悪い赤毛の餓鬼。二重の瞼や若干釣り気味の瞳、やや尖った顎の形はそう言われれば似ているような気がしなくもないが、ふっくらとした頬やふてぶてしい顔つきは似ても似つかない。何よりこのくらいの歳の頃俺はまだアリスに似ていたから可愛らしかったはずなのだ。こいつにはアリスの愛らしさの欠片もない。
「ねえ、クルルは俺と同じで父親探してるんだよね?」
弾んだ声を出したゴンを思わず凝視する。記憶を刺激されたのだ。そういえば、漫画の主人公がハンターを目指す動機は、父親だった。
「いや、俺は別にゴンみたいに父親探す為にハンターなりたい訳じゃないけど」
何やら言いた気な視線を感じ、意識を赤毛の餓鬼、クルルに移す。上の空でも会話は一応耳に入っていたから、続く台詞は予想できた。有り得ない考えを先回りして潰しておく。
「お前幾つだ?」
「11歳」
一つ溜め息を吐いてから明確な否定を口にした。
「俺は今25だ。お前みたいなでかい餓鬼がいてたまるか」
クルルの父親であるはずがない。
が、一つ思い付いてしまった。ヒソカの意味深な台詞。イレギュラーのうんだイレギュラー。うんだが文字通り"産む"という意味だとしたら。
「でも確かに似てるよな」
話を混ぜっ返してきたキルアを睨み付ける。にやにやと口許が緩んであるあたり、面白がっているとかしか思えない。
「そうだよな。俺の母親今25歳だから有り得ないわけじゃないんだよな」
尚も言い張るクルル。試しに聞いてみた。
「母親の名前は?」
「マリア」
さらりと返ってきた言葉に、息を呑んだ。
「いやいや。無いだろ」
知らずと独りごちる。
有り得ないはずだ。その名に覚えはある。あるが、公園での会瀬を重ねたマリアとは手を繋ぐ以上のことはしていない。
「とにかく俺はお前の父親じゃない」
「良かった。変態ロリコン野郎が俺の父親じゃなくて」
ぼそっと聞こえるように呟いてみせたクルルに本気で殺意がわいた時だった。
ぼとっという鈍い音と共に人が落ちてくる。
「いてて」
打った頭を押さえながら顔を上げたのは、よく知った人物、新人潰しのトンパだった。
五つのタイマーをそれぞれが手首にはめれば自動的に扉が現れ、扉を開くかどうかタイマーについた○×かのボタンを押して選択するように指示される。多数決の結果はすぐにモニターに表示された。開けるの○が四票、開けないの×が一票。無事に開いた扉を進もうとすれば、後ろから声が上がった。
「あんたさあ、変態ロリコン野郎って呼んだからって餓鬼っぽい真似するんなよ」
咎めるような声を発したクルルを呆れて見やる。どう考えても新人潰しのトンパが場の空気を悪くするために×を押したのに決まっているというのに。満足そうにほくそ笑むトンパが視界の端にちらつくあたり間違いない。
訝しげな視線が突き刺さる。もう全てが面倒くさくなってきた。
「ああ、悪かったよ。俺はもう今後は○しか押さないから安心しろ。あとは勝手にやってくれ」
肩をすくめながらぴりぴりとした緊張感が漂う中、前へと歩を進める。すぐにまた右へ進むか左へ進むか多数決で選ぶよう指示があったため、宣言どおり○を押した。
「協調性って言葉知らないの? おっさん」
先程からキルアの口から出る言葉はわざと此方を怒らせようとしているかのような挑発的なものばかり。きっとゾルディックで落ちこぼれの烙印を押され、性格がひんまがってしまったのだろう。クルルの言葉とは違い、此方は哀れな境遇の餓鬼の粋がりだと思えば腹も立たない。
「放っとけよ、キルア。俺達三人が答え合わせれば多数決で決まるんだからさ。な、ゴン」
「あの、俺もいるんだけど」
トンパの控えめな自己主張はすっかり無視され、餓鬼三人組でわいわい騒ぎ始めた。トンパのこめかみがひきつっている。
「大丈夫か?」
「はは。絶対潰す。協力しろよ?」
「ああ」
囁き声で呟かれた物騒な要請を一応は受けてやる。更なる情報を引き出せれば嬉しいが、最大の目的は既に達成しているのだからもういつ離脱しても問題はない。
結局左の通路を選んだあとも俺とトンパの選択は完全に無視され三人の餓鬼の選択に従い、薄暗い通路を突き進む。それなりに罠らしきものは存在するものの、どれも回避は容易い。その過程で気付いたが、餓鬼共の動きは歳のわりに中々のものだった。野生の勘が働くらしく一番早く危険を察知するのはゴン。ゾルディックでそれなりの訓練は受けているのか最も俊敏な動きで罠を回避するのがキルア。クルルは二人に比べれば力量は劣るものの、ハンター試験常連者で今まで生き残っているトンパの動きを注意深く観察し、器用にトンパを盾にしながら己は無傷で立ち回っている。
トンパの鼻が少しへこむ程度の被害が出たところで、漸く今までの通路とは違う広い空間に出た。何もない空間の中、下から突き出る柱一本に支えられた正方形の舞台の向こう側に居並ぶ顔を隠した五人の内の一人が前に進み出ていかつい顔をさらす。そうして今から何が始まるのか説明を受けたのだが、要は向こう側の五人と一人ずつ戦って三人殺せば先に進めるというだけの話だった。
「誰が行く?」
向こう側は既に説明を請け負った男が一番手を名乗り出て余裕の笑みを見せている。
「俺が行こう」
ゴンの声に真っ先に反応したのは意外にもトンパだった。皆の信頼を得たいと言いながら闘志満々といった雰囲気を醸し出し、自動的に出てきた細い通路を危なっかしい動きで渡りきり、舞台上の男と対峙する。トンパと男が舞台へと上がった途端通路は縮み、外側は奈落の底へと繋がる逃げ場のない空間ができあがった。
「あのおっさん強いの?」
尋ねてきたのは赤毛のクルル。もしかして俺はトンパと親しいとでも餓鬼共に思われているのだろうか。それは否定すべきだ。
「さあ。知らない」
多分弱いと思うが。そして多分すぐに降参すると思うが。
固唾をのんで餓鬼三人組が見守る中、開始の宣言が成される。それと同時にトンパは素早く蹲った。
「まいった!」
高らかな声が空間を木霊する。期待を寸分も裏切らない行動を呆れた目で見詰めていれば、頭をかきながらトンパが戻ってきた。
そして弁解するかのようにすらすらと己の正体を口にする。つまり、自分は新人潰しであり合格する気は全くないのだと。
意外にも餓鬼三人組はすぐに落ち着いた。今にもトンパに殴りかかりそうだったクルルも、結局はゴンの口にした自分達三人が勝てば良いという単純明快な結論を容易く飲み込んでみせる。俺の存在が自然に無視されていることは気にかかるが、元々信用できるような男でもない上信用されようとも思っていないからどうでも良いことだ。
「じゃ、次は俺行くな。とりあえず一勝してくる」
トンパによって与えられた苛立ちを発散させるかのようにクルルは元気良く舞台へと駆けて行った。相手の対戦者はひょろい男。短い蝋燭か長い蝋燭かを選び、先に火が消えた方が負けという簡単なゲームを提案する。提案者の陰気な顔つきに違わぬ地味過ぎるゲームに、自然と欠伸が出た。
つまらない。命のやり取りに慣れきった身には、この試験は退屈に過ぎる。
迷わず長い蝋燭を選んだクルルをぼんやりと眺めている内にいつの間にか勝負は始まっていたらしい。対戦者の短い蝋燭はじりじりと溶けていくのに対し、何かの細工がしてあったのか勢い良く燃える蝋燭を手にしたクルルは素早く屈みこんだ。
トンパと同じ行動をとりながらもその先は違った。クルルは勢い良く蝋燭を持っていない空の拳を床に叩きこむ。そして飛び散った石の破片を掴み取り、素早く対戦者の手首目掛けて投げつけた。
あまりにも呆気なく一瞬で勝負はついた。
見るからに鈍くさそうな対戦者の男はクルルが拳を床に叩きこんだことしか理解出来なかったのだろう。唖然とした表情で石の当たった手首を押さえ、床に落ちた衝撃で火の消えた蝋燭を見詰めている。
「勢いがないってことはすぐに火は消えるってことだろう?」
そう言って得意気に胸を張るクルルの手には激しい動きをしたにも関わらずいまだ火のついた蝋燭があった。台詞の直後に燃え尽きたあたりぎりぎりだった気もする。更に相手の動きが鈍過ぎた気もするが、勝ちは勝ちだ。
晴れやかな表情で戻って来たクルルを、餓鬼二人は声をかけて労る。その輪に入るつもりもなく再び欠伸をしていれば、キルアが声をかけてきた。
「次はおっさん行きなよ。さっきから欠伸ばっかして退屈そうじゃん」
退屈なのは否定しないが、次の対戦者を目にしてもどうにも退屈を凌げるとは思えなかった。変形した顔と左胸に入れられたハートの刺青。変人らしき雰囲気は出ているものの、強いとは到底思えない。
「分かった」
それでも従ったのは、後に待つ対戦者からも強者の臭いが全くしなかったからだ。ならば相手が誰でも同じこと。すれ違うときトンパが意味ありげな目配せをしてきたので頷きながら、退屈な舞台へとのんびり歩を進めた。