舞台上で対峙した男が何やらポーズを取りながら必死に口を動かし唾を飛ばすのを眺めていれば自然と欠伸が出てきた。
「ふあ」
あまりにも大きな欠伸だったためか目尻に涙がたまる。
「おい! 聞いてんのか!」
涙を指で拭ってから億劫さを隠すつもりもなくゆっくりと視線をあげた。
「ああ、悪い。やっと試合開始か?」
試合を始めようともせずだらだらと意味のない言葉を垂れ流す男に飽き飽きしていたのだが、漸くやる気になってくれたらしい。ここはトンパに協力せず眠気覚ましに一発殴っておくかと少しだけ闘志がわいた時だ。
「本当に良いのか? デスマッチだぞ? 俺は今までに19人も殺してるんだぞ?」
「すごいな」
耳に入ってきた言葉に素直に感嘆する。殺してきた人数を一々数えているなんて、顔に似合わず律儀な奴だ。俺の周りにいる奴でそんなことをしている奴は一人もいない。
「ははっ。漸く俺の恐ろしさを理解したか」
「ああ、理解した。だから早く殺し合いを始めよう」
自分で口にした言葉にまた少し闘志がうまれてくる。殺し合い。良い響きだ。つまらなそうな相手だが、温いゲームが出てこなかっただけましだと思えば気分も盛り上がってくる。
そうして背の如意棒をするりと抜き出し左手で構えた時だった。
「待て!」
勢い良く上がった声に威勢を削がれる。何かと思えば相手は武器は無しだと喚き出した。
ここで問答する時間も惜しいので素直に従い如意棒を舞台の外に放り出す。地が見えない奈落へと落ちていく如意棒は俺の手から離れたため途中で消滅したが、誰も気付いてはいないだろう。舞台上でいきなり消滅するよりはこうした方が良い。
「そ、その頭のも取れ。武器を仕込んでる可能性が高いからな」
びくびくしながら放たれた台詞に眉根が上がる。
「無理だ」
「なんでだ? 怪しいもんを仕込んでないんだったら取れるだろう?」
深い溜め息を吐き出してから男の元へと歩を進めた。俺より身長の高い相手を見上げれば、びくりと大きな身体を揺らしながら男は一歩分後ずさる。
「呪いがかかってて取れないんだ。取れるもんならやってみろ」
ウボォーギンの怪力でも駄目だった。代わりに俺の頭皮が剥がれそうになって慌てて止めさせたのは記憶に新しい。思い起こしただけで殺意がわいてくる良い思い出だ。
「ふんぬ!」
掛け声をかけながら被り物を引っ張られたが、これくらいの力なら全く問題ない。暫く奮闘していた男だが、再び欠伸が出そうになったところで漸く納得したらしい。額に浮き出た汗を拭いながら離れていく。そうして何かに気付いたようにはっと息を呑んだ。
「お前、開始前に俺を疲れさせる為にわざとやったな!? 策士め!」
向こうに居並ぶ対戦者四人が額に手を当てたり溜め息を吐き出したのが見えた。なるほど、普段からこういう愉快な性格をしているらしい。
「俺が悪かった。だから早く始めよう」
この類の人間には此方が下手に出た方が話が進み易い。そんな予想通りやっと男もやる気になってくれたようだ。
「ああ、そうだな」
開始の合図と共に男は飛びかかってきた。なんなく避け、誰もいない空間に男は隙のあり過ぎる大きな動きで拳を叩きこむ。片膝をつき、右肩を見せた体勢のまま男は暫し動きを止めた。
「おっ」
此方に無防備にさらされた右肩の後ろにいれられた刺青に、思わず声がもれる。
「蜘蛛の刺青、か」
こんなところで蜘蛛の盗賊団の愛好者に会うとは思わなかった。それなりに有名になっているのは知っていたが、まさか真似をして蜘蛛の刺青をいれる程憧れてくれているとは。
「幻影旅団!?」
後ろから上がった声はトンパのもの。
「ええと。それ何?」
「ゴン知らねえの? A級賞金首。殺戮大好きで12本足の蜘蛛の刺青がトレードマークの趣味悪い盗賊団。クルタ族の緋の眼を根こそぎ奪いとったことでも有名だぜ?」
「それって……」
無知なゴンに説明するクルルの声がやけに大きく耳に届く。
クルタ族。緋の眼。すっかり記憶の奥底へと追いやられていた光景が鮮やかによみがえり、瞼の奥に浮かび上がった獲物の姿がある人物とぴったり重なる。
「そ。クラピカの仇」
金髪の少年の着ていた衣装。見覚えのあるあれは、クルタ族のものだ。
見付けた。漫画の中心人物と蜘蛛との繋がり。ようやく一つ、具体的な手懸かりを得たことに興奮を抑えきれない。
「クルル。今の話、本当か?」
上擦った声を隠すだけで精一杯。
「あんたも幻影旅団知らねえの? 本当だよ。ま、そいつが本物の幻影旅団かは分かんないけど」
質問の仕方を間違えた。だが、ここで踏み込んで下手に疑惑を持たれてはまずい。今はただ"クラピカ"の名を頭に刻みこみ、男と対峙する。
「ははっ。俺様が旅団四天王の一人、マジタニだ!」
幻影旅団に四天王がいたとは初耳だ。まあ良い。こいつのお陰で貴重な情報を得られたことには変わりない。気分も良いことだしトンパに協力しておこうか。
「なあ」
一足飛びで男の真横に立ち、肩に手をかける。耳元に声を直接吹き掛ければ、ぎょっとしたように身体を離されそうになった。反対側の肩まで手を伸ばし、ぐいっと身体を引き寄せる。
「取り引きだ。今からお前はイエスと言うだけで良い」
「なっなに」
「返事はイエスだ」
「イエス!」
肩に指を食い込ませただけで良い返事がくる。
「お前、死にたくないよな?」
「イエス!」
「じゃあデスマッチはまずいよな」
「イエス!」
男の威勢の良い返事しか聞こえていないからだろう。訝しげな視線を双方から感じる。それに応えるよう、今度は声を張り上げた。
「よし。じゃあ負けを認めたらそれで終わりにしよう」
「いや、別にはじめから負けを認めたらそれで良いっていうか、お前が負けを認めても俺が攻撃を止めるとは限らないって言っただけで本当に殺すつもりも殺されるつもりもなかったっていうか」
「あ?」
「イエス、サー!」
従順な首降り人形に満足してから相手方の中心人物らしい一番手で出てきた男に声をかける。
「途中のルール変更は認められているな?」
「ああ。双方合意の上でのルール変更は認める。まあ、最初のルールと変わっていないがな」
デスマッチという言葉しか頭に入っていなかったから単純に殺して終わりかと思っていたら、はじめから降参も認められていたらしい。まあ結局望み通りの結果が得られるならば同じことだ。自然と笑みが浮かぶ。一度息を吸い込んでから、口を開く。
「じゃあ今から仕切り直しだ。まいった」
抑揚のない声で一息に続けた敗北宣言は何故か容易には理解されなかったらしい。居心地の悪い沈黙が広がる。対戦者の男さえ全く喜ばずただぼけっと突っ立ってるだけだった。
男から身体を離し、勝負が終われば通路が伸ばされる位置まで悠々と歩を進める。が、敗北宣言の声が小さかったためか中々通路は出てこなかった。
「聞こえなかったか? まいった。負けを認めたんだからさっさと通路を出せ」
漸く伸びた通路を渡り、唖然としている餓鬼三人とにやつくトンパの元へと戻る。真っ先に我を取り戻して睨んできたのはキルアだった。
「おっさん、そこの新人潰しの仲間?」
「いや」
否定しながらトンパへと片手を差し出す。ぽんと乗っけられた5万ジェニーを懐におさめながらキルアと視線を合わせて笑ってやった。
「ただの協力者だ」
「なるほどね」
悪びれない態度に対してひくついてはいるものの笑みを返してくる。格好付けて余裕ぶりたい年頃なのだろう。
「あとはお前ら二人が勝てば良いだけの話だ。簡単だろう?」
「当たり前じゃん。な、ゴン」
「うん!」
此方は晴れやかな表情で元気良く返事をするゴン。俺がトンパに協力したことに対して恨みをもっている様子もない。
「じゃあ次は俺行くね!」
右手を上げて宣言し、舞台へと駆けていくその姿は次なる戦いへの期待に満ちあふれていた。
「どう思う?」
トンパの横に並び立ち、囁くような声音で尋ねる。視線の先ではゴンの対戦者がフードを払いのけ、顔をさらしていた。それなりに整った顔の女だ。
「綺麗だな」
「そんなことは聞いてない」
鼻の下を伸ばした姿に、間髪入れず突っ込む。へへっと笑ったトンパは完全に気が緩みきっていた。自分の出番が終わった今は、観客気分で試験を楽しんでいるのだろう。
「分かってるさ。どっちが勝つか、だろ? 女の方だ」
「根拠は?」
舌で唇を湿らせてからトンパは口を開いた。
「腕っぷしが強くもねえ女がこんな凶悪犯罪者が集まる牢獄にいるってことは、罪状は詐欺かなんかだろ。あの女はかなり頭が回るし、経験も積んでる。餓鬼の経験値で勝てると思うか?」
その詐欺師らしき男につい先程クルルが勝ったばかりだが。
「お前はあのくそ餓鬼が勝つと思ってるのか?」
同意の声が返ってこなかったからか、不満そうに聞き返される。
「ああ」
自分でも不思議だが、何故かあのゴンという餓鬼が負けるとは微塵も思えなかった。根拠もなく、ぴんと伸びた小さい背は、何があっても曲がらないだろうと信じてしまう。
「じゃあ、決まりね」
会話に割りいるように響いた女の声に、我に返る。そして続いた台詞に、即座に前言撤回を決めた。
「私の歳が25より下か、上か、当てられたら貴方の勝ちよ!」
「やっぱり向こうの勝ちだ」
女の歳を当てるなんて、俺でも無理だ。まだ餓鬼のゴンに当てられる訳がない。特にあの年代の餓鬼からすれば大人の女なんて皆同じに見えるだろう。
「うちの母親より、下かな?」
「上なんじゃね? 若作りしてんだって、ぜってえ」
案の定クルルとキルアは首を捻りながら頼りない予想を立てている。
「下、だよな?」
そう言う俺自身も確証をもてない。
「凶悪犯罪者っていうくらいだからな。それなりの犯罪歴を持ってるだろ。上だ」
自信満々にトンパが断言するが、13の時から盗賊団に所属してしまった身としては同意もできない。
「じゃあ、答えるね!」
頼りない空気が支配する中、その迷いない声は元気良く響いた。
全員の視線を集めたゴンは悩む素振りもみせず、正面から対戦者の女を見詰めてにかっと笑う。
「どっちでもない」
確信に満ちた声に、クルルがそういうことか、と応じた。
「あのばあさんのクイズと同じネタかよ!」
「そうじゃないかなと思ったんだけど」
クルルとゴンの二人の間で弾む内輪の話は理解できないものの、ゴンの答えの意味は理解できた。
「なるほどな」
25歳ちょうどならば、それより上でも下でもない。二択にみせかけた三択問題。言われれば納得するが、あの短時間に自分で気付くことは難しい。
「ちょっと。まだ私は正解とは言ってないわ」
完全にゴンが勝ったかのような雰囲気が漂っている中に冷たい声が割って入る。
ここにきて一つ気付く。女が年齢を証明する物を所持しているかは分からない。もし持っていなければ、女の気持ち次第で答えは変わる。極端な話、永遠の20歳だと言い張られれば反論できる材料は此方にはないのだ。
同じことに気付いたのか、一様に顔色を変えるキルアとクルル。
「てめえ! 嘘つく気かよ!」
勝ち誇る女に対して牽制するかのようにキルアは吼えた。
「あら。私は嘘は言わないわ。ただ、生まれた国によって歳の数え方は変わるかもしれないし、始まる前に正解を明示しておく、なんて約束もしていなかったわよね」
なんとも性格の悪い屁理屈だ。恐らく女は二十五歳前後。最初から相手の答えによって、自称の年齢を変えるつもりだったのだろう。勿論世界共通の歳の数え方は存在するが、僻地では誤差もある、とこの前知識を増やす為に読んだ豆知識の本にのっていた。嘘ではなく、全ての答えが正解にもなり不正解にもなりうる質問を用意する。シャルナークあたりが用いそうな手法だ。
「うん、何の約束もしてない」
驚くことにゴンは全く動揺するそぶりも見せず、澄み切った声で女を見つめながら続けた。
「だからさ、上の人に聞こうよ。そこのカメラで監視している人は正しい年齢を知っているでしょ?」
女は悔しそうに唇を噛み締める。その反応が正解を示していた。正しく彼女は25歳だったのだろう。先程までの強気な口調はただの痩せ我慢。
「レルートの年齢は」
リアルタイムで監視していたのか、機械を通した声がゴンの要請に応える。
「25歳だ」
途端に喜びを露にするクルルや控えめながら安堵の息をもらしたキルアとは違い、ゴンは平然と勝利を受け止めていた。
「何で分かったの?」
己の敗北を悟った女は静かにゴンへと問いかける。
「え、だって肌が綺麗だから二十代前半かなって思って。でも大人の女の人っぽい感じもあるから25歳くらいかなってはじめ見た時から感じてたんだ。それであの質問だったから」
25歳ちょうどだと確信を持ったのだとゴンは続ける。
末恐ろしい餓鬼だ。この若さで女の歳を見抜くなんて、相当数の女と触れ合う経験があったに違いない。
此方に戻ろうとしたゴンは何かに気付いたように立ち止まり、女に向き直った。
「あ、でもレルートさんなら二十歳でも全然通じると思うよ! 綺麗だし可愛いから!」
背を向けているからゴンの表情は分からないが、レルートの頬が朱に染まったことははっきりと見てとれた。きっと嘘や世辞の影がない晴れやかな笑顔を向けていたのだろう。
じゃっと手を振って戻ってきたゴンを、呆れ顔のキルアとクルルが迎え入れる。
「次はキルアが勝てば終わりだね!」
勝利の余韻に浸ることなく、既に意識の対象は次の戦いへと移っていた。そんなゴンに対してキルアは深い溜め息を吐き出す。
「お前、意外と女たらし?」
言われた言葉の意味を理解できなかったのか、ゴンはきょとんとしながら首を傾げた。
「俺の故郷、クジラ島って結構漁師さんが立ち寄ってさ。その中にレルートさんくらいの女の人も結構いたから。それで年齢分かっただけだよ?」
「いや、そういうことじゃないってか」
キルアの心情はよく理解できた。年齢の話だけではない。最後の台詞のことを言いたいのだろう。
「まあいいや」
だがゴンの反応をみる限り全ては素で、追求することに意味はないとキルアも考えたのだろう。あっさりと諦めるように一度視線を落とし、再度顔を上げた時にはその目は既に対戦者しか映していなかった。
「じゃ、勝ってくる」
何の気負いもなく軽い調子で言葉を吐き、キルアは舞台へと上がった。